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from: 生成門さん
2017年11月25日 14時57分34秒
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記憶科学との禅問答
11月24日
森のように深い@fractaleA
ドツボに嵌った。
核崩壊を説明するためには
xy=x+y
が成り立たなければならない。
x=2,y=2
とすると成り立つが、それ以外では成り立たない。
それでは使えない。さてどうするか。
posted at 14:02:42
11月24日
森のように深い@fractaleA
どのあたりでしょうか。 https://twitter.com/zero0mugen0/status/933915993432244225...
posted at 13:56:07
11月24日
森のように深い@fractaleA
コミュニケーションのためというより集団ですからむしろ調子を合わせるためですね。これから狩りに行くぞという儀式でもあります。船で漁をするときは掛け声をかけますよね。そのために歌が必要だったのです。二足歩行は200年前、話すようになったのが2万年前。この桁違いの時間差をどう埋めるかです。 https://twitter.com/zero0mugen0/status/933890323188551680...
posted at 12:58:21
11月24日
森のように深い@fractaleA
コミュニケーションために発達したことは間違いありませんが、それでは言語の起源は説明ができません。原始人は絵を描く前から発声をしていました。踊って歌っていたのです。これはコミュニケーションのためではありません。みんなで喜ぶため悲しむためです。 https://twitter.com/zero0mugen0/status/933890323188551680...
posted at 12:53:05
11月24日
森のように深い@fractaleA
俺は何でも知っている。神は何でも知って要る。だから俺は神だ。
これが未開の思考=述語論理=タイムマシンの術ですね。
このイコールがそれですね。
落語は意図的に脱線しますよね。後で落ちを作りますが。
これらには述語論理が働いているのです。
それが今や数学の関数思考です。 https://twitter.com/zero0mugen0/status/933889508457660417...
posted at 12:42:21
11月24日
森のように深い@fractaleA
自然言語=自然+言語=自然に生まれた言語=自然を語る言語=自然数+言語
という図式はないですかね。実際、結構、数える生物はいますね。
http://www.nikkei-science.com/?p=16822 https://twitter.com/zero0mugen0/status/933888608863318016...
posted at 12:36:29
11月24日
森のように深い@fractaleA
自然言語は繁栄しているのですから有効な媒体です。今の議論はその上でのことですね。古池や~は素晴らしい芸述的表現じゃありませんか。ただ、自然言語は議論のための言語じゃありませんね。だから言語はコミュニケーションのために発生した。いやそうじゃないという議論になるのではないですかね。 https://twitter.com/zero0mugen0/status/933881473572028417...
posted at 11:41:22
11月24日
森のように深い@fractaleA
都合の良い本能ですね。私も使いますが。🤣
絵は重要です。私も理解する手掛かりは図です。
調和振動子ってなに。
F=-kx
だけじゃわかりにくいですよね。プロなら別ですが。
バネ 質点
壁│∿∿∿●⇔(バネの伸縮と失点の振動)
があると違いますよね。
ツイッターでは絵がうまく表現できませんが。 https://twitter.com/zero0mugen0/status/933880448618393600...
posted at 11:32:34
11月24日
森のように深い@fractaleA
空海に変わって臨床しようとしているのがS科学である。一見ランダムに見える核崩壊がちゃんとルールによって崩壊して言う様を数学的に証明しようと言うわけである。今この解体途中である。記憶宇宙論によって割り込みが入ったので、そっちに行ったが、また戻ってこられたようである。
posted at 11:20:38
11月24日
森のように深い@fractaleA
人生の結末を予言することは出来ない。それが果分不可説である。非線形現象は予測できないということである。空海はこれに挑戦したのである。現代風に言えば、決定論的非線形カオスである。一見でたらめに見えるようなランダム現象でも未来は決定されている。予測できないがやって見ればわかるである。
posted at 11:16:24
11月24日
森のように深い@fractaleA
空海は果分不可説と言われていた常識を覆そうとしたのである。原因があるから結果があるのは当然である。しかし、それを語ることは出来ない。科学は予言の学であると言われるが、それには説明がいる。ボールを投げるとどこに落下するかを当てることができる。予測できる。これは線形な現象である。
posted at 11:10:59
11月24日
森のように深い@fractaleA
