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シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

公開 メンバー数:58人

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2015年12月27日 22時18分00秒

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    カオスフラクタルは運命論だ。思い立ったら吉日。善は急げ。一期一会

    思い立ったら吉日。善は急げ。一期一会。しかし、一寸先は闇。結果はわからない。偶然の出会いや思い立つ(初期状態)ことがその後の全ての人生を決定する。この

    思い立ったら吉日。善は急げ。一期一会。しかし、一寸先は闇。結果はわからない。

    偶然の出会いや思い立つ(初期状態)ことがその後の全ての人生を決定する。このような運命に従う人生を強調して運命論的人生と呼ぼう。

    そしてこの運命論を支えるのが先端科学のカオス・フラクタル理論である。カオスフラクタルは複雑で確率的でランダムに見えるが、決してそうではない。すべての人の人生は運命論に従って生み出されるのである。この点を強調するためカオスフラクタが取り扱う現象を運命論的カオス・フラクタルと呼ぶことにしよう。

    複雑で高次元の霊の世界でなくとも、低次元の物質世界でも確率的なランダムに見えるのが運命論的カオスフラクタルの特徴である。では私の人生は生まれた瞬間に決まり先が見えてしまうのだろうか。そうではない。カオスフラクタルは運命論的だが、非線形(予測できない)なのだ。非線形とはまっすぐな人生ではなく、一期一会の出会いのちょっとした差異によってまるで異なる結果をもたらすのである。毎日パソコンを立ち上げる。そのように運命はスタートするのだ。生まれたときからすべてが決まっているのではない。OSは決っているが。OS+アプリが人生だ。その点プラナリアはOSしかないようだ。

    切っても切っても再生するプラナリアはまさに運命転換プログラムを持っている。http://symdance.blog.fc2.com/blog-entry-275.html

    カオスフラクタルは確率的な乱雑さではない。そう見えるだけだ。その本質はカオスフラクタルな運命論はイデア由来なのである。

    ハイゼンベルグ不確定性原理批判の名大小澤教授は勘違い。

    http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11138037459.html

    ハイゼンベルグ不確定性原理批判の名大小澤教授は勘違い。
    http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11506419200.html

    アインシュタイン・ボーア「不確定性原理」論争の「ボーア勝利」の大嘘!
    http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11515290280.html


    2015年12月26日(土)36 tweetssource

    23時間前

    森のように深い@fractaleman68
    確率論は最悪である。認識できないことの宣言だ。戦争で相手を知ることは優先だ。それが確率なら誰も戦争などしない。
    posted at 23:02:12

    23時間前

    森のように深い@fractaleman68
    何故不確定性原理ΔEΔt=ΔpΔx=h/4πが確定性原理となるのか。それはこの宇宙が離散値の世界だからである。このことを指摘した人はいない。宗教家でも哲学者でさえいない。ただ、陰陽論=易経だけが簡易(差分)として示した。しかし、易は占い(確率)にはまった。
    posted at 22:34:52

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    不確定性原理はΔEΔt=ΔpΔx=h/4πのセットである。
    posted at 18:30:13

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    光を電子に当てると電子がどこかに行ってしまう。これでは位置を知ることができない。光はエネルギーだから振動数を持っている。だから小さいエネルギーの光をあてる。すると今度は波長が大きくなって電子を乗り越えてしまう。これもまた位置が確定できない。
    posted at 18:17:21

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    ΔEΔt=h/4πが不確定となってしまった原因がもうひとつある。それは現実からの要請である。知るためには測定しなければならない。知るということは光を電子に当てることである。マクロの世界でも光が反射して知ることができる。ところが電子に光を当てると電子がどこかに行ってしまう。
    posted at 18:13:40

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    ΔEΔt=h/4πではΔEtとΔtはとびとび=離散値であり、実数ではないということである。このことは何を意味するのか。物理と数学は地下でつながっている。だから離散値の世界に連続実数を持ち込んではならないのである。それを連続値を持ち込んだために不確定となってしまったのである。
    posted at 18:08:18

