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シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

公開 メンバー数:58人

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2011年05月31日 20時09分54秒

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    石庭はフラクタル空間か?

    石庭はフラクタル空間か?<観念的同時の認識の深化>あらゆる3次元空間は複素平面(空間)であり、そこには情緒を醸し出す空間とそうでない空間があり、フラク

    石庭はフラクタル空間か?
    <観念的同時の認識の深化>

    あらゆる3次元空間は複素平面(空間)であり、そこには情緒を醸し出す空間とそうでない空間があり、フラクタルな次元、即ち、異なる方向に広がる空間が関係していると言いました。

    更に、フラクタルな空間では光がトラップされますが、光だけでなく人間もトラップされるのです。

    人間がトラップされる空間とは、美のイデアが現象する空間であり、神秘の森、美しい景観の自然です。そのような空間は異なる方向に広がる空間であり、フラクタルな次元を持っています。

    人為的にフラクタルな次元をもつ景観を作れば人を引付けることができますから、これを応用すれば、経営や政治などに応用することができますし、四次元能の目標である自我の解体も夢でないでしょう。

    人為的に作られたフラクタル次元をもつ景観の典型的な例が石庭です。

    自我を解体するプログラムを作るうえで、禅語や経典や哲学的教訓や諺より最も参考になるモデルとも言えるかもしれません。

    石庭は、黙って、自己認識方程式:凸i*凹i⇒+1:は精神⇒現象を体現しているのです。

    これまで「石庭」を見てもPS理論とは関係ないと思っていたのですが、ここにきて光のトラップの謎を紐解いたことで、ようやく、石庭にはフラクタルなトラップ(罠)があると思うようになったのです。

    「禅と日本文化 石庭」
    http://www18.ocn.ne.jp/~bell103/zentonihonbunkasekitei.htmlを参照してください。

    映像を引用しました。





    ―――
    京都の旅する人なら誰でも、必ず竜安寺や大仙院の石庭を訪れるでしょう。

    でも、石庭が何を語っているのかを深く考える人は少ないでしょう。

    禅寺にある石庭ですから、ただの庭ではないことは分かるでしょう。

    それが何を意味するのかを理解するために、難しい講釈を理解する必要はないのかもしれません。

    ここを訪れる人にとっては、その魅力だけが重要です。

    魅力と関係ない説明は必要がないのです。

    言い換えると、その魅力に満足できない、魅力が分からない人が、この庭に一つの真実があると思って、その答えを求めてしまうのかもしれません。

    自己認識方程式:凸i*凹i⇒+1は精神⇒現象を体現しているのですから、その答えは一つではないのです。

    凸i*凹i⇒+1は森羅万象の方程式であり、従って、光の生成方程式であり、時間の方程式であり、悟りの方程式なのですから、悟り(真実)ではなく、悟り(解釈)なのだと悟らなければならないのです。

    ですから、石庭にきたら先ず、その前に来て座って、眺めると言うより、そこに溶け込むことが必要なのです。石庭は宇宙なのです。

    認識する自我の単位円の囲いをはずすことが必要なのです。単位円をなくすということは、自己を無限大に拡大するということであり、宇宙(石庭)と一体となるというであり、裸(無我)になるということです。

    つまり、裸の特異点になることであり、MPを剥き出しにするのです。

    石庭はフラクタルな空間であり、そこには光と時間がトラップされているのです。つまり、石庭は光の陰謀を打ち砕く罠なのです。

    四次元能はこれまで光の陰謀である自我の暴走を押さえることを目標としてきました。

    そして、使徒との戦いに勝つための戦略(自我解体)を探してきましたが、その答えがついに見つかったのです。石庭にその秘密が隠されていたのです。

    石庭こそが自我解体の場所、フラクタル空間だったのです。では、その「答え」とは具体的に何なのでしょうか。

    それは庭に魅了されるという、そのことに示されているのです。

    しかし、その答えは、運動方程式のような式を解くように得られると期待してはいけません。誰が解いても同じ「答え」となるような簡単な式ではないからです。

    その式とは自己認識の方程式であり、石庭のトラップの方程式:凸i*凹i⇒+1なのです。これを解かなければならないのです。

    この式を解いてみましょう。

    専門家はその答えを「間」であるというかも知れません。そう、石庭には「間」があるのです。

    では、「間」とは一体何なのでしょうか。

    「間」とは、間合いであり、「まあまあ」と言う言い方があるように、ギクシャクしている人と人との間を和ませる雰囲気のことでしょう。

    こうした間に対する感覚は、日本人の独特の感覚です。

    しかし、間のことをいくら説明しても、それは、内面のことなので、観察にかからないのですから、認識のしようがありません。

    それを悟るために達磨さんは何十年も壁に向って座禅をしたのですが、しかし、それで本当に悟ったのかどうかは分からず仕舞いです。

    まして、その後に続く私達は座禅など誰もしないのですから、やはり、座禅は使徒との戦いの武器とはならないということでしょう。

    石庭には「間」がある。それは日本人の独特の感覚の鋭さを表わしていると自慢したところで、何の意味もありません。座禅と同じように、使徒との戦いには勝てないと自ら宣言するようなものなのです。

    ですから、石庭をもっと違った観点から解釈する必要があるのです。

    四次元能は、既に、光の陰謀を砕く手掛かりを掴みました。その手掛かりとはフラクタルな次元のことであり、光をトラップする罠のことであることを、
    「飛んでスポンジに入る陽の光」http://c-player.com/ad00178/thread/1100103441674
    「情緒のある複素平面」http://c-player.com/ad00178/thread/1100103438240
    で示しました。

    特に、飲み屋横丁、蟻塚、神秘の森などの例からも分かるように、それらに共通しているのは気がみなぎる場所、癒される空間、つまり、パワースポットだということです。霊場、聖地も同様の場所なのです。

    飲み屋横丁と聖地を一緒にしてしまったのでは、スピリット系から苦情が来そうですが、それをフラクタルな次元、光のトラップという観点で見ると、人間を虜にする「罠」があるということで説明が出来るのです。

