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シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

公開 メンバー数:58人

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2010年05月30日 08時47分22秒

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    複素平面と四次元抽象イメージ(ナイフとパイプ)の対応(修正)

    複素平面と四次元抽象イメージ(ナイフとパイプ)の対応(修正)<ティトムとの共振>複素平面と四次元抽象イメージ(ナイフとパイプ)の対応を下図のように修正

    複素平面と四次元抽象イメージ(ナイフとパイプ)の対応(修正)
    <ティトムとの共振>

    複素平面と四次元抽象イメージ(ナイフとパイプ)の対応を下図のように修正しました。


    修正点
    [338]
    事象の地平面:実軸、ナイフ:虚軸、パイプ:空

    [383]
    事象の地平面の外側:実軸
    事象の地平面の内側:ナイフ=空=実空+虚空
    パイプ:虚空から虚軸経由で事象の地平面の外側へ繋がる反転チャンネル(⇒)
    ⇒の根元:虚空との接点、⇒の先端:実軸との接点

    修正の説明

    338では、事象の地平面を実軸として、四次元抽象イメージのナイフを虚軸、パイプを空としたのですが、これだと空の二重構造による空のダイナミックスを表現することができなくなってしまいます。

    図では、実空が虚空を包むように描かれていますが、実空は偏在し、虚空は遍在するという前提がありますので、実軸の原点を実空として、虚軸の特異点を虚空として対応させることにします。

    さて、実空と虚空との関係をどうするかです。

    事象の地平面の外側と内側に区切るのがナイフであるとし、その外側を実軸、に対応させるところは338と同じですが、内側をナイフの内側として、これを空=実空+虚空とします。

    これは、「出てこられる蟻地獄」で示した擂り鉢構造に対応させるためです。


    この対応は、実軸から実空を介しての虚空への反転、その逆の、虚空から実空を介しての実軸へ反転するという空のダイナミックスにも対応します。


    一方、「裏ポートを開放する」http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100093577244で示したように、虚空から実軸へ直接に繋がるルートも確保しなければなりません。以下、引用しました。

    (クライアント=孫悟空=三次元人間)
    実空(表のポート)→意識→実軸
       ↓↑
    虚空(裏のポート)→無意識→実軸
     (サーバー=釈迦=四次元人間)
    ―――

    虚空から実軸へ直接に繋がるルートを引き受けるのがパイプです。

    パイプは、虚空から直接に繋がるといっても、内部では、ちゃんと、虚軸を経由して、事象の地平面の外側へ繋がる反転チャンネル(⇒)となっています。

    図では、⇒の根元が虚空との接点であり、⇒の先端が実軸との接点となっていますので、虚空から虚軸は行って、再び、パイプに戻って、実軸に出て行くようになっていますが、論理的には、虚空⇒虚軸⇒虚空⇒実軸であり、省略して表現すれば、虚空⇒(虚軸⇒虚空)⇒実軸であり、⇒をパイプと看做せば、虚空⇒実軸、つまり、虚空(付根)⇒(先端)実軸でよいことになります。

    実軸から虚空へ直接に繋がるルートを引き受けるのが逆パイプです。つまり、実軸⇒虚空と表現できるでしょう。

    ところで、最初に示した実軸⇒実空・虚空、虚空・実空⇒実軸への反転には名前をつけませんでしたが、これもパイプの役割とみなすこともできます。なにしろパイプは多芸なのです。

    そこで、これを第一のパイプ、もう一つのパイプを第二のパイプと呼ぶことにします。空のダイナミックスを纏めると、次のようになるでしょう。

    第一のパイプ :実軸⇒実空・虚空
    第一の逆パイプ:虚空・実空⇒実軸
    第二のパイプ :虚空⇒実軸
    第二の逆パイプ:実軸⇒虚空

    もちろん、実空と虚空は、表裏一体ですから、四次元=虚軸へ繋がるという空のダイナミックスも確保されていることを忘れないようにしましょう。

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  • from: 生成門さん

    2010年05月28日 19時58分19秒

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    心理の事象の地平面

    心理の事象の地平面<プラトンとの共振>事象の地平面の外側は三次元であり、内側とは四次元へのゲートであると言いました。三次元の仮の内側とは違う真正の内側

    心理の事象の地平面
    <プラトンとの共振>

    事象の地平面の外側は三次元であり、内側とは四次元へのゲートであると言いました。

    三次元の仮の内側とは違う真正の内側とは、ブラックホールの内部のことです。
    ですから、ゲームをしている人も見ている人も、ブラックホールの内部などではなく、三次元のムジナだったのです。

    明治維新の坂元竜馬も、ゲームのレイヤーにすぎませんから、ブラックホールの内部にいるのではないのです。

    ということになると「特異点はいつも近い」http://memo7.sblo.jp/article/34660929.htmlで、言っていることは、間違いだということになります。

    これで終ってしまうと「特異点にいる」を取り上げた意味がなくなってしまいます。四次元能は、とんでもない反転のシナリオを用意しているのです。

    さて、それではその後半を続けましょう。

    三次元では、内と外を分けるのは仮にそうするだけだという結論から、激動の中にいる当事者でも、事象の地平の内側にいるのではないということになりました。

    つまり、激動の中といっても、その中を切り拓いてみると、体制派・反体制派、保守・革新に別れて、争っている様子が見えてくるでしょう。

    見えたということは、内部ではないということです。つまり、その内部があるということですから、その内部に対しては、外部になっているということです。これでは玉葱構造です。切りがありません。

    これまでの話を要約すれば、社会とは、三次元の現象世界であり、事象の地平面の外側であり、ブラックホールのような事象の地平面の内側の特異点に「いる」ということは有り得ないのです。

    ブラックホールがあるとは、その外側から見て、そこにブラックホールがあると言っているのであって、その中にいて、ここがブラックホールだといっているのではではないのです。

    社会をブラックホールの事象の地平面として見立てた場合、その内側の特異点に「いる」というような言い方をするのはおかしいのです。三次元の社会を四次元へのゲートであるブラックホールに喩えること自体が問題なのではないでしょうか。

    四次元と三次元は不連続であり、ブラックホールの内部は見えないのだから、それを探求するのは無理であると考えたら、おしまいです。それでも、ブラックホールの内部に近づく方法は無いのでしょうか。

    ティトムとの共振では、これには既に答えを出しています。それを想像するために四次元の抽象イメージを提示したところです。これをヒントにして答えを出して見ましょう。

    そこで、渦中にいるということの意味を考えるために、社会の激変を「事件」に置き換えてみましょう。

    自分を事件の対象の外に置くならば、事象の地平面の内側の特異点に「いる」という様な表現はできません。しかし、事件の渦中にいるなら、事象の地平面の内側、即ち、特異点にいるような「気」もしてきます。

    「気」もすると言ったのは、まだ確信が持てないからです。話を続けてみます。

    ゲームの表現や医者や科学者が「やること」の例では、いつでも、自分を見る側の位置、つまり、事件の対象の外に置いていました。ゲームの場合では、プレイヤーそのものではなく、それを見ているものの立場に立って表現していました。

    ゲームのプレイヤーは見ている人ではありません。ゲームをしている当事者なのです。観客者も見ている人ですから、ゲームの中にいるわけではありません。しかし、見ていることについては当事者です。「見ている人」と「見ていること」の違いを知らなければなりません。

    見ている人は観察者であり、「見ている」とは当事者の態度なのです。

    医者の場合も同じです。身体を見ているという意味では観察者=外部です。しかし、見ていること自体=手術していることをしている最中は、当事者なのです。

    科学者の場合も同じです。細胞を見て、あれこれと分析するという意味では外部=観察者です。しかし、見ていること自体をしている=研究の最中は当事者なのです。

    このことは、核心に触れているのです。

    見ている人にとっては、自分以外は外部であって、「やっている」ことや「見ていること」は対象を見ている人ではなく、対象と一体になっているのですから、それは内部だと言うことが言えるのです。その証拠に、「やっている」事や「見ていること」を見ることはできないのです。一心不乱にやっている人は、真正の内部のいるのだということです。

    もし、自分のやっていることをビデオにとって、見ているとしたら、その態度は、見ている人になるわけです。しかし、そのビデオを見ている最中は内部なのです。同じ人が対象を外部としたり、内部としたりするのです。つまり、内部と外部はいつも同伴しているということです。

    当事者視点に立っている人は、見ていることを見ることができないのですから、その人はブラックホールだということです。

    この論理を事件に当てはめて見ましょう。

    渦中にいるのは事件の当事者ですから、観察者=目撃者や刑事から見ると、その事件当事者の内面は、間接的にしか知ることは出来ません。つまり、心情などを押し図かることは出来ますが、直接触れることは出来ないということです。

    観察者の立場ではなく、自己が自己を見る=自己観察者、内面を見る内観的・瞑想的観点、即ち、当事者視点で見るとどうなるでしょうか。

    事件の当事者の内面には、現在進行形の出来事として現れるでしょう。当事者視点に立ったことを、禅では人馬一体、無心、無我夢中、心頭滅却すれば火もまた涼しいなどと言いますが、その様な心境になっているときが、真正の内部であり、外部ではないという意味です。

    その内部は心という意識や無意識の世界であって、物質の外部世界とは連続していない不連続な世界なのです。

    ただ、この関係は複雑です。その意識は自我ですから、観察者視点に立ち自分以外を対象化して外部と見ますが、無意識は無自我ですから、当事者視点に立ち自分と対象を一体化して内部と見るのです。つまり、外部を連続した世界と見るか不連続した内部世界と見るかは、心次第ということになりました。

    さて、どの心にしても物質世界とは不連続ですが、その関係はどのようになっているのでしょうか。

    ブラックホールでは、入るものを拒まず、出て行くものは許さずですが、人間の場合は、そうではありません。

    心は出来事を認識するのです。つまり、で、内部は外部を映す鏡なのです。ところが、心は意図を持って外部に働きかけます。つまり、出て行くものは許さずではなく、出て行くものは許すのです。外部には内部の意図が反映するのです。

    このことは、出てこられる蟻地獄で述べた通りです。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100094071603

    人間の場合は、どのようにして、内部と外部を連結しているのでしょうか。

    事件を犯した人には動機があるでしょう。その動機とは欲望でもあるでしょう。そのよう欲望が引き金となって、事件を起こしたということになります。しかし、その欲望=動機は、外部からの刺激や圧力が原因であるでしょう。

    そのような事件を調べる観察者=刑事は、犯人の内面=動機を特定するために証拠を探したり、自白させたりするでしょう。しかし、いくら、名刑事コロンボでも、その犯人の内面に入っていけないでしょう。内面に近づくことは出来ても、内面を触ったりすることは出来ないのです。

    観察者と当事者に間には、犯すことの出来ない境界があるのです。この境界を、観察者から見ると事象の地平面と言えるでしょう。

    事象の地平面をこのように考えれば、観察者=刑事は、犯人の内部=事象に地平面や特異点に入ることは出来ないのでしょう。言い換えれば、犯人は特異点にいて、刑事は特異点にはいないということです。

    これを反対側から見るとどうなるでしょうか。つまり、刑事を当事者として、犯人を観察者とするということです。そうすると、刑事がどのような方法で、自分を追い詰めるのかということを、犯人自身から見たらどうなるのかということです。当然、犯人は刑事の内面を見ることも触ることも出来ないのでしょう。