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    微分lim(2xΔx+Δx^2)/Δx=(2xΔx)/Δx=2xはなんとΔx≒0で割ることができた。ΔEΔt=h/4πでは0で割ることはできないから不定となった。この違いが大きい。limΔx→0という操作が大きい。微分可能はxが実数だということである。とびとびではできない。
    posted at 18:03:18

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    y=x^2を微分する。limを省略。y'={(x+Δx)-x^2)}/Δx={(x^2+2xΔx+Δx^2)-x^2}/Δx=(2xΔx+Δx^2)/Δx=(2xΔx+Δx^2)/Δx=(2xΔx)/Δx=2xとなる。Δx⋙Δx^2だからΔx^2は消去する。ここがトリックである。
    posted at 17:55:22

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    微分とはΔxなりΔtなどの変数を実数としていくらでも0に近づけると考える思考である。いくらでも0で割れるとするトリックである。
    posted at 17:49:20

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    竹を○とすると○○○だから、仮に隙間がないとしてもその中心で見ると・・・となり隙間がある。しかしこれを数学でやるとどうなるか。点を実数とする。0,0.1,0.2,,とする。0と0.1の間は0.01とすることがができる。小数点を増やせばいくらでも可能だ。つまりいくらでも隙間がある。
    posted at 17:37:47

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    0で割ることはできないのに限りなく0にするというlimΔt→0操作を頭の中でする。これが微分のすごいところだ。しかしこれは美人局である。限りなく0にするというのは現実に不可能なのだ。竹林を見よ。簡易である。仮に隙間がないほど隣に出てきたとしてもまだ隙間がある。
    posted at 17:32:02

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    なぜΔEΔt=h/4πを不確定としたのだろうか。それは微分の思考にある。微分とはdf(x)/dt=limΔt→0:Δf(x)/Δtと定義される。差分の割り算である。限りなく0にすると値が求まる。0で割ることはできないから限りなく0にするというlimΔt→0操作を頭の中でする。
    posted at 17:27:46

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    エネルギーΔE=hνは(振動数)はX線で10^-17≠0となる。確かに値は小さいが0ではない。エネルギーΔE=hνは(振動数)で決まり、不確定原理(ΔEΔt=h/4π)のΔEが0でないのだからΔtも0ではない。
    posted at 17:18:15

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    エネルギーΔE=hνは(振動数)で決まるというのは画期的な発見である。これによって量子論が始まったといってもよい。hはプランクの定数(6×10^-34)という定数である。例えばレントゲンを撮るときのX 線の振動数は10^17程度のオーダーである。ΔEは10^-17≠0となる。
    posted at 17:15:33

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    不確定原理(ΔEΔt=h/4π)のΔを0にできるなら確定できない。しかしエネルギーはとびとびだから決して0にはならない。ΔE=hνという式がある。これはエネルギーの最小値である。それがν(振動数)で決まると意味である。hはプランクの定数(6×10^-34)という定数である。
    posted at 17:14:34

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    エネルギーがとびとびなら不確定原理(ΔEΔt=h/4π)どうなるのだろうか。Δは差分(差をとる)である。簡易=竹林=差異化である。Δはどこまで小さくできるのだろうか。もし0にできるならΔt=(h/4π)/0となって不定となる。確定できない。不確定性の原理はここからきている。
    posted at 16:49:54

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    簡易はとびとびに変化するというといったが、これは独自の解釈である。
    posted at 16:47:27

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    エネルギーは竹林である。竹の林のように間がある。・・・・である。これを簡易という。簡は竹の間である。簡易とは易経の三つの原理(不易・変易・簡易)の一つである。易とは変化するということである。その三様が、易の原理は変化しない、すべては変化する、とびとびに変化するということである。
    posted at 16:37:12