    光さえ留まりたくなるのですから、「飛んで火に入る夏の虫」を文字って「飛んでスポンジに入る陽の光」だと表現したのです。

    神秘の森や飲み屋横丁や聖地は自然に、或いは偶然に生成されたパワースポットですが、それを数学的に人工的に実現したのがメンジャースポンジなのです。

    そして、石庭は数学的にではなく、禅的に、しかも、人工的に意図的に作られたパワースポットなのです。

    石庭は、数学的ではないにしても、明らかにフラクタルな次元を持っています。フラクタルな次元を持っているということは情緒のある複素空間だということであり、その魅力が人を虜にするのであり、人をトラップのです。

    従って、石庭は人工的パワースポットなのです。

    ですから、間とは「バランス」だと言ったところで、石庭の本質を説明したことにはならないのであり、その庭の造形をいくら3次元的に説明しても、石庭の本質をつくことはできないのです。

    なぜなら、そこは複素空間なのですから、その裏にある精神を理解しなければならないからです。

    もちろん、その精神が「間」であるという言い方もできるでしょうが、それでは、鋭い感性のなせるところといった曖昧な表現で終わってしまうでしょう。

    その精神とはイデアであり、虚性であり、フラクタル次元であるというのが、四次元能の行き着いた「答え」なのです。そうであるなら、当然、次なる探求はフラクタル次元に向かうことになるでしょう。
    続く。

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  • from: 生成門さん

    2011年05月30日 14時17分17秒

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    飛んでスポンジに入る陽の光

    飛んでスポンジに入る陽の光<観念的同時の認識の深化>光の閉じ込めに成功した大阪大学と信州大学の研究チームがやったことはフラクタル次元2.73の立体構造

    飛んでスポンジに入る陽の光
    <観念的同時の認識の深化>

    光の閉じ込めに成功した大阪大学と信州大学の研究チームがやったことはフラクタル次元2.73の立体構造をもつメンジャースポンジに光を当てて、その中に光を閉じこめた(トラップ)ことです。

    メンジャースポンジをトラップ(罠)としたのです。

    メンジャースポンジが情緒のある複素空間だからこそ、光が閉じ込められということになるでしょうが、光の方から言わせると、居心地が良かったからと言うのではないでしょうか。

    「飛んで火に入る夏の虫」ではありませんが、「飛んでスポンジに入る陽の光」ということになるでしょう。

    私達が雰囲気の良い飲みや横丁に惹かれるのと同じだということです。

    しかし、本当に情緒のある複素空間などというのがあるのでしょうか。

    言い方を変えると、何故、少数点のつくフラクタル次元の構造が情緒を生成するのかということです。

    景観という観点で、この問題を考えて見ましょう。

    続く。

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  • from: 生成門さん

    2011年05月30日 11時22分34秒

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    情緒のある複素平面

    情緒のある複素平面<観念的同時の認識の深化>「フォトニックフラクタル」の図はhttp://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshid

    情緒のある複素平面
    <観念的同時の認識の深化>

    「フォトニックフラクタル」の図はhttp://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/qa_a68.htmから引用しました。


    ―――
    上の図がフォトニックフラクタル(光の閉じ込め)という現象を生起させるメンジャースポンジの側面図です。

    このメンジャースポンジのどこにトラップの罠が隠れているのでしょうか。

    それを仕掛けたのが、大阪大学と信州大学の研究チームであり、このチームが仕掛けた罠というのが「異なる方向を持った空間」らしいのです。

    そこで、「フォトニックフラクタルの構造制御と電磁波局在」http://www.t-energy.jp/electron/data/e-2.pdfを尋ねて罠の正体を聞くことにしましょう。

    チームに罠の正体を聞いたら次のような答えが返ってきました。

    私達は普通の生活では、同じような方向に広がりを持った3次元空間に住んでいるということです。

    風呂敷で包んだグニャグニャした入り組んだ空間には住んでいないということです。

    樹海のような場所では生活していないのであり、そこに行くのは死ぬときなのです。

    しかし、それが樹海であれ、どんなな迷路であっても、3次元空間でしかないのです。

    ところが、不思議なことに、その中に入ると意識が変わることを実感できるでしょう。仮想の樹海には行ったことはありますが、現実の樹海には行ったことがないので、どんな気分になるのか分かりませんが、恐怖心が湧いてくるのではないでしょうか。

    卑近な例ですが、お化け屋敷なんかでも、恐怖心が湧いてくるでしょう。

    昔の新宿には飲み屋横丁があって、そこに行くとほっとしたものですが、今の新宿には権威を象徴するような都庁があり、近代的なビルとホテルが並び、情緒というものが感じられません。

    空間を複素平面と考えると虚軸=精神性がないのです。昔の新宿には飲み屋横丁には情緒を醸し出す虚空間があり、現在の新宿には、情緒を醸し出さない虚空間があるということです。

    ですから、どんな3次元空間でも、複素平面(空間)であり、その構造によって、非物質な要素を醸し出す、創発する構造があるということです。

    そういう観点で空間の構造を見ていくと「異なる方向を持った空間」という構造を端的に実現しているのがフラクタルのトラップ(罠)ということになるでしょう。

    フラクタルのトラップの話に行く前に、蟻塚の罠の話をしておきます。

    蟻塚も「異なる方向を持った空間」という罠の典型でしょう。蟻塚は蟻が作るのですから、自分を捕らえるために罠を仕掛けるというのはおかしなことですが、蟻達にとって自分達の命を繋ぐためには女王蟻をトラップしておかなければなりません。そのためには快適な空間である必要があるでしょう。

    蟻塚は女王蟻がそこに居たくなる情緒のある空間(罠)なのではないでしょうか。

    情緒のある空間とは、そこに安らぎとか揺らぎという非物質な精神が生成されるとうことではないでしょうか。

    南方熊楠をトラップした熊野の森は、千古不伐の『神林』にみるような日本人が長く大切にしてきた「異なる方向を持った空間」だったからこそ、そこが神秘の森と感じられたのです。つまり、熊楠にとって神秘の森は複素空間だったのです。

    吉田武氏の著作に「虚数の情緒」という本がありますが、著者は「西洋の一次元的な見方を数直線に譬えれば、東洋のそれは複素平面、大小を超越した虚数の世界がある」と言っています。

