サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: Ryonukisさん
2010年05月30日 21時25分09秒
icon
最近考えたこと①
〇一般に真理は逆説的であり、逆説に気付くには執着・こだわり・偏見などを捨てる必要がある。
○一般に我々日本人は流されやすく、自己実現しにくいのではないか。
○特に最近日本人は本来持っていた情緒にみあわない方向に進んでいる気がする。日本人は本来、形なきもの(すべては時とともに移ろう=無常、四季の移ろいが典型)を美しいと考えて来たはずだが、明治以来、形あるものにとらわれるようになった。しかし、発想力や創造性には「形にとらわれない」ことが必要とされるのではないだろうか。季節感のない生活になれてしまうのも問題。
〇日本人はまだがんばり屋であることが裏目にでているのではないか。時代は変わってきている。気力は確かに必要な場面があるが発想の転換が必要とされる際には頭を休めることも重要だと感じる。
〇世界を記述する理論は、欲や、こだわりのない状態でしか実現されえないはず。無我夢中のさなかにおいてのみ理論は見出だされるのかもしれない。
ことに万能な理論は完成しうるだろうか?世界の把握であると思われる悟りは言語活動を超えているらしい。だから逆に言えば、心、物、事などの世界の要素といえるサブ世界をすべて含む「全世界」を概念的に記述しきることは本当に可能なのか疑問が生じてしまう。一度にやらずわけて行えば済むかといえばそうではないだろう。全体は部分の単純な総和ではないことはよく知られている。
〇日本人はおおざっぱに言って、素粒子論より複雑系理論に向いているのではないだろうか。日本人はもともと全体をひとまとまりとして見る傾向が強いからだ。
〇つまり、これからの理論づくりには、「理解」しようとする姿勢より「知」ろうとする姿勢が必要とされる。何が言いたいかというと、「理解」とはこの世の法則に対して「分解」の姿勢でのぞむのに対し、「知る」は世界を心に感じ取り、真理をさとる心のはたらきを用いるという意味だからだ。どちらかといえば、全体的把握にふさわしい言葉だろう。-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 8
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 1
icon拍手者リスト
紅、
-
コメント: 全8件
from: シモンさん
2010年11月27日 04時09分31秒
icon
「Re:Re:REに:Re:最近考えたこと①」
人生行き詰まったときは、視点を変えて、
大きなピクチャーをみると気が楽になり、道が開ける事があります。
今究極の問題も、人生85年の尺度でみたら、一つの想い出話に終わる様な出来事で、
人間や生物の歴史からみたら、アッという間もない一瞬の人生であり、
宇宙のスケールでみたら、無に等しい出来事に過ぎない。
また、こんな考え方する事で、リラックスして人生をみる事ができますよ。
=======================================逆さまの人生:
もし、来世に、チャンスが与えられて、
人生を逆のほうから生きることは許させるとしたら・・・、
死から甦るところから、僕の人生は始る、
目が覚めたら、老人ホームで、日に日に元気になっていくのを感じるんだ。
そのうち、あんまり元気が良いもんで、老人ホームを追い出されて、
次に待っているのは、ペンション生活をゆったりと過ごすんだ。
それに飽きたら、仕事に就く、新米早々、金時計とかはめてね。
それから、バリバリ40年余り働いて、
リタイヤできるくらいタップリお金貯めるんだ。
それから酒飲くらって、パーティーにあけくれて、
もういい加減もいいところ、
遊び飽きたら高校に進んで勉強したら良い、
ついてけなくても平気、
次は、中小学と勉強は楽になるばかり、想いっきり遊んで,
責任なんて考えなくても良いんだ。
そうしているうちに、
皆に可愛い可愛いって可愛がられる赤ん坊になって
世話やいてもらって何でもかんでも手取り足取りやってもらい放題。
笑顔を浮かべてりゃ良いさ、
そして、
9ヶ月ほど、ゆったりと、心地良い暖房の効いたスパで、
ゆったりと浮かんですごし、
そしてついには、
天にも登るようなオーガニズムを感じてこの世とさよなら。
Chuck Danes:”Living Life Backwards”より、
http://www.abundance-and-happiness.com/humor-living-life-backwards.html
こういう見方もあるもんだと感心しました。
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
from: シモンさん
2010年11月27日 04時03分21秒
icon
「Re:REに:Re:最近考えたこと①」
***これは、あくまでも、私の受け止め方ですので、どうぞ、1視点として受け止めて頂きとうございます。
>時間変化する自分を常に素直に受け入れ、流すということができていない、
>さらに言えば時代の変化する方向にたいして前を向いていないことが多い、
。。。”たった今、目の前で起っている現状=自分のコントロールできない、理解しにくい状況を、受けとめ、認識するには、
種分け、解析、表示するまで認め、受け止められないという壁を自分の周りに築いておられるのかもしれないですね?”