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    不確定が確定性の原理となるなら量子論は土台から崩壊する。紫外線を浴びると肌が焼ける。それはエネルギーが高いからで肌の電子を弾き飛ばしてしまうのだ。それで細胞が破壊される。エネルギーは連続のように感覚する。しかしエネルギーは連続ではない。とびとびの値しか持てない。まるで竹林である。
    posted at 16:32:10

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    確かにミクロの粒子は追跡することはできない。物ならバーコードを張れば追跡できる。単品管理である。やはりマクロとミクロでは原理が異なるのだろうか。ここことについて断を下したのが佐野氏である。http://ameblo.jp/allahakbar231/ntry-11515290280.html...
    これによって不確定が確定性の原理となった。
    posted at 16:24:03

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    確率に身をゆだねることは馬券を買うようなものである。競馬は未来が確定・決定していない。だから予想(解釈)する。ということは解釈学であって科学ではない。解釈学的科学(占い)である。確定できない状態にあるということは不可知である。ギブアップ宣言である。科学が解釈学で良いのだろうか。
    posted at 16:15:05

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    神はサイコロを振らない。これを証明したのは佐野博士である。
    http://ameblo.jp/allahakbar231/ntry-11515290280.html...
    これが証明されると量子論は崩壊する。この証明に数学が生きてくる。
    posted at 14:32:55

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    量子論のベースにあるのは確率である。しかし、この宇宙は確率によって生成されたのだろうか。アインシュタインは神はサイコロを振らないといって量子論を否定したがボーアとの論争に負けてしぶしぶ量子論を認めてしまった。しかしこれを再び覆す。http://ameblo.jp/allahakbar231/ntry-11515290280.html...
    posted at 14:30:53

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    パラドックス(矛盾)は常識では許されない。私はアメリカ人であり日本人であるというのは二重国籍であり、許されない。しかし,私は混血であるというのは許される。混血はパラドックスではない。電子は波であり粒子であるというのは混血ではない。波の時は波、粒子の時は粒子であり、同時ではない。
    posted at 14:20:17

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    量子論は確率論だということ。これが大きな間違いだ。易占いはサイコロを振って卦を作りそれで解釈する。だから当たるも当たらぬも八卦(確率次第)となる。言い換えると正と反が同時にあるということである。電子はは波であり粒子であるといい方になり、これがパラドックス(矛盾)である。
    posted at 14:13:52

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    量子論は美人局だ。それを証明してみよう。まず、量子論の言語ゲームの本質を学ぼう。
    http://www7b.biglobe.ne.jp/~kcy05t/niho.hml...
    http://www.math.keio.ac.jp/~ishikawa/QLJ/ndexj000.html...
    http://ameblo.jp/allahakbar231/ntry-11506419200.html...
    この三つを参照すればよい。
    posted at 12:38:47

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    心と物質の二元論を超えるにはパラドックスを受容しなければならない。神秘主義はそれを乗り越える。生死一如である。量子論も波であると同時に粒子であるとして受容する。だから量子論は神秘主義・禅論理に近づいたといえる。少なくとも表現的には似ている。 しかし似て非なるものである。美人局だ。
    posted at 12:34:30

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    量子論と政治と精神医学は同じ構造を持った解釈論である。しかし政治を科学とは言わない。深層心理学者とはいうが、科学者とは言わない。やはり科学と精神との間には溝がある。この二元論を量子論は乗り超えたのだろうか。
    posted at 12:28:38

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    量子論を科学というなら明らかに解釈論的科学である。しかし解釈的な科学というのは存在するのだろうか。心を科学するということは可能だろうか。心を解釈するというのは可能だろう。夢解釈というのがまさにそれだ。夢は観測データであり、精神科医は観測者であり、観測装置である。そして解釈する。
    posted at 12:23:54

