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from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん
2009年04月11日 09時16分52秒
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あのころ二人のアパートは……
☆(⌒杰⌒) AMA-G'です
あのころ、
二人のアパートは……
と言っても色っぽい話ではなく
学生寮仲間だった男と隣り合わせで借りていた
古いアパートでの話だ。
もう三十年前になるかな、
その男とは大学の同じ学生寮に3年いたが
四年生になると退寮するきまりだったため
知り合いの伝でそのアパートの隣り合わせの部屋を二人して借りることにしたのだ。
ある日、そう夏の日の温かな雨が降っていた日のこと。
そいつ(仮にBとしよう)の部屋から薄い壁越しに聞こえてきたのが
「松山千春」だった。
Bは西の方の出身で
本当は考え深く理屈が好きなのだが
普段はアホなことばかりいっているスケベーなヤツだった。
千春の歌は、Bの知り合いが持ってきたカセットテープに入っていたのを
何の気なしに流していたものだった。
千春の「銀の雨」は、
当時のAMA-G'には、なんだか女々しい、
なよなよした男の歌にしか聞こえなかった。
Bの知り合いの男Kは、
いまでは、Bがいる街よりさらにずっと西の方で
動物病院を経営しているが、風貌に似合わない
ロマンチックなことを言うヤツだった。
Kは女子寮に彼女がいて、卒業後に結婚したが
もしかしたら、千春のテープも、彼女の持ち物だったかもしれない。
千春の歌を初めて聞いてから
やがて彼の歌が自分にとってかけがえのないものになるのは
それから二十年の時が必要だった。
AMA-G'は
大学卒業後、西の方の街にある
売上100億ほどの企業に就職したものの、
ちょうど3年で、卒業した大学のある街に戻ってきてしまった。
その後、いくつか働く先を替えた頃、
時代はカラオケボックス全盛とになり
やがて、それは格安の料金設定と充実した音響設備・料理で
AMA-G'の趣味の一つとなっていった。
70年代フォークと洋楽ばかりを歌い、
全国ランキングに挑戦するようになると、
自分の声質がどうやら「千春」に適していることが分かった。
会社の上司と行く程度の機会しかなかった
スナックで、店の娘におだてられても
本気にしない自分であったが、
全国ランキングで、千春の楽曲が上位に食い込めば
おのずと練習にも熱が入るというもの。
千春はほぼすべての楽曲が
彼の手によるものだ(調べてはいないが…)
その楽曲のテーマは、まるで、カントリーかブルーグラスのように
ほぼ一貫している。
それは「愛or恋」「人生」「自然」である。
異論はあろう。
多くの「千ぃさま」ファンからの異論には
千春フリークとして、正しく対抗させていただく。
アメリカン・アンプラグド・ソングともいうべき
CountryやBluegrassで歌われるテーマは
恋人との出会いや別れ、〓に感謝しつつ生きる人生、あるいは
故郷の山や川を題材にしたものが多い。
千春の代表曲「大空と大地の中で」では、
マイナス気温の野っ原で、手袋も履かずに、吐く息だけで
暖をとりつつ、人間は孤独なのだから、
誰の力も借りずに、自分の幸せだけを考えて生きろ
と叫ぶ(違うか?!)
名曲「恋」では、
一向に煮え切らない男に愛想をつかして
洗濯物もたたまないまま、不用心にも、部屋の鍵を
ありきたりな場所に隠して出て行ってしまう、冷たい女の心情が
表現されている(違うか?!)
いずれにしても
千春のおびただしいオリジナル曲には
常に一貫した底意が織り込まれているのだ。
AMA-G'のように、
1970年代から90年代までの
千春の楽曲を一つづつ歌い弾き語っている者にとっては
千春のこうした、ぶれない自己主張に、とても大きな共感を
覚えてしまうのである。
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