>悟りというか真理を見ている状態、
まさに時間変化する自分と外界を合わせたこの世界にたいして
常に「完全なる前」を見続けることのできる状態を意味するのだと思いました
。。。。未来。理想。自分の観念でそうあるべきという未来を想像する。
でも、何処か食い違う現実の壁が、マイナス・ストレスとなるから、苦しんでしまうのではないですか?
私にしてみれば、完全は不可能で、真理は未知なるもの。
完全は神様、天の領域です。
人間は不完全で、至らぬもの、確かな未来も、一瞬先も見えない。
謙虚な気持ちで、自他ともに足らない所を許し合い、支え合いながら、生きていくものだと思っています。
人間が、興味津々で、奢り立って手を下せば、
天が想像した完全世界のバランスが崩れ、崩壊に導きます。
結局は、自分の首を絞める事になるのです。
> なにか自分の精神に去来してもそれは自分と干渉を長くは起こさずに通りすぎていってすぐ過去のことになってしまう。常に来るもの拒まず、去るものを追わない。
。。。今との関わりから自分を遠ざけておいでなのかもしれないですね。
来るものは掴まず、
去る者の後ろ姿だけを見食っている。
>真理という「常に浮いた言葉」
。。。頭の中で、心理という言葉で整理しない限り自分の中で処理できないと思い切っていれば、その心理は浮き上がってしまいます。
>にもとらわれないで、真っすぐ常に前を見ていられることが真の強さなのであり、ある意味、その彼方向こうにこそ、真理が見えているはずだと推測しています。
。。。頭で考えないで、、感性で受け止めたらホント、違う世界が開かれるかもしれないですね。
=================================================
例えばです。
ある日、一人の男の人が、海岸を散歩していました。
向こうの方で、現地人らしい人が、何かを拾っては沖の方に投げ込んでいるのを見かけました。
近くでみてみると、その辺いったいに打ち上げられたヒトデを、一つ一つ水の中に投げ返しているのでした。
何千というヒトデが打ち上げられていて干上がって死ぬ運命を待っているのですが、
その原住民は、一生懸命1匹ずつ拾い上げては海に投げ込んでいるのでした。
男は、呆れて言いました。
”気持ちは解るけど、何千もあるのに、あんた一人が頑張った所で大して意味ないんじゃないの、全部救えるはずないんだから”
すると、その原住民はニコッとして、また一つヒトデを拾って海に投げ入れました。
”今の一つにとってみればたいした違いさ、命を得るチャンスをえたんだから”
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある、土曜日の午後、一人の中年のおばさんが、キャンパスの大木の前で、両手を上げてゆらゆらと何やらうごめいて暫く突っ立っていました。
不思議な光景に そっと近づいて声をかけ、そのおばさんの心を覗いてみました。
秋風に乗って、
大学のの、校舎の前の大木
晴れた秋空の、お日様に向かって立っている。
穏やかな風が通り過ぎる
その風に乗って一斉に枯れ葉が舞い落ちる
まるで、精一杯の力を使い果たして枝から飛び降りるかのように
エィ!と思いっきり風に乗って、
クルクル舞いながら私の上にもおりてきた。
来年の春にまた新しい若葉の芽を出す事を信じて、
一生懸命生きる全ての役目を終え、
この世に別れを告げる瞬間を垣間みた気がして
一枚の葉を手のひらに載せた瞬間
私の心が一瞬ドクン!
なんと言う潔さ!
