新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

公開 メンバー数:58人

チャットに入る

ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

サークル内の発言を検索する

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: 生成門さん

    2016年01月04日 06時45分46秒

    icon

    やっと霊魂を数学する準備が整ったかも。

    霊魂は直感の世界である。だから理屈では言うことができない。しかし、表現できなければ何も進まない。曰く言い難しをいう。神秘に世界はパラドックスが多い。だから宗教には逆説的な表現が多い。西洋には逆説論理がなかった。東洋には逆説論理がある。禅問答とはパラドックスを解決する表現法である。しかし、その論理は常識的(同一律)ではないので、論理が破たんしているとして揶揄されたのである。しかし、量子論が量子言語となって、多くのパラドックスを表現できることから、仏教などのパラドックス世界を科学的に証明したとまで評価されたのである。しかし、それは短絡である。

    量子言語は確率を土台とする言語である。確かにある状態が不可視としても可能性として存在し矛盾をはらんでいるとしても、確率的には存在するなら矛盾にはならない。そうした確率的表現をそのままパラドックスを解決したのだとして仏教の物語と同一視してしまうのは、味噌と糞を一緒くたにするようなものである。

    華厳の重々無尽は決して確率の世界ではない。無限に自己を自己に重ねることである。パイコネである。そうすることによって非線形(予想できない)なカオスフラクタルな現象となる。表面的に見ればランダムに見える。しかし、決してでたらめではなくその裏にはルールがある。そうしたルール(規則)を見ずして確率に走ってしまった量子言語は美人局である。

    いまこそ、パラドックスを正しく表現するための数学的言語を持つべきなのである。そのための数学は決して確率統計ではない。決定論的非線形のカオスフラクタルな数学なのである。決定論とは文字通り未来が決定できるということである。非線形とは予測できないということである。決定できるのに予測できないというのはパラドックスである。予測できないが決定されているのである。式として表現されているが、実際に値を入れて計算をしてみないとどうなるかわからないのである。しかし、計算してしまえば同じ結果になる。だから決定されているのである。

    計算すれば結果が出るからと言って油断してはならない。初期値として0.0001として時に計算と0.00011では、まるで異なる結果となるのである。これは非線形の特徴なのだ。線形の現象ならそんなことはあり得ない。誤差の範囲である。円周を求めるのに、3.14とするか、3.141とするのかは大したことではない。円周が半径の何倍かを知るためなら、2πr=lだから、r=1,π=3として、l=6とすると、半径の6倍となる。小学生ならこれで十分だろう。数学者でも十分だ。しかし、ミクロのリングを作る技術者にとっ手は精度が命だ。このような事情から、カオス・フラクタルのような初期値に敏感な性質は数学者にとって関心がなかったといってよい。実際にカオス現象を発見したのは気象学者のローレンツであり数学者ではない。しかもコンピュータがなければ発見できなかった。僅かな数値の違いで結果が異なる結果を出すには多大な繰り返しの計算をしなければならいからである。

    ローレンツ
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84

    カオスの発見はコンピュータによる計算が如何に重要かを気が付かせてくれたのである。初期値に敏感なカオスフラクタルは初心が大事だという意味では人生や芸の道と同じだ。

    初心和するべからず。(世阿弥)
    http://www.geocities.jp/michio_nozawa/03episode/episode38.html

    決定できるのに予測できないというのはカオスのパラドックスである。このパラドックスを解決できる数学こそ真の数学なのである。

    カオスを混沌と訳して、それをランダムとしてしまったことが大きな間違いだった。
    これまでの物理は線形な現象ばかりを扱ってきたし、数学も線形数学に代表されるように線形な数学である。だから非線形な数学が物理に応用される機会がなかったのである。まして非線形数学が直感に世界に利用される機会などありようがなかった。

    しかし、今こそその機会が到来した。その一端をおめにかけよう。

    2016年01月03日(日)25 tweetssource

    14時間前

    森のように深い@fractaleman68
    無限数列が与えられたとき、その数列のルールがわかっているなら学習する必要がない。わかっていない時はどうするかである。このような場合の方法がある。それがGMDH(Group Method for Data Handling)であり、無限数列を唯の1行の短い漸化式にまとめる。
    posted at 16:24:22