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    量子論では対象・観測器・解釈。政治も政治家と政治の仕組みを一体とみれば三元である。古典物理には解釈などはいらない。科学者の都合で勝手に解釈されてしまったら、いったい何が真実かとなる。多数決で真理が決まるなんてことになる。量子論は科学から解釈論に変容したのだろうか。
    posted at 12:18:23

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    憲法解釈というのが話題である。憲法の中身が解釈で変わってしまうのである。憲法という解釈対象があり、解釈者(政治家)がいて、解釈があるから三元である。量子論も観測=解釈対象・観測者=解釈者・解釈の三元である。つまり、政治家と科学者は同じ立ち位置の立っている。同じ方法論を使っている。
    posted at 12:08:04

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    物の世界を解明するのが物理で、心を解明するのが心理学とすると、これは完全な二元論だ。ところが量子論は観測者と観測することと観測したことを解釈することからなっている。三元論である。古典物理では解釈はない。真理がいくつもあるということだ。どれが本当の真理なのだろうか。
    posted at 12:00:22

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    量子論が神秘主義に近づいたのだろうか。それとも量子論は神秘主義を正しさを証明したのだろうか。 そう簡単ではない。
    http://ameblo.jp/nibbaana/entry11036629177.html...
    posted at 11:53:43

    12月26日



    森のように深い@fractaleman68
    量子論では「光や電子は粒子でもあり波でもある」という。「現実に見えてる<もの>は粒子。そのバック(見えてない状態)は波である。だから粒子は<色>で、波は<空>である。つまり色即是空だということになる。禅語はパラドックに満ちている。量子論もパラドックスのオンパレードである。
    posted at 11:51:19

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    最近、量子論が神秘主義に近づいてきた。その表現たるや華厳経並みである。
    http://amiyan.jp/tokushu/ryosirn.htm...
    しかし、いくら表現が似ているからと言って、内容が同じとは限らない。
    自然言語の表現というのはあいまいだから解釈が自由である。
    posted at 11:45:36

    12月26日

    森のように深い@fractaleman68
    霊的世界はなかなか体験できない世界だ。仏=空(生死一如)なる概念を数学するということに挑戦しているが、結局、それはパラドックスを表現することになる。禅語はパラドックスに満ちている。果たして数学でパラドックスを表現できるのだろうか。数学の素人が挑戦するので超難儀だ。(^-^)
    posted at 11:35:43

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  • from: 生成門さん

    2015年12月25日 10時53分25秒

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    この世界は偶然か必然か。

    温暖化が進んでいるようでこの冬は温かい。この傾向に歯止めをかけることができるのだろうか。それはまずできないだろう。あれこれ議論しているうちに気候ランナ

    温暖化が進んでいるようでこの冬は温かい。この傾向に歯止めを かけることができるのだろうか。それはまずできないだろう。あれこれ議論しているうちに気候ランナウェー(暴走)をしてしまう。そうなるともはやなすすべはない。ブレーキのきかない資本主義という列車に乗ってしまったのが人類の悲劇だ。資本主義に代わる社会の可能性はない。新しい仕組みを実験している時間はないだろう。資本主義は時限爆弾つき自爆列車なのである。この宇宙は神秘数といわれる数(137)によって微細構造(宇宙の構造を決める)が決まっているのだ。それこそ神秘的なのである。

    何故、137が神秘数なのだろうか。そこに資本主義の暴走を止める手がかりがある。人間の体温が37度、宇宙の果てが137億光年、偶然の一致だろうか。まだある。自然対数の底e=2.718は黄金比1.618の2乗に等しい。37という数は黄金比と関係がある。
    http://metatron.la.coocan.jp/zone-63/guide3-001.htm...
    黄金比φ、自然対数の底e、円周率πは神の数だ。
    (φ+e+π)/2=(1.618+2.718+3.14)/2=3.738... https://pic.twitter.com/DxkU0NxnV9

    一見、ランダムな現象に見えるものにも秩序がある。神はサイコロを投げないと言ったアインシュタインも結局確率論的に扱わざるを得なかったブラウン運動すら、ランダム・ウォークではなく決定論的非線形カオスである。
    http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/200jiku_design/sano.html...

