新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

公開 メンバー数:58人

チャットに入る

ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

サークル内の発言を検索する

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: 生成門さん

    2017年07月22日 11時05分36秒

    icon

    K理論=般若心経+聖書

    梶原理論(K理論)を解体工事してみました。

    http://twilog.org/fractaleA/date-170720

    長いので、疲れます。神と仏を合体させたような理論なので、矛盾が見られます。しかし、人生の苦から逃れるために、毎日を生きてるのであれば役に立つかもしれません。

    以下、その断片です。

    7月20日

    梶原理論を解体したがよく分からなかった。結局、氏が言いたいことは、般若心経を盾として聖書を矛として苦に立ち向かえば、悟りが得らえると言う事だろう。それこそ矛盾に陥らなければよいが。
    posted at 10:45:04

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    K理論の解体
    本当の日本精神は神ながらである。国家主義ではない日本精神、民族思想ではない本当の大和心を持てば般若心経も、聖書も分かる。
    posted at 10:33:01

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    K理論の解体工事
    今の日本人の考え方は、非常に物質的で、島国根性が露骨である。これは民族の迷いである。だから、聖書とか、般若心経という世界に共通する思想の原理に立たなければならない。
    posted at 10:29:59

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    大自然の景色はそのまま神ながらである。神がそのまま現れた感じるのが日本の心である。桜の花が美しいとか、紅葉がきれいだというのは、日本の国には関係がない。この土地が日本であろうがなかろうが、紅葉には変わりがない。桜は桜である。こう感じる心が日本人特有の精神である。K理論の解体中。
    posted at 10:27:31

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    神ながらという思想
    人間の本質を究明する、命の実体を学ぼうすると柵という迷いがついて回る。そこに注意する必要がある。そのヒントが神ながらという思想である。これは価値がある。
    K理論の解体中!
    posted at 10:22:25

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    K理論の解体工事
    イエスは神が愛であるという事実を、自分の生活で証明するためにやってきた。イエスは、天地の命を自分の命として生きた。これが、彼が復活した原因である。
    posted at 10:15:46

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    花という物質があるのではない=美しいという事柄が花として現れている=般若心経の思想=聖書=神が花を咲かせている=天地のいつくしみが花という形で、私達の目を楽しませ、心に命を暗示している=これは宗教ではない=事実。
    posted at 10:13:21

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    空とは何か。五蘊皆空とは何か。目に見えるものがないとすると、何があるのか。花が咲いているのがないといっても、やっぱり咲いているではないか。花が空だとすれば、咲いているのは何か。
    http://1941kajiwara.zero-yen.com/newpage3.html
    K理論の解体中!
    posted at 10:10:51

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    般若心経を読んだり写経したりすると、知らず知らずのうちに、その感覚がしみこんでくる。そこに、般若心経の御利益がある。本当かな。K理論の解体工事中。
    posted at 10:09:13

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    Kの解体工事(続)
    般若心経は空という事実の提示。空とは悟りの原則。大乗仏教は、すべて空という理念から出発している。空が分からなければ、仏法の言うところが分からない。般若心経はその原点である。
    posted at 10:07:16

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    K理論の解体工事=宗教と聖書の違い
    宗教教義というのは、すべて、人間が造った思想。どんな教義でも、宗教でも、道徳でも、論理も、すべて人間が造った思想。ところが、聖書は教義とは違う。命とは何かという事実を示している。
    posted at 10:04:42

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    K理論の解体工事
    満月=月の光=大宇宙のロマン=神の愛の現れ=それを人が見て魂に神の愛と感じる=理屈ぬきの感動=これは宗教ではない=聖書が説いていること=神の愛と人間の魂のつながり=神は愛なり。
    posted at 10:01:56

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    Kの価値=仏の不足を神で補うこと。
    青空の青さは、神の愛が青空という形で現れ。
    夕焼けの空のすばらしさも、神の愛の現れ。
    人が美しいと思うもの、山の景色、海の景色等すべて人の魂に訴えるものはすべて神の愛の現れ。
    posted at 09:57:06

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    Kの意義:美の説明。
    美は天地の心のいつくしみ。
    聖書=神の愛=神の愛が美形として現れる。
    posted at 09:54:22

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    K理論の意味=般若心経の不足を聖書で補うこと。
    般若心経=花という物はない、美しいという事がある。
    花という形があるのではない。これが色即是空。
    しかし、ここまで。美しいとは何かという説明はない。美が分からなければ、本当の喜びは分からない。それが聖書にはある。
    posted at 09:51:53

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    K理論:目に見える物があると考えることが間違っている=般若心経=五蘊皆空。
    posted at 09:44:45

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    K:諸行無常=色即是空
    目に見える物は存在していない。実体は存在する=外道=小乗とは反対なので竜樹や唯識と同じだ。
    posted at 09:42:45

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    K理論=般若心経+聖書
    色即是空:現象世界=空
    物があるのではなく、原子がある。原子があるのではなく、電子の運動がある。これが諸行無常。物体の根源は運動=確率の波だと言っている。波は空である。
    だから物は波=空である。なんだか変だぞ。空の説明に量子論が出てきた。
    posted at 09:39:21

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    K理論:般若心経と聖書の二つの合成。宗教ではないが、無理に宗教ではないといわなくてもいい。要するに、K理論は空よって命を考えることを可能にする。
    posted at 09:25:49

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    K:般若心経=空があるが命がない。聖書=命があるが空がない。
    だから二つの合成が必要。仏教ではない般若心経と、キリスト教ではない聖書の二つが必要。
    posted at 09:22:38

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    K理論=聖書は人間の実体を認める。人間は神から命の息をふきこまれた存在。何故、人間は実存状態であるかを明確に説明している。
    posted at 09:18:10

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    梶原理論=K理論=般若心経+聖書
    般若心経:人間が出現した理由が不明&人間の未来、死後が不明:五蘊皆空=現世が空なのか、空であるべき現世が、なぜ存在しているかの説明なし。
    聖書にはそれがある。
    posted at 09:15:49

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    梶原理論を解体することにした。
    http://1941kajiwara.zero-yen.com/
    一体何を言いたいのだろうか。
    posted at 09:04:58

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    竜樹は外道(実体主義=物))を徹底批判し関係主義(事)に立つ。梶原氏はその流れにある唯識を否定している。つまり、梶原理論は存在は実体としてあるという物質主義=科学と同じ側に立つと言う事になる。しかし、般若心経は関係主義=縁起である。一体、唯識の何を否定しているのかよく分からない。
    posted at 09:03:59

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    梶原氏は外道(存在は実体としてある)だろうか。聖書の外道なのだろうか。
    http://1941kajiwara.zero-yen.com/
    精神革命の臨床は唯識を動的作用反作用で説明したいと考えている。しかし、梶原氏の説が正しいとするとこの試みは初めから間違っていることになる。
    posted at 08:58:02

    7月20日

    森のように深い@fractaleA
    梶原氏は般若心経と聖書は同型だと言う。その上で龍樹の中観も唯識も間違いだと言う。当然禅も間違いだと言う事になる。龍樹と言えば、外道(小乗)=実体が有るという説を帰謬法によって否定した論で文字通り中間に立つ空の観である。その竜樹を否定するということは敵の敵は味方だから外道になる。
    posted at 08:53:14

    翌日 @fractaleA 前日
    すべての年の同日ツイート

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件