    虚数の情緒とは、複素平面が情緒を生むと言っているのでしょう。

    これでトラップ、つまり、罠の正体とは、「異なる方向を持った複素平面」であり、フラクタル空間であり、情緒を創発する空間であると言えることになりました。

    神秘の森に行って神秘性を感じるだけなら多くの人が体験できるでしょう。

    しかし、光が止まることを体験することはそう簡単にできることではありません。

    では、大阪大学と信州大学の研究チームが仕掛けた罠:メンジャースポンジの「異なる方向を持った空間」によって、フォトニックフラクタル(光の閉じ込め)は、何故、どのようにして、現象するのでしょうか。

    続く。

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  • from: 生成門さん

    2011年05月30日 11時09分48秒

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    フォトニックフラクタルというトラップ(罠)

    フォトニックフラクタルというトラップ(罠)<観念的同時の認識の深化>フラクタル空間に閉じ込められたときの光はどうなっているのかという、疑問を出して見た

    フォトニックフラクタルというトラップ(罠)
    <観念的同時の認識の深化>

    フラクタル空間に閉じ込められたときの光はどうなっているのかという、疑問を出して見たものの、まだ、解明できていません。金環日食の話も中断したままです。
     
    やはり、精神と物質の関係を解明するのは手ごわそうです。

    でも諦めるわけにはいきません。

    何とか、フォトニックフラクタルによって電磁波(光)が一時的にトラップすることの意味を考えて見ましょう。

    トラップとは、罠(を仕掛ける)、落とし穴、騙す、陥れる、などの意味を持つようですが、良く目にするのは、サッカーのトラップです。福島原発事故によって作物が放射性物質をトラップする、被覆に用いたべたがけやフィルムも同様に放射性物質をトラップするなどともいえるでしょう。

    ただ、ボールや放射性物質は物質ですが、光は物質ではないので、トラップするものが単なる物質ではトラップはできないでしょう。

    ですから、どのように光をトラップするのかが問われなければならないのですが、当然、3次元的な発想では答えがないと予想できるのです。

    そこで、どのような罠、つまり、落とし穴を仕掛ければよいのでしょうか。

    既に、私達はアリスと同様、兎の穴(フラクタル)に入っているのですから、穴から抜け出すノウハウを持っているのですから、安心して、この罠にも入ってみることにしましょう。

    「フォトニックフラクタル」の図はhttp://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/qa_a68.htmから引用しました。


    ―――
    上の図がフォトニックフラクタル(光の閉じ込め)という現象を生起させるメンジャースポンジの側面図です。

    これがトラップする罠のようですね。

    一般にフラクタルの特徴は少数点の次元をもっているということですが、この少数の次元というが曲者なのです。

    これまで3次元とか、4次元と言ってきた次元とは異なる次元なのです。

    この小数点のつく次元の構造こそが光を閉じ込める罠であり、落とし穴とは、メンジャースポンジの小さな空間のことなのです。

    この穴は、見た目にはただの小さな空間であり、点在しているように見えますが、これがフラクタルな構造=自己相似な空間構造だということころに罠の特長があるようです。

    では、何を持ってフラクタルな構造=自己相似な空間構造=罠の正体なのでしょうか。

    それを解明するために、金環日食の話題を取り上げたのですが、いつの間にかフラクタルの話に逸脱してしまいした。

    このように逸脱するというのも、フラクタルの特徴でもあるでしょう。再入力(同じ話題を取り上げる)を繰り返していると、最初の想いからは予測できない地点に出てしまうことがあるのです。
    続く。

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  • from: 生成門さん

    2011年05月30日 11時06分23秒

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    虚時間は虚に潜る

    虚時間は虚に潜る<観念的同時の認識の深化>結局、研究チームが見たのは、+1⇒+1⇒+1⇒+1と続く過程を、+1?+1と想定して、+1?が消えた瞬間?+

    虚時間は虚に潜る
    <観念的同時の認識の深化>

    結局、研究チームが見たのは、+1⇒+1⇒+1⇒+1と続く過程を、+1?+1と想定して、+1?が消えた瞬間?+1が現れた瞬間として測定して、?を光が消えた時間として間接的に見たと解釈したのではないでしょうか。

    当然、?とは、虚時間、つまり、MP:凸i*凹iですから、文字通り消えた瞬間のではなく、虚に潜ったのです。

    潜って又顔を出したので、潜っている時間を測定したのです。当然、その時間は実時間ですが、1千万分の1秒間というわずかな時間です。

    しかし、それでも刹那という現在ではないのであり、測定された実時間であり、虚時間ではないのです。

    フラクタルな中ではなく、普通の真空の中では光は実時間で、しかも、光速で走っているのですが、光と時間の方程式によると、その間、刹那毎に虚に潜っていることになります。

    では、フラクタル空間に閉じ込められたときの光はどうなっているのでしょうか。

    刹那毎に虚に潜るということなので、これを一々+1⇒+1⇒+1⇒+1と表現するのは大変ですから、実と虚が交互に繰り返す姿として、メビウスの帯∞を想定します。無限大ではありません。

    半分が実で半分が虚を意味しているということです。

    従って、虚を含めた現象の表現は、∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞となります。

    これは、現象が連続する様子を、単位円の連続した表現とする〇〇〇〇〇・・・・〇と同じ意味となります。これを現象面からだけ表現すると、+1+1・・・+1となるわけです。

    さて、光は電磁波であり、横波だから∞が横に倒れているのではありません。

    電磁波は進む方向に対して垂直に力が現れます。逆に言えば、垂直の力から進む方向をもらうと言っても良いでしょう。

    進み方向を実(時間)として、垂直の力を虚(時間)とすると∞を立てて8とした方が、より光のイメージに近いと思います。

    ですので、虚を含めた現象の表現は、88888888……8とした方がよいでしょう。

    上の○が実であり、下の○が虚です。

    実○
    ――=8
    虚○

    では、フラクタル空間に閉じ込められたときの光は88888888……8ではないはずです。8888(?)888……8とならなければなりません。

    (?)とは、虚時間、つまり、虚に潜ったのですから8の下半分だけの状態です。つまり、(凸i*凹i)です。

    8(?)8の前後の8を見て、(?)を見たと言っているのですから、本当の(?)を見たということでないことは明らかです。間接的に見たに過ぎないのです。

    8(?)8とは、

    走っている光・・・(止まっている光)・・・・走っている光
    であり、

    ( )の中は見えないわけですから、走っている光がトンネルに入って、出てきたように見えます。トンネルに入っている間は閉じ込めたことになり、これを「止まっている」と解釈したのではないでしょうか。

