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from: Infophysさん
2012年08月15日 04時56分50秒
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欲の最高の統御法は理法や智慧ではなく愛かもしれない
― 欲の最高の統御法は理法や智慧ではなく愛かもしれない。 ―
愛と欲は双対の関係になれる。
適合性を持つことができる。
それは対消滅を起こす。
愛と欲のdualityこそ文明の病理の克服に役立つと信ずる。
自分の欲を対象化できればあとはそれに対する理解を伴う愛をそれに行使する。
愛は欲のエネルギーを吸収しながらことをおさめる。
愛はやはり理知に優る。理知は愛するための必要条件なのかもしれないが。
その昔、兼好法師だったかが、どうしようもなく暴れる子供のしつけを頼まれたとき、
対峙したままの長い沈黙の後のたった一言で彼をしずめた。
「お前も大変じゃのう」
悪を悪と指摘して消滅させることができたためしは恐らくない。
キリストも敵を愛せといっていたはず。自分の中にある敵にもそれは通用するようだ。
カオスとコスモスの双対。コスモスはカオスを制圧するためにあるわけではなく、ともに協調することで何かをクリエイトする関係にあるはず。愛がそこになければそれは成立しない。
カオスにもコスモスが、コスモスにもカオスがちゃんと入れ子的に混合しているのが現実の姿。
現代版のシャーロックホームズ。13日の朝に見た。
モリアティはカオスでホームズがコスモスと見ると面白い。
モリアティというカオスはホームズというコスモスにコンプレックスを持っていた。
モリアティはホームズを追い詰める。しかし彼のコンプレックスはおさまらない。
勝利は勝利を意味しなかった。しかし、ホームズのたった一言で彼は改心する。
「君は僕」。そうだ。カオスはコスモスになりたかった。コンプレックスは解消された。
しかしその直後に起きたことは、対消滅。すなわち、二人の死だった。
これをカタストロフィとみるかクリエーションとみるべきかはいまいちよくわからなかった。
この世界に真の意味で勝利や敗北が存在するという気はしなくなってきている。
双対な存在が引き起こすことは、カタストロフィかクリエーションが本質なのではないかと思う。勝利と敗北の間で起きる物語の生成。そこに価値を見出したい。
しかし、人類が二元性を失うことがあるとしたら結果はクリエーションだろうか、それとも?
僕は中道の実現を信じる。-
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from: Infophysさん
2012年08月03日 01時56分54秒
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徳・中庸。生命としての存在・世界。部分と全体。
全体をバランスよく部分に反映させることが、中庸という「ほどよさ」の実現にとって不可欠なのではないだろうか。たとえば、昔習っていた楽器を人生に生かしていないこと。これは中庸(ほどよさ、健全性)の実現を阻んでいる可能性がある。
生命たるもの。いや存在たるもの。程度の差こそあれ、世界全体の性質を反映している。僕らの精神にはあの世さえも反映されているではないか(!?笑)ある領域と他の領域が無関係であることはおよそありえない。
その意味で、ある自分の行動に自分のもつすべてを生かそうとすることは、むしろ文字通り自然なのではないか?他に自分というものがまとまりを得る方法なんて考えづらいではないか。脳と心の仕組みはそうできている(カオス・フラクタル構造)。
そして、人類のすべてが少なからず自分に生かされており、自分は人類のすべてにたとえわずかでも貢献可能になっている。それが自我・自己・コンプレックスという精神構造のおかげであり、縁あっての自分の能力となる。「おかげさまで」。日本の生活文化の宗教との一体性を強く感じさせる言葉である。
日本人ほど、人類の歴史文化の多くを反映している民族も珍しいのではないだろうか。
サブカルチャーなどはまさしくそれによる産物であり、かわいい、という普遍的に愛される存在形式が
浮き彫りにされ、世界を席巻するようになったというのもそれを象徴する事件だと思ったりする。
日本は新しい人類の生き方を先鋭的に表現していると思う。
そもそも各々の国や民族が人類のそれまでの全文化(旧石器時代なども含め)をどのようにであるかはともかく反映していることに気付くことが、その組み合わせ的融合による創造性を絶えず発揮することで、多様で安定な世界を創造するうえで重要な認識になると思ったりする。
