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  • from: Infophysさん

    2012年04月27日 06時55分36秒

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    文明の利器が勉学の質を落とす理由について

    テーマとしてはそもそもそれ自体のなかで賛否両論ありそうなので
    利器がある場合よりも無い場合の方が勉学の質が良くなる場合と
    その逆の場合を平等に検討すべきかもしれない。

    しかも、勉学の質、の質とは何を意味するのか不明確である。

    これは、そもそも、学問がなんのためにやっているのか、という問題と絡むと思われるが、これまた、様々な案がありそう。

    ぼくは後者の疑問に対する他の人の意見を今のところよく知らないので、
    そこはこの場のシステムが役に立ってくれるものと信じて、
    ぼくはぼくの今まで知り得た事柄からの判断に頼ることにする。

    学問や宗教等の智慧の役割とは、
    カオスの統御(カオス[混沌]⇔コスモス[秩序])
    であり、常にそれを目標としているとぼくは考えているので、
    [そもそも言葉や文字の発明自体が、様々な情報の本質を抽出して純化し、一つ一つ人間が自分の頭で統御し得る形にし、世界を分析的に把握しうるようにするための工夫だったとも言えるとぼくは思うのである。
    そのようにできている言葉や文字で様々なcaoticな(無秩序な)情報を概念的な営みによって秩序付けていく。自分の情念、すなわち欲望・煩悩をいかに統御するかが宗教の本質であることを考えると、そもそも、この情念こそがcaoticなものの最たるものであることに気づかされる。つまり、世界を思い通りにしたいのが学問で、そもそもその思い自体もどうにかせんとするのが宗教・道徳であるというような言い方ができるような気がするのだ]

    その目標に到達するための理にかなった方法を
    勉学(や修行)の方法として良いものと判断することにする。

    そういう観点からいくと、caoticな情報の統御能力が向上する方法こそ優秀な方法と言える。

    しかし、そう考えると直ちに、
    文明の利器に頼ることがいかに非効率的というか
    その勉学の意義を半減させるものであるかが明らかとなる。
    なぜなら、自分の頭の情報統御能力の一部を文明の利器に肩代わりさせるということが、一時的な統御能力の向上を感じさせたとしても、結果として、
    その甘やかされた脳は統御能力を従来より低下させることになり、人間は文明が進むほどむしろ馬鹿になるというアイロニカルな結論を導くことも可能である。それはわれわれの経験や知識の中の事実とあまり矛盾しない。
    そうでなくとも、電子辞書が紙の辞典に比べ、その使用中の脳の働き方が悪くなるという実験データさえ得られているようである。

    しかし、一歩ひいて考えてみると、言葉や文字がなかった頃の人間の頭ははたしてそれらの出現以降に比べ情報の統御能力が落ちたかそうでないか、問いたくなる。文字や言葉とて文明的ツールとしての最たるものとも言えなくはないのだから。しかし、これも実は真面目に検討すべき事柄かもしれないと思ってしまう。それは特に次の意味においてである。

    私たちは太古の昔に言葉を産み出した人々に比べ、言語の扱い方の質を落としている可能性がある、というかそれはほぼ疑いがないように僕には思える。太古の昔、言葉を産み出した人々にとっては、言葉、単語一つ一つが
    情報をどのように統御しているかを熟知していた可能性がある。語源がその言葉の本質をうまく捉えていることが多いことはそれの引用が多いことからも推察できるが、それを自覚的に使っていた可能性のある人々がどれだけ円滑に物事を把握できたかは想像に固くない。もっとも数世代のうちにそんなことは廃れていた可能性も考えてしまうのだが。

    逆に、私たちが物事を学んで様々な概念を自在に使いこなせるようにしようと思ったとき、これらのことを念頭に置くことが肝要となる。
    すなわち、概念の一つ一つがなんらかの情報を統御するために必要とされており、書物にかきつけられた文字情報や先生方の放つ言語情報もなんらかの情報、事象を統御している存在であり、しかもそれが初めて見たり聞いたりする我々にとっては、はじめはcaoticな情報でしかなく、それをcosmicな情報へと自分の脳が認識し直し、自分自身がその先達の統御していたであろう情報を統御しうるようになろうと努力しているのだという自覚を持つことが、学びの効率化に真に役立つのではないかと思ったりするのである。

    学術的な研究についても、結局、概念的な営みからはみでることは無いと考えられるから、自分に対し様々な概念の統御を関係的把握の中で可能ならしめながら、情報統御の範囲を徐々に、また時には一挙に、拡充することに成功することを目指すものである、という捉え方が有効であるように思われる。

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