ここにも命の想いがあるんだなって、
与えられた命の定め、
私も大切に一生懸命生きなくては、
悔いなくこの命を使い果たせるように、
潔い枯れ葉たちに、教えられた気がします。
http://www.youtube.com/watch?v=dXswhSmCr1A&feature=related
通りすがりのほんの一瞬の出会い、光景、鼻一本、葉っぱ一つから教わる宇宙観、世界感、人生観たくさんあります。
赤ちゃんを抱いたとき感じるあの暖かく柔らかく、とてつもない大切な命を抱く感激が、何物にも代え難いエネルギーを私の人生に与えてくれる。
それは、
感性を研ぎすませる事によって得られる言葉や、理論を超えたを超えた真理です。
そしてこのような有り難い出会いは、何時も、
今/この場で、まるで、馬鹿げた事の様な格好して私の目の前にきてくれます。
そして、
その場に留まる事は決してありません。
時間も、命も、止める事はできません。
だから、今という瞬間に全ての感性を注ぎ込んで吸収するのです。
自分に今できる限りの最善を尽くすのです。
そうする事で、今の感動が、
明日への希望、夢が生まれます。
素敵な過去・想いでが残ります。
人生の、命のプレゼントは、過去にも未来にもありません。
過去は悔いても変えられないし、書き変えられないし、
未来は何時も不確かで掴みようがありません。
確かなのは、今だけです。
この瞬間が、命の、present(gift & now, this moment)です。
私は、学識が無いので、難しい事は解りませんが、
私なりに半世紀を生きて学んだ知識(知恵)を大切にしています。
それは、いろんな出会いから戴いた想い出の数々です。
知識もそうですが、心に抱いた想い出も、誰も奪い去る事はできません。
最高の宝物として、私の心を死ぬまで支えてくれるでしょうし、
同時に、私の命がこの地上から消えた後も、私が出会った人たちの心に生き続けるものと、そんな夢や希望まで与えてくれます。
言葉に足らぬ、何気ない、一瞬の出会いが、それをどう心が受け止めるかで、
その人の人生を大きく変える事だってたくさんあります。
いえ、人生の進路を変えるきっかけは、
ほぼ、そんな出来事で決まるのではないでしょうか?
意識無意識に関わらず。
========================================
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
from: シモンさん
2010年11月26日 17時26分50秒
icon
「Re:REさん:Re:最近考えたこと①」
>これからは論理的思考の偏重の時代がおわり、これらが重要な意味を持つ時代がやってくるはずだから、
http://www.innovetica.com/resource_02.html
マズローの人間の欲求段階からの見解では、Ryonukisさんは、頂点である、自己実現欲求の段階のおられるのではにかしら。
>なおさら僕は時代変化にたいし前向きでなかったし、前向きにならねばならないし、
社会との関係を改めるというより、内的な自己総合性を追求する時代なのかも知れませんよ。
社会性も大事ですが、ずれから来るストレスで病む事がないよう、お気をつけ下さいませ。
人の成長は夫々違って当然です。
マイペースで、健やかに生きていいんですよね。
たった一度の、大切な人生、自分を大切に、生きて頂きたいです。
そして、世界が、社会がどうであれ、
人を変える事はできません。
自分にも、間違いを侵す権利があるように、人もその権利を持っています。
変える事ができるのは自分だけ、
人からは学ばせて戴くだけです。
だから、自分を変えて、自分と自分の身近な世界を平和にする事が、せめて私に与えられたチャンス、
そう信じて頑張れば、いつか、気持ちが通じて、少しずつ世界が変わるかもしれない。
自分の生き方が世界に通じているんだと願っていきた方が、
そうする方が前向きで、社会に振り回されないで、自分を失わず、プロダクティブな生き方ができそうな気がするのです。
決して楽な生き方ではないですが、
悔いの無い人生を考えると、それしかないのではないかと思えるのです。
from: Ryonukisさん