    観察者としての犯人は、刑事の内部=特異点に入ることは出来ないのです。言い換えれば、刑事は特異点にいて、犯人は特異点にはいないのです。

    結論として言えば、観察者=見るものは、特異点にはいない、当事者は(見るもの=見られるもの)は、特異点にいるということです。

    坂本竜馬は、事件の当事者ですから、特異点にいて、歴史家はその特異点にいないということです。しかし、歴史家は自身の特異点にいるということです。

    このように立つ位置を当事者に置くか、観察に置くかで、事象の地平面との関係が変わってきます。

    ですから、特異点にいると言ったときは当事者の位置を観察者の位置から言っているということです。

    観察者が当事者の特異点にはいないというのは、歴史家が、坂本竜馬の時代にはいないのですから、その当時の特異点を共有することはできないのは、当然と言えば当然なのです。仮に同じ時代だとしても、刑事と犯人の関係のように、特異点を共有することはできないのです。

    しかし、ここで新たな問題が起きるでしょう。同士や恋愛関係なる二人は心を共有していますし、坂元竜馬達は同士ですから、特異点を共有していたと思うのです。これはどう考えたらよいでしょうか。

    これは、実空=原点=自我意識と虚空=特異点=無我意識の区別を持ち出さないと説明が出来ないでしょう。

    すべての人の内面には、自我と無我があり、無我は集合意識として共有しています。これが、実空は偏在し、虚空は遍在するという意味です。「特異点は近い」で使っている特異点は、四次元能の文脈で言うと、個々人に偏在する実空=意識のことなのです。

    どちらの位置から見るにしても、事象の地平面とは認識の境界だということです。このような見方の違いを示すのに、わざわざ事象の地平面という概念を持ち出す必要がどこにあるのでしょうか。主観的とか客観的な見方と言えば済むことではないでしょうか。

    実は、これは本質的な問いなのです。

    四次元能では、マクロからミクロに至るまで、一貫した法則性=宇宙の法則で貫かれていることを示したいと思っているのです。ですから、物理の概念である事象の地平面を認識の境界として見たてて、脳が宇宙の法則に貫かれていること検証してみたいのです。

    これまでの結論を要約します。

    人が内と外を分けるのは、便宜的なものです。しかも、その内側はいつも開かれるのを待っており、開かれた瞬間に外部となるのです。ですから、真の内部とは言えないのです。

    一方、当事者の心は内面であって、見ることは出来ないから、心はブラックホールであり、そこに事象の地平面があるのです。従って、当事者の内面を特異点というのです。

    観察者の立場ではなく、自己が自己を見る=自己観察者、内面を見る内観的・瞑想的観点、つまり、当事者の視点で見ることが、四次元のゲートであるブラックホールの内部を見ることになるのでしょうか。

    果して、それが心の内部を見たと言えるのでしょうか。「見た」とは、既に観察者の立場に立っているのですから、矛盾しているのではないでしょうか。

    見ることのできないものを見たといったら自己矛盾です。芸術家が作品を仕上げているときは、見ていることを見ていないでしょう。それをした瞬間に芸術家から評論家になった瞬間です。

    見ることを見ないで、見ることができるのかという即非の状況に追い込まれました。しかし、即非の状況こそが、空であり、四次元へのゲートなのです。

    見ることを見ないで、見るというのは、ゲームをしている選手が、プレーの最中に、自分のプレーを実況中継するようなものです。絶叫マシンに乗って、マイクを手にしながら、絶叫しているようなものです。余り品が良くないことは事実です。

    四次元能では、そういうことをやっていると思ってください。観察者でもなく、行為者でもなく、観察者でもあり、行為者でもあるという、中途半端な態度、中性子のような雌雄同体、ゲイのような振る舞いが即非=空なのです。

    そう、四次元能はそういう態度で貫かれています。このブログは即非の臨床実験なのです。即非のシム方程式があり、それに則って進行しているのです。

    四次元能を舞うこと自体が、即非の共振というスタイル=シムダンスなのです。探究することと分析することを同時にやっているのです。それがシムダンスであり、アクロバットなブログの方法なのです。

    芸術家が曲をつくりながら、絵を書きながら、この曲とはこうであると言い、絵について評論すると言うわけです。

    禅のお坊さんが、座禅をしながら、悟りについて「こうである」と、説教をするようなものです。

    即非とは、タイムシェアリングとは異なる、同時共生のアクロバットなのです。

    事象の地平面が内と外を分ける境界であり、内部は見えない四次元のゲートであり、それはどこにあるのかということを問うてきて、それが脳にあるということになりました。

    宇宙にはブラックホールがあると言うことですが、それはまだ見つかっていないようですし、もし、見つかったとしたらそれは、ブラックホールでは無いことになるかもしれません。

    見えないものが見えたということは四次元ではないからです。しかし、四次元ゲートなら、見る方法はあるかも知れません。四次元能はそれにチャレンジしているのです。

    宇宙では見つかっていないのですが、身近なところにブラックホールがあったということです。それが私達の心です。ブラックホールとは心だったのです。確かに心は見ることもさわることもできません。

    心がブラックホールなら、外部と内部を区切る事象の地平面もありそうです。その区切りは、三次元の便宜的な区切りとは違います。何故なら、三次元の便宜的な区切は、内部を見ることができるからです。仮の内部なのです。

    心は直接見ることができません。ですから真の内部なのです。

    これを、どうすれば、見ることが出来るのでしょうか。内観したものをどう報告することが出来るのでしょうか。

    見ることに出来ないものを見るというのは、どうすれば出来るのでしょうか。

    それにはアクロバットな展開が必要でしょう。

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  • from: 生成門さん

    2010年05月28日 17時32分23秒

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    事象の地平面はどういう形で現れるか

    事象の地平面はどういう形で現れるか<プラトンとの共振>当事者視点で見ると、四次元とはどのようなものになるのかを見ていきましょう。見ていくというと、観察

    事象の地平面はどういう形で現れるか
    <プラトンとの共振>

    当事者視点で見ると、四次元とはどのようなものになるのかを見ていきましょう。見ていくというと、観察者の視点になってしまうので、結論が直ぐに反対になってしまいます。これをどのようにすれば避けられるのでしょうか。こうして表現するだけで、観察者になっているということなのです。

    それはシムハンターの読むという態度にかかっています。明晰夢をやるときが当事者ですから、そのときに、このコンテンツを生かすことです。又読むときに、当事者視点で読むことです。

    表現する側としても、油断すると、観察者の視点で表現してしまいそうになるので、注意をしながら進めていきます。

    事象の地平面を内と外を分ける境界であり、内部は見えない四次元へのゲートですから、この事象の地平面はどういう形で現れるから攻めていきましょう。この表現は観察者の視点でしょう。

    これは見る事を見るのではなく見ること、やることそのものなのです。この表現は当事者の視点でしょう。

    やって見なければ答えはありません。

    その過程の行為こそが、四次元なのですから。行間を読むというのは当事者視点=四次元の視点なのです。

    それでは、四次元の視点で、心理の事象の地平面とは何かを探求していきます。

    人がブラックホールであるとすれば、事象の地平面があります。それは内と外を分ける境界です。医者が身体を内と外に分けるというような境界ではありません。

    観察者からは、その仮の内部は見えないのであり、情報が断絶されているのです。しかし、物理のブラックホールでも、エネルギーが外部から供給されないと蒸発してしまいます。ですから、全く外部と連絡がないわけではないのです。

    ただ、三次元的な発想しか出来ない物理では、その外部と内部がどのように繋がれているかをうまく説明が出来ないのです。

    ティトムでは、これを宇宙生成サイクルという形で、その内部構造を示し、さらに四次元抽象イメージで、その本質を抉り出しました。

    更に、四次元能では、これを基本に複素平面によって空のダイナミックスを示しました。

    それによると、人間はブラックホールであり、宇宙生成サイクルと同じ内部構造を持っているということであり、空のダイナミックスがあるということです。

    ですから、人の内面は観測者からは謎だらけですが、四次元という視点で見ると、それがくっきりと浮かび上がってくるのです。

    それは、人間にとって事象の地平面がどういう形で現れるかが分かれば、その内面の四次元性が見えてくるということです。

    この場合、観察者視点のように、見えたからといって、内部が外部になってしまうことはありません。当事者にとって内部とは自分自身なのであり、事象に地平の無効が外なので、それが反転して内部となるのです。

    外部が反転して内部となり、又、反転するのです。外部が内部、内部が外部になっても、その境界がなくなるわけではないのです。常に境界はあり続けるのです。医者のような仮の境界ではないからです。

    海に作った砂の城は、波によって直ぐに砂に戻ってしまいますが、それは砂と城の間は仮の境界だからです。

    もし、心と外界が、砂のようであれば大変なことになってしまうでしょう。心が物質にならないのは、仮の境界ではないからです。

    では、人間の事象の地平面はどういう形で現れてくるのでしょうか。

    当事者視点、内観的な視点とは、人間の内面から外界を見ているということです。これに似た姿をしているのが、潜水艦に乗って潜望鏡を覗いている様子です。

    潜望鏡が映すのは外界です。外界の向こうに内界があるのではないのです。潜水艦が内部なのです。この場合の事象に地平面は、どこに現れるのでしょうか。外から見たら、一目瞭然です。潜水艦の外観がそれでしょう。外から見たら潜水艦はまるでブラックホールです。

    外から見たら、この内部は全く見えないのですが、まるで生き物のように、岩などの障害物に衝突もしないで動き回ります。

    内部では何が起きているのでしょうか。この内部とは人間の内部、つまり、心のことです。

    内部を外から見ていたのでは、何時まで経っても分かることは出来ないので、潜水艦に乗り込んで見ましょう。

    そこでは何が起きているでしょうか。先ず、潜望鏡を覗いている人がいるでしょう。

    その報告を聞いて、判断している人がいるでしょう。そして命令を下して、舵を切る人がいるでしょう。その他にも沢山の人がいるでしょう。

    重要なことは、何を障害と看做すかということです。岩があることをどう判断するのかということです。潜望鏡には外界の様子が映し出されますので、唯一つの外界と繋ぐパイプです。

    これが、三次元と四次元を繋ぐパイプなのです。では、事象に地平面は、どうなるのでしょうか。内から見て外界との境界はどのようにして把握するのでしょうか。

    船体が境界ですから、何も把握する必要はないと思うでしょうか。事象の地平面とは、船体の外側なのでしょうか。もしそうであるなら、身体を切り開いたらそれは外部だったということになるのと同じです。

    潜水艦の船体は三次元物体なのですから当然です。でも、今は、潜水艦は四次元であると考えているのです。

    内的視点で見ると、外部は船体ではありません。潜望鏡で見える最大の範囲が事象の地平面なのです。その先が外部なのです。その先に内部があるのではないのです。内部はこちらにあるのです。

    ブラックホールの内部からは情報が来ないので見えないといいましたが、反対に内部から見ると、情報が来るところが内部であるということです。

    その役割を担っているのが潜望鏡であるとうことです。潜望鏡によって、岩を認識できたからこそ、それを避けることが出来るわけですが、それは内部だと言うことです。

    医者は内部を外部化するに際して切開くという外科的操作をします。潜水艦の乗組員はどうするのでしょうか。彼らは、
    外部を内部化するに際して、外部を切開くことはしません。潜望鏡を覗いて、船体を移動させるだけです。いつも内部なのです。これが大きな違いです。

    視点を内面に移動させると、医者の場合も、同じように見えてきます。医者を乗組員と同じ内部としましょう。観察者の視点では、手術をする患者の身体の内部は、手術後には外部となるのですが、当事者の視点では、身体の内部は医者にとって外部であり、手術をすることで真の内部となるわけです。

    当事者視点
    自分=内部→外部→内部

    観察者の視点
    自分の位置→対象(外部と内部)→外部

    当事者視点では、医者は内部なのですから、潜望鏡は自分の目です。そして、手が船体を操作するハンドルとなるでしょう。

    このようにしてみると、医者と乗組員に共通する構造が見えてきます。それは、外界と内部の間にサイクルがあるということです。目で見て、判断して、手を動かし、更に続けるというという循環です。

