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from: Ryonukuさん
2009年07月06日 10時46分55秒
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方針
発見のある方向に進む。これが今の僕の方針。勉強するときでも、どこから手をつけたらいいかわからなければ特に発見が多そうな所から…これは感覚で察知する(笑
発見のある方向に進む。これが今の僕の方針。
勉強するときでも、どこから手をつけたらいいかわからなければ
特に発見が多そうな所から…
これは感覚で察知する(笑)
実に適当ですね。
日常生活でも、発見を求めて活動しては休む、それを繰り返してます。
それが楽しい日々になる。
発見のない日々なんて、研究者魂が泣く(笑)。
やっぱり、物理、数学にはこだわってられないなあ。
最近何をするにも「国語力」が重要だと気付いた。
昔からよく言われていたことだが、数学やるのにだって国語力は要る。
そしてもうひとつ大事なことに半ば気づいたような気がする。
真の学力とは、机の上だけで、または書物や教材などによってばかり養成されるものではないという点だ(言われてみれば当たり前だ)。生活の中で今国語力を使っているなとか感覚的につかめるくらいでないとだめだということ。そもそも学力というか国語力や数学力、などをなぜ育てようとしているのかといえば一般的には日常または社会生活の水準を向上させるためという一面もあると思う。(というか、基本理念はそうあってほしい)
次の例はたいていの人にとってどうでもいいことかもしれない。実は対戦格闘ゲームをやるのに国語力と数学力が要ると言えば、アホかこいつはというかもしれないけど(実際バカなのですが)、実際、僕が今まで意識していなかった国語力を感覚的に意識し始めただけで自分の動かしているキャラクタ―の動きがなめらかでこまかくなった。理屈はよくわからないが、普段使っていなかった国語的能力が覚醒して精神のバランスが良くなったためと僕の病気などの経験から推測している(数学系統の能力はよく使っているので)。数学的能力はとは何かを大げさにいえば相手の出した球があとどのくらいで飛んできてあたるか推測するために必要な積分能力だ。実はこの方面の研究はすでに情報文化学の(特に理系の)方で研究されている。
人間の脳というか精神にはそういう積分能力が半ば経験的になのか組み込まれているらしい。ゲームも同じ格闘ゲームをやりこんでいくうちにどのタイミングでどの技がどの位置からどの位置まで動いてくる技か、など、が頭に叩き込まれてきて、対戦中にも常に微積分計算のオンパレードだ(微分は積分の逆計算とも言えるので、加速度という形などでもしょっちゅう計算されている)。もちろん、日常生活でもオンパレードなのだが、格闘ゲームではその計算が実際の物理法則と違うので(笑)それ用の計算が必要になる。つまりそれ用の計算尺を頭に作らなければ戦えない(笑)。そういう作業をゲーム(他のアクションゲームやシュ-ティングゲームでも結局同じこと)を繰り返している間に頭の中に(それ用の計算尺が)形成されてくるのだ。これは最近流行りの脳の可塑性の関連問題としても挙げられそうだ。つまり、脳の分業体制は位置が決まっているようで、一部が損傷すれば他の箇所が補うようになっているという話だが、脳機能の微積分機能は自然的世界観に対応するものでなくても形成可能であるという考えてみれば十分ありうる話(情報空間に作られる奇怪な世界観であっても脳は対応可能であるということが言いたい)。実際に実験してみなければ何が起こるかは定かではない。すでに宇宙空間で無重力時空を長期体験した際、脳の微積機能にどの程度の改変が起きているのか僕は知らない。バーチャルリアリティーの世界・・・それにも脳はどこまで対応できるのか?興味あるテーマだ。
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from: 物理屋さん
2009年07月07日 20時08分57秒
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「Re:方針」
> やっぱり、物理、数学にはこだわってられないなあ。
> 最近何をするにも「国語力」が重要だと気付いた。
> 昔からよく言われていたことだが、数学やるのにだって国語力は要る。
> そしてもうひとつ大事なことに半ば気づいたような気がする。
> 真の学力とは、机の上だけで、または書物や教材などによってばかり養成されるものではないという点だ(言われてみれば当たり前だ)。生活の中で今国語力を使っているなとか感覚的につかめるくらいでないとだめだということ。そもそも学力というか国語力や数学力、などをなぜ育てようとしているのかといえば一般的には日常または社会生活の水準を向上させるためという一面もあると思う。(というか、基本理念はそうあってほしい)
Ryonukuさん ご投稿ありがとうございます。
おっしゃるとおりです。私がつくづく思うのは、物理(に限らず自然科学全般)は文学的な力もなければやっていけないと思うのです。しかも、より学問的になればなるほどそう言えるのではないでしょうか。数学を突き詰めると哲学みたいになりますよね。数学は科学の言語ですから、自然科学といえども哲学の味がするという面白いことが起こるのです。また、本質や内容ばかりに興奮を求めるばかりで、言語などの道具から興奮を得ようとしないのは、何とももったいないことだとは思いませんか。
私は、学問の境界線を引くことはあまり好きではありませんね。専門の存在は、社会的な貢献という目的の上に成り立っているのであって、真の学者の仕事は一つの分野について教える事ではなく、学び続けることであると思うのです。
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