果分不可説がある。果分説の反対は因分説である。因分説は原因←結果である。結果が分かれば原因は突き止めることができる。科学は皆これである。自然言語は因分のコトバであって果分のコトバではない。果分は原因⇒結果である。これは予言である。だから語れない。語ったとしても騙りである。
posted at 11:07:16
11月24日
森のように深い@fractaleA
空海は言葉では表現できない世界を言葉で表現しようとしたのである。だから、ウィトゲンシュタインのように知りえないことには沈黙するしかないとと言ってあきらめなかったのである。どんな方法を取ったのだろうか。
posted at 11:00:54
11月24日
森のように深い@fractaleA
色即是空・空即是色のパラドックスに嵌ってしまった記憶宇宙論は、自分がそれに嵌ったことすら気が付いていない。気が付けるだろか。そのヒントを出しておこう。それは空海である。空海はその臨床をしている。成功したとは言えないが、貴重な臨床である。
posted at 10:50:57
11月24日
森のように深い@fractaleA
記憶宇宙論は水を語ることは人間の視点であると言う。水の現象は空即是色である。言葉で語るからである。色即是空なら水は語れない。何故なら、言葉が使えないからである。だから、記憶宇宙論のジレンマが始まる。水の事は語れない。人間の視点ではなく水の記憶を語るのはパラドックスである。
posted at 10:47:53
11月24日
森のように深い@fractaleA
記憶宇宙論は袋小路から脱出できるか。
色即是空=非人間の視点・空即是色=人間の視点とすると記憶宇宙論は色即是空=非人間の視点ばかりを強調しているので、言語を捨てなければならなくなる。記憶言語学が成り立たなくなるのである。
posted at 10:40:19
11月24日
森のように深い@fractaleA
記憶宇宙論は唯識論と半分相似である。すべては色即是空である。あと半分が大きな違いである。唯識には空即是色がある。記憶宇宙論には循環がある。カオスに始まってカオスに戻るのである。色即是空・空即是色と同じだと見ることも出来る。
しかし重大な問題は残る。
posted at 10:37:36
11月24日
森のように深い@fractaleA
記憶宇宙論の結論は、老荘の思想そのものである。すべては無である。語られものは虚構である。その意味では正しい。
posted at 10:26:37
11月24日
森のように深い@fractaleA
記憶宇宙論の結論は言語行為を封じることである。これはかつて言語ゲームの提唱者であるウィトゲンシュタインが知りえないことには沈黙するしかないと言ったことに通じることである。
posted at 10:24:51
11月24日
森のように深い@fractaleA
記憶宇宙論の記憶、離散融合更循環はすべて差異である。命名されたものである。記憶論が言う原理は人間の視点を消すと言う事である。命名して語ってはならないのである。その当人が記憶ファーストと語っているのである。これは笑止千万である。記憶論は見ざる語らず言わざるでならなければならない。
posted at 10:20:32
11月24日
森のように深い@fractaleA
結論。記憶宇宙論のいう所の人間の視点を消すという事はカオスの位置にどまり差異を作ろうとしないことである。観測者として現れると言う事は差異を作り命名することである。だから言語行為をすることは記憶の原理に反することになる。この結論は記憶宇宙論にとって致命的なダメージを与える。
posted at 10:14:58
11月24日
森のように深い@fractaleA
記憶宇宙論の人間の視点を消すための条件は命名しないことである。命名するとカオスから切り出すことになる。切り出したものは差異でしかない。差異は現実ではない。記憶宇宙論にとっての現実とは差異のないカオスのことである。だから人間という観測者が現れて差異を作り出す事は命名することである。
posted at 10:10:20
11月24日
森のように深い@fractaleA
鴨長明が方丈記(行く川の・・・)を書いた時代は、天変地異、大火、地震、饑饉だけでなく、政治も安定していなかった。悪いことばかりである。だからこそ、無常観は無情感である。きわめて人間臭い詩である。従って、これも記憶宇宙論の人間の視点を消すと言う条件は満足してはいない。
posted at 10:06:46
11月24日
森のように深い@fractaleA
命名するとこと。そこから言語行為が始まる。 ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。これは鴨長明の詩である。無常観を謡ったものである。これなら人間臭さがない。だから、人間の視点を消すと言う記憶宇宙論の条件を満足しているよう見える。しかし、これは満足していない。
posted at 10:01:39
11月24日
森のように深い@fractaleA
記憶宇宙論は沈黙するしかないという驚くべき結論になった。水は川の側面を削る。それすら人間の視点だと言う。何故なら、人間が観測して、勝手に名前を付けて説明しているからである。人間の行為はすべてが言語行為である。だから、名前を付けなければ何事も始まらない。
posted at 09:55:11
11月24日
森のように深い@fractaleA
全てが記憶だとするとカオスです。しかし、それすら名前です。ですから記憶と言うことすらできません。言う事を封じなければなりません。見ざる聞かざる言わざるが人間の視点を消すことです。無です。無だって言葉です。よって記憶宇宙論は沈黙するしかありません。記憶自体がないのですから論外です。 https://twitter.com/NaomikiSato/status/933841538815348736...