ライプニッツのモナドロジーは工学的なシステムとしての応用よりも、認識論的な観点において強力に人類をバックアップしてくれるという気がしている。-
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from: Infophysさん
2012年08月01日 08時14分14秒
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知と徳。二元的構図を超えて。ロゴスとカオスの和解。
徳という字は、本来、直と心からできていたらしいことを聞いた。
即ち、直き心。僕はこれを屈折の無い心、気の流れ(意識の流れ)に歪みや淀みが無い、と解釈してる。均整の取れた心という解釈が一般的なようだが。しかも徳とは努力して手に入れるものというより、人間の本性を取り戻す、そもそも人間はこうだった、という姿を取り戻すことだというのが中国の古典の記述からわかるようだ。つまり、人間の本性は善だということになり、ルソーの「エミール」での主張と同じだ(人間はよきものとして生まれるが社会が悪いものにしてしまう)。かれは学問芸術論においても、学問や芸術の行ってきた普遍性のおしきせに対する批判を先進的に行っている。
実を言うと、論理的にしっくりくる、ってのも直き心と同類項だと思い始めていて、それは、概念同士が整合的につながっていて乱れが無い、一つのスムーズな流れになっていることだと僕には感じられている。
だから、
知というものは偏りや歪みがあってはならないものだという認識にものっとれば、徳という概念と本質上異なるものには思えない。
ただ、ぼくには知は文明的で、徳は本能的というイメージがある。おそらく、文明は智慧だけでは成り立たず、知と徳が車の前輪後輪のような役目を果たすのではないかと思っていて、それは大脳と原始脳の対応のように思ったりもする。認識したい欲望にとらわれてばかりいると、人間はその大脳による理性に抑えつけられ、直き心を失ってしまい、社会はすさんだものとなる。現代はまさにその極致といっていいかもしれない。
中国の理気二元論の失敗に似ている。
朱子学の朱熹が提唱した論だが、これが支配的になった宋は人間らしい活気が失われていた。その反省に基づいて明の時代に王陽明が気一元論を唱えた。つまり、二元的思考の限界はすでに中国文明が明らかにしていたのだ。それはは結局、創造性(creativity)や生命(creature)力を弾圧し失わせることになる。
理と気は一如に捉える方法が必要になるのだ。
そしてこれは現代の科学(物理学≒朱子学で言うところの窮理)批判にもつながる。
とことん理論によって物事を制御しようとすることがどんな限界にぶち当たるのか、それが現代の人類の二元的ジレンマ(di-lenma)だ。そもそも制御しきれるはずのないものを制御しようとしているということに気付いていないのかもしれない。コスモスとカオス。いや、ロゴス(≒理性)によるカオス(≒気または情念)の統御。theorein(観る、観照する)、すなわち理論、テオーリアはそもそも二元的に主体と対象の存在が前提だ。ぼくはカオスがわかりきることは無いのではないかと思ってる。わかりきったとたんに創造性は失われ、世界は終わる気すらする。もひとつよく考えてみよう。僕ら男性の理性を持って感情的な女性を制御しきれたことがあっただろうか。深入りすればこちらが丸め込まれるのが落ちではなかっただろうか。結局感情の渦に飲み込まれて傷つけあうに終始することになりはしなかっただろうか。口を封じればうらまれ、いつかは逆襲を食らうことになるのは良く聞く実態である。
認識を深めたいがゆえにはじまったとされる二元的な世界。そして支配と被支配という関係が生まれて文明的な世界が築き上げられた。
現代文明の限界の打開にはここまでさかのぼらなければならないと思うといえば言いすぎだろうか。たぶん言い過ぎではないだろう。二元的な見方の批判はもはや日常的ですらある。
はたしてロゴス(コスモス)とカオスは分離できるものだっただろうか?それはすでに現代物理学が明らかにしていて、同時に認識しきれていない事実でもある気がしている。そもそもロゴス(logos=理性的な言葉)はミュートス(mythos=神話・物語の言葉)からの派生に過ぎなかったのではなかったか?常に無意識の影響を受けるロゴスにゆらぎがないといいきれるのだろうか。。。
ぼくは論理に潜むカオスにこそ着目したい。-
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