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  • from: Infophysさん

    2012年09月26日 18時35分01秒

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    またわかってきた。

    なぜ、マンダラはフラクタルなのか。
    聖人は何を観たというのか。

    ぼくは心、すなわち気は量子情報だと思うようになった。
    この世界は押しなべてカオスだ。
    その構造がフラクタルであることもわかっている。

    量子カオスということばもあるが、
    ミクロレベルでもやはり、フラクタルなのだ。

    体内に存在する経絡をとおったり、丹田に集合する気は量子情報とみていいと思っている。もちろん、脳(上丹田)にいきわたる気もそうだ。脳に気息が行き渡っていることは彼のデカルトでさえ認めていたようだが、彼にして物心二元論、近代的自我中心主義は始まった。

    精神の均整または平衡の実現が悟りだと思う。
    徳という字の字源である、「直き心」も均整のとれた心を意味したはずだ。

    世界のすべての関係性に関する法則性に気付いたとされる
    ブッダは確かにその安定的な平衡を実現しえたのだと思う。
    すなわち、量子情報、量子カオスのフラクタル構造を認識したものと思われる。

    正確には量子のミクロレベルから宇宙・世界のマクロレベル、スケールを問わないフラクタル構造を認知したというべきだろう。彼は時空を超えた世界のすべてを一挙に観たはずだから。

    外界・自我・内界という世界の構造の中で、通常、フラクタルが実現されない原因は自我(ego)がさまざまに歪(いびつ)な構造をとるからであるようだ。

    エゴイズムは結局自身を苦しめる。それは外側と内側を貫くフラクタルと整合しないからだ。

    自我が、外界と内界がフラクタルにできていることに気付き、その自分の歪さを治そうとするとき、それは改心(回心?)することになるのだろう。それは、苦しみ(ストレス=歪み)から救われることを意味する。



    改まって。

    真・善・美・知・徳・聖・道(tao)・中庸・安心・健全・健康・真の自由

    まだありそうだが、これらすべての本質は、

    量子情報の均整さ(フラクタル構造、自己相似)

    という表現で事足りる。

    しかし、「実際」はそう単純に終わらない。
    西田幾多郎の言うように、

    Aは非Aであるから、それによって、Aである。

    つまり、

    cosmosはchaosであるから、それによって、cosmosである。
    かつ、
    chaosはcosmosであるから、それによって、chaosである。

    すなわち、聖俗一致が真実なのであり、それが理解できてこその、偏りのない量子情報の均整さの実現となる。

    何が言いたいかというと、結局、
    ありとあらゆる概念は偏りや偏った観方を生じさせる。

    したがって、
    それを帳消しにする表現であればこそ、真実・現実に到達できる、

    中立的な表現。逆説。循環(?)。無言。不動。

    これらによってしか、真実・現実は言い表せない。
    だから、
    均整と不均整を併せ持ってこそ、真(≒real)ともいえる。
    これは、不均整(chaos)の存在なくして、均整(cosmos)は創造性(creativity)を持ちえないことを意味する。

    つまり、生きているということは、または、創造的に生きるということは、健康と不健康を併せ持つことを意味する。また、均整を強くすればするほど、不均整は勢力を増すともいわれる。つまり、善が勢いづくとき、悪も同じように勢いづく。

    完全な均整を得るとき、その存在は生命ではない。または、永遠の存在となっている。

    (真という字の字源を白川静の字典で調べると、死んだ人の首を意味するという記述がみられた)


    だから、

    相反するもの同士の量や均衡の調整が生きる上では重要だという結論がでる。

    単純に不均整が生きにくさを生じさせるわけではない。
    均整と不均整の種類(すなわち概念・観念の種類など)、それぞれの量やバランスが重要だ。

    しかし、これは自ずから然ることでしか上手く御することはできないかもしれない。

    自分自身が量子情報(この世界全土にゆきわたる)であるということを認知することが、
    それだということになるのだろう。

    それが仏教でいうところの自己認知、悟り、フラクタルであるマンダラを直観すること、であると同時に、ライプニッツの言うモナドとしての自分を認知することであるようだ。


    量子生物学がわかってこればおのずと明らかになりそうなことばかりなのだが・・・。

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