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  • from: Ryonukisさん

    2010年05月22日 11時26分47秒

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    真の「やりたいこと」とは!?


     仏教的に言って、様々な欲望や考えにとらわれない、そして、かたよらず、こだわらない心の実現がおそらく自己実現であり、その時こそ自分は「やりたいこと」をやっているのだと思います。
     この時にいう自分とは心理学的に言う自己であり、自我ではないのでしょう。もっと言うと真理が時間とともに変化するように自己も変化します(マンダラは世界の構造であるとともに、自己を映し出したものでしたね。南方熊楠によればこれは時間とともに変化するのです)。したがって「やりたいこと」は変化するはずです。
     ある意味これは理解しやすいかもしれません、常にずっと同じことを同じように繰り返しやりたい人はいません。定まったやりたいこと、それはあるかもしれませんが少なくとも微妙には変化していきます。
     この真理の「変化」は、仏教の修行が不断の努力を必要とするところと関係があるように思います。
     「諸行は滅の性質を内在している。勤勉をもって努力せよ」。これはブッダが死の床で残した最後の言葉です。全てのものは無常であり、自分ができるのは仏の境地への道を指し示すことだけであって、そこへ達するのは各々の努力しだいだという程度の意味だそうです。
     つまり、さっきの話に戻れば、「やりたいこと」をやり続けるためにはつねなる「努力」が必要とされるということです。そのかわり、重苦しい気分からは解放され、毎日生き生きと充実感を得ながら暮らすことが可能となるはずです。
     ただし「やりたいこと」への執着は逆に真の「やりたいこと」から自分を遠ざけてしまうような気がします。とにかく自我(エゴ)への執着とは人間にとって病の発生源であり、幸福から自分(自己)を遠ざけてしまうようです。自分を含め、苦しむ人を客観的によく見ればみな自我があるからだということは何となくわかるような気がします。
     しかし一端その「存在」を認識し、執着が引き起こす諸々の苦しみに気付き始めれば、「安心(あんじん)」への道は開かれつつあるのかもしれません。

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