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from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん
2010/08/25 18:21:00
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老いの進化形態「歯→眼→○ン」…まったくそのとーり
裸眼で1.5…あの日に戻りたい。見えなさ過ぎて困るのぉーーσ(^◇^;)
★(⌒杰⌒) AMA-G'です
中近両用眼鏡をこしらえた。
いわゆる老眼になったからだ。
大学時代から近眼用の眼鏡をかけ始め、以来、度数は多少進んだが、
いまでも裸眼で0.3から0.5くらいあるから、眼鏡無しでも、
横山のやっさんみたいなギャグにはならない。
それが、
最近、アコギを弾いていて、目の前に置いた楽譜が見づらくなった。
ためしに、裸眼で見たら、くっきり!
これが年相応の「老眼」というヤツだ。
俗世間では「歯→眼→○ン」の順で男の老化はやってくるというが、
いまじゃワシも立派に老化の三つ揃いだ。
処置済みだらけの上下の奥歯。
沁みて臭ってがたが来た。
○ンはいわずもがな、欲情機会が激減した。
そして、ついに、〝老眼の美壮年〟というわけだ。
ところで、
老眼というのは、眼の悪い人だけがなるのではない。
勘違いして、近眼でねない自分が、なぜ老眼に?という人もいるらしい。
それまで、普通に裸眼で見えていた人も、きちんと「老眼」にはなる。
何が往生際が悪いかって、
年寄りの冷や水ほど見ていて悲しいものはない。
頭頂禿げなのに長髪、老人優先席にワザと座りたがらない、
やけに若ぶった服装や発言で若者に対抗する、歳を聞いてもなかなか教えてくれない、年寄り扱いすると露骨ににムッとする…など、
五十、六十なら立派に初老、七十、八十ならどんなに頑張ったって余命いくばくもない。
おじいならおじい、おばあならおばあ、それでいいじゃないか。
そんなこんなで、
「老眼鏡」を作ることになった。
「老眼鏡」には、おおまかに、遠近両用と中近用と極近用の三種がある。
よく、CMなどで、
遠くから近くまで境目のない遠近両用とかいうが、
〝老眼鏡初心者〟は、「中近用」から入るといいらしい。
中近用は、手元からだいたい目先2〜3mくらいまでが良く見えるように設計してある。
当然、近眼用眼鏡のように、遠くははっきり見えないから、
外を歩いたり車を運転するのには向かない。
有名メーカーのレンズと高級フレームを組み合わせたりすると
10万円以上する老眼鏡もざらにあるそうだが、
もっぱら、テスクワークで使用する老眼鏡なので
ディスカウント眼鏡店でこしらえることにした。
それでも、
紫外線カット機能を付け、かつ軽量レンズにしたので
そこそこの値段にはなった。
フレーム素材はさびにくく軽い「チタン」を選ぶ。
調べてみると、フレームの素材は今や実に多種多様であり、
プラスチック・セルロイドから木・皮革・アルミ・マグネシウム…と
まるで化学の原子記号みたいなラインナップだ。
手元の楽譜は確かに見やすくなった。
さらに1〜1.5m先の譜面台もまんずまんず良く見える。
近眼用とかけ比べたらその差は歴然。
デスクワーク中心の会社では、
手