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  • from: Ryonukisさん

    2010年09月01日 20時00分53秒

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    学知の移行期3

     実は道(タオ)もさっき示唆したようにはっきりとした構造を持たない、定義できず、しっかりわかるものではないと言った。つまり構造主義的な理解ができないポスト構造主義的な概念なのだ。このことはとても示唆的だ。
     これは時代が論理的思考という自我機能の最たるものから東洋的な直観重視の時代へと移行しつつあると考えられないだろうか。もちろん数学にも論理主義と直観主義とがあり、じりじりと前者側から後者側にむかって重心移動しつつあると僕も感じている。
    そもそも人間の精神機能はユングのタイプ論的に(縦軸):思考⇔感情、(横軸):直観⇔感覚の4種がある。人間に特に特徴的なのは縦軸だと考えられるが、もちろんこれは文明的機能とも言えそうだ。これからは横軸が重視される可能性が高い。少なくとも今までみたいな因果律一辺倒ではなくなるはずだ。単純には文明的に進み過ぎれば自然との乖離で滅びかねないということだが、もうちょっと理屈っぽく述べれば今みたいになる。
    わかると思うけど直観的とは宗教的とも言える。学問は思考的。つまり、学問は宗教にやや近付きつつあるということになる。パラダイムの最も大きなうねりといえないだろうか。本当の結末はどうなるかわからないが、僕の最も根本的な意味での「予測」は以上のようだ。もちろん、そのときの学問の姿の具体的な形がどんなものかまでは今の僕にはイメージできない。しかし方法論的な大きな変更、つまり、「論理実証主義」→「全体を直観する(精神が知的に直接見る)ことを以前より重視」を受けることがわかったなら全体の姿がどうなるかは少しは予測できるのかもしれないが(統合融合が進み全体主義的知への試みが盛んになるという皆が言ってることくらいだ)、詳細についてとなると僕には全く手に余ることになる。

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