2010年11月25日 19時25分02秒
icon
「REさん:Re:最近考えたこと①」
もう少し具体的にはどうしたら、僕がここから抜け出すことができるかというと、おそらく自分という秩序のバランスの取り方を根本的に、しかし少しずつ変えていく、さらに具体的にいえば、「考える」のではなく「感じる」ことを優先することによって可能になっていくはずだとおもいました。感じるという精神作用には普通に言う感覚や直感(観)、勘などがありそうです。
これらの精神の能力と論理的思考能力とのバランスの取り方こそ、僕に相当欠けていた部分なのだと感じています。常に感・観・勘が大事にされていればこんな事態には陥らなかったはずだし、くしくも、実際のところ、これからは論理的思考の偏重の時代がおわり、これらが重要な意味を持つ時代がやってくるはずだから、なおさら僕は時代変化にたいし前向きでなかったし、前向きにならねばならないし、そうでなかったことが時代的な病である心の病に自分を患わせていたのだとわかってきた次第なのです。もっと言えばそのような「自然な」自分のありかたに戻っていくことが老子のいう「道(タオtao)」にもどっていく、つまり健全・健康な状態に戻ることであり、周囲とのあつれきを少なくしていくことにつながっていき、その全体としての健全な状態(これこそ道tao)の実現へと進んで行くことができる。そう思ってます。すべての宗教の目指すところは結局同じのはずですから。世界の秩序の安定した調和という。
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
from: Ryonukisさん
2010年11月25日 19時24分01秒
icon
「REに:Re:最近考えたこと①」
しかし、僕は今日考えていたのは、こういう一応は部分的とはいえ主要な部分に整合性ある理屈が頭にありながら、自分がどうして円滑に生活を送れないのか、つまり、うまく精神が滞りなく活動してくれないのか、という点でした。実際僕はまだ病的ですし、頭痛が常時あるような状態なわけです。結局、ぼくも執着的なんだという結論になりました。これはまさに時間論的な問題で、なにかの外界(自分の外の世界)の現象や内界(自分の精神世界)の現象に自分=自我(ego)がとらわれていることが多く、つまり、自分が自分や周囲におきる現象に引きづられることで起きている、もちろん、自分が「それ」について「考え」てしまっていることによって。
すなわち、左脳的に思考が強く働くことがすでに執着的であり(曹洞宗が「考えるな」と教えるように)、実際その時に頭痛という病的症状が生じていたのです。もっといえば、時間変化する自分を常に素直に受け入れ、流すということができていない、さらに言えば時代の変化する方向にたいして前を向いていないことが多い、ということなのだと思います。つまり、悟りというか真理を見ている状態とは、まさに時間変化する自分と外界を合わせたこの世界にたいして、常に「完全なる前」を見続けることのできる状態を意味するのだと思いました。
なにか自分の精神に去来してもそれは自分と干渉を長くは起こさずに通りすぎていってすぐ過去のことになってしまう。常に来るもの拒まず、去るものを追わない。それが常に変化する宇宙との一体化の仕方なのだと思います。真理の有る無しが問題となるのではなく、真理という「常に浮いた言葉」にもとらわれないで、真っすぐ常に前を見ていられることが真の強さなのであり、ある意味、その彼方向こうにこそ、真理が見えているはずだと推測しています。
今現在、また頭痛が生じているぼくにはそれがさっぱり見えていないわけですが(笑)
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
from: Ryonukisさん
2010年11月25日 19時23分12秒
icon
「REいち:Re:最近考えたこと①」
>一度しかない人生を、暗闇に飲み込まれるのではなく、
命の最大の可能性を生かす為に全力投球する事に命を注ぐ事である。
本当に大切なのは、健やかな自分を守ること!
誰も、私の気持ちを奪う事はできない!
私が決める私の人生、私の幸せ、この手で守らなくて 誰が守る?