    14時間前

    森のように深い@fractaleman68
    無限数列1,1,2,3,5,8,13,21,,,,,がある。次に何が来るか予測できるだろうか。一見ランダムに見えるだろう。しかしここにはあるルール(関数)が隠されている。これはフィボナッチ数列といわれるもので隣り合う数を足すと次の数になる。
    posted at 16:20:21

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    重重無尽は文字通り重ねに重ねねることである。それが無限に続けることである。パイコネである。それが漸化式になる。
    posted at 15:31:15

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    予測するときに式があれば予測できるが、式がなければどうするかが問われる。式がなくてもデータがあれば式を作れる。データをプロットしてそれを線で繋げばそれが関数である。もちろん近似である。その関数は多項式となる。カオスデータの場合はたった一行の漸化式となる。
    posted at 15:29:10

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    華厳の重々無尽はフラクタル・カオスである。どこでどうつながるのだろうか。
    posted at 15:19:41

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    ここに華厳を数学した素晴らしい世界がある。
    http://nichigetu.b-tama.com/photo09.html
    ここでやっていることは華厳の本質である重重無尽を無限数列としてとらえそれを漸化式に表現して非線形性を明らかにしたことである。そしてフラクタル・カオスという数学に結んだことである。
    posted at 15:09:22

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    逆説の多い仏教。量子言語も同様だ。だから量子論は神秘主義を数学したという。しかし量子言語は確率であり疑似解決である。真に逆説を数学する言語が求められる。パラドックスを表現する真の数学はフラクタルカオスである。これがどのように仏と接続するのか。量子論との違いを白日の下にする。
    posted at 14:50:40

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    予測できるためにはその現象に規則性があるということである。しかしデータだけを見ているとランダムに見える。そのような非線形現象をフラクタル・カオスという。非線形だから予測できない。それを予測するのだからパラドックスである。これに取り組んできたのは仏教である。だから逆説的表現が多い。
    posted at 14:44:22

    17時間前

    森のように深い@fractaleman68
    リケッチャアとバクテリアと人間の意識が同じだとするのは無謀だろうか。意識が関数だとすると関数の違いがあるだけでその本質は変わらないともいえる。同じ人間でも移動平均でやるときと指数平滑するときがある。つまり、状況に応じて使い分けているのである。それは複雑になるとどうなるかである。
    posted at 13:43:30

    18時間前

    森のように深い@fractaleman68
    予測の式は予測数=前回予測数+a(はずれ)である。aをいくつにするかという学習が含まれている。学習によって精度が上がるということになる。しかし、予測の式はあらかじめ与えられたものである。三日分の平均をとるというよりはが精度良いかもしれないがその限界がある。ではどうするかである。
    posted at 12:38:54

    20時間前

    森のように深い@fractaleman68
    予測の式は予測数=前回予測数+a(はずれ)である。aをいくつにするかという学習が含まれている。学習によって精度が上がるということになる。しかし、予測の式はあらかじめ与えられたものである。三日分の平均をとるというよりは制度が良いかもしれないがその限界がある。ではどうするかである。
    posted at 10:33:18

    20時間前

    森のように深い@fractaleman68
    発注予測数=前回発注予測数+a(はずれ)aは過去をどれだけ重視するかの意識係数である。αが1に近いほど直前を重視し、0に近いほど過去を重視することになる。一般には0.3ぐらいになるだろう。目の前の失敗に振り回されずにかといって、頑固一徹もよくない。中庸であることである。
    posted at 10:27:39

    20時間前

    森のように深い@fractaleman68
    発注を予測する式:発注予測数=前回発注予測数+a(はずれ)a=1とする。100の売り上げで99の予測なら欠品である。だから1を加えて100を発注する。よくやりそうなことである。
    ではaはどんな意味を持つのか。過去の予測数を修正する役目である。a=0なら全く過去を無視するである。
    posted at 10:22:23

    20時間前

    森のように深い@fractaleman68
    発注を予測する式は簡単に発注予測数=前回発注予測数+a(はずれ)である。はずれ=売上ー予測だから、はずれれば品切れか売れ残りとなる。はずれた分を前回の予測した数に加えた量を発注数とするということである。a=1ならはずれ分をもろに加えるということである。
    posted at 10:17:18