posted at 09:49:58
11月24日
森のように深い@fractaleA
全ては記憶なのですから、人間が観測しなければすべてはカオス=記憶の海です。海という表現さえできません。それらは人間が観測して勝手に差異を切り名前を与えたものだからです。名前を付けたとたんに記憶は死にます。記憶はその彼方にするりと逃げていきます。カオスさえ人間がつけた名前です。 https://twitter.com/NaomikiSato/status/933841538815348736...
posted at 09:42:51
11月24日
森のように深い@fractaleA
記憶が水なら、川の側面や川底も記憶です。重力は物質の属性ですから、記憶の属性であり、水の流動性も記憶の属性となります。属性は物性の事ですので、記憶の性質となり、記憶を自己とすると自己の同一性を担保するものです。 https://twitter.com/NaomikiSato/status/933841538815348736...
posted at 09:38:04
11月24日
森のように深い@fractaleA
水は記憶ですから記憶は構造を持っています。水は液体ですから支えるものがなければ、どこまでも広がります。重力が作用して水を下へと誘導します。隙間があ異っていればどこまでも侵入します。しかし、こうした表現は人間の観察による表現です。ですから、記憶ファーストによる表現とは言えません。 https://twitter.com/NaomikiSato/status/933841538815348736...
posted at 09:31:34
11月24日
森のように深い@fractaleA
私は見本を示しましょう。記憶宇宙論では水は物質ではないのですから、水的記憶と言うしかありません。水と呼ばれる水的記憶が川を移動して側面を削るという表現になりますね。主語に記憶が来ます。記憶が移動して痕跡を残すとなります。では水が記憶とは何かです。 https://twitter.com/NaomikiSato/status/933841538815348736...
posted at 09:26:01
11月24日
森のように深い@fractaleA
水の立場でない立場が人間の視点でないとすると、どういう語りになりますか。そのサンプルをお願いします。いまだにそれが提示されません。できないからなのではないですかね。 https://twitter.com/NaomikiSato/status/933841538815348736...
posted at 09:23:41
11月24日
森のように深い@fractaleA
数学的議論が正しいと言っているのでありません。その議論が正しい筋道で進めることができ、内容についても当人達の間で納得して進めると言う事が出来ます。ですから水かけ論にはなりません。結論が間違ったところへ辿り着くことがあります。その時は後に戻ることができます。 https://twitter.com/NaomikiSato/status/933846306338074625...
posted at 09:02:51
11月24日
森のように深い@fractaleA
いつもこういう議論になるのは記憶言語学としてはどう考えているのでしょうか。これこそが言語学が解決するべき課題なのではないでしょうか。原因が人間の視点であるなら、その脱出メカニズムを示すべきだと思います。私はそれを示したつもりです。単に批判しているだけなら進化が生まれません。 https://twitter.com/NaomikiSato/status/933842599710023680...
posted at 08:55:08
11月24日
森のように深い@fractaleA
satoさんとの議論は水かけ論に終わります。いつも切断するのはsatoさんです。これは自然言語の特徴です。定義を巡ってずれるからです。他の人と数学という言語で議論するときはこういう議論にはなりません。正しいか正しくないかです。その人ともめるときは自然言語で議論するときです。 https://twitter.com/NaomikiSato/status/933842599710023680...
posted at 08:49:10
11月24日
森のように深い@fractaleA
ニュートンはプリンキピアで作用をagentと言っています。この解釈からすると、水が川の側面を削り取ることはagentと言う事になります。つまり、水はscraping agentとなります。ここには人間の視点は入っていませんよね。水の立場でしか定義していないのですから。しかも記憶を刻印しているのです。 https://twitter.com/NaomikiSato/status/933769047744942085...
posted at 08:32:53
11月24日
森のように深い@fractaleA
代理はagentです。語源はラテン語のagreの(行う)からきており、flavoring agent(香味料)などの使い方をします。代理人は人間の点ですが、香味料は違います。
ある化学物質が食品に対して何かを行うという意味の文脈で使用されています。
つまり、非人間的視点です。 https://twitter.com/NaomikiSato/status/933769047744942085...
posted at 08:24:15
11月24日
森のように深い@fractaleA
赤が止まれが認知的だと言う事はどいうことでしょうか。認知的でない内部の論理の記号とは何でしょうか。具体例をお願いします。これが本当の記号だという。 https://twitter.com/NaomikiSato/status/933769047744942085...
posted at 08:18:23
11月24日
森のように深い@fractaleA
価値の体系が何であるかが良く分からないのですが、例えば、辞書は既に立派な価値の体系ですよね。国ごとに違います。そしてそれはパースの定義を満足しています。辞書はいつも離散融合更新循環を繰り返しています。民度を反映していますね。ソシュールは辞書を価値の体系と認めないのでしょうか。 https://twitter.com/NaomikiSato/status/933712003822170112...
posted at 08:09-
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