    外部は三次元の物質世界であり、内部は心という精神世界です。そして、それを繋ぐパイプとしての目や潜望鏡があり、目の届く範囲という境界という枠=事象の地平面です。枠の内側が内部なのです。

    ブラックホールの場合は、外部は三次元の物質世界であり、内部は心という精神世界というような見方はしていません。それは最初から、三次元の空間という前提で見ているのであり、それが見えないものですから謎になっているのです。

    内部は心という精神世界というような論理は持ち込めないのです。それを満ちこんでしまったら、もう科学とは言えないからです。しかし、それがそうでもないから面白いのですが、それは又別のところでの話にしましょう。

    観察者の医者にとって、身体は外部であり、身体の内側は内部です。その内部も手術をすると外部になるのですが、当事者の視点に立つと、それが逆転して、身体外部は内部であり、身体内部は外部です。それが、手術をすると外部は内部になるのです。つまり、事象の地平面が手術前より後では広がったということです。

    潜水艦の例で言えば、潜望鏡を見て移動するのですから、その度に内部=事象に地平面は広がっていくでしょう。しかし、移動を止め、潜望鏡を引っ込めたとたんに、事象の地平面が縮み、同時に、内部は元に戻るでしょう。

    このように心理の事象の地平面は、伸縮するということです。

    ところで、物理のブラックホールの事象の地平面も伸縮します。ブラックホールが大きいか小さいかは、その内部にある質量によるのですが、それが大きいと重力が大きくなるので、重力の影響する範囲の境界である事象の地平面も広がって行くのです。

    つまり、ブラックホールに引き寄せる力も大きくなるわけです。そして、どんどん大きくなると、中心に陥没していきますから、元の物質がある領域より、事象の地平面が広くなります。つまり、外部を飲み込んでどんどん内部化していくのです。

    これが無限に続くとどうなるのでしょうか。

    そう、それは無限大の事象の地平面です。無限大ということは、「ない」ということと同じです。そうなると内と外を分ける境界がないのですから、覆いがなくなったようなものです。ですから、中心部だけあると言うことになり、これを裸の特異点といいます。

    ブラックホールにもならないような、天体でも、重力はあるわけですから、事象の地平面はあります。実際、地球の事象の地平面は半径9mmの大きさであり、太陽は3kmです。

    つまり、一般の天体の枠は事象の地平面より大きく、ブラックホールになると天体の枠が小さくなって、事象の地平面が外に出てくるのです。

    ブラックホールの事象の地平面の大きさを決めるのは重力ですが、人間の事象の地平面を決めるのは何でしょうか。

    潜水艦の事象の地平面は、潜望鏡が決めていました。医者の場合は目でした。このことから、事象の地平面を決めるのは、感覚や認識能力と言ってよいでしょう。

    私達は、世界が違うとか、器の大きい人だとか、いい育ちの人だとか、世界観が違うとかいいますが、これは皆、外界との関係を示唆しているで、事象の地平面を表現していると言っても良いのではないでしょうか。

    要するに外界をどこまでを内部とし、自己と看做すかということになると言うことです。

    人は、どのようにして外=他を内=自己にするのかという方法を持っています。それは学習するということです。学習することで知識が得られ、世界が広がります。

    当然、人には個性がありますから、その学習の結果には違いが生じてきます。当然、事象の地平面に違いが出るでしょう。

    その典型は価値判断です。価値判断は、あくまでも個人の内面に属するものですが、人間社会の基本は重層化しており、価値判断の前に、生物の感覚があり、その上に社会の規範があり、その上に価値判断があるでしょう。

    こうして自我の拡大が、事象の地平面を拡大するという構図が見えてきました。しかし、観察者の視点に立っているので、外部が広がって行くだけなのです。自我にとっての事象の地平面とは、対象の外部=境界を向こう側に押しやることなのです。

    それに対して、当事者視点から言うと、無我にとっての事象の地平面とは、対象の内部=境界を向こう側に押しやることなのです。

    この違いは、とてつもなく大きいものなのです。

    自我にとって環境は支配するものであって、環境を支配するためには、自我が環境の未知の領域(内部)を知り尽くして、外部化=知識化すれば、環境の問題は解決できると考えるのです。

    無我にとって環境とは共生するものであって、環境と共生するためには、無我が環境の未知の領域(外部)を知り尽くして、内部化=知識化すれば、環境の問題は解決できると考えるのです。

    環境の問題は解決する態度は同じで、視点の違いは天地の差となって現れるのです。これが自他反共振と自他共振の違いなのです。



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    2010年05月27日 19時19分28秒

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    複素平面と四次元抽象イメージの関係(修正)

    複素平面と四次元抽象イメージの関係(修正)<プラトンとの共振>338の複素平面と四次元抽象イメージの関係http://www.c-player.com

    複素平面と四次元抽象イメージの関係(修正)
    <プラトンとの共振>

    338の複素平面と四次元抽象イメージの関係http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100085301393を修正します。



    また、「出てこられる蟻地獄」も合わせて参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100094071603



    世界が開示される前には空だけがあるとします。空は複素平面の交差点であり、これを拡大すると空の即非構造が現れます。その中心は虚空と実空ですが、宇宙の始めは虚空から始まります。

    虚空は真空であり、真空は陰陽イデアエネルギーが即非状態であるとします。この虚空から虚軸が生成されます。

    虚軸は空を突き抜けて陰陽に分極します。これが陰陽のイデアエネルギー(iと-i)を意味します。この虚空はゼロを含んだ交差点であり、特異点です。

    実軸はまだ生成されていないので、次元としてはゼロ次元=虚次元です。この次元から虚軸が畳み込まれて虚空となり、虚空が虚軸に反転して陰陽に分岐します。つまり、虚空を中心として虚軸は振動しているのです。

    空の揺らぎによって、虚軸が回転を始めるといよいよ世界の開闢です。先ず、事象の地平面=枠が生まれ、内と外に区分けされます。この事象の地平面の外が三次元世界=実軸、内が四次元=虚軸です。

    しかし、事象の地平面が生成された直後、内側は四次元=虚次元が消滅して、空だけとなります。そして、空のダイナミズムが始まります。大事なことは、外が畳み込まれて原点となり、実空が生成されるということです。

    実空は虚空と重なり、空として二重構造となります。この空をナイフと呼びます。

    虚軸そのものは、図から消えますが、表現されないだけで、なくなったわけではありません。全体がクラインの壷となっています。

    虚空と実空は重なっていますが、それぞれ役割を持っています。虚空は虚軸に、実空は実軸に繋がっているのです。

    事象の地平面によって内と外は分離されましたが、反転して繋がります。これを空のダイナミズムと言います。

    つまり、三次元実軸が畳み込まれ実空になり、それが虚空になり、次いで虚軸に展開され、それが畳み込まれ虚空になり、更に実空になり、実軸に現象化されるということです。

    事象の地平面の内外反転にはもう一つのルートがあります。ナイフの反転は、実軸と実空との関係ですが、実軸と虚空反転があるのです。

    それがパイプです。虚軸が回転して事象の地平が生まれ内外が区分されると実空が生成された後、虚軸が消滅すると、それに変わって、円盤に垂直に天地を指す方向にパイプが生成されます。

    これが、複素平面が四次元抽象イメージへ変身した瞬間です。 

    パイプは、天を指す方向で代表させていますが、実際には逆パイプも在り得るのです。この二つのパイプが虚空から三次元実軸へ、三次元実軸から虚空へ直接反転させるのです。

    四次元抽象イメージはナイフとパイプで表現される大変シンプルなものですが、実際には、逆パイプの他にも、円盤が二つで、それぞれが逆回転をしていて、パイプがどちらも外に向かっているなど、三次元の現象化においては多様な形を取るでしょう。

    四次元抽象イメージから複素平面を復元しておきましょう。三次元実軸が事象の地平面の外側、その内側が空になったのですが、空は二重構造となっていて、実空と虚空が重なっています。

    実空は事象の地平面の内側から中心部ですが、実軸に繋がるので原点とします。虚空は虚軸に繋がるので特異点とします。

    四次元抽象イメージは三次元から四次元を見た場合の図なので、四次元=虚軸そのものは描かれていませんが、その繋ぎがナイフとパイプで表現されています。ナイフは分岐生成、i*-i⇒+1、i*-(-i)⇒-1を意味し、パイプは即非生成{i*-i、i*-(-i)} ⇒±1を意味します。

    複素平面と四次元抽象イメージの関係を要約すると以下のようになるでしょう。

    ・ 虚空=特異点が初めにある
    ・ 虚軸が生成される
    ・ 虚軸と虚空の間で振動している
    ・ 虚軸が回転すると事象の地平面が生まれ内と外に別れる
    ・ 事象の地平面の外が三次元世界となる
    ・ 虚軸は消える(表現されないだけ)
    ・ 虚軸は消えると枠内が実空となる
    ・ 空が虚空+実空の二重構造となる
    ・ 外と内は枠=事象の地平面で区分されるが、この内と外は反転して繋がる
    ・ これが、外が畳み込まれて内=実空になる次元化である
    ・ 内が膨張して外になるのが現象化である
    ・ この内部=空がナイフである
    ・ ナイフは分岐生成(i*-i⇒+1, i*-(-i)⇒-1)させる
    ・ 次元化と現象化にはもう一つのルートがある
    ・ それがパイプである
    ・ パイプが虚空から垂直に伸びる
    ・ それが虚軸を経由して事象の地平面に直接繋がるもう一つの反転ルート=現象化である
    ・ 逆向きパイプもありうる
    ・ それが虚軸を経由して事象の地平面から虚空に直接繋がるもう一つの反転ルート=次元化である
    ・ パイプは即非生成{i*-i,i*-(-i)} ⇒±1させる

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  • from: 生成門さん

    2010年05月22日 17時52分39秒

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    電子と核は繋がっている

    電子と核は繋がっている<ティトムとの共振>バターになったトラの図はhttp://www.andynet.co.jp/ehon/osusume/sink

    電子と核は繋がっている
    <ティトムとの共振>

    バターになったトラの図はhttp://www.andynet.co.jp/ehon/osusume/sinkan_128.htmlから引用しました。

    パイオニアを襲ってきた怪奇な事件には得体の知れない力「枠形成力」があります。今回はその得体の知れない力=枠形成力の正体を暴くシムダンス「電子の不思議な振る舞い」の続きです。テラー10を参照してください。http://momloveu.com/titom-teller-j/index.files/Page994.htm以下、編集して引用しました。

    前回までの話を要約しておきます。銀河には枠を作る力があり、それを担っているのは回転であり、その主体は電子です。電子には木(核)の周りを回ってバターになるトラ(電子)と俳諧するトラ(自由電子)がいます。どちらの電子にも軌道があります。質量があるものは軌道があるので、核内部も軌道があると考えると言いました。

    童話では、木の周りとなっていますが、実際の電子=トラが木の周り(原子核)ばかりを回るトラだけがいるわけではないのでしょう。トラですからは自由に空間を徘徊するでしょう。その徘徊するトラ=電子はバターになるのでしょうか。

    原子核とは離れた、いわば自由な空間を飛ぶ自由電子(トラ)の軌道については、どう捉えたらよいでしょうか。

    トラの自由空間とは森ですから、やはり木が沢山あるでしょう。その木の間を行くわけです。そのときトラはどういう振る舞いをするのかというのが、自由電子の軌道の問題です。

    トラにとっての森は、電子にとっては金属です。金属が結合しているのは、そこに力が働いているからです。森が森をなしているのは、木を密集っさせる力が働いているでしょう。

    木に相当するのは原子ですが、この場合は金属原子です。この原子にはトラがいる木といない木があるということです。

    トラのいない木とは、電子をおい出して陽イオンとなった原子のことです。つまり、森の木を金属結晶の格子点に存在するものとすれば、そこには、原子と電子がいるわけです。

    「金属結合」を参照してください。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B1%9E%E7%B5%90%E5%90%88以下、編集して引用しました。
    森という金属結晶は、正電荷を持つ金属の原子核=電子のない陽イオンの原子=トラのいない木と自由に動いているトラ=自由電子が同居しているイメージでしょう。

