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from: Infophysさん
2012年04月14日 01時10分45秒
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中庸の意味、思い出した。
思い通りにしようとしすぎると、かえって思い通りにならない。その場に合った自然なあり方、すなわち中庸が、結局は一番うまくいく、という考え方。古今東西重要
思い通りにしようとしすぎると、かえって思い通りにならない。その場に合った自然なあり方、すなわち中庸が、結局は一番うまくいく、という考え方。古今東西重要視されてきた。
まさに僕は思い通りにしようとしすぎて失敗してきたといっていい。病にもかかった。 かえって効率の悪い人生になった。反省は生かさなければ。しかし人間は間抜けにできとるということかなぁ...。古今東西重要視されてきたことがこんなことだなんて...。
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from: Infophysさん
2012年04月14日 12時06分46秒
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「Re:Re:Re:Re:中庸の意味、思い出した。」
要は
下の命題において
肯定項と否定項では精神の働きが逆向きになる
と捉えるといいのかもしれません。
思い通りにしようとすることも、思い通りにしようとしないことも、
どちらにしろなんらかの意味で思い通りにしようとしていて、偏りを産み出すことを自覚、認識する必要があるのでしょう。
どちら向きに偏っても、精神はいい働きをしてはくれず、
直き心も自然のままであることも(=真の道徳は)破綻し、
自己実現には向かわない。精神分析理論でも周囲との関係が悪いときは自己実現が成功しないことがわかっているようです。
偏りやこだわり、とらわれがあっては、仕事の能率も悪くなるでしょう。
人間関係が気になっていても仕事に集中できません。
仏教でいうところの、不思量と非思量の違いでもありそうです。
前者は
考えないように、
と考えてしまっていて、
結局、
考えてしまっている。
後者はそもそも考えていない状態。
とらわれの無い状態とも言えるでしょうか
仏教の曹桐宗は後者を目指す。
仏教や道教はなにもせずだらだら暮らすことを意味するのではなく、
ようはいい人生を送るにはどうしたらよいか、そのための智慧であると言えると思います。生きる上でのバランス感覚の重要性を言っているのだとも思います。
肯定でも否定でもない、一元的で自然な中道的生き方を指し示しているとも言えそうです。
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