    このような手品の現象は既に「トンネル効果は時空を超えているか?」で、http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100101516678で述べたことです。
    以下、引用しました。

    量子力学にはトンネル効果という現象があることが分かっています。半導体もこの現象を利用しているのですから、見えないが、すり抜ける経路があるのです。

    これについては「トンネル効果の本質」http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/tunnel.htmを参照してください。
    以下、引用しました。

    「量子の世界では、電子が壁を通り抜ける」 それは本当だろうか? いや、嘘である。正しくは、次の通りだ。「量子の世界では、電子が壁を通り抜けるように見える」

    これはいわば、手品である。たとえば、左手でピンポン玉が消えて、右手にピンポン玉が現れた。ピンポン玉が空中を通り抜けたように見えた。

    しかし、それは、そう見えただけのことだ。現実には、一つのピンポン玉が移動したのではない。なぜなら、左手で消えたピンポン玉と、右手で現れたピンポン玉とは、同一のピンポン玉ではないからだ。こうやって、手品師は、「ピンポン玉が空中を通り抜けた」と見せかける。
    トンネル効果もまた、同様である。壁の片側で電子が消えて、壁の反対側で電子が現れる。すると人々は、「電子が壁を通り抜けた」と勘違いする。
    ―――
    「光の閉じ込め」でも同様のことが言えるのではないでしょうか。

    存在する光が消滅して、その後に出てきた光が同じだとは言えないからです。粒子というのは、人間のように認識番号をつけて、識別ができないのですから、同じ粒子出るかどうかは保証の限りではないのです。

    仮にそうであっても、遠隔作用(関係するということ)があることは確かなので、これを説明するには、時空を超えるしかないわけですが、そのためには、科学と枠組みを変えるしかないというジレンマがあるというのです。

    四次元能ではPS理論のお陰で、MP領域があるので、現象と現象の間に不連続があっても、現象(MP)現象として、不連続なままその過程を説明できるのです。(MP)の( )がトンネル効果の本質なのです。

    問題は( )の中がどのような構造になっているのかということです。

    鉄道のトンネルならただ空洞になっているだけですが、そのような単純な構造では、時空を超えることなどできないでしょうし、まして、光を閉じ込めることなどはとてもできないでしょう。
    続く。

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    2011年05月30日 10時57分10秒

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    主体には現在しかなく、観察者には現在はない

    主体には現在しかなく、観察者には現在はない<観念的同時の認識の深化>自分を観察するときは、自分が外部の観察者の立場になって、自分の+1(現象したもの)

    主体には現在しかなく、観察者には現在はない
    <観念的同時の認識の深化>

    自分を観察するときは、自分が外部の観察者の立場になって、自分の+1(現象したもの)を事後的に見るということになります。

    いずれにしても、単位円の内部は主体の認識の領域なので、感じることはできても、観察から見えない領域なので、主体自身も見えないので厄介なのです。見るということは事後的にならざるを得ないのです。

    事後的とは過去ですから現在進行形の出来事は観察の対象にならないので、観察者にとっては現在という時間なく、時間が発生したことを抽象した時間(過去)しかないということになるわけです。
    未来は過去を反転させて、更に抽象したにすぎないのです。

    PS理論における「現在」
    http://threepeaches.jugem.jp/?eid=519050を参照してください。
    以下、引用しました。

    ◆◆PS理論に於いては、現在は「メディア・ポイント」である。メディア・ポイントとは、鈴木大拙氏の提唱する

    自由・空・只今
    このままということ


    の状況であり、「即非」( itself and non-itself at the same time )の状況である。

    例えば、虚数平面での実軸と虚軸の交差点(ゼロ)について、実数でも虚数でもない場所、実数であり虚数でもある場所、と定義する。
    ―――

    ということで、主体にとっては現在しかなく、観察者にとっては、現在はなく、抽象された(現象した)時間があるということになります。

    フラクタルな空間で、光が止まるというのは、MPが作動していない、つまり、光の方程式が作動していないということです。

    従って、時間の方程式も作動していないので、実時間も発生していないということです。

    逆に言えば、MPには虚時間が流れているということです。流れているというのは、正しくないかもしれません。流れと言うのは方向を指し示しているからです。虚時間があるということにします。

    実時間が発生していないのですから、観察者から見ると、それは内部の出来事は見えないので、「光が止まっている」と解釈するわけです。

    このように内部の出来事とそれを外部から観察するとの違いを表現するためには、実時間と虚時間を区別しておかなければならないということです。

    観察者が朝顔の蔓を観察するときに、何も動きが見えないので、ただ、実時間が過ぎていくだけです。だから、内部は止まっているように見えます。しかし、虚の時間はあるので、虚の世界としての何らかの動きはあるのです。

    ですから、何も変化していないように見えても、内部では虚の動きはあるのです。ですから、突然、現象として飛び出してきたとしても、何もないところから出てきたのではなく、それなりのプロセスがあるわけですが、外部は3次元の世界ですから、因果が成り立たないので困ってしまうのです。

    ただし、高速度カメラを回すと朝顔の蔓が回転する様子が見えてきますから、動いているが分かります。

    これをもって、虚時間を見たと解釈するのは間違いです。

    これで内部が見えたとするのは間違いだからです。

    真正の内部は隠れているのであり、高速度カメラは観察者の一部ですから、それが見たものは+1の現象なのです。時間の実時間です。

    ですから、刹那の現在(虚時間)はどんなに精度を上げても見えないのであり、観察者にとっては刹那の現在は止まって見えるのです。

    この様子を人間に当てはめてみましょう。

    主体をA,観察者をBとします。BがAを見ています。Aは長い間、沈思黙考しています。Aには実時間が流れていません。Bには沈黙の実時間が流れています。

    Bから見てAの内部(心)は見えませんから、何を考えているのかは分かりません。

    Aがようやく目を開いて、何かを話した特にはじめて、BはAが何を考えていたのかを知る事になります。

    しかし、Bが、Aが何を考えていたのかを知ったまさにその刹那の時には、Aが何を考えているのかを知ることはできません。

    Aが沈思黙考している長い時間のBには沈黙の実時間しか流れていないのかといいますとそうではありません。

    この間でも、刹那と刹那の虚時間と実時間の連鎖があるのであり、+1⇒+1⇒+1⇒+1と続く過程があるのです。

    ただ、Bはそれを表面的に見て、+1+1+1+1と続く3次元の現象の連続過程として捉えているのです。
    続く。

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  • from: 生成門さん

    2011年05月30日 10時51分38秒

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    外的時間(実時間)と内的時間(虚時間)