    森の木は規則正しく配列されており、その木=陽イオンの間を自由電子=トラが自由に動き回っているのです。木とトラの間には引付ける力があります。その力をクーロン力(静電気力、静電引力)といっています。
    トラはどこの木にとどまるかは、定まっていません。気まぐれなのです。まるで、蜜を吸う蜂のように巡るのです。

    金属の場合で言えば、最の外側の電子は、特定の原子核にとどまらず、結晶全体に散在しており、この様な状態の電子を自由電子と呼びます。

    金属が電気や熱を伝えるのは、自由電子があるからであり、それで自由電子を伝導電子とも呼びます。自由電子の軌道は、ほぼ川の流れのような幅をつくります。それで電子雲と呼ばれるのです。

    金属が反射し、光沢があるのは、光電効果で見たように、電子が光子と相互作用することに関係があります。つまり、自由電子のエネルギーには、ある幅があり、その大きさが雲状になると考えられます。
    ―――
    光は電子であり、電子は光であると言ったわけですから、それらが同じである理由を示しましたが、今度はその違いを示したいと思います。

    光子と電子では、質量や電荷の違いがありますが、いちばん大きな違いは、軌道の違いです。基本的には、三次元では両者とも軌道が存在します。問題は四次元軌道があるかどうかです。

    光(光子)は金属のような森の中を飛ぶのではなく、森の外を飛ぶのです。金属の外から飛んできて金属の表面にある電子を突き飛ばすのです。

    物が見えるのも光が外から飛んできて、網膜の電子に当たるからです。「何故ものが見えるのか」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076588450
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076614037

    光は広大な空間を飛んでおり、電子のように狭い空間=森を飛んでいるのではありません。光は太陽からだけではなく137億年も前から発せられて、よれよれとなって届く光もあるのです。「満身創痍の光」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076955160

    その光は波となって飛ぶのですが、目に届くその瞬間に、つまり、電子に衝突するその瞬間に粒になります。波が粒になるのです。軌道を考えているのですから、粒になる前のことがどうなっているかがが重要です。そのときは波となって飛んでいるのですから、光は波の軌道を持っているということです。

    このようなことから、光は波として伝わるのであり、粒子として伝わるのではありません。ですから、「波のような粒子」という性質を持っているのは事実ですから、光を光子というのは少ないのです。電波というのはその例でしょう。

    一方の電子は自由と言っても、森の中の自由であって、光のように、広大な宇宙空間を悠々するのではありません。殆どの電子は原子に囚われているのです。

    電子が電流として流れているときは、波となって自由空間を飛んでいるので見えないのです。見えるということは粒子の軌道を動いているということです。このようなことから、電子は粒として伝わるのであり、波として伝わるのではないというイメージが作られます。ですから、「波のような粒子」という性質を持っていることは事実ですが、電子を波というのは少ないのです。

    日焼けは、紫外線が飛んできて、肌の分子から電子を弾き飛ばすことで、起きると言いました。電子がなくなると、その分子は活性化して、他の分子から電子を奪い取ります。電子が欠落した分子が更に他の分子から電子を奪うというように連鎖して、肌全体に化学変化=日焼けを引き起こすというわけです。

    日焼けを自転車泥棒に喩え、次点者を盗まれた人が、ほかの人の自転車を盗み、その盗まれた人がさらに他の人の自転車を盗むというようにして、連鎖するようなことです。

    このような分子の中の自由電子でも、軌道があるのです。トラは森の中を徘徊すると言いましたが、全く自由に動くわけではないのです。木の周りを回ってバターになったトラのように、原子核の電子よりは自由であるという意味でしかないのです。

    分子の中の自由電子の軌道は、獣道といいてよいでしょう。獣がどの道を通るのは、森の中に様々な勢力関係によってきまるでしょう。同じように、森の中の電子の軌道は、電磁相互作用によって影響されるのです。

    いずれにしても、光は宇宙空間を自由に飛び、電子は光よりははるかに不自由な軌道に支配されているということです。もっともブラックホールから出られない光もあり、太陽の近くを通る場合でも、光は曲がるのですから、自由な光も実は、軌道に縛られていると言うことです。

    電子と言えば、双子の兄弟の陽電子がいます。又、電子が囚われる原子核には陽子がいます。このような陽電子と陽子と電子の軌道の関係はどうなっているのでしょうか。

    光子と光子(ガンマー線)を衝突させると電子と陽電子が生成されます。その後の電子と陽電子はどのような軌道を徘徊するのでしょうか。陽電子も電子同じ軌道を移動するのでしょうか。

    陽子は、原子核に中性子に取り囲まれてでんと座っています。つまり、移動していないように思えます。それは事実なのでしょうか。

    「原子核の異常変形を研究する」を参照してください。http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/news/2010/may/frol_02.html以下、編集して引用しました。

    原子核には、球形だけでなく、ラグビーボール形やミカン形など、いろいろな形のものがあります。どういう場合に球形になり、どういう場合に変形するかは、陽子と中性子の数の組み合わせで理解できると考えられていました。

    しかし、寿命が短く天然には存在しない“不安定核”をつくって調べることができるようになると、従来の考えでは球形になっているはずの原子核が変形しているものも見つかってきたのです。

    「人類が調べた原子核は、1万種類あるといわれる原子核の半分以下に過ぎないのです。
    ―――
    このように粒子の関係を追及していくと質量のあるものには回転があり、それには軌道があるということになるのでしょう。もし、そうなら光には質量がないのですから、軌道はないということになります。でも光はでたらめに飛んでいるようではないようですから軌道はあるようです。質量は軌道の決め手にならないでしょう。この光の軌道については留保しておきます。

    さて、渦があるところには枠があると言いました。渦があるところには回転があるでしょう。

    この回転がティトムの基本となる力です。もし、質量のあるものには軌道があるなら、回転力を軌道に置き換えて考えて見ることも意味があるでしょう。軌道と枠と渦が回転で繋がるかもしれません。

    ティトムの基本は球体流の原理と時間対流の原理です。この両者と軌道はどのような関係になるでしょうか。

    球体流の原理とは、球の裏と表が入れ替わるということです。クラインの壷の原理とも呼びます。

    時間対流の原理とは、未来と過去の時間反転するという意味です。

    マントルが対流することや、土星が六角形をしていることも、これらの原理が関係しているでしょう。

    球体流の原理を最もハデに示すスターは中性子星です。超新星爆発を起こしたかと思えば、重力崩壊でブラックホールになるのです。銀河の成長段階では、中心に近いとブラックホールになるでしょう。ブラックホール衝突で成長すると密度が濃くなって爆発を起こすのです。

    どちらも球体流の原理に基づいているのです。内から外、外から内、短時間で入れ替わるのです。この反転爆発はかなり目立つ四次元現象と言えるでしょう。

    この球体流の原理を四次元ツールとしたのがナイフで、時間対流の原理がパイプです。この両者を利用すれば、三次元から四次元へ渡ることができます。

    これら原理を繋ぐような原理を越えた真理のような、そういうものがあるのではないでしょうか。そうすれば、もっと説明が分かりやすく、楽になるかもしれません。そんなことを期待して探求していきましょう。

    シムダンスは、既に、<プラトンとの共振>で、それを宇宙の法則として、複素平面を駆使した別の四次元(イデア)から三次元現象へと向かうドラマが進んでいます。ティトムは、その逆で、三次元(現象)から四次元イデアへと向かうドラマですので、神の持ち出すのは慎重なのです。

    と言いながら、葦の海の奇跡では、真空切り=海を切る話として、モーゼを持ち出してしまいましが。

    それはともかくとして、回転するものには軌道があるとして、更に、進んでみましょう。量子力学では、「初めに光ありき」ですが、ティトムでは、「初めに軌道ありき」なのです。軌道から始まる「軌道(ティトム)宇宙論」の萌芽が芽生えているのです。

    これまでは、時間や空間サイドからは、結構、うまく説明できたと思うのですが、波である粒子がどうして三次元に出てくるのかの説明は出来ていないのです。

    パイプ軸の先端の部分と電子の関係が明確になっていないからでしょう。

    それは、原子核の内部構造が分かっていないことが一つの要因でもあるのです。原子核の内部構造が不明ですから、電子と陽子が近くにいるのに、何故、衝突しないのかも分かっていないのです。

    四次元流に解釈すれば、それは中性子がオブラートの役割をしていると考えています。それに、陽子とは何かをうまく言えないのです。見たこともないのですから、仕方がないのですが、陽子は陽電子であるという学説もあるのです。

    四次元能ではこちらの説の方が、親和性があるので採用していますが、ただ、陽子の質量は、電子の質量に比べて1836倍の大きいのです。陽電子の質量は、電子と同じですから、この説を取るにしても問題はあるのです。

    そんなことの悩んでいるときに「ハイパー原子核」からガンマー線をキャッチしたという記事を見つけました。http://lambda.phys.tohoku.ac.jp/~tamura/hyperball/press/press.htm

    以下、編集して引用しました。

    原子核は陽子と中性子でできていることは長年の常識でした。しかし、ラムダ粒子という短寿命の粒子を原子核に入れ、陽子、中性子、ラムダ粒子の三種類の粒子からなる原子核(「ハイパー原子核」または「ハイパー核」と呼ぶ)を作り、その性質を調べる研究が日本を中心に近年盛んに行われるようになってきました。
    ―――
    原子核の姿が上記のように少しずつ浮かび上がりつつありますが、四次元能としては、どうしても捨てられないのは、原子核内部にも軌道(秩序)があるという考えです。

    「二重共鳴法での核モーメント測定実験」を参照してください。http://adam.phys.sci.osaka-u.ac.jp/study/drinhem.html以下、編集して引用しました。

    原子核の中には電荷をもった陽子があり、それらは軌道運動をしています。このとき、原子核が球状であり、つまり、電気四重極モーメントを測定することで原子核中の陽子の分布を知ることができ、原子核の形を推測することが出来るようになるのです。
    ―――
    原子核の内部には、四つの力のうちの強い力が働いているのですが、電子との関係は無視しています。

    四次元能は内部の真空が染み出したのが電子であると考えますので、電子の軌道が反転して核に繋がっていると考えることも出来るでしょう。三次元的に言えば、軌道が無限に小さくなっているということです。

    これをナイフとパイプ、正四面体重合で説明すると、ナイフが円盤で核内部を意味するとすれば、パイプは外部に繋がるチャンネル=軌道ですから、その先端は無限小、つまり、四次元には無限はないので、そこは外部、つまり反転して電子の軌道とつながるという筋書きが見えてきます。

    円盤=ナイフ=核の内部
    パイプの先端(無限小)→電子の軌道

    正四面体の内側が核で、外側を電子とすると、正四面体が重合する内側の頂点が外側の面に接するのですから、そこがパイプの先端ということになるでしょう。

    一方、ナイフと接するパイプの付根は、無限大と解釈してみましょう。つまり、四次元には無限はないので、そこは内部、つまり、反転して核の軌道とつながるでしょう。

    パイプの付根(無限大)→核の軌道

    正四面体が重合する外側の面が更にその外側の頂点に接するのですから、そこがパイプの付根ということになるでしょう。ところで、外側とは反転すると、内側になるので、パイプの付根ということになるでしょう。

    この正四面体の説明は補足が必要でしょう。「HHスパイラルの二つの円盤は繋がっていない」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100084607286以下、引用しました。