―――――――――――――― シモンさん、お久しぶりです。
シモンさんが思想にお詳しいことがよくわかりました。
なんだかいろいろな言葉が矢の様に僕の心を射るような気がしました。
僕は、宗教というのは結局は人々の生命力を最大限引き出すことが目的のように思います。
しかし、それはあくまでも自分=自我(エゴ)からの解放によって、つまり自分への執着を解き放つことで実現するのだと思います。しかも、それは理屈から考えてもわかるように自分の「力」では行えないということが言えます(それ自体が執着のなせるわざだからです)。
宗教はキリスト教では自分を捨てろといいますし、仏教は他力の世界だと僕は聞いてます(五木寛之さん「他力」)。親鸞も心身脱落といっています。
つまり、人は自分の力を忘れ、宇宙の力(他力)に身を任せることでこそ、宇宙からの気のエネルギーが自己に流入し、また、外界へと放出され、気の流れが最大限よくなり、生命力が最大になる。オーラ(気のエネルギーの見え方)が見え、それが聖人の後光と呼ばれるものだと僕は解釈しています。
そして、このあまりある気のエネルギーを用いて他者の治療もできた可能性があります。気は心身の秩序性を高めるという性質を持つとされるからです。つまり、秩序性を高めるということこそ生命力を高めることになるからです。
これは物理学の言葉でいうエントロピー(無秩序さを表す量)を減少させることを意味します。
物理学者シュレディンガーは、「生命は負のエントロピーを食べる」、といいました。つまり、自分の秩序性を維持するためにマイナスのエントロピーを取り入れなければならない。いい空気、いい水、いい食べ物を。ここで、いい、とは自分の秩序性に合い、高めてくれるものを指すわけです(マイナスのエントロピーとは、定義からして秩序性が高いことを言うことになるわけですから)。
気はエントロピーを低くする作用があると医師帯津良一先生は考えていますが理屈から言ってそうですよね。
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
from: シモンさん
2010年11月25日 16時07分25秒
icon
「Re:最近考えたこと①」
自己実現とは、見栄や社会欲を忘れた自分の姿かも知れません。
なりふり構わず誰がどう思うと、興味抱いた事をやっている状態かも知れません。
ただただ黙々と、自分がやりたいと思う事に専念して夢中になっているときの自分。
何も結果を持ち合わせていない状態。どんな価値があるのか、正しいのか、間違いなのかもまだ解らない。
自我というのは、
何かを手に入れた後、自分なりの価値観満足感を抱き、それを誰かに認められたい、それで周りを動かしたい。
そういう欲望に動かされる自分を自我というのかも。
社会の中の自分の位置感、社会に認められたい欲。
それは、自分以外の人間たちをコントロールしたいという大それた想いで、
そこから、人間の苦しみ・不幸は始まる様な気がします。
真実は形を変え意味を変えていく中で、一人一人のその時の状態に合った真実の集まり、つまり総合的に、プラスマイナスで、間違いでも正しくも無い真実は、掴みようの無いものでありながらも、
人間は、バランスの基点を持つ為に、真実という基準を定めたがる。
しかし、常時不動で姿を変える真実は、基準としてこだわればこだわるほど、人生を助けるどころか人間を混乱に陥れ社会を乱す事になる。
仏教的な無の状態とは、様々な見解全てを受け止めて、プラスマイナスゼロという所で納得する状態、自然に任せ、川の流れに逆らわず、それで全ては丸く治まるという観念。
人は一人では生きていけない集団動物。社会に影響を受けながら、自分を成長させていく、社会はそれを助け、妨げもする。
その中で、人はそれぞれに、自分という個人と、社会の中での社会人の自分を捜し続ける。
そういう中で、バランス、平和、調和を求め、その困難さに苦しむ、夢や理想を抱き、力不足か、社会の妨げか、もがき苦しむ。
人の苦しみは、欲しいものが手に入らないという満たされない欲求、
人をわが想いに動かせないもどかしさ、
周りが自分の為に動くべきだという傲慢さから生まれる事が多い。
自分が信じる想いを、自分の力で努力して、得たものをちゃんと責任を持って受け止め、感謝する事ができる人は幸せで満たされた生き方ができる。
=======================================
昔から、日本という国は、とても複雑な社会体制をとっています。
神道:命を大切に、
自然界とのハーモニーを重んじる感謝の道。
儒教:社会の倫理を討ちたてる、
人間社会のかかわりを説く。
命を持って守りぬく忠誠心、武士道。
道教<老子>:人間は宇宙の一部としてつながっている。
魂の世界を語る。
仏教:悟りを開くための永遠の修行のたびを、
様々な命に生まれ変わりながら、自力本願の祈り。
命が授かり、成長を喜ぶ友は神道。
正義と、忠臣、人との輪を大切にと教える儒教。
現世と来世の魂の世界、ご先祖様を敬い、慕い、見守られながら生きる家族愛の道教・老子の教え。
殺生を戒め、己の心と向き合い、修行鍛錬の旅、生と死を繰り返し、悟りを求めていき続ける仏の道。
仏の道で死を受け止める。
大和の心は素晴らしい!!
普通、一つの他力本願の信仰を持って生きる人たちに、
自力本願の、4つの信仰を、うまく調和を保ちながら生きる日本社会。もの凄く複雑。
これらがまた、国民性として、個性の弱いとか、自己主張が弱いとか言われる原因でもある様な気がします。
昔と比べて今は大変西洋化し、個人主義的な社会になってきていますが、ルートを失ってしまっては日本人としての底力は出ない気がします。若者に、もっと、大和の心の ”美" を受け継いでほしい気がします。
========================================
▼.「ゆるすということ」より
ゆるすことは
幸せになるための処方箋
ゆるさないことは
苦しむための処方箋
苦しみの原因が何であれ
苦しみにはすべて「ゆるさない」という種が
宿っていないだろうか?
