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  • from: Infophysさん

    2012年07月03日 07時19分52秒

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    見たい現実から救われたい!?(ちょっとお久しぶりになっただけでした)

    皆、見たい現実しか見ない。

    これはカエサル流の
    エゴの存在によって真実を観る事ができないという人間の大欠陥に対する、さまざまな感情のこもった表現であると僕は観る。

    エゴの存在は自分の世界に対する観方に偏りや歪みをもたらすものであるという認識が仏教的に(普通に)ありうるわけだが、

    これを示す顕著な例として"逆説"を挙げたい。

    (「老子」などによく見られる)逆説的表現が真理・真実として語られ、いちいちはっとさせられるわけだが、ではなぜ逆説からは真実の香りが強く感じられるのか、時々考えることがあった。

    逆説の特徴は、普通こうだと思うのに、現実はそれと逆である、ということを言わんとしているところにある、というか逆説とはそういうものであると捉えられるだろう。

    すなわち、普通こうだと思う、という「思う」とは「我思う、ゆえに我あり」の「思う」である。したがって、エゴ(自我)とはそもそも自分の都合に対する態勢を意味するのであるから、文字通り「思う」にはそのようなバイアスがかかる。

    そもそも思考は世界の一部しか観ることができないのであるからある意味原理的に偏るとも言えるが、問題なことにその観ている内容の解釈自体にまでバイアスがかかってしまうことがほとんどであるということのようだ。

    [デカルトは当時最高の頭脳とみなされていたようだが、もし彼の成果がこの言明または命題に集約されるというなら、下手したら最高の知性どころか最高の痴性とさえ、みなすことが可能になるといえかねない。
    近代がいかに危険な思想に基づいて進行してきたか、この考察から明るみに出される気もする]

    したがって、その結果として逆説的表現についていえることは、エゴのもたらしたバイアスの分だけさかのぼる思考を付け足して行うことで、いわゆる無の境地の次元に立ち返り、トータルとして偏りのない中正な表現に落ち着くことができる、ということだと思われる。
    いわば思考の発生する以前の中立的な状態(中庸といってもよいだろう)に、思考を行いながらも立ち返るテクニックこそ、「逆説」なのだと言ってみたくなるのだ。

    なぜ、真実は逆説的であるかということの僕なりの解釈は、こんな感じである。


    画龍点睛になるが。。。(んなわけはない)
    [カエサル名言集]

    「見た。来た。勝った。」
    戦争勝利の元老院への手紙報告。これだけ。実は語頭はすべて"V"であるそうだ。つまり、韻を踏んでいる。かっこよすぎて失神しそうである。

    「賽は振られた」
    ルビコン河(川といいたくなるくらいわりと幅の狭い河だったようだ)を軍を率いてローマに向かうことは文字通りクーデターを意味し、はっきり言ってそれ以上の罪もないだろう。このとき、彼はかっこつけたことばかり言う代わりに、むしろ自分も命が惜しいという本音を余裕をかまして言ってのけたそうだ。この辺りが女性にもてる所以でもある。結局、逆に執着の少なさを物語っていると思われる。そう、かっこよさとは執着の無さなのだ。最近よくそう思う。まあこの言葉はどこかかっこいいけどね。(すごろくの駒かあんたは。賽は神のものってわけか)

    「仲間内でしか使わないような言葉は船が暗礁に乗り上げるのと同じで避けなければならない」
    文学的名著とされる彼の著作、ガリア戦記などはこの信念の下で書かれたのではないかと思う。一切の気取りが排除され、淡々と、そして、冷徹に事実が述べられている。これも先ほどの考察からわかるように、エゴの排除が徹底された結果であるともみなせる。

    「みな見たい現実しか見ない」
    先ほど述べた内容。

    「ブルータス、お前もか」
    暗殺されたとき、暗殺一味に自分の後継的立場のひとりと考えていた人物が含まれていたことに対する落胆を吐露したものと目されている。
    それにしてもパルティア遠征なんてやめときゃよかったのになと思う。これに対してもうちょっと慎重になって、内政に力を入れようとしていたならば、彼も注意力のバランスを崩さずに済んだし、反逆者をうまく丸め込む余裕もできたかもしれなかったのに・・。しかし、彼の直弟子とも思えるオクタビアヌスは、彼が死んだからこそ、本領を発揮できたのかもしれない、と思ったりもする。やはり歴史というものにイフを言うのはどんな場合においても野暮なのだろうとおもう。

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