    正四面体1と2番は反転の関係にあるのですから、もう正四面体の内接、外接は意味を持たなくなるでしょう。



    ―――
    三次元で宇宙と原子核を比べたら、核の方は、とてつもなく小さな世界ですが、原子核内部の軌道を少し浮かび上がらせてみようと思います。それから「軌道宇宙論」を展開してみようと思うのです。

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    2010年05月22日 17時41分33秒

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    バターになったトラ

    バターになったトラ<ティトムとの共振>バターになったトラの図はhttp://www.andynet.co.jp/ehon/osusume/sinkan

    バターになったトラ
    <ティトムとの共振>

    バターになったトラの図はhttp://www.andynet.co.jp/ehon/osusume/sinkan_128.htmlから引用しました。

    宇宙探査機「パイオニア」アノマリー(異常)として知られているこの事件は、太陽系外縁天体「カイパーベルト」を脱出しようとするときに見つかった異常な現象のことです。

    「パイオニア」アノマリーは銀河の曲線問題(回転が周縁でも落ちない)に勝るとも劣らないある重要な示唆をしてくれています。

    ある重要な示唆とは、「枠」を出ようとすると、それは単なる機械の異常や未知の天体の重力などではなく、突然な得体の知れない力がパイオニアを襲ってきた怪奇な事件だということです。

    その得体の知れない力を「枠形成力」と名づけました。今回はその得体の知れない力=枠形成力の正体を暴くシムダンス「電子の不思議な振る舞い」の続きです。テラー10を参照してください。http://momloveu.com/titom-teller-j/index.files/Page994.htm以下、編集して引用しました。

    チベットが独立しようとその気配を見せると、突然に、ある得体の知れない力が襲ってきます。それは国家の枠を維持しようとする力であり、民主的な国家の求心力とは異なる力です。

    同じように、宇宙の至る枠ある近辺には重力とは異なる得体の知れない力「枠形成力」があります。その力は普段はおとなしくしているのですが、枠から飛び出そうとすると、突然その姿を現すのです。その力は宇宙探査機パイオニアが太陽系を飛び出そうとしたそのときに見せたことで、地球の私達が始めて知ることになったのです。

    「枠形成力」とは、銀河の枠を飛び出そうとする時に働く力であり、それがパイオニア異常を引き起こした原因だったのです。言い換えれば、銀河のティトム回転力の影響するエリアを飛び出そうとするとき、銀河の枠を保とうとする力として現れるのです。

    この枠形成力という力は、銀河という天体にだけあるのではありません。枠のあるところならどこにでもあるものです。それでは枠とは何かです。枠とは渦です。渦があるとは、回転があるということです。ですから、わざわざ遠い銀河にいかななくても、身近なところの渦を見れば、その力を観察できるはずです。

    同じ枠でも事象の地平面がありますが、この枠と天体の枠とは違う枠です。事象の地平面の枠は重力の半径であり、重力が強いのです。一方、「カイパーベルト」天体の付近では、太陽の重力は弱くなるところであり、重力とは異なる「枠形成力」という未知の力が働く境界なのです。

    パイオニアアノマリーは、たまたま信号の異常を発見して見つけたのですが、異常と言っても、1秒間に1億分の8cm程度の減速ですから、殆ど見逃しそうな値です。よく発見できたと思います。

    このように見逃しそうな僅かの力を、身近な渦から見つけることはできるのでしょうか。チベットに働く力はメタファーとして示したに過ぎないので、まさかそれが本当に枠形成力であると思う人はいないでしょう。もし、そうだとしても、どこに渦があるのでしょう。

    「水は丸くなろうとする」を参照してください。http://203.174.73.14/ad00178/thread/1100070052772
    以下、引用しました。

    水滴や地球が「丸い」秘密は電子の軌道に関係しています。線のような軌道ではなく雲状なのですが、そこには外と内を区別する球体=境があります。
    ―――
    「丸さは界面張力が生む」を参照してください。http://203.174.73.14/ad00178/thread/1100070056487
    以下、引用しました。

    地球は「丸い」のは、界面張力が関係しているのですが、その裏では電子が暗躍しているのです。
    ―――
    四次元能は、「宇宙は先ず天体ありき、天体には枠があって中に渦がある」という考え方を、四次元のイメージの核としてきました。宇宙といっても、広大な天体だけを意味するのではなく、微小な原子核もミクロコスモスというようにれっきとした宇宙です。

    従って、どこにでも「枠と渦」はあるということになります。「浅田真央とスピン(2)」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100077784576以下、引用しました。

    電子の軌道、電子殻、電子雲が枠の正体だったのです。この枠の中では、事象の地平面が渦を巻いているのです。電子雲、事象の地平面、原子核という順にあるということです。「渦の影に枠あり、枠の裏に渦あり」です。
    ―――
    どうやら、電子が渦に関係ありそうです。枠を形成する力とは、電子の力なのでしょうか。あのパイオニアを襲って引き戻そうとした力とは、電子の力だったのでしょうか。もし、そうだとすると、それは、どのようにして、力を生み出したのでしょうか。これはSFよりSFぽくなってきました。

    では、今回のシムダンスの舞台はパイオニアアノマリーの続きですが、電子の不思議な振る舞いを観察しておきましょう。詳しくは、テラー10を参照してください。http://momloveu.com/titom-teller-j/index.files/Page994.htm以下、編集して引用しました。

    光は波と粒子の性質を持っていることは、量子力学の発見の現場「初めに光ありき」http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100093812368
    で示しました。そこには自他共振のドラマがあったのです。

    つまり、無我=勘の代表である芸術的職人と自我の代表である物理学者が協力=共振=シムダンスして、大事を成し遂げたという筋書きのないドラマがあったのです。「筋書きのない」ということは、その舞台に上がった本人たち自身が、
    それを革命的な発見であるとは、誰も認識していなかったということです。「筋書きのない」ということこそ、自他共振=シムダンスの本質なのです。

    主役であるプランクは、娘に「ひょっとすると、大発見をしたかもしれないよ」なんて言っていたらしいのですから、自我の代表には勘があったのでしょう。

    プランク達がしたことは、炉の温度を光の色で判断するという職人の知恵=暗黙知(口では言えない無意識の知)を、物理の言葉=式(記号で表現する自我の知)で表現しようとして、無意識に発見したのでした。

    無我の知=職人の知が自我の知=物理で、世の中に知らされたのですが、それが無意識に発見されたというところが筋書きのないドラマの面白いところなのです。これは、後に「対峙するものの共振」という別の演題で登場させたいと思っています。

    光が粒であることが判ったのは、光を金属板に当てると飛び出してきたのが電子だったからです。ですから「初めに光ありき」なのです。電子とは粒ですから、光が電子に姿を変えたということは、光も粒だと言えるのです。

    更に、電子は光に変身するのですから、電子は光であると言っても良いでしょう。「電子=光=真空=振動」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100073004086以下、引用しました。

    電子が動くと電気的に±の極ができます。±の極のまわりには振動する電子が放出され電磁場が現れます。つまり、電子は光だということです。その実体は真空なのです。静止している電子の場合も、クーロン力を介して相互作用をしています。

    力というのは概念であって実体ではありません。力を電場といっているのです。この電子が振動を始めると、電場の波となって真空中を伝わっていきます。これが光なのです。クーロン力も万有引力も、光波も重力波も真空の持つ一つの属性にすぎないのです。
    ―――
    長い前置きでしたが、電子が光なら、電子は波でもあるということになります。光が粒であるというのは、プランクの時代では、まだ、仮説であり、実験で確かめられたわけではありません。

    光電効果というのは知られていたのですが、それは電子が飛び出してくるというだけであって、まだ、はっきりと光と電子が粒子でもあり、波でもあると確認されたわけではなかったのです。そこで、はっきりと電子が「波のような粒子」と言われる由来になった「二重スリット実験」を参照してください。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E5%AE%9F%E9%A8%93以下、編集して引用しました。

    多くの電子が波の様な振る舞いをする説は過去にありました。しかし、この実験では、「たった一つ」の粒子が、あたかも多くの電子があるかのように見えるのです。しかし、それは見えるだけであって、実際に存在しているのでありません。「たった一つ」の粒子が、「広がったあちこちに存在する」ことを示しているのです。これは、常識に反するとても奇妙な現象です。確率的に存在するというのですが、確率的とは、電子がどこに「いる」とは言えないということです。

    凶悪犯人が東京ドーム逃げ込んだとします。しかも、その中は同じような姿をした人ばかりで満員になっていたとします。これでは、さすがの特命係警部の、杉下右京さんでも、犯人を特定することは困難でしょう。一人しかいないのなら、簡単に特定できるでしょうが。

    ところが、この実験は、一人しかいなくても、特定できないと言っているのです。
    それは犯人が超スピードで動くので、まるで、東京ドームが満員になっているのかのように見えるからです。

    似たような現象としては、回転する的に、矢を撃って当てるようなものです。全体がぼやけてしまうので、狙ったところがどこにあるのかを特定することが出来ないので、適当に撃つしかないわけです。

    このような喩えでも、電子が確率的に存在するということを、正しく表現しているとは言えないのです。どこに「いる」または「ある」とは言えないと言っても、
    それは人間の目の錯覚であって、厳密にすれば、または、測定すれば分かるでしょう。ドームの場合なら、犯人より高速で動けば良いでしょうし、動く的の場合は精密銃で撃てば良いででしょう。

    つまり、言いたいことは、どこに「いる」または「ある」とは言えないといっても、それは人間の目の錯覚なのであって、粒子はどこかに必ず「いる・ある」はずだということです。

    どこに「いる」または「ある」とは言えないなどとは考えにくいのです。

    しかし、この奇妙な実験結果は、それがどんなに一般的な常識から外れていても、たった一つの粒子が、どこに「いる」または「ある」とは言えないという事実は認めるしかないということを示しているのです。

    それでも俄には信じ難いのですが、これこそが量子の本質的な性質であることを示しており、動かし難い真実なのです。この実験はPhysics World誌の読者による投票で「最も美しい実験」に選ばれました。
    ―――
    この実験について四次元能的な解釈をしてみましょう。

    電子は動いているときは波で、スクリーンに当たった瞬間に粒になると言うのが正当な解釈ですですが、四次元能流としては、電子は点滅していると考えます。

    つまり、四次元空間のクラインの壷の虚空間と実空間を行ったり来たりしているという意味です。虚空間に行ったときは見えなくなるのです。虚空間では波で、実空間では粒子であるという解釈でも良いでしょう。

    また、鉄原子核で示したように、電子の軌道は捩れています。この場合でも、同じように虚・実空間を行ったり来たりしていると考えます。このような捩れた軌道とはどのようなイメージなのでしょうか。

    電子が放出されてからスリットに届くまでに軌道が存在していると考えてみましょう。つまり、そこには四次元空間のクラインの壷があるということです。このクラインの壷に沿った軌道を動いているので電子が点滅しているのです。実験では一粒の粒子が電子とされていますが、軌道上では雲だと考えます。雲だからと言っても沢山電子があるというわけではないのです。

    つまり、空間を移動するときには、真空の影響を受けて、雲状になってスリットにたどり着くというわけです。

    決して一粒の粒子が無数に増えて干渉縞になるわけではありません。この場合、電子銃から放出された時の電子の姿が粒子のように見えるだけのことで、波動の収束した状態からスリットを通過する軌道に沿って分散しただけと考えます。

    光子と電子は密接な関係があると言いました。密接な関係どころか電子は光であるとさえ言いました。次に光の話をして見ます。

    光は秒速30万キロの猛烈な速さで、真空を動きますが、その真空とは、マイナスに行かないように、歯止めをかけられた、つまり、ラッチされた真空です。

    ですから、真空を動くとは、ラッチされた真空が動くのです。つまり、光のパック郵便のようなものです。これを軌道と考えるのです。この光子の軌道が存在すると考えれば、それは電子の軌道と似てくるでしょう。