復讐の念を燃やしつづけ
愛や共感を出し惜しみすれば
健康を害し 免疫が低下することは
まちがいない
当然だと思われるような怒りでも
こだわりつづけていれば
神の安らぎを味わえなくなる
ゆるしとは
その行為をよしとすることではない
残虐な行動を
見逃すことではない
ゆるしとは
怖れに満ちた過去に
こだわりつづけるのをやめること
ゆるしとは
古傷を引っかいて
血を流しつづけるのをやめること
ゆるしとは
過去の影に惑わされることなく
いまこの瞬間に
100%生き 100%愛すること
ゆるしとは
怒りからの解放であり
攻撃的な思いにさよならすること
ゆるしとは
誰に対しても
愛を拒まないこと
ゆるしとは
ゆるさないという思いから生じた
心の空洞を癒すこと
ゆるしとは
過去に何をした人でも
すべての人のなかに
神の光を見ること
ゆるしとは、相手のためだけでなく
自分自身のためであり
自分が犯したまちがいのためであり
くすぶりつづけている罪悪感と
自分を恥じる気持ちのためである
最も深い意味でのゆるしとは
愛で満ちた神から自らを
切り離してしまった自分を、ゆるすこと
ゆるしとは
神をゆるすことであり
神は自分を見捨てたという
おそらくはまちがっている考えを
ゆるすこと
いまこの瞬間にゆるすということは
もう先延ばしせずに
ただゆるすこと
ゆるしは心の扉を開け
感情をスピリットと一体にし
すべての人と一体にし
すべての人を神と一体にする
ゆるすのに
早すぎることはない
遅すぎることもない
ゆるすにはどれだけの時間が
必要だろうか?
それはあなたの価値観しだい
絶対にムリだと信じるなら
絶対に起こらない
半年かかると信じるなら
半年かかる
一秒ですむと信じるなら
一秒ですむ
私は心から信じている
一人ひとりが
自分も含めてすべての人を
完全にゆるせるようになったとき
世界は本当に平和になるということを
ジェラルド・G. ジャンポルスキー
.......................................................
彼のアドバイスを受けてみたいと思います。
自分に言い聞かせている・・・
”ゆるさない!”ことは
怒りや憎しみを胸に抱き、
そのこだわりで自らを縛り付け、苦しみ続ける事への誓い、
ゆるすことは
悪行為を許す事ではない、
残虐な行動を
見逃すことではない
ゆるしとは
怒りや攻撃的な思いで自分を苦しめる事から解放することにより、
平和な心を取り戻し、
光あふれる平和な世界に生きる事を誓う事、
天罰裁判は神様にお任せし、
至らぬ自分を許し、人の誤った判断をも許し、
一度しかない人生を、暗闇に飲み込まれるのではなく、
命の最大の可能性を生かす為に全力投球する事に命を注ぐ事である。
本当に大切なのは、健やかな自分を守ること!
誰も、私の気持ちを奪う事はできない!
私が決める私の人生、私の幸せ、この手で守らなくて 誰が守る?
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 1
icon拍手者リスト
from: シモンさん
2010年11月27日 04時15分27秒
icon
「Re:Re:REに:Re:最近考えたこと①」
人生、何をするか、何になるかじゃなくて、
どういう姿勢で生きるかが全てじゃないかなと思うのです。
そうすれば、
どんな状況でも、精一杯最善を尽くしてすごし、ストレスの無い、満たされた人生が築かれる気がします。
=======================================
(心に残る素敵な話を、私なりに翻訳してみました。)
課題:幸せは自分の心がきめる!
彼は、いつも、おおらかで、前向きで、いい事しか口にしない。
誰かが”どうしてる?”と聞くと、
”これ以上気分のいいやつがいるとしたら、僕の双子くらいかも“と言う様なやつさ。
彼は、生まれつき前向きなやつだ。
もし、同僚が何やってもうまくいかない日を過ごしていたら、
良い状況に目を向けるように何気なく励ましの声をかけている。
彼のそんなスタイルに僕は非常に興味を駆られて、ある日彼に聞いてみた。
”どうも僕には良く飲み込めないんだけど、
如何して君は、いつも、前向きに物事考えられるの?