    その秩序こそが宇宙の真理なのである。その真理を鷲掴みしよう。

    久しぶりの書き込みとなった。パソコンが壊れたためだ。環境が壊れるとこんな感じなるのだろう。幸い戻ってこれたが、果たして人類はどうか。以下、ツイッターに呟いた内容を掲載しておこう。

    http://twilog.org/fractaleman68
    https://twitter.com/fractaleman68

    2015年12月24日(木)

    森のように深い@fractaleman68
    偶然をベースとする量子論と進化論は間違っている。ここから脱資本主義の戦略を練る。
    posted at 21:33:00

    12時間前

    森のように深い@fractaleman68
    人類に残された時間はない。それなのに知の最前線は行き当たりばったりしかないというのだ。それはないだろう。進化論も量子論も破たんしている。偶然の確率論を使うことは知ることができないという宣言なのである。結局まだカントの言う物自体は把握できないという難問を克服できていないのである。
    posted at 21:26:34

    13時間前

    森のように深い@fractaleman68
    資本主義は解体できないことがポストモダンによって明らからかになった。しかし抵抗はできる。偶然を利用せよというのだ。なぜそのような理論になるのか。確かに進化論は生命は突然変異によって出現してきたという。量子論は確率をその基本としている。
    posted at 21:20:29

    13時間前

    森のように深い@fractaleman68
    その後に出てきたがポストモダンである。しかしこの考えもひどいものだ。資本主義というのは破壊できない。だから、抵抗するしかない。そのためには偶然を利用するしかないというのだ。これは易占いと同じ考えである。未来は予測できない。だからサイコロを振ってきめるというものだ。
    posted at 21:09:44

    13時間前

    森のように深い@fractaleman68
    マルクスの後、バタイユが未来を選択するのはギャンブルなのだから青い鳥を求めるようなシナリオはけしからんと言って、死を覚悟で選択しなければならないといった。武士道とは死ぬことだという葉隠れのような論理だ。しかし、これも生きるべきか死ぬべきかというハムレットになるしかない。
    posted at 21:01:03

    13時間前

    森のように深い@fractaleman68
    へーゲルの精神弁証法は破たんした。それに対してマルクスが唯物弁証法を提唱した。これは精神と物質の優位性を逆転させただけで、実現しないシナリオであることは同根である。
    posted at 20:55:55

    13時間前

    森のように深い@fractaleman68
    へーゲルの精神弁証法は投資詐欺である。絶対儲かります。元本も保証します。そんな類の理論だ。結局、精神と物質の二元論をどう克服するのかという課題にたいして夢を描いてその実現に向かって進むというシナリオである。しかし、実現したためしはない。だから詐欺である。
    posted at 20:46:05

    13時間前

    森のように深い@fractaleman68
    物自体を知ることはできないといったのはカントだ。それの反論したのがへーゲルだ。彼はどうやって物自体に近づこうしたのだろうか。それは精神弁証法という方法である。簡単に言えば企業のスローガン経営である。「顧客は神様である」といった具合である。青い鳥を探す童話である。決して実現しない。
    posted at 20:40:26

    13時間前

    森のように深い@fractaleman68
    物自体をどうして知るか。それは無理。把握することと理解することは違う。「りんごはこうだと言う」ことは知ることである。しかし、把握するにはリンゴを食べてみることである。それをこうだといったといった瞬間にリンゴから離れている。これが悩ましい。
    posted at 20:27:43

    16時間前

    森のように深い@fractaleman68
    やっと、パソコン環境が復旧した。これからだ。この2ケ月、精神を科学することの妥当性について考えてきた。かなり難しい問題が隠れていることが分かった。

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    from: Watashiさん

    2015年12月25日 22時19分47秒

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    生成門さま、お元気でしたか?