    私達は電化された生活に浸っていますが、それは電気があるからとも言えるでしょう。その電気は電灯を灯すように、光と電気は特別な関係があります。

    量子の世界では、光は光子、電気は電子と呼ばれるのですが、その光子に電荷と質量(スピンも含める)を与えたのが電子なのです。電子と光は、密接どころか親戚のようなものです。

    両者とも、三次元から四次元、四次元から三次元への軌道があって往復しているのでしょうか。電子についてはいえるのですが、光については、まだ、なんとも言えません。

    電子の軌道を実現するのが、四次元パイプの役割です。パイプとは、軌道を作る「モーゼの手」と言っても良いでしょう。「モーゼ」を参照してください。
    http://www.vivonet.co.jp/rekisi/b01_create/moses.html
    以下、編集して、引用しました。
    モーゼは200万人のユダヤ人を連れてカナンの地に向かいました。エジプト王はエジプト脱出を許したことを後悔し、ユダヤ人を皆殺しにすべく軍勢を率いて追跡したのです。前方には葦の海、背後にはエジプト軍と、絶体絶命の危機に陥ったその時奇跡が起こりました。

    モーセが、海に手を差し伸べると、神は強い東風で海を退かせたのです。ユダヤ人は、無事に海を渡ることができました。これが葦の海の奇跡です。
    ―――
    電子の軌道を切り開く様子を、神に力に頼って表現してしまいましたが、それでシムハンターは満足しないことは分かっていますので、四次元能流に戻りましょう。

    電子が「光速に近い速さで飛んでいる」ということの意味を考えましょう。

    トラが木の周りをぐるぐる回ると溶けてバターになってしまう童話がありますが、もし、そのトラ=電子が光速で回るとどうなるのでしょうか。電子はバターになってしまうのでしょうか。

    そうです。電子は秒速30万キロ分のバター、つまり、真空のバター入り缶詰になるのです。この缶に詰められた真空を、ラッチされた真空と言いますが、それがぐるぐると回っているのが軌道です。

    ですから、時間と空間が缶詰にバッファーされているのです。その缶詰が次々とリレーされて行くので、同じ速さで飛ぶというイメージになるわけです。トラがバターになって回っているイメージで想像してください。

    童話では、戦利品を奪うのはトラで、戦利品を与えるのはチビクロです。戦利品=真空とすれば、真空を利用しているのはトラ=電子ということになるのですが、真空を与える側のチビクロは何になるのでしょうか。真空は最初からあるのでチビクロ=虚と言うことにしましょう。

    童話では、トラが木の周りを回るとなっていますが、実際の電子=トラが木の周り(原子核)ばかりを回るわけではないのでしょう。トラですから自由な空間を走るでしょう。そのときの徘徊するトラ=電子はバターになるのでしょうか。

    徘徊するトラのように原子核を離れた、いわば空間を飛ぶ自由電子の軌道(自由軌道)については、どう捉えたらよいでしょうか。

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    2010年05月22日 13時09分09秒

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    三次元のムジナは特異点にいることはできない

    三次元のムジナは特異点にいることはできない<プラトンとの共振>特異点に「いる」「いない」を巡って、三つの疑問を提示しました。第一「特異点にいる」ことは

    三次元のムジナは特異点にいることはできない
    <プラトンとの共振>

    特異点に「いる」「いない」を巡って、
    三つの疑問を提示しました。

    第一 「特異点にいる」ことはできるのか。
    第二 事象の地平面と特異点は三次元の延長か。

    第三 事象の地平面を心理的な事象や社会的な事象に応用できるのか。

    という疑問です。第一と第二は次のようなことになりました。

    第一の「特異点にいる」は、特異点は三次元ではないので、「いられない」といったのですが、事件の渦中にいることを特異点にいるというなら、「特異点にいる」ということになるという曖昧な結論になりました。更なる検討が必要のようです。

    第二の事象の地平面と特異点は三次元の延長かですが、これも曖昧のままです。特異点は三次元ではないのですが、事象の地平面から特異点までの中間は、三次元でもありそうでもないという結論になりました。これも、更なる検討が必要のようです。

    第三の疑問は、物理の事象の地平面や特異点を社会の激変や心理的な事象に適用できるかということでした。
    これについて、考えていきましょう。

    事象の地平面は物理の概念=事象の地平面ですから、その大きさは重力によって変わります。ですから、人によって、それが変わることはありません。

    ところで、今問題にしているのは、社会的な変化が起きるという心理的な特異点と事象の地平面です。従って、心理や社会の事象の地平面、特異点とは何かを考えて見る必要があるようです。

    物理や科学や社会学というのは二分法・自我思考ですから、見るものと見られるものという観点からしか見ていません。しかも、見るものは蚊帳の外において、見られるものだけを論ずるのです。即ち、対象論理=主語論理なのです。

    しかし、どんなに見るものを蚊帳の外においたとして、その客観性を担保することは出来ません。つまり、人によって、その対象の見方が必ずしも一致しないのです。

    まして、明治維新の真只中にいる人達は、その事件を対象化して、自分を蚊帳の外に置くことなどできないでしょうから、当然、完全に超越した神のようには、客観的に見ることなどはできないでしょう。

    ですから、自分達の時代を歴史家のように、「今は明治維新だ」などと認識できるはずがありません。誰も今は丁度インターネット革命が起きている真最中などと言えないということです。

    明治維新と命名したのは、現代の歴史家であり、当時の人ではないということを確認しておきましょう。

    確かに、坂本竜馬たちは、新しい意識を持って、新しい国の形を模索していたのでしょうが、それだけで特異点にいたとは言えないのです。

    特異点は原点であり、三次元ではないのです。人は三次元にいるのです。三次元人間がどうして、三次元ではない領域にいることが出来るのでしょうか。

    そこがブラックホールであるならば、何も見えないはずなのですから、まして、その中にいたとしても、知ることなどできないのです。にもかかわらず、このコンテンツ「特異点はいつも近い」http://memo7.sblo.jp/article/34660929.htmlでは「特異点にいると」と言っているのです。

    どうもすっきりしません。見方を変えてみましょう。そこで、歴史化の視点で、社会の激変の構造を見ておきましょう。

    社会の激変とは、人間が集まるところには、いつも見られるのですが、体制派と反体制派、保守と革新の力の鬩ぎ合いがあり、その政治的な争いによって体制が変わることを言います。最近でも、自民党政権から民主党政権に変わったばかりですが、大なり小なり、このような変化は日常的に起きているということです。

    そして、政治を動かすのは、いつも革新派であるでしょう。問題は、その当事者が、自分達の位置づけを歴史の転換点であると認識しているかということです。プロパガンダとして言うことは自由ですが、真にそうであるかは別なのです。

    それを言えるのは歴史家や評論家(一般人も含む)だけであって、当事者にはそのようなことは言えないのです。

    このことは、ゲームで考えればもっと分かりやすいでしょう。例えばプロ野球を例にとって見ましょう。

    選手も監督もコーチも、試合の途中では一生懸命にプレーや采配に夢中でしょう。試合を決める場面が訪れます。ここが分岐点だと考えて、代打を送りサインを出します。

    さて、彼らは特異点の中にいるのでしょうか。

    ゲームをブラックホールと考えれば、その中にいるだけで、「特異点の中にいる」と言えるのでしょうか。果して、ゲームはブラックホールなのでしょうか。

    もし、ゲームがブラックホールなら、何も見えないはずです。まして、ゲームで何が起きているのかなど分かりようがありません。

    一方、この試合を観察している人達がいます。球場の観客とテレビで見ている人です。彼らは見ている人ですから、ゲームをブラックホールと考えれば、その中にいないので、選手は「特異点にいる」でしょうが、見ている人は「特異点にいない」ことは確実です。

    ゲームがブラックホールであるなら、ゲームそのものも見られないはずです。でも見ているのです。ということは、ゲームはブラックホールではないということです。

    しかし、よく考えて見ましょう。見ている人でも試合に熱中していると、まるでプレイヤーみたいです。つまり、試合にはまっているのです。ただ見ているだけとは言えないのです。

    とすると、ゲームにはまっている人も、ブラックホールと考えれば、皆ブラックホールの中にいるということになってしまいます。ブラックホールは見えないはずなのに、見えています。

    何がおかしいのでしょうか。

    見えるものはブラックホールではないという原点に戻りましょう。それから言えば、ゲームはブラックホールではないということです。

    先ほど、代打を送りサインを出すなどと、ゲームを描写しましたが、これ自体が、見ているわけですから、ゲームはブラックホールではないと言っているようなものです。

    もう一度、ブラックホールの定義に戻りましょう。ブラックホールには事象の地平面があり、それによって、外と内が区分されます。この区分が問題なのではないでしょうか。内とは何でしょうか。

    この内部と外部と言うところに、手掛かりがありそうです。

    今、完全密閉した部屋があるとします。ここで事件が起きました。どうやって、事件は起きたのでしょうか。事件が起きるはずがない内部で起きたのですから、何かのトリックがあるはずです。名探偵ポアロならこのトリックをどのように暴くでしょうか。

    もし、トリックがあるなら、完全密閉した部屋ではないということです。もし、トリックもなく完全密閉なら、外からでは事件が起きたことも分からないはずです。それなのにどうして事件が起きたと分かったのでしょうか。それは鍵を開けて中に入ったからです。いや入っただけではダメです。出てこられなければなりません。出てこられなければ、外にいる人に伝えられないからです。

    ここが重要な点です。

    トリックがあるとうことは、完全密閉した部屋という前提は始めから崩れているのです。ブラックホールでは、事象の地平面の内部は、仮に仕切っただけの内側ではないのです。

    トリックがある完全密閉した部屋=内部というのは、開けたとたんに外部なのです。入って出てきたら内部は外部なるのです。

    医者が、身体を解剖する場合を考えて見ましょう。医者にとって、患者の身体は外部であり、身体の皮膚は事象の地平面であり、皮膚で囲まれた内側の部分が内部です。

    ところが、一旦、メスを取って身体を切り開きますと、内部の内臓が見えてきます。この瞬間、内部は外部になったのです。これは、完全密閉した部屋=内部の前提がくずれたのと同じ状況です。

    では、内部は何だったのでしょうか。医者と同じように、やっているのが科学者です。生理学者は内臓を開いて内部を見て分析します。更に、分子生物学者は、顕微鏡を使って、細胞の内部を見ようとします。更に、物理学者は、原子の内部を見ようとしています。

    このように内部への挑戦は果てがありません。その逆をしているのが宇宙の科学者です。内部から外部を見ようとしているのです。彼らが見るものは外部であり、見た瞬間に内部となるのです。

    これで分かるように観測技術の精度の問題がありますが、内部を見る、外部を見るというのは、見た瞬間に内部が外部に、外部は内部になってしまうのです。

    ここで、内部とは何か、外部とは何かという新たな問題が出てきてしまいました。

    ブラックホールの内部とは、真の完全密閉された内部であって、メスで切り開けば外部が内部になるような単純な内部ではないということです。入ることは出来ても出こられない内部なのです。

    ブラックホールはまだ見つかっていないのであって、もし、それが見つかればそれは内部が分かったということですから、真の完全密閉された内部ではないということになり、そのときはブラックホールとは言わないでしょう。

    何故、ブラックホールはまだ見つからないのでしょうか。ブラックホールの間接的な証拠はあるようですが、それは完全密閉された部屋を、外から音を叩いて内部の様子を伺っているようなものです。まだ、誰も直接見たわけではありません。

    また、ブラックホールなど存在しないという説もあるくらいですから、これに決着をつけるのはかなり難しい問題を抱えているということです。なにしろ、それが見つかったら、それをブラックホールとは言わないのですから。完全密閉の事件を解いたら、完全密閉とではないと言うようなものなのです。