    外的時間(実時間)と内的時間(虚時間)<観念的同時の認識の深化>「光の閉じ込め」という実験に成功したのですが、それは内部の小さな空間に入った光が定常波

    外的時間(実時間)と内的時間(虚時間)
    <観念的同時の認識の深化>

    「光の閉じ込め」という実験に成功したのですが、それは内部の小さな空間に入った光が定常波となって、進む波が反射して逆に進む波となって互いに共振するので、小さな空間では止まっているように見えるだけなのでしょうか。

    「行って来い」ですね。

    それとも、存在していた光が実際に消滅して、それが再生成するまでの時間を測定して、それを閉じ込めたと言っているのでしょうか。

    定常波より小さな空間なら共振は起きないでしょうから、やはり消滅すると考えましょう。

    何故、小さなフラクタル空間に入ると消滅するのでしょうか。

    生成消滅するということで光の方程式で表現してみましょう。

    生成→消滅→生成ですから、凸i*凹i⇒+1(存在する光)⇒(消滅)凸i*凹i⇒+1(現象した光)であり、消滅している時間が停止している時間です。

    消滅しているMP状態(凸i*凹i)は見えない、時間のない異次元領域ですから、停止したという表現はあくまでも、+1(存在する光)と+1(現象した光)の時間を三次元サイドで観測して言っているのであって、消滅している時間というのではないのです。

    ⇒?⇒?⇒?⇒の?は見えない点(MP)であり、⇒の先端と⇒の根元を測定して、⇒t⇒と看做しているのでしょうか。

    ⇒が発生するということは、時間が発生することであり、時間が発生するということは「光が走る」ということですから、⇒+1をもって、陽光の痕跡を見たということになるのです。

    海舌氏がPS理論流「時間」についてユニークな考察しています。「時間のMP的理解」をhttp://blog.kaisetsu.org/?eid=810786
    参照してください。

    以下、引用しました。

    時間の本質は、一方通行性である。
    つまり、「⇒」である。矢印は、必ず、矢印の発端と矢印の先端を必要とする。
    同時に、矢印の発端と矢印の先端は、絶対的に異なる必要がある。

    もし、矢印の発端と先端が同一であれば、矢印は存在せず、無意味となる。

    また、同時に、矢印の発端と先端は、関連性を持つ必要がある。つまり、矢印の胴体部分は、media point( media point line)を形成している。

    もう少し、詳細に、分析してみよう。
    矢印の発端を時刻Aとする。
    矢印の先端を時刻Bとする。
    時刻Aと時刻Bは絶対的差異である。

    もし、時刻Aと時刻Bが同一時刻であれば、AとBの間に「時間」は存在しない。よって、時刻Aと時刻Bは絶対的差異である。

    時刻Aと時刻Bの間を「時間」と言うので、時間は、「media point」である。

    同時に、時間の一方通行性によって、時刻Aと時刻Bは、矢印の発端を時刻A、矢印の先端を時刻B、とする一方通行性という関連性、意義性を有しているのである。この一方通行性を、前後性、優越性、序列性と言い換えても良い。

    但し、時間自体は、パイプであり、時間自体に一方通行性があるとは言い難い。

    単なる、媒体である。

    結論として、時間は純粋に方向性を示すための媒体であり、方向性を持つ media pointである。

    時間は、方向性を持つmedia pointであるために、lineとしての認識を兼ねる。
    ―――
    この定義に従うと⇒が時間ですから+1に光が発生しないときでも、時間が発生することになり、具合が悪いので、暫定的ですが、私なりの解釈をしておきたいと思います。

    時間も現象であると考えてみます。

    つまり、時間は何かの現象が発生すると同時に必ず発生すると考えるのです。例えば、光が発生すると時間も発生するということです。

    それを⇒+1⇒+1⇒+1⇒+1と表現します。時間の元はMPにありますが、
    ⇒は時間と考えずに、時間を発生させるMP作用(ベクトルモード)と考えます。これは他の現象の場合と同じです。

    時間は現れますから測定ができます。

    その測定は外部の観測者という他者がいて、観測するのですが、それを、⇒+1⇒+1⇒+1⇒+1と続く過程を外部に観測者がいて、それを+1+1+1+1として見ています。

    この連続が実時間ということになり、観測者は、t1,t2,t3,….tnと表現することになります。

    見ている時間の方向も一方のみですから、私達の時計の示す実時間と一致します。

    もちろん、光には闇があるように時間にも闇があるでしょう。つまり、光の生成方程式:凸i*凹i⇒+1と同じように、陽の時間(凸i)と陰の時間の(凹i)があり、時間の生成方程式:凸i*凹i⇒+1によって実時間が生成されるでしょう。

    敢えて言うなら、⇒は外的時間(実時間)ではなく、内的時間(虚時間)という方が私の理解としては都合が良いのですが、このような解釈は許されるでしょうか。

    言い換えると、外部には実時間が流れ、内部では虚時間が流れているのですが、⇒で示すように、虚時間から実時間になるためには、MPが作用(作動)しなければならないのです。

    MPが作用(作動)しなければ、外部では、内部は静止していると見えるのです。
    しかし、大概の現象は連続して見えるのですが、それは+1⇒+1⇒+1⇒+1と続く過程の⇒が虚時間であることにその理由があります。

    現象は確かに連続しているのですが、その裏では、虚と実とが交互の入れ替わっているのです。ただ、虚は見ることができないので、+1+1+1+1として見えてしまうために、現象が連続して見えるのです。

