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from: caminoさん
2010年12月12日 18時07分03秒
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人生が実質的には終わってしまった日
「私はあの井戸の底の、1日のうちに10秒か20秒射しこんでくる強烈な光の中で、生命の核のようなものをすっかり焼きつくしてしまったように感じるのです。」(ねじまき鳥クロニクル第一部)
この男は井戸の底で人生を終えたと語っているが、実質的には死んでいるのと同じ、という生の状態というのは実際存在するんだろうか。渦中にあって自分では虚しく思ったとしても、振り返ってみるとそれは必要な空白だったと、そう思えないか。それは人間の特権かもしれないが、そういう切り口でちょっと考えてみてもいいんじゃないか。まあそう思えるかどうかが問題なのか。
「実質的な生」というか、話はちょっと変わりますが、時間の流れは相対的で、振り返ってみて記憶に残っているような瞬間は思いのほか少ない。友人を思い浮かべるとき、その姿は直近の記憶とは限らない。その意味では実質的に生きていると思える時間を積み重ねることができれば幸せであります。
記憶に残る瞬間といえば、人生最初の記憶って何?みたいな会話とかします?退屈?素敵な女性とです。真に興味をそそる。そのひとが月と太陽とどっちが好き?と聞かれて何と答えるのかも知りたい。その瞬間のぼくは実質的にも生きているいえる。
底に青い渦巻の模様が入ってるおちょこあるじゃないですか。ぼくの人生最初の記憶はそれです。
石油ストーブの匂いと襟ぐりにまとわりつくセーターの感覚を伴うから寒い季節だったと思う。結露した窓越しに見るように情景はかすむ。法事だか新年会だか、その頃はまだ親戚がうちに集まっていた。喉が乾いたぼくはおちょこを手に取り、底に描かれた渦巻き模様を見やり、そして透明の液体を何故か飲んだ。ぐるぐるぐるぐる…。
遠くで心配する叔母さんの声が聞こえる。
逆に直近の記憶で、例えば至福を感じた瞬間はというと、スタバのテラス席で30分ばかりうたたねをした時間。もう半年も前ですわ。初夏の陽射しを避けてウトウト。ここにも書いた。極楽でありました。あゝ今年は旅行に出ていない。
最も絶望に近づいた瞬間の記憶ももちろんあるが、それは自重。5年くらい前かな。中野区の中央図書館での記憶。はは。
そうそう、司法試験を初めた当初、エアロスミスの新譜を合格まで買わないと決めた。というか、なぜか買えない。今でもです。これなんか人生が実質的には(部分的に)死んでいるという実体験といえるかも。もう強引に動かすべきかもしれないな。CPRが必要だ。
書き途中の記事がたくさんあるが、全くまとまってくれない。今年はまれに見る一年で極めて悩みが深い。なぜだろう。-
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