僕には到底無理な話なんだけど。“
彼は僕にこう答えたんだ。
毎朝目が覚めたとき、自分にこう問いかけるんだ、
”僕には2つの選択がある。
爽やかな気分の朝をスタートさせて、良い日にするか、
気乗らないふてくされた気分で、一日ボーッと過ごすか、
僕は、気持ちのいい1日にしたいと心で選択するんだ。[自分の心が決める]
何かいやなことが起きるたびに、自分で選択するんだ。(自分の心が決める)
負け犬で終わるか、それとも、失敗から学んで起き上がるか、
僕は失敗しても、それから学べたと考えて、
今後失敗を繰り返さないようもっと頑張ろうと思うんだ。
誰かが愚痴をこぼしに来たら、
一緒になって愚痴りまくるか、
それとも、反対に、人生や人の良いところが見つけられるよう仕向けてもいいと、
悪口より、誉め言葉のほうが、後味がいいから そちらを選ぶんだ。“
“そりゃ 理屈じゃわかっても、そう簡単じゃないよ”
と俺が抗議すると、彼はこういった。
”簡単さ。人生は選択だよ。
ごちゃごちゃしたもの取り払えば、
どんな状況にあっても、それにどう反応するか自分で、選択してるんだよ。
人にどんな気分を与えるか、気分良く過ごすか、不機嫌に過ごすか。
留まるところ、“自分の人生どう生きるか 自分で選択”しているんだよ。
彼の言葉が強く心に残った。
しばらくして、俺は、会社を辞め、自分で会社を打ち立てた。
彼とはそれから会うチャンスは途絶えたが、
彼の一言が俺の人生選択に大きく影響したと
時折思い起こしていた。
5-6年たったある日、彼がひどい事故にあったと耳にした。
現場の高層ビルから18m下に転落し、18時間もの大手術をうけ、
何週間もICUに収容され、背中にロッドがいくつも入ったままの状態で、
やっと退院にこぎつけたと聞いた。
事故から6ヵ月後、彼の見舞いに行ったとき、
”気分はどうだ?”と俺が聞くと、彼はこう答えたんだ。
“これ以上気分のいいやつがいるとしたら、僕の双子くらいかも、僕の傷見てみたい?”ってね。
彼の傷を見せてもらいながら、
事故にあったとき、どんな心境だったか聞いたんだ。
そしたら彼はこういった。
“最初に頭に浮かんだのは、もうすぐ生まれる娘が元気でいてくれること“
”気付いたら、床に横たわっていたんだ。
その時、僕には2つの選択があることを思い出したんだ。
”生きるか、死ぬか。“
僕は生きることを選んだ。”
“怖くなかったの? 意識は失わなかったの?”と俺は聞いた。
“救急隊員はとてもありがたかったよ、
僕に、大丈夫だからって言い続けてくれたんだ。
でも、病院についた時、
医者や看護士さんの顔つきがあまりにもこわばってるの見て、
僕、怖くなったんだ。
彼らの目には,“コリャ,死んじまってんな。”って映ってたんだ。
とっさに僕は、必死で何とかしなきゃと思ったんだ。“
“何したのさ?”
”無骨な感じの看護士さんが、僕に大声で質問してるんだ。
何かにアレルギーがあるか無いかってね。
それで“はい”って答えたんだ。
医者も看護士も手を止めて、
じっと僕の返事を息を留めて待ってるんだ。
僕は大きく深呼吸して、叫んだんだ。
“重力に”って!
そしたら皆いっせいに皆笑い出したんだ。
其処で僕はいったんだ。
”僕は生きると決めました。生きる人間として手術してください、
死んじゃうんじゃなくて。“
彼は助かりました。偉いお医者さんのお陰であります。
しかしそれ以上に、彼の、生きる姿勢に、頭が下がります。
‘我々は、毎日 精一杯生きる選択権を持って生きている’
ことを彼に認識させられたのであります。
”態度、心構え“が全てです。
明日のことを心配し過ぎないで、
今日を精一杯生きてみませんか?
その成果が、素敵な明日を運んでくれることを信じて。
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
閉じる
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
閉じる
icon拍手者リスト