    実際は、虚に潜って実に出てくるのです。

    こうした、虚に潜るという仕組みは、複素平面の特徴なのですが、それは認識の主体が観察者として登場したりするので、その区別を間違えてしまい、虚に潜るという仕組みを分かり難くしているのです。

    この後で、認識の主体は複素平面のどこにいるのかという問題を上げていきます。いつも困っているのですが、外部の他者と内部の他者の区別です。

    これを混同してしまって、認識の解釈も混同してしまうのです。一応、四次元能としては、認識の主体はMP、単位円の内部は見えない認識の過程として、+1だけが外部の他者から見えるとしていきます。

    もちろん、単位円の内部の過程を認識の主体は感じることはできるのですが、見ることはできません。

    自分を観察するときは、自分が外部の観察者の立場になって、自分の+1(現象したもの)を事後的に見るということになります。

    つまり、当為者(主体)と観察者は異なるということです。このあたりの考察は、もう少し、詳しくやりたいと思います。
    続く。

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  • from: 生成門さん

    2011年05月29日 21時22分35秒

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    化石はイデアの痕跡

    化石はイデアの痕跡<観念的同時の認識の深化>複素平面上の単位円は私の内部であるのですが、内部ですから精神と身体の様々な形として現れます。心で思ったこと

    化石はイデアの痕跡
    <観念的同時の認識の深化>

    複素平面上の単位円は私の内部であるのですが、内部ですから精神と身体の様々な形として現れます。

    心で思ったこと(-1)が態度(+1)に現れますが、それが現れるまでには、内部では力と力の鬩ぎあいがあり、それがMPという精神的フィルターを通して現れるのです。

    精神的フィルターについてはこちらを参照してください。
    「光の超越性」と「精神的フィルター(semantic filter )」
    http://blog.kaisetsu.org/?eid=810357
    「光の超越性」と「精神的フィルター(semantic filter )」
    http://philosophy.blogmura.com/tb_entry100416.html

    その鬩ぎ合いは精神と身体の複素平面的力学、つまり、凸i精神と凹i精神の関係、+1身体と-1身体の関係で決まるのです。

    四つの象限の活動を解明することが人間の内部の探検と言いましたが、言い換えると、精神と身体の関係を明確にすることが、これからの探求の核心となるのです。

    複素平面は文字通り平面ですが、これはあくまで心身の断面であり、自分の行動を観察して、それを認識して、次の行動に活かす、つまり、学習しているのが人間ですから、これを複素平面で言えば、多重化すること、回転していること循環しているということになります。

    複素平面は循環するということになりましたのが、ここでは最初の切っ掛けは何かということが気になるでしょう。

    腹が空いたから食べるのか、物があるから食べたくなるのか、どっちが先かということです。

    PS理論は「イデアと物質について」http://d.hatena.ne.jp/sophiologist/20060707で表明されているように、精神と身体の二元論ではなく、イデア一元論なので、精神優位として精神⇒身体(⇒精神⇒身体⇒)としておきます。

    精神⇒身体ということは、身体現象がイデアの痕跡であることになるのですが、それをどのようにして確かめたらよいのでしょうか。

    簡単な現象から確認して見ましょう。

    古文書に示された史実には、イデアの痕跡が見えないでしょうか。

    古文書とは当事の政治的な背景が合って、その権力と権力の鬩ぎ合いの結果が史実として記述されたものです。

    従って、古文書は物質(国家という形や事件)が形成された証拠であり、研究家にとっては、その背景にどのような政治的権力、つまり、意識、意図(精神的要素)があったのかを逆探知する上で貴重な資料です。

    意識や意図がイデアそのものではないとしても、物質ではないのですからイデアの親戚であることは間違いないでしょう。

    イデアと言えば、牛のイデアとか鶏のイデアと言いますが、国家のイデアというのは、少し感じがつかめません。

    イデアを、形を生み出すものとすると、基本的なイデアがあって、それが実際の現象や心象において、多様化するとしたほうが受け入れやすいでしょう。

    四次元能では、正四面体を全ての物質を生み出すイデアとしましたが、複雑系でも混沌から秩序が生まれるとしており、量子力学でも場の中から粒子を取り出すことができる生成演算子があります。

    混沌や生成演算子がイデアであると言うわけではありませんが、いずれにしても、広大なイデアの海から形(現象・心象)を形成すると考えることは共通しているのです。

    イデアが何であるかの話は後に回して、現象がイデアの痕跡であるということは受け入れて頂けたでしょうか。

    心象と現象は同時に生起すると言いましたので、この段階では、心象もイデアの痕跡であり、現象と心象は鏡の関係あると理解しておきます。

    これを受け入れて頂けたとして、次に進みましょう。

    「現象・心象はイデアの痕跡である」ということの例を挙げて、それが「精神⇒物質」という式で簡便に表現できるとしたのですが、急がば廻れ、腹時計、古文書の例を、精神⇒物質の式で表現してみましょう。

    これは簡単で、急ぐ⇒廻る、腹時計(腹がすいたという認識)⇒食事、権力(力への意思)⇒国家となるでしょう。

    これは-1の心象と+1の現象は鏡の関係にあるとしたのですが、それは¬=ではなく⇒で結ばれているということが重要な点です。

    つまり、精神から-1の心象と+1の現象とに分岐して、しかも、同時生起するということは、精神と身体の関係を明確に表現しているということです。

    これらの式の「急ぐ⇒廻る」では「急ぐ」は心の様態であり、権力(力への意思)⇒国家の権力も物質ではなく意思であり、精神的な力ですから、間違いなく⇒の右辺と左辺は=では、単純には結びつけられないことを示していることを理解しておきましょう。

    このような⇒の認識の仕方を考古学が対象とする化石に適用したらどうなるでしょうか。化石もイデアの痕跡かどうかは別としても痕跡には違いありません。でも、イデアの痕跡だと言いたいのですが、どうでしょう。化石を+1の現象とすると、-1の心象には何がくるのでしょうか。

