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from: 物理屋さん

2008年11月05日 20時21分07秒

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若者文化(1)

皆さんの中でも、子供に「マンガ(あるいはテレビ)ばかり見ずにしっかり勉強したら」と注意したことが一度はあるかと思います。しかし、ふと思ったのですが「マ

皆さんの中でも、子供に「マンガ(あるいはテレビ)ばかり見ずにしっかり勉強したら」と注意したことが一度はあるかと思います。
しかし、ふと思ったのですが「マンガ」はともかく、「アニメ」などはそう簡単には見ることができないはずではないでしょうか?疑問に思い、調べてみると最近はパソコンやipodなどを用いると容易にアニメを楽しむことができるとのこと...。若者文化は今や外国にまで広がっていったいますが、果たしてそれらは人生において、有効なものだのでしょうか?確かに、気晴らしにはちょうど良いとは思いますが、日々の生活を、気晴らしのために自分の世界を展開せざるを得ないまでに大変でつまらないものと考えるのはいかがでしょうか。また、一度填ると止められないというのも問題としてあげられます。
今回は、一般にどちらかというと肯定的に見られている「若者文化」のついて考えてみたいと思います。

この問題は『社会の哲学評価は適切か』の議題とも共通要素を含んでいると判断しました。次の世代を担う若者が「画面上の(2次元と言うそうです。)精神空間に極めて主体的な世界を作る」ことが当たり前のように発展していくと、コミュニケーションの意味がはき違えられてきたり(なくなりはしないと思いますが。)、学問の取り得である「動作・行為そのもの」に意義が見出せなくなってきたりしてしまいはしないでしょうか?
哲学や倫理学は人間の学問です。その「人間」が変われば、学問を無意味化することもできるでしょう。昔と違い、「何を(人生や科学・論理の)根底とすればよいか?」と行って学問を求める状態ではなく、「沢山答え候補があるが、どれが本当か分からない。」という状態になっているのではないでしょうか?情報管理がその良い例です。
もう一度哲学・倫理学のように「静かに考え込む」楽しさを思い出して学問を自分の一部として、楽しめるようになりたいものです。
私は感覚的に[1]が、集団をもまとめることが許されている現在から、物体そのものの数を表す[1]そのものに概念を入れ替えることが求められると考えます。


長く、そして分かりにくい内容になってしまいましたが、若者文化的主体世界の創造が、我々や学問を初めとする思考体系に与える影響についてどのようにお考えでしょうか?

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Ryonuku

from: junoさん

2008年11月09日 16時55分19秒

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「Re:若者文化(1)」
> 若者文化的主体世界の想像が、我々や学問を初めとする思考体系に与える影響についてどのようにお考えでしょうか?

 ズレるかもしれませんが、感じたことを少々・・。

 若者もあっという間に、年寄りになっていく。
 で、若者文化とは何かということで、これは簡単には論じられないので、断片的に触れてみます。
 
 まず、アニメやマンガについて。

 アニメというと宮崎作品が思い浮かびます。それ以前、戦後の貸本屋時代、少年マガジン、サンデーなどの週刊誌時代、長い積み重ねがあって近年のアニメ表現に到達している。

 その発展の土台を形成した一人が手塚治虫でしょう。

 手塚は漫画を創るために、歴史、科学などを幅広く勉強しました。ビジュアル的には、ディズニーアニメのアングルを取り入れていた。

 手塚は一例ですけれども、アニメ、漫画の世界からもかなり様々な思想、ものごとの考え方、商業的な役割などが読み取れます。
 
 その作品の消費者は、若者、子供たちということになるわけですが。
 そこで、一つ問題として行き過ぎた暴力的な表現、性表現というものがある。ある一定の規制が必要であると同時に表現の自由は守られなければなりませんね。

 さて、漫画、アニメといえばサブカルチャー、ポップカルチャー。それがいま、日本が誇る文化的パワーとなっている。経済産業省の調査では、世界で放送されるテレビアニメの約6割が日本製だといいます。ポケモンが世界67カ国、2地域で放映。宮崎作品の「千と千尋の神隠し」は2002年のベルリン映画祭で初のアニメ作品としてグランプリを獲得。

 日本で育った表現、感性なり価値観が世界の子供たち、若者に広がり、影響を与えていないはずはない・・そんな状況が伺えます。

 ・・と、フィールド調査なり統計的な調査、意識調査を進めて裏づけを得ていけば、この話で論文が書けてしまうし、実際に著作なり論文がすでに発表されています。

 マンガやアニメ、ゲームがメディアミックス化して大きな力を得ている現状を冷静に受け止めてみる必要があるのではないかと思います。

 ちなみに、拙宅の娘は中高一貫校に通い今、中学2年生です。数学塾、英語塾、ピアノ教室に通い、その合間にマンガをよく読みます。小学校の頃は、ポケモンの映画によく連れて行きました。
 最近は、高校の化学が授業に入っていて、家では民主党がどうだ、自民党がどうだと政治の話もするようになり、親としてうかうかしていられません。

 マンガを読むことがマイナスかというと、そうでもない。単に気分転換というだけではなく、ある程度夢を育くむ道具にもなっている。
 映画や音楽、絵画、小説などと同様にマンガ、アニメ、ゲームも必要なのではないでしょうか。「大人になったら漫画家になりたい」という子もいていいと思います。
 夢を持つことは大切ではないか。マンガやアニメにも子供たちを育てる力があるのではないでしょうか。
 
 話は変わりますが、最近、現代美術の世界で評価の高い村上隆、奈良美智などはマンガ的な作風。サブカルチャーと思われていたものが、美術の流れを変えることもあり得る。
 一番、わかりやすい例が浮世絵版画ではないか。ヨーロッパにジャポニスムが生まれ、印象派やゴッホの作品に大きく影響しています。クリムトの場合は、日本の工芸からも表現を取り入れている。

 浮世絵は若者文化ではありませんが、サブカルチャー、大衆的な文化という点では共通している。

 昔、ヤングジャンプの編集長と話したことがあります。大きなテーマとして設定しているのは、「正義、勇気、友情」だと聞きました。ネタ調べで海外まで行く編集者もいる。

 アダルトマンガには確かにひどいものがたくさんあります。しかし何もかもひっくるめて見下してしまうと、大きな誤りになるのではないかと考えます。

 何か表現したい、誰かに見てもらいたい、聞いてもらいたいというのは人間の持っている基本的な欲求ではないか。

 「読みたい、見たい、聞きたい」も同様。

 物語りが生まれ、語り継がれ、本になったり映画になったり。

 テレビドラマになるかもしれないし、オペラやミュージカルになるかもしれない。

 表現の自由は言論の自由と同様に非常に重要です。
 若者がマンガやアニメを楽しみ、新しい表現を目指したいというのであれば、それも大切なことではないかと思います。

 いかにして、創造力のある人材を育てていくか。創造力の重要性という点では、文学や音楽、美術など芸術分野はもちろん、科学技術にも通じるテーマかもしれませんね。

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