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シムダンス「四次元能」

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公開 メンバー数:58人

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2017年06月17日 14時04分32秒

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    言語は会話の道具か、思考の道具か?

    言語は会話の道具か、思考の道具かは言語に関する大きな問題です。多くの言語学者はコミュニケーションのツールと考えています。しかし記憶科学だけがそれに異を唱えています。https://plaza.rakuten.co.jp/clg2009/
    果して、そうでしょうか。

    動的相互作用の法則からすると会話こそが重要なのであるという結論になります。何故なら、会話は宇宙の法則=至上命令だからです。



    2017年06月17日(土)30 tweets
    source

    5分前

    森のように深い@fractaleman74
    宇宙の記憶はどこにでもその姿を現す。人間の記憶は宇宙の記憶の反映である。では記憶とは何なのだろうか。言語は記憶を操作する記号の集まりである。
    posted at 13:49:58

    15分前

    森のように深い@fractaleman74
    Fv=1から導かれた
    m1v1+m2v2=m1'v1'+m2'v2'
    と現代物理の運動量の保存則
    m1v1+m2v2=m1v1'+m2v2'
    との違いは質量が変化するかしないかである。しかし相対論から明らかなように質量は変化するのである。だから質量保存則は破綻しているのである。
    posted at 13:40:13

    23分前

    森のように深い@fractaleman74
    m1v1/Δt1=-m2v2/Δt2
    むやみには微分できない。
    Δt1≠Δt2
    だからである。
    従って
    m1v1=-m2v2
    である。
    ここで差分をとる
    Δm1v1=-Δm2v2
    m1'v1'-m1v1=-(m2'v2'-m2v2)
    m1v1+m2v2=m1'v1'+m2'v2'
    posted at 13:32:36

    1時間前

    森のように深い@fractaleman74
    F1v1=-F2v2
    m1v1=-m2v2
    F1=-F2
    どこで間違えたのだろうか。
    前提はF1≠-F2である。
    m1v1=-m2v2
    を時間微分して
    F1=-F2
    としたことが間違っている。
    Δt1≠Δt2
    だから微分できない。
    posted at 12:42:45

    1時間前

    森のように深い@fractaleman74
    F1v1=-F2v2
    思考が記号過程だと言うこと堪能してみよう。
    Fv=mavである。
    添え字を略すると
    mav=-mav
    a=aとすると
    mv=-mv
    となり、添え字を復活させると
    m1v1=-m2v2
    となる。時間で微分すると
    F=-Fとなる。
    あれれ、おかしなことになった。
    posted at 12:10:41

    1時間前

    森のように深い@fractaleman74
    ネジが宇宙の普遍の原理だと言うのは大変な発見である。F1v1=-F2v2から現代物理の要であるエネルギーと運動量の保存則が破られる。アカデミズムはこの原文があることを見て見ぬふりをするしかないのである。ここでは数学が使われる。数学は思考である。単る計算ではない。論理演算である。
    posted at 11:55:58

    2時間前

    森のように深い@fractaleman74
    動的作用反作用の法則 とは【ピクシブ百科事典】 #pixpedia #pixiv http://dic.pixiv.net/a/%E5%8B%95%E7%9A%84%E4%BD%9C%E7%94%A8%E5%8F%8D%E4%BD%9C%E7%94%A8%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87...
    posted at 11:44:08

    2時間前

    森のように深い@fractaleman74
    人類が生き延びるためには仲間と関係を保つことしか選択の余地がなかったのである。思考などそれまでのレベルで十分だったのである。だから伝えることが重要だったのである。だから言語は思考の媒体ではなく会話の媒体として誕生したのである。
    posted at 11:39:01

    2時間前

    森のように深い@fractaleman74
    原始人が沈思黙考していたとは考えにくい。記憶科学が言うように言語が思考の道具だったすると、原始人が沈思黙考していたという変なことになる。そうではない。動的作用反作用に従うのなら共振である。相互作用=共振こそが宇宙の普遍の原理なのである。だから仲間との交換・交流が大事なのである。
    posted at 11:34:26

    2時間前

    森のように深い@fractaleman74
    危険を避けるには思考が必要であり、記号が必要である。しかし言語は必要がない。言語があると思考の強度が上がる。論理的になるのである。だからと言って言語が思考の媒体として進化したと言うのは論理の飛躍である。危機を認知するのに言語はいらない。だとすると言語は何ために発生したのだろうか。
    posted at 11:17:06

    2時間前

    森のように深い@fractaleman74
    20万年前の人類(半サル)に思考がなかったとは言えない。思考の強度は低いかもしれないが、記号過程はあった。しかし言語は存在していない。言語がなくても思考はできるのである。沈思黙考や内語は言語が合って始めて可能となる。だから、半サルは沈思黙考や宇内語はしていなかった。
    posted at 11:09:14

    2時間前

    森のように深い@fractaleman74
    さて、話を20万年前に戻そう。まだ言語も話すこともできていない時代である。記憶科学によれば言語は思考のために生まれてきたという。それが正しいなら20万年前は言語がなかったのだから思考もなかったことになる。しかしそれでは生きていけないだろう。危険を避けると言うのは思考である。
    posted at 11:03:19

    3時間前

    森のように深い@fractaleman74
    内語は常に周囲の状況に流され変化し続ける。内語はつじつまが合わなかったり、要旨がずれていったりする。沈思黙考と内語の違いは前者が舵があり、後者は舵がないことである。いずれにしても言語を使っているということである。
    posted at 10:55:43