    当然ですが、化石の心象ということです。
    化石を見る主体は考古学者ですが、その彼が化石を見たときに、これは何億年前の恐竜の化石だと認識したとしましょう。

    そのとき彼の心には化石のイメージが浮かんでいることでしょう。

    ですから、心象と現象は鏡の関係なのです。

    化石を発見と考古学者の認識の過程
    心象・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・現象
    化石の淡い期待(イメージ)       同時生成   発見された化石
    化石かもしれないという仮説(イメージ) 同時生成   期待される化石
    化石という確信(イメージ)       同時生成   確信としての化石

    これは化石が考古学者の心にどのように現れるのかという考古学者の心理を表現したのであり、化石自体がどのように現れるのかということを示しているわけではありません。

    化石自身の現象ですから-1を心象、+1を身体とするのには違和感があるでしょう。そこで、-1を非物質、+1を物質とします。実軸(-1・+1)をその主体が何であるかによって、心象、+1を身体非物質、+1を物質としているだけであって、本質的に変わっているのでないことに留意してください。

    この場合は、物理現象として見る科学的態度なら、単に死体が化石となる風化の過程と見ることができるでしょう。

    PS理論では、これを風化の過程と見ないのであり、化石を現象させるイデアの過程と見るところが科学と異なるところなのです。

    化石を現象させるイデア過程
    -1非物質・・・・・・・・・MP・・・・・・・・・・・+1物質(現象)
    非物質的存在       同時生成           屍骸
    非物質的存在       同時生成         環境に包まれる屍骸
    非物質的存在       同時生成         環境に包まれた屍骸
    ・・・・・・
    非物質的存在       同時生成           化石

    非物質的存在が何であるかを、敢えて言うなら、魂とか霊魂ということになるでしょう。これを信じればアニミズムということになるでしょう。ミイラも同様に位置づけできるでしょう。

    ミイラを現象させるイデア過程
    -1非物質・・・・・・・・・MP・・・・・・・・・・・+1物質(現象)
    非物質的存在(魂)    同時生成           死体
    非物質的存在       同時生成         環境に包まれた死体
    非物質的存在       同時生成         環境に包まれた死体
    ・・・・・・
    非物質的存在(魂)    同時生成           骸骨

    化石という痕跡の背景には当事の生態系という力関係があって、その力と力の鬩ぎ合いの結果であるとうところまではよいでしょうか。

    では、化石のどこに精神⇒物質となるメカニズム(⇒)があるでしょうか。

    恐竜が生きていた時代を想像して見ましょう。弱肉強食の時代ですから、食うか食われるかのサバイバルゲームをしていたことは間違いありません。

    つまり、力と力の鬩ぎ合いをしていたということです。この鬩ぎ合いを生きるための戦いと理解すれば、生物の戦いの意識⇒物質(化石)となるでしょう。従って、精神⇒物質としても良いでしょう。

    さて、ここまでは難なくクリアしましたが、地震や隕石落下に適用しようとするとどうなるでしょうか。

    地震によってできた断層、隕石落下によってできたサークルも痕跡には違い有りません。更には、超新星の爆発や路傍の石、台風や雨などあらゆる森羅万象について適用しようとするとどうなるでしょうか。

    これが問題です。

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  • from: 生成門さん

    2011年05月28日 20時40分45秒

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    無機物にも精神がある

    無機物にも精神がある<観念的同時の認識の深化>動物や人間の場合は、精神性を持っているので、比較的理解しやすいのですが、無機物を精神⇒物質とするのは、ど

    無機物にも精神がある
    <観念的同時の認識の深化>

    動物や人間の場合は、精神性を持っているので、比較的理解しやすいのですが、無機物を精神⇒物質とするのは、どうしても抵抗があるのではないでしょうか。

    自我⇒温暖化というのは言えるでしょう。車への欲望⇒排気ガス(CO2)も良いでしょう。しかし、光合成に於ける精神⇒酸素では、一体、何が精神的なのでしょうか。

    四次元能は全ての根源にイデアであると考えているのですから、無機物の痕跡、も「現象はイデアの痕跡である」から精神⇒物質であると言えなければなりません。

    これに答えるためには、PS理論を正しく理解しなければならないのですが、結論的に言うなら、renshi氏の「原子方程式」http://d.hatena.ne.jp/antares/20110419を参照してくださいということです。

    これによると、陽子(凸i)*電子(凹i)⇒水素(凸:+1)と表現していることからも分かる様に自己認識方程式凸i*凹i⇒凸(+1)を原子方程式と看做しているのです。

    何故、人間と原子が同じ式で表現できるのでしょうか。これが、PS理論が森羅万象に適用できるということの例(モデル)なのですから、しっかりと理解しておきましょう。

    この式を簡単にしてしまうと{陽子・電子}⇒水素となります。

    これが何を意味しているのかです。

    簡単に表現したからと言って簡単に見過ごさないでください。極めて重要なことが隠されているのです。

    それは陽子と電子は物質ではなくイデアであると言っているのです。水素が物質であるのは当然ですが、その水素が他の物質からできたのではなく、何らかの力学があるとしても、イデア由来であり、イデアの痕跡であるということを言明しているのです。

    これに驚かなければシムハンターの皆さんは、全くの初心者か、もうかなり探求が進んでシムピープルに近いところころまで来た人だということです。

    もちろん、これに反論する人も多いでしょう。

    それは理解できます。

    つまり、量子力学では陽子も電子も物質と看做しており、実際に、陽子も電子にも質量があるので、物質としての条件は持っているのですから反論して当然でしょう。

    しかし、粒子は波であり、観測した瞬簡に粒子となるという量子力学の見解では、何故そうなるのかについては答えがないことをどうするのでしょう。

    それでは、その先に進みようがないではありませんか。

    PS理論はそこから先に進めるのであり、四次元能としても量子力学が心の領域を半分取り込みながら尻込みして、真実を取り逃がしているのです。

    ですから、PS理論に共感して、その応用を臨床しているのですが、それを「もどき」にしないためには、どうしても理解しておかなければならないことがあるのです。

    それは、何故、陽子・電子が物質ではなくイデアと言えるのかということです。

    これは分かれば、四次元能の無機物の痕跡にも精神があることを、胸を張って言えるでしょう。
    続く。

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    from: 生成門さん

    2011年05月29日 18時16分09秒

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    「Re:Re:Re:Re:無機物にも精神がある」リーニャさんすごいレスポンスですね。相対性からヘーゲルですか。リーニャさんの成功を客観化してプログラム

    from: 生成門さん

    2011年05月29日 17時59分03秒

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    「Re:Re:Re:Re:無機物にも精神がある」リーニャさん>なるほど良く分かりました。>①自分と徹底的に向き合います(人間は記憶とトラウマで出来てい