    さて、内部とは何でしょうか。ここには次元の問題があるのです。三次元の世界で内部と外部を区分けするということが何を意味しているかということです。

    私達がしていることは、仮に区分けするということをしているだけなのです。仮想敵国という言葉がありますが、これと同じように、仮想の内部、仮想の外部を作っているのに過ぎないのです。

    三次元は連続なのです。それを内部と外部と呼んだところで、仮にしか過ぎないのですから、内部が外部となったところで、何も変わっていないのです。単に、人間が認識するために、便宜上、そうしているに過ぎないのです。

    そのいい例が国境でしょう。国家とは人間が都合の良いように、境界を定めたに過ぎないのであって、渡り鳥にとって、国境など何の意味さえないのです。まして、公害の越境が問題失されていますが、
    流動するものにとって、固定化する境などは意味が無いのです。

    三次元の区分など仮に区分しているだけということになってしまいました。では、ブラックホールはどうなのでしょうか。

    そうです。ブラックホールには四次元が含まれているのです。四次元ですから見えなくて当たり前であり、三次元と四次元は真正の不連続なのです。

    事象の地平面の外側は三次元であり、内側とは四次元へのゲートなのです。

    これで、内側の問題をはっきりさせることが出来ました。ゲームをしている人も見ている人も、ブラックホールの内部などではなく、三次元のムジナだったのです。

    明治維新の坂元竜馬も、ゲームのレイヤーにすぎませんから、ブラックホールの内部にいるのではないのです。

    ということになると、先のコンテンツでは「特異点にいる」と言ったことは、間違いだということになります。

    これで終ってしまうと「特異点にいる」を取り上げた意味がなくなってしまいます。四次元能は、とんでもない反転のシナリオを用意しているのです。


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  • from: 生成門さん

    2010年05月22日 13時05分15秒

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    私達は特異点にいるか

    私達は特異点にいるか<プラトンとの共振>現在、インターネットの世界に関して、私達は大きな革命的な出来事を経験していると言われています。その変化とは、特

    私達は特異点にいるか
    <プラトンとの共振>

    現在、インターネットの世界に関して、私達は大きな革命的な出来事を経験していると言われています。その変化とは、特異点に似た不連続な経験であり、私達はその不連続性を本能的に直感しています。

    このように言っているのは「特異点はいつも近い」http://memo7.sblo.jp/article/34660929.htmlですが、果して私達は特異点の近くにいるのでしょうか。もしそうなら、特異点に入ることもできるでしょう。果たして特異点はどこにあるのでしょう。

    以下、編集して引用しました。

    しかし、その「特異点にいる」と、それが周りと不連続であるために、今、何が起きているのかを認識することが出来ないのです。例えば、台風の目の中にいると、全く無風状態なので、外が荒れ狂っていることなど想像できないようなものです。
    ―――
    つまり、その出来事の最中にいると、何も見えなくなるというのです。確かに、恋愛すると、周りが見えなくなると言いますから恋愛中の二人は特異点にいるということになるでしょう。

    しかし、それは周りの人が言うのであって、二人にとっては自分達の世界がすべてなのですから、それを周りから断絶した特別な世界だとは思っていないでしょう。

    テレビで放送されている坂本竜馬を見ているのと、ただ、無心で国の将来を案じて、戦っているようですが、周りが全く見えていないわけではないようです。

    と言っても、原作者が時代背景を考えて、もろもろのシーンを展開してくれているので、それを見ている私は周りが良く見えているわけです。それを、坂元竜馬とダブらせているので、彼が周りをよく見えているように見えているのです。

    やはり、冷静に考えると、彼は彼の視点でしか見えていないはずですから、自分のしていることが、周りと断絶した振る舞いだとは思っていないでしょう。

    彼が把握できる世界は、テレビで見ている私の世界よりは情報が少ないのですからはるかに小さいはずです。それでも彼にとっては、それがすべてなのですから、明治維新を引き起こしている台風の目=特異点の中にいるとは思う必要はないわけです。

    「特異点にいる」といっているのは、周りの人なのです。或いはテレビで見ている人なのです。

    さて、ここで特異点という言葉が出てきました。特異点とは文字通り、特異な点ですから台風の目の様な場所でしょう。恋愛中の二人、明治維新の渦中の坂元竜馬などは、特異な点にいるというのは頷けるでしょう。

    実はこの特異点という概念は物理学から借用した用語です。ブラックホールの中心を特異点と言っているのです。何故ブラックホールの中心が特異な点かといいますと、そこが、周りと断絶され、全く違う世界となるからです。

    ブラックホールとは、状況が激変する分岐点を示す場所のことであり、そこを事象の地平面といい、その中心を特異点と言っています。「ブラックホール」を参照してください。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB
    以下、編集して引用しました。
    ブラックホールとは、光さえも抜け出せない時空の領域のことを指しています。その中心に特異点が存在するとされており、ブラックホールの境界は、事象の地平面と呼ばれます。
    ―――
    「事象の地平面」についてはこちらを参照してください。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E8%B1%A1%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%B9%B3%E9%9D%A2
    以下、編集して引用しました。

    事象の地平面の内側に入ると、空間を自由に移動することはできなくなり、ただ、特異点へと落ちていくだけです。過去へも未来へも行くことが出来ると考えられています。自分が二人存在するという事態や、自分の生まれる前に行くということも理論上有り得ます。但し、事象の地平面内へ侵入した時点で外界からの繋がりは一切断絶されるので、事象の地平面の外にいる自分が、過去(あるいは未来)の自分と遭遇する、ということは起こらないでしょう。
    ―――
    「特異点はいつも近い」の引用を続けます。

    宇宙船に乗って旅行をしたとします。宇宙船からは、現在地を知らせる信号が送られています。その宇宙船が、ある大きな星に近づくと、次第に重力が増していきます。そして、ある点を越えると、突然、宇宙船からの信号がぷっつり途絶えます。この境界が事象の地平面と呼ばれる領域です。光でさえ飛び出せないのですから、飛行船自体は戻って来られません。

    宇宙船は、ブラックホールに引き込まれるのです。言い換えれば、宇宙船がブラックホールに入るところは確かであって感知できるのですが、ひとたびこの不連続点を過ぎると、その宇宙船の生存に関することは何もわからなくなるのです。無限へ向かう途中のこのような断絶を、特異な出来事<特異点>と言います。
    ―――
    これがブラックホールの事象の地平面と特異点の意味です。実際にはブラックホールは見つかっていないので、ブラックホールの中に入ったというわけではありません。その存在自体を疑っている学者もいるのですが、この概念を私達の心理的な或いは社会の事象に対して利用しようと思っているのですが、いくつか疑問がありますので、吟味しておきたいと思います。

    第一に、「特異点にいる」ことはできるのか。第二に、事象の地平面と特異点は三次元の延長なのか。第三に、事象の地平面を心理的な事象や社会的な事象に応用できるのか。ということです。

    四次元能の文脈では、事象の地平面の内側は二重構造となっていて、事象の地平面の内側を実軸の原点に対応させ、その奥の中心部に特異点があるとしてきました。

    この事象の地平面の内部構造を空として、マクロからミクロの事象に対して適用したいと思っているのです。ちょうど良いタイミングで「特異点はいつも近い」という社会的な事象に適用しているコンテンツを発見しましたので、検討して、四次元能との違いなどを見てみたいと思います。

    四次元能では、特異点は虚空として、実空とは区別しているのですが、ここでは、そういう区別はしていないようです。単に、三次元の時空の無限大を特異点としているようです。

    第一の疑問を言い換えると、密室の事件と同じ構造をしているということです。
    ただし、この密室は入ることが出来ても出てこられないものとします。密室なのに事件が起きたことを、外にいるものがどうして知ることができるのかという問題です。

    つまり、「その特異点にいる」その特異点とは密室=事象の地平面の中にあるのですから、どうして「その特異点にいる」と分かったのかという疑問なのです。

    単なる、メタファーとしての特異点なら、
    台風の目の中にいると言えばよいのであって、わざわざブラックホールの特異点を持ち出す必要がないでしょう。何故、ブラックホールの特異点を持ち出すのでしょうか。

    それは、この特異点のあり様が特異だからです。つまり、無限とゼロの関係があり、次元の誕生で示した反転と畳み込みが関係しているからです。これについては後で見ていくことにして、今は、先ずは、「その特異点にいる」ことをどうして分かったのかの疑問を解いてしまいましょう。

    それが密室なら、つまり、事象の地平面の内側なら、そこに入ることは出来ても、出てくることは出来ないのですから、「いる」ことを知ることは出来ないはずです。知りたいと思って入っても出てこられないし、内と外が連絡する手段がないのですから、「その特異点にいる」人を主語にして語ることはできないということです。

    それを、特異点にいると周りと不連続であるために、今、何が起きているのかを認識することが出来ないと言っているのです。誰が言っているのでしょうか。中にいる人が言っているのでしょうか。
    それとも外にいる人が言っているのでしょうか。

    これは、外にいる人が内側にいる人を主語にして、「内側にいる人は外を認識できない」と言っているのです。外にいる人は内側を認識できないのに、どうして、内側にいる人が外を認識できないと分かったのでしょうか。恋愛中の二人は周りが見えていないと、周りの人が言っているようなものなのです。恋愛中の二人が言っているのではないのです。恋愛中の二人にとって周りはないのです。

    次に、事象の地平面は淵=境界があり、その付近は三次元でしょう。ただ、その淵から内側に入ると重力が突然に強くなってきます。境界から中は光さえ出てこられないのですから、三次元と言ってよいのでしょうか。

    ただ、事象の地平面は淵=境界は伸縮します。つまり、重力で周りの天体を吸い込んで行くと、内部の質量は更に大きくなりますから、重力の勢力範囲が大きくなるのです。すると、今まで、三次元だった場所が事象の地平面の境界の内側に入ってしまうことになります。

    戦争で負けると土地が占領されますが、その場合その国の住民は、脱出できないので支配国の住民になります。これと同様なことが、ブラックホールでは起きるのです。

    ですから、支配された領土や民は、新たに国に属するように、事象の地平面が拡大したことで、境界の内側に入った元の三次元の空間は、新しい次元に属することになると言ってよいのではないでしょうか。

    このような新しい境界の内側では、住民も直ぐには馴染まないでしょうから、抵抗したり、脱出を試みたりするでしょう。

    ところが、重力がどんどん支配勢力を伸ばしていくと、先に入った住民達は、どんどん遠くの方に、蟻地獄で示したように底の方に押しやられていきます。

    そうなると、重力は更に強まっていくでしょう。もはや、元の姿や考え方を保持することは出来ません。物質で言えば、完全にドロドロに溶けてしまうでしょう。

    それが更に中心部に行くとどうなるでしょうか。しまいに数学的に無限大になってしまうのです。重力が無限とは現実には有り得ないので、これを特異な点というわけです。

    ですから、境界から特異点の直前までは、三次元の延長とも言えるし、そうでもないと言えるのですが、この特異点になると三次元の延長かということになると問題が起きるわけです。

    実際、特異点はゼロポイント=原点ですから、ゼロではない数字とは大きく意味が異なります。人間で言えば、どんない死にそうでも生きているなら、生の世界にいるのですが、死んでしまったら、そこは死の世界ですから、天地の差があります。つまり、生と死は不連続なのです。厳密には、ここには、二つの不連続があるのですが深入りはしません。

    無限に近づいてもゼロにはならないのですが、そこにゼロがあるのです。

    このことを理解するため、次元誕生秘話を思い出してください。次元化するために、実軸の無限を畳み込みました。それが原点でした。原点はゼロ次元ですから、三次元ではありません。よって、特異点は三次元ではないということになります。その途中については、もう少し後で、考えることにします。