    20時間前

    森のように深い@fractaleman68
    発注数の予測の精度を上げるにはどうすればよいか。それは過去のデータをすべて参照することである。そこで過去のデータに重みをつけることにする。その式を発注予測数=a前回販売数+(1-a)前回予測数とする。これを変形すると発注予測数=前回予測数+a(前回売上数-前回予測数)である。
    posted at 10:07:37

    20時間前

    森のように深い@fractaleman68
    お店の発注担当者の予測は三日分のデータを参照する。その平均値をとりそれを発注数とする。これも立派な予測関数である。しかし当たる確率はどうだろうか。三日しか参照しないならあまり精度はよくないだろう。過去のデータをすべて利用した方がいいに決まっている。それは能力の範囲を超えてしまう。
    posted at 09:48:35

    20時間前

    森のように深い@fractaleman68
    予測は計算である。計算には意識が必要である。意識は記憶と類推だから関数が必要になる。予測の簡単な場合を考える。お店で商品を発注するときは発注数を予測する。その発注数はどのように決めるだろうか。当然過去のデータを参照する。記録されているすべてのデータを参照するわけにはいかない。
    posted at 09:43:57

    21時間前

    森のように深い@fractaleman68
    右脳による直感(計算)はコンピュータの世界で言うところの関数型プログラミングに近いのではないだろうか。今の段階ではその比較をするのは留保して、計算が脳の中でどのように行われるのかを解明することにしよう。
    posted at 09:37:30

    21時間前

    森のように深い@fractaleman68
    予測が左脳による計算、直感は右脳による計算という区別が考えられる。天才的な能力を発揮するというサヴァン症候群の人は右脳優位に脳を持っているらしい。落ちた爪楊枝の数を瞬時に数えるという。それならバードウオッチングなどお手の物だろう。
    posted at 09:32:50

    21時間前

    森のように深い@fractaleman68
    リケッチア、バクテリアから突然人間に飛んででみよう。人間が予測するときに何をするのかである。直観を働かせるといってしまうと自家撞着になる。予測予感予知=直観だからである。やや予測は計算の匂いがするが、その本質は直観においても計算だろう。計算方法が違うだけかもしれない。
    posted at 09:24:44

    21時間前

    森のように深い@fractaleman68
    バクテリアの記憶は真空エーテル時間軸にある。バクテリアは真正細菌だから脳はない。にもかかわらず差分をとることができる。差分をとるということは過去のデータを参照するということである。
    posted at 09:19:41

    21時間前

    森のように深い@fractaleman68
    過去とは記憶である。記憶を想起して差分をとり、閾値以上なら危険だと判断する。これが意識の構造である。このバクテリアはy=f(x)という関数を持っている。xは感知した塩分濃度である。fはその濃度と過去の濃度を比較して、閾値以上なら逃げろというアウトプットyを出す関数である。
    posted at 09:16:02

    21時間前

    森のように深い@fractaleman68
    意識を生む関数が存在する。それはどんな関数だろうか。塩分濃度を感知して逃避するバクテリアがいる。逃避するということはこの場所は危険だという認識があるということだ。それには過去の記憶がなければならない。感知とは差異であるから差分をとることである。現在の濃度と過去の濃度の差である。
    posted at 09:10:58

    22時間前

    森のように深い@fractaleman68
    意識=記憶+類推だとしてウイルス様に意識があるといわれると抵抗があるが関数だといわれると納得できるかもしれない。例えば葉っぱが出る角度がある。そうしないと上の葉っぱが下の葉っぱの光合成の邪魔になる。その角度を決めるのが関数である。あたかも植物は意識を持っているように見える。
    posted at 08:40:47

    22時間前

    森のように深い@fractaleman68
    霊を科学するためには原始のウイルス様(リケッチア)の生命発生の現場に行って様子を見るしかない。そこでは何が起きているのか。意識はあるのか。http://ameblo.jp/allahakbar231/ntry-11122103781.html...
    そこで佐野氏の語りが役に立つ。先ず、意識=記憶+類推だということである。
    posted at 08:34:57

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件