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    2011年05月29日 16時51分05秒

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    金環日食とアセンション

    金環日食とアセンション<観念的同時の認識の深化>それでは、そろそろ内部に潜り込んでいきます。先ずは、海舌氏の「人間の認識図に関するメモ」http://

    金環日食とアセンション
    <観念的同時の認識の深化>

    それでは、そろそろ内部に潜り込んでいきます。

    先ずは、海舌氏の「人間の認識図に関するメモ」http://www.edita.jp/platonicsynergy/one/platonicsynergy856.html
    を参照してください。

    下の図は海舌氏の手書きのメモを参考して、私なりに編集して作成したものです。



    これから、いろいろと心の内部を探求していくのですが、世の中では「金環日食」が話題となっていますので、これを取り上げて、観念的同時の認識を深化させてみましょう。

    観念的同時の認識が、自我に汚染された現代の私達にとって、それを解体するために、如何に重要な観念であるかを伝えたいと思って、金環日食という現象から本質を探るために懊悩呻吟してみました。

    下の金環日食の映像は
    http://www.nayoro-star.jp/photo/occultation/sun/sun-top.html
    から引用しました。



    金環日食は2012年5月21日に間違いなくやってくるのですが、同じ2012年(前後)にやってくるとされるアセンション(次元上昇)は来るのでしょうか。

    四次元能は、ある意味で人間を現在の三次元からより高次元の存在へ進化させることを目指しているので、アセンション「次元上昇」と同じことを言っています。

    アセンションを信じている人達は、アセンションは2012年前後に起こるのではないかと推測しているのですが、その根拠はフォトンベルト(光の帯)へ突入するからとしています。

    フォトンベルト(光の帯)へ突入を次元上昇する前触れであると見なしているのです。

    「アセンション」については
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3を参照してください。

    四次元能は、アセンションのような次元上昇が勝手にやってくるものと考えるのではなく、自らの意識の変容を起こすことで、自他の共振、つまり、イデア共振をさせることで誘引すると考えています。

    ですから、フォトンベルト突入が現在の地球の環境問題や混沌とした社会現象、人間の善悪に対する意識レベルの低下した現状から脱出する前兆だとは考えてはいません。

    フォトンベルトがあるかないかは別として、アセンションを肯定する人達は、「光は停止する」との主張しているのですが、これは科学的には信じられないことなのですが、そうでもないことを擁護しておきましょう。

    フォトンベルトを否定する人達は「フォトンは光子であり、光は停止することができない」ことをよりどころにして、「フォトンの帯が形成されることはない」としているのです。

    しかし、最近、フラクタルな構造体の中に、光を閉じ込める実験が成功したという事実があります。「フラクタルな構造を持った立方体の中に光を閉じ込める」
    http://slashdot.jp/science/article.pl?sid=04/01/07/2010241を参照してください。

    このことからフォトンベルトを単純には否定できないのです。もしかしたら、宇宙はフラクタルな構造かもしれないのです。

    ただ、実験に成功したと言っても「光の閉じ込め」について、何故そうなるのを物理学では説明が出来ないようですので、フォトンベルトの実在を証明するのは難しいでしょう。

    「光を閉じ込める」ことは「光が停止する」ことと同じ意味ですから、光を決して止まらないものとしてしか捉えていない科学は、光の本質を捉えていないとことであり、「光が停止する」という現象をつきつけられても、どうにも始末に終えないでしょう。

    確かに、ブラックホールの中では光は止まるようですが、ブラックホールを仮に人工的に作っても、その中は覗けないのですから、証明できないというジレンマに陥ってしまうでしょう。

    ということで、光が何であるかを知っていない科学では、「光の閉じ込め」を合理的に説明できないのですが、では、PS理論ではどうでしょうか。

    PS理論では、光はイデアであり、イデアはベクトルであり、ベクトルは方向であり、全ての現象はイデア由来であり、現象はイデアの痕跡だと考えており、更にイデアには陰陽(凸i凹i)があり、MPを媒介して、つまり、メデア共振・共立によって現象が同時生起すると考える理論ですので、光にも陰陽の光があって、それが同時生起して現象を作り出していると考えていますから、「光を閉じ込め」という不思議な現象についても、難なく説明が出来てしまうのです。

    今は「光を閉じ込め」の探求の時ではありませんので、これ以上は深入りしませんが、簡単に言うなら、同時生起があるということは、同時消滅があるでしょう。

    森羅万象は生成消滅するのですが、それを担っているのが、MP(メデア・ポイント)であり、空(混沌)の場所なのです。

    場所といっても、三次元で示されるどこかの場所ではありません。遍在し偏在する場所であり、虚次元(イデア)と不連続的に繋がっている場所でもあるのです。

    所謂、特異点という意味で得意な場所なのです。それがMPであり、あらゆる現象の基点・原点であり、エネルギーの湧出するゼロポイント・フィールドなのです。

    同時消滅といっても、何もないという意味ではありません。真空では、電子と陽電子が対の中和状態で同時に存在していると言いますが、それが同時消滅の意味であり、言って見れば、次の生成の待機状態であり、生成卵(孵化を待っている状態)です。

    同時消滅とは即非同時、つまり、有り無しの同時存在と言う状態だということを理解しておきましょう。

    PS理論は、MPの即非の理論といっても過言ではないでしょう。

    従って、光の本質は即非の光であり、光の現象とは、光の方程式、凸i*凹i⇒+1(陽光の痕跡)と凸i#凹i⇒-1(陰光の痕跡)で示すことができるでしょう。ここで、凸iは陽光イデアであり、凹iが陰光(闇)イデアです。

    私達が見ている光というのは陽光の痕跡なのです。

    凸i*凹iはMPの陰陽の光がまだ現象していない共振状態を示しているのであり、ここでは、当然、時間も空間もないのですから、「光が閉じ込められた状態」となっているのです。

    続く。

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