    3時間前

    森のように深い@fractaleman74
    内語は脳の中で交わされる言葉である。黙って考えごとをしているとき、内語が活躍している。人間は自分が考えていることを自分の意思で生み出していると思いがちである。思考はそう考えるように操られているのである。
    posted at 10:50:15

    3時間前

    森のように深い@fractaleman74
    沈思黙考という言葉があるように発話しなくても思考はできる。このとき言語を使って思考していると言うことである。
    posted at 10:47:44

    3時間前

    森のように深い@fractaleman74
    記憶科学は人間だけが言語を使う。言語は記号過程である。言語は伝達のために生まれたのではなく、思考のためだと言う。だとすると、思考は記号過程だから思考は言語行為である。発話しなくても言語を使っているということである。
    posted at 10:30:41

    3時間前

    森のように深い@fractaleman74
    呟きは言語行為である。アッと言う発話も言語行為である。バッターは危険球が来た時、無言で避ける。この瞬間には記号過程がある。この瞬間に言語行為があるだろうか。
    posted at 10:23:27

    4時間前

    森のように深い@fractaleman74
    危ないを認知するのはわずかな時間である。直感的である。しかし、これを直感という言葉で済ませてしまうと言語との関係が見えなくなる。実際は差異の認識=意識=記憶想起+類推+判断=思考=記号過程である。今、問題にしているのはこの過程が言語過程かどうかである。しかし、発話はない。
    posted at 09:55:07

    4時間前

    森のように深い@fractaleman74
    思考実験は言語をふんだんに使って思考している。だから言語は思考のための道具であると言える。この点では記憶科学の主張を支持している。ただ、危険を避けるという場面でのバッター自身は記号は使っているのが言語は使っていない。そう見えるだけだろうか。本当は言語を使っているのかもしれない。
    posted at 09:50:36

    4時間前

    森のように深い@fractaleman74
    意識は差異の認識=記号過程の結果である。記号過程は思考である。つまり思考には記号が活躍しているということになる。そして危険を避けたバッターは危ないだろと投手に向かって叫ぶ。言語の発動である。意志の伝達である。この思考実験から思考=記号過程だから言語であると言えるだろうか。
    posted at 09:44:13

    4時間前

    森のように深い@fractaleman74
    危険球がきたときバッターはとっさに身をかわす。危険だと自己認識する。危険なボールの認知は差異の認知である。そこには
    意識(思考)=記憶+喚起+類推+判断
    がある。だから危険なボール(差異)はバッターにとって記号である。つまり、意識は記号過程である。
    posted at 09:35:14

    4時間前

    森のように深い@fractaleman74
    危険だと認知し同定する過程は思考である。記号が使われているかどうかである。言語は記号を使って記憶を操作する記号過程である。だとすると思考が記号を使っているなら言語を使っているということになるのだろうか。
    posted at 09:22:58

    4時間前

    森のように深い@fractaleman74
    自己認識が自己と他者(環境)との相互作用(動的作用反作用)ならサイバネテックスとしてモデル化できる。他者をエーテルとすれば、エーテルとの相互作用はサイバネテックスで説明できる。当然SO(発見的自己組織化)が組み込まれる。
    posted at 09:18:16

    4時間前

    森のように深い@fractaleman74
    「渡り鳥とサイバネティクス理論」 | 日本ケースメソッド協会(JACRA) http://case-method.gr.jp/blog_column/201401061242/... @NPO_JACRAさんから
    posted at 09:14:46

    4時間前

    森のように深い@fractaleman74
    危険を仲間に知らせたいとする。当然、危険を察知しなければならない。危険な状況であることを認知し類推し判断する。この段階では言語は関係しない。だから伝えることは二の次ぎである。では記号は使っているのかである。危険とは差異の感知である。自己の認識である。状況との相互作用があるだろう。
    posted at 09:05:35

    4時間前

    森のように深い@fractaleman74
    伝達には思考が付随する。思考=記憶+想起+類推+判断である。伝達には言語が使われる。思考に言語は使われるだろうか。これは思考実験である。この思考に記号が使われるのかである。それが分かれば半サル(人間になろうとしていうる)の思考のシミュレーションができるだろう。
    posted at 08:56:23

    5時間前

    森のように深い@fractaleman74
    思考と言っても強度がある。簡単から複雑である。人類が誕生した初めの段階でも思考が全くないというわけではない。強度(思考のベクトル)が限りなく0に近いと言うだけである。当然伝達と思考の強度を比較すると伝達の方が大きいだろう。しかし危険だと判断して伝えるにも思考が必ず付随している。
    posted at 08:49:41

    5時間前

    森のように深い@fractaleman74
    言語が会話ではなく思考のためだとすると進化のタイムラインと合わない。そしてエントロピーの法則にも矛盾する。進化は負のエントロピーが増大することであり、複雑化=秩序化が進むということである。会話と思考ではどっちが複雑だろうか。分かり切ったことである。意味を伝えるほうが簡単である。
    posted at 08:30:02

    5時間前

    森のように深い@fractaleman74
    言語が会話のためではなく思考のために発生したという記憶科学の主張が正しいなら、思考の言語である算数が先に進化しなければならないことになる。言語の歴史は20万年もある。しかし、数の記号が現れたのは古代エジプトで五千年前である。これでは理屈が合わない。
    posted at 08:23:22

    5時間前

    森のように深い@fractaleman74
    言語は思考の媒体であって会話のために誕生したのではないと言うのが記憶科学の主張である。会話は二次的な使い方だと言うのである。これは正しいのだろうか。数学は記号を使った思考である。計算もするが計算は思考である。だからコンピュータの世界では単純な計算と特別するために論理演算と言う。

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