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from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん
2009年06月08日 12時29分03秒
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アコギなら、恋だの愛だの平気のへっちゃら
コンチ、お日柄もよろしいようで
(モチはモチでも太鼓持ち、ほんに喰えない奴っちゃで)
★(⌒杰⌒) AMA-G'です
その昔、
恋だの愛だの、好きだの愛しているだのと、
歌の上でも、そんなセリフを口にするのが、ひどくこっ恥ずかしかった。
世の中に流布する歌の八割がたは、
恋とか愛をテーマにしている(たぶん)。
少なくとも、AMA-G'の好きな松山千春の場合はそうである。
〔千春の世界〕の三大テーマは「愛・自然・人生」なのだ。
*Pho. Amazon.comより
ミスチルもスピッツもグレイもSMAPだって同様。
どんな歌にも、その中には必ずといっていいほど
〝愛と恋のフレーバー〟が軽くまぶされている。
息子達やヨメはんとカラオケに行って、
親父であり旦那である、私というおやぢが
その手の歌を唄うのに多少なりとも抵抗を感じるのは、ごくノーマルな精神だ。
ついこの前まで、
私は結構、普通に、ヨメはんに向かって〝愛しているよ〟
と、すかしたセリフを吐いていた。
普段、そんなセリフなどおくびにも出さないアコギ弾き達は
アコギで弾き語りを始めたとたんに
愛だと恋だの、好きだの愛しているだのという
すかしたセリフを平気で口にできるようになる。
中学くらいからアコギを弾き始めた人たちは
憧れの彼女に〝好きだ〟のひと言はいえなくても
学校祭のステージで♪君のこと愛してるぅぅぅ♪なんて
すました顔してババンバ〜ン…と、唄っていたわけだ。
それが、アコギの魔力だ。
エレキでも一緒だべって?
違うね。
アンプラグドのアコギだからこそ
そんなすかしたセリフも違和感なく吐き出せるのだ。
では、論理的にそれを証明しよう。
広いスペースや電源を必要としないアコギは
時と場所を選ばすに、その気にさえなれば
レパートリーである愛の歌を弾き語ることができる。
聞かせる相手に心の準備や先入観がなくても
ごくさりげなく、弾き語りを始めることで
さしたる躊躇もなく♪君が好きだ〜♪と歌えるので
聞く人は、〝あ、この人はいつもこういう歌を唄っているシトなんだ〟
〝まるで欧米人が軽くキスをするように、こんなセリフを普通に使ってるんだ〟てな
感想を持たれる訳です。
ところが、
エレキだと、どんなにコンパクトでもアンプが必要だし、
乾電池でもコンセントでもいいが、電気の供給態勢を整えなければいかんので
いかにも〝さあーようやく準備が整いました、それもこれも、
これからボクが愛とか恋の歌を唄うための前段なのです〟みたいな
いやらしいわざとらしさを避けることは容易ではない。
ピアノマンなんて、
いくらリチャードクレイダーマンのような金髪イケメンが
その手の歌を唄おうとしても、まさか、お風呂屋の2階の物干しベランダや
下町の川っぷちのアパートの四畳半の小部屋、あるいは、
おもしろいから入ってみようよと彼女を誘い入れた押し入れの中で、
アコギのように弾き語りはできはすまい。
フィドラー(バイオリニストの事ね)の場合はどうか。
弓を操りながら歌おうにも、相手の目を見て、弾き語りは出来んべや。
トランペッター、縦笛吹き、マリンバ叩き、和太鼓奏者などは論外。
フラットマンドリン弾きは、やってできないことはないが
普通の女性でフラマン知っている娘は少ないべ。
紛れもない、B級・C級、もしかしたらG級くらいの
へぼいアマチュアアコギ弾きの自分でも
ちょいとアコギを初老腹にかかえて
弾き語れば、それなりに格好がつくのだから
アコギ恐るべしなのだ。
というわけで、
今週末も、AMA-G'は、アコギで愛だの恋だのの歌を
厚顔無恥なおやぢ面をぶら下げながら、弾き語るのであります。
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