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  • from: Infophysさん

    2011年11月20日 13時22分37秒

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    他者の存在とは自分を自己(中庸)に近づけてくれるもの。

    結局、

    周囲人が自分にとやかく言ってくれることというのは、
    なにか、過ぎたるは及ばざるが如し、的な指摘であることが多いのかもしれません。
    要するに、自分よりも、他者(自分以外の存在という言い方の方がいいかもしれませんが)の方が、自分の本来の状態からの偏りに気づいてくれやすいのかもしれませんね。
    何でも受け入れていいわけでもないでしょう。
    しかし、本質的に正しく解釈をすべきではあるでしょう。

    そうすることで、受け入れるべきことを受け入れれば
    着実にぼくらは中庸すなわち自己認知へとみちびかれていくことは明白です。

    いわば自分の、自己および中庸からの逸脱に対し、微妙な感覚を持っているのが周囲の存在であり、言ってみればそれに対する作用反作用的な反応を環境が行っていると考えられそうです!

    自分の気持ちや感情のゆらぎや中道から大きく逸れた行為に対する環境的な「気」の反応の仕方には充分な配慮をすることが望ましいのかもしれません。

    人類の自己なるものを想定した場合、そこからの自我の逸脱が環境からはねかえって、自分達を苦しめている、という近代的自我中心主義による環境問題の構図とおなじといえるでしょう。

    人類がうまく自己認知に至る方法論の確立が急がれる現代という時代において、その期待を背負えそうな文化的要素としては、存在のすべてを扱い可能とも言える、情報という概念を基軸とした情報学や、古代には当たり前だったという神話や伝説、民俗を題材とする物語的思考、そして、古来から人類文明の中心として存続してきた代表的な宗教たちの存在が挙げられると思います。それらすべてにかかわる概念こそ、「気」であると言えます。中国の思想では、気は当たり前ですが、実際にはそれは古来からマンダラ等とと多くの人々に知られた存在だったのです。世界のどの文化を見てもこのマンダラと気の存在しなかった文化はなかったと言えそうなくらい、プライマリーな概念なのです。
    これほどの普遍性をもちながら、多様性をも持ち合わせた不思議な概念は他にあるのでしょうか。

    気が現代社会に公式に認められる必要性を感じるのはこのような理由からです。しかし、科学がその存在を大っぴらに認めない以上それは難しいでしょう。
    それくらいに、現代という時代は科学に依存しています。
    しかし、ぼくは情報学というか情報科学、情報の理論という立場からはこの気という概念にダイレクトに迫れる可能性を感じるのです。

    僕の最近の関心のまとはまさにそこです。
    その「理論」の完成こそ、人類の未来を切り開くであろう礎になるはずだと信じて止みません。

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