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from: Ryonukisさん
2010年10月22日 02時38分19秒
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無とはなにか③
神話には意味がある。ロゴス以前だが。精神病患者は神話の断片を口にする(ユングの研究)。しかし、かつて神話は世界観だった。我々現代人は神話のような「非論理」的な言明を理解できない。理解できないのは当然だ。それらは恐らく全体論的だからだ。
理解は通常、理に解する、つまり理法の段階まで分解することで物事を把握することを意味するからだ。学問的にエッセンスを捉えるとはそういうことだった。
だから、僕は極端な話、複雑系などの理論は古代人のほうが「分かる」かも知れない、という言い方がしたくなる(笑)。現在流行りの複雑系科学などのメゾスコピックな(中間的な大きさの)系の科学に必要な頭の働かせ方は全体論的だからだ。単に分析的な思考のみでは「分からない」。
「我々は全体論的な知の形式を持たない」、と佐藤文隆先生(理論物理)はおっしゃったが、知を通常のロゴスの範囲に限らなければ、それはあてはまらないと言えるかもしれない。それがどんな知の形式となるかは不明なのだが。それこそ、ロゴスと非ロゴスの中道とも言うべき、知の実践(研究)においては日常茶飯事なものを、あらわにすることに外ならないのかもしれない。
仏陀が真理は言葉で言えないといったが言葉でなければ言えるのかとかからかったりしたら、馬鹿にされるだろうか。
これからの時代は特に、欲のある人は学問ができないなんてことになりはしないか?(笑)
有(意識的)の論理(ロゴス)と無(無意識的)の論理(ロゴス)の中間領域はちょうど座禅や気功が目指す精神領域(脳波でいうとミッドアルファ波10ヘルツ)なのだから。
もっとも「神話」の「論理」を「応用」できればそんなことも必要なくなるのかもしれないが(笑)
僧侶が学者を兼ねてた時代があったのは示唆的だし、ある意味平穏だったろうなとか思う。
(ここまでの考察で、西田幾多郎の、絶対矛盾の自己同一:「Aは非Aであり、それによってAである」という「非論理的な」命題を多用させていただきました。西田の思想的背景もなかなかおもしろそう)-
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