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  • from: Infophysさん

    2011年11月19日 05時55分04秒

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    ライプニッツのいうモナドの明るさについて

    Junoさん、いつも拍手ありがとうございます。
    読んでいていただけて嬉しく思います。

    ささ哲学隊ネットへの日記の書き込みからの抜粋です。以下から...。



    [究極的にはどうなのかと言われると怪しいけど、

    ぼくの知力で数学の一番むずい、リーマン予想を理解したり、僕の運動能力でオリンピック選手が棒高跳びをやるときに必要なイメージトレーニングを行うことなんてまず不可能なわけで(もっと単純に赤外線や紫外線は人間には見えないこととか普通)、


    儒教の四書のひとつの大学に書かれている、毎日、理を極めることで、ある閾値を超えた辺りで急に到達するという脱然貫通(もしくは豁然貫通)、要するに悟りだが、その域に達することがあれば、すべてがわかってしまうらしいので(熊楠の言う一切知のようなもの)、どうなのかわからないけど、
    やはり普通は自分の能力の限界は、脳の器質的な条件や、身体的な条件や、心理的な条件に拘束されていて、かならず生身の人間であるかぎり、制限付きの「自由」しかない。

    つまり、本質的には物事を理解したり、イメージが沸くかどうかは、ともに気の問題であるというか、すべて気を通じてであるので、人体にひそむ邪気や気の流れの悪い箇所が無くなるような修行をすれば、丹田にあるミクロコスモスからの情報がすべて、脳にあるという第三の目で直観できるようになるから、世界のおよそすべてを把握することができるようになるらしいのだ。

    ただ、豁然貫通は全ての理を直接的に、極めなければならんわけではなく
    ある一定程度以上、丹田からの情報を制限してしまっている、邪気邪念を勉強等による理解の積み重ね(腑に落ちる、の繰り返し)で追い払っていくと、ある日、急激に、到達してしまうという。

    ま、いずれにせよ、完全な明るさをもちうるのは、神様だけだというライプニッツの意見は、事実上、すべての気を統御できる存在があるとすればそれを神とよんでいる感じだし、理神論ならぬ気神論が可能であるようにおもう。

    哲学者カッシーラーはその明るさを、人間の扱えるシンボルの種類や数で表現しようとしていたようにみえる。]

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