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  • from: Infophysさん

    2012年05月12日 21時29分13秒

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    観(知)の創造とその循環性―諸行無常と統合的精神の相克―

    ヘラクレイトスのいうように、万物は流転する。
    同じ流れに二度と戻ることはない。
    そう言う彼が言うところのロゴス、すなわち論理は
    ある種の形成作用であると西田は言う。

    となると、一人の人間ないし人類が、永久に不変の何か、即ち知を獲得することがあるとすれば、その知の形成作用そのものに対する認識・認知が真の知に相当すると言えないだろうか。
    我々の脳ないし精神がどのように次から次へとやって来る情報を処理していっているのか。

    恒に変動しているこの世界に対して、
    一定の見解を持ち続けようとしているとは思う。
    (諸行無常という観念もその一つだと思う。
    変化しないものはない、という定まった見解だ)
    そうでなければ安定・安心というものがなくなってしまう。

    一般に知というものは、ライプニッツ流に、この世界の全体情報を集約的に部分である我々の精神にフィードバックすることであるという言い方はできると思う。
    しかし、そこで実際に起きていることは、つまり、精神で起きていること、行われていること、すなわち集約という作業は、経験・体験・実験で得られる情報(データ)の整理や、帰納や演繹そして論理的思考による関係付けという形態で行われているのだが、これによって導き出される結論でさえ、真理と呼ぶのがためらわれるのはなぜなのか。つまり、哲学であれ、科学であれ、実証されたとされる方程式であれ、真理かといわれれば多くの人は言葉を濁さざるを得なくなる。

    この限界を突破したり、せめて、科学の成功すなわち集団知の成立による「普遍性」の獲得をより確かなものにしていくような方法論や考え方をどう見いだしたらいいのか。

    そこでもう一度はじめに戻って、ロゴス(論理、討議する言葉)というものを形成作用とみなし、それにまつわる法則性を探る、というのは意義があることのように思える。

    そして、その形成作用が人間(人類)の内部において、どのように進行していくのか。それを知る術(すべ)はあるだろうか。

    要は、汝自身を知れ、が哲学の至上命題であったように、
    今になってみると、知とはなんなのか、どういうものか、
    それを知るべき時が来た、
    特に科学という人類のあらたな偉大な創造物を前提としたうえでの知の自己循環的把握、それを人類はいまこそ、やろうとしているのではないかと思えるのだ。


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