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    2010年05月21日 07時53分39秒

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    出てこられる蟻地獄=空の構造

    出てこられる蟻地獄=空の構造<プラトンとの共振>今回は事象の地平面という概念を人間の心理事象に応用できないかと思い、ブラックホールを使って、空の構造を

    出てこられる蟻地獄=空の構造
    <プラトンとの共振>

    今回は事象の地平面という概念を人間の心理事象に応用できないかと思い、ブラックホールを使って、空の構造を説明してみます。



    ブラックホールとは、光さえ出て来られない帰らざる川のような領域のことです。これと同じ構造を身近な所で見つけるとすると、直ぐに思いつくのは蟻地獄です。

    擂り鉢の構造をした蟻地獄は、蟻さんにとっては、恐怖の場所ですが、これが戻って来られないという点でブラックホールに似ているのです。蟻がある一線、つまり、淵を超えてしまうと砂で出来ているので、底にずり落ちてしまうからです。

    これに似た構造としては、食虫植物には、ウツボカズラやサラセニア等葉につぼや筒状の穴を作り、そこに虫が落ち込むのを消化するものがあるようです。

    また、帰ることの出来る仕組みもあるようです。ランの花にはやはり落とし穴のような仕組みがある例がありますが、これはやって来た虫をとじ込め、脱出時に花粉媒介や受粉を行なわせるようになっているものです。

    ブラックホールの場合は脱出できないので、そこに落ちたら二度と戻ってこられないのですが、この蟻地獄は出てこられる不思議な世界なのです。そういう意味では、むしろランの方に似ているかもしれません。

    ブラックホールの淵を事象の地平面といいますが、それが擂り鉢構造をしていて、しかも、回転していて、振動していると考えてください。ですから、事象の地平面全体は、球体をしていて、内と外が反転する構造になっているのです。

    この反転構造を表現するのは難しいので、クラインの壷を想像してください。擂り鉢が二つあるのはそれを表現しています。上の方から落ちた蟻が下から出て行くというイメージです。

    蟻にとって、蟻地獄の外側=こちら側が生きられる世界であり、内側の中心部=あちら側が死の世界、そして、擂り鉢が三途の川です。

    図では淵の外側=三次元世界とし、擂り鉢を空とします。四次元世界は、雲で表現しています。ですから、擂り鉢は四次元そのものではありません。四次元へのゲート(入口) であると同時に、三次元へのゲート(出口)であるということです。

    事象の地平面から底までを実空として、擂り鉢の底は、数学的には無限大である特異な点=特異点とします。あらゆる因果の法則がなくなる特異点なのです。これを虚空とします。

    四次元能では、この無限大の特異点を解消するために、二つの工夫をしています。一つは、上に述べた二つの擂り鉢を取り付けたことです。実際は回転しているので、一つなのですがイメージなので、二つとしています。要するに反転することを表現したいのです。

    もう一つが、特異点に四次元パイプを取り付けたことです。パイプはそこから四次元の虚軸方向に向かって伸びていきます。途中で四次元に行ってきます。パイプの先は、四次元から回帰して、再び事象の地平面の外側の三次元に繋がっています。

    この蟻地獄の擂り鉢構造が特徴的なのは、四次元へのルートが二つあると言うことです。一つは、事象に地平面から入って、実空、虚空を経由して、四次元に入って、再び、虚空、実空を経由して三次元に戻るルートです。

    もう一つは、事象に地平面から入って、実空、虚空を経由して、パイプを経由して四次元に入って、再び、虚空、実空を経由して三次元に戻るルートです。

    ただし、入ってくる場合、実空、虚空を経由して、とありますが、順番的と見ない方が良いでしょう。出て行くときも、虚空、実空を経由して、とありますが、順番的と見ないほうが良いでしょう。この虚空、実空の関係は、いずれ別のところで詳しく説明することになるでしょう。ここでは、パイパスがあると言うことに留めておきます。

    三次元→(実空・虚空)→四次元→(虚空→実空)→三次元
    (実空・虚空)はバイパスがあることを意味する
    蟻地獄=擂り鉢構造=ブラックホール
    淵=事象の地平面
    淵のこちら側=枠の外側=三次元の世界
    淵のあちら側=枠の内側=空
    淵(事象の地平面)から底まで=実空
    擂り鉢の底=特異点=虚空
    淵=枠=事象の地平面は四次元へのゲート(入口) であると同時に、三次元へのゲート(出口)
    内側と外側は反転し繋がっている
    内部は回転している
    特異点=虚空からパイプが繋がっている
    パイプから四次元に出る
    パイプの先端=三次元への出口

    これで、事象の地平面を心理の事象に応用する準備が出来ました。

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  • from: 生成門さん

    2010年05月19日 07時34分26秒

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    連続と不連続

    連続と不連続<プラトンとの共振>量子力学は、連続した因果の現象を探求するために、二分法を得意とする自我思考を武器にして、究極の物質であるミクロの世界に

    連続と不連続
    <プラトンとの共振>

    量子力学は、連続した因果の現象を探求するために、二分法を得意とする自我思考を武器にして、究極の物質であるミクロの世界に入ったら、不連続な即非の無我に反転する現実を発見してしまったのです。

    連続の果ては無限ですが、無限に先は、反転して不連続=ゼロ次元になるというのが四次元能の主張する四次元の誕生の秘話でした。「四次元の誕生の秘話」の秘話を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100082056787


    では、何故、連続を追及すると不連続に反転してしまうのでしょうか。

    その前に、連続と不連続とは何かを、明確にしておかなければなりません。

    量子力学を発見した現場では、光が連続した波であると思っていたのですが、不連続な粒子であることがわかって仰天したのです。これが連続と不連続の本質を象徴していることになるのでしょうか。

    光は波であり、粒子であるのですから、光は連続でもあり不連続でもあると言うことになります。この場合の連続・不連続とは、エネルギーが連続という意味です。エネルギーには流れるイメージがあるので、水に喩えて見ましょう。川は流れますから連続です。しかし、その水が、少なくなってくるとどうでしょうか。ちょろちょろと流れ、やがては枯渇してしまいます。葉っぱに付いた水滴は小さく丸い形をしています。これが水の正体です。

    もっと、小さくすれば、H2Oで表現される分子になるのですが、喩えですから、水滴がエネルギーの最も小さい塊とします。光も同じように太陽から発せられているときは、まぶしいほど沢山あるので、連続して飛んでいるように見えるのですが、実は、その最小単位があって、水滴のような塊=粒なのです。これで光のエネルギーは不連続であると言うことになったのです。

    連続に見えても不連続だと言うことです。逆に言えば、不連続に見えても連続だと言うことです。

    連続とは、現象の連続を意味しますから、因果の関係を保証するでしょう。しかし、例えば、生と死の関係はどうでしょうか。生と死は切断されていますから、生の論理はすべて破壊されます。従って、不連続と言えるでしょう。

    一方、死体は分解されて、原子に戻りまた、結合して、別の固体を作ります。物質は循環しているのです。循環とは連続を意味しています。このように不連続と連続の違いは単純ではないようです。

    ここまでは物質世界の連続・不連続だけが問題となっていますが、死んだ後の魂はどうなるのかでしょうか。それを考えると、話は更にややこしくなるでしょう。既に魂はどこに行った(1)(2)で述べましたので参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100082585608
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100082616596

    現象の連続・不連続以外に、次元間の連続・不連続があるということです。不連続の程度としては、精神と物質の不連続の方が深刻でしょう。

    プランクの発見が革命的であるというのは、光のエネルギーが不連続だというにあるのでしょうか。それもありますが、波と粒子という異質で相反する状態が同時に存在していることの方が革新的だったのです。

    波は連続、粒子は不連続ですから、連続と不連続が一つの実体の上で同時に存在しているということが、より問題だったのです。

    連続して「ある」とは、自己が保持されて「ある」ということ、即ち、自己同一性です。自己同一性とは、実体として存在するということですから、粒子のようなものです。ところで、粒子は不連続です。連続して「ある」はずのものが不連続となってしまいました。

    一方、連続して「ない」のは、非自己同一性であり、非実体として存在する非粒子のようなもの、つまり、波ということです。ところで、波は連続です。連続して「ない」はずのものが、連続となってしまいました。

    何かおかしい展開になっています。連続が不連続となり、不連続が連続となってしまいました。

    波と粒子だから分かりにくいのでしょうか。実体を人間としてみましょう。今日の私は明日も同じ私ですから、自己同一性=連続を保っています。不連続な実体としての私は、波のように綱がっている、つまり、連続しているのです。

    一方、今日の私と明日の私は同じではありません。自己同一性=連続を保っていないのです。連続な実体としての私は、不連続としての実体なのです。

    もっと分かりにくくなってしまったかもしれません。

    要するに、私は私であり、私ではないということであり、私は連続であり、不連続だということです。もっと言えば、私は波であり、粒子だということです。おや、光は波であり、粒子だということと同じになりました。

    この連続と不連続の話は、もっと、面白いところの導いてくれます。

    その面白いところとは、プラトンのイデアの世界です。イデアの世界が不連続についての本質を教えてくれるのです。

    既に、イデアの世界は、もう一つの世界だと言いました。もう一つとは、この世界には、二の世界があるということであり、一つは三次元の物質世界、意識現象の世界、記号化された世界であり、もう一つは、三次元の世界を生成する四次元の精神作用の元である虚のエネルギーを供給する世界であるとしました。

    更に、この二つの世界を複素平面で表現して、前者を実軸として、後者を虚軸としました。実軸と虚軸が交差する点を空として、精神作用がなされるところであるともしました。

    交差する点は、単なる点ではなく、三次元サイドから見ると原点=実空であり、四次元サイドから見ると特異点=虚空であるとも言いました。この二つの顔を持つ点が空であると言いました。原点であるとは、ゼロポイントであり、実軸上では不連続であり、特異点であるとは、虚軸上の不連続点であり、更に空全体として、実軸と虚軸が不連続であるということを意味しています。

    ここで言う連続と不連続は、波と粒子の連続と不連続とは違った意味です。

    ここで言う不連続とは、三次元と四次元の世界の不連続性のことなのです。波と粒子の連続と不連続、私の連続と不連続は、それらが同時に存在するということは、この世界のどこに、どのように収まるのでしょうか。それは後のお楽しみとします。

    三次元と四次元の関係は、不連続ですが、全く、遮断されて交通がないというわけではありません。次元の誕生でも述べたことですが、無限を畳み込んで原点として、反転すれば、次元が上がることを示しました。

    次元化とは、切ったり張ったりしての連続化とは違いますが、三次元と四次元は反転して繋がっていると言えるのです。このことは空のダイナミズムとして説明しました。

    四次元能で不連続だという場合の意味は、三次元的な因果の系列が切断されているということです。空のダイナミズムは因果的な論理ではないので、三次元サイドから見ると、実軸と虚軸で示される二つの世界は不連続であるでしょう。

    このイデア世界と物質ないし、観念の世界、精神作用の元と精神作用の結果としての、二つの世界が不連続であるということについては、四次元の基本でありますので、もう少し、吟味しておかなければならないでしょう。

    特に、不連続な特異点=虚空について説明するのは、日常的には四次元との接点がないので、説明に困るのですが、何とかやって見ましょう。

    注意すべきことは、四次元での不連続と三次元的な意味で使われる不連続とを区別しなければならないということです。

    四次元での不連続とは虚と実の間のことであり、三次元的のそれは実と実との間のことなのです。先に吟味した波と粒子についての連続と不連続は、三次元的のことなのです。それでは、光の連続と不連続の問題が解決したことにはならないでしょう。

    そこには、何故、波であり粒子であるのかという、三次元の因果を否定する謎が解明されているわけではないからです。これを解明するには、四次元というもう一つの世界を想定しなければならないのです。その上で、実の連続と虚の不連続の問題を解決すれば、自ずと波と粒子の同時存在も明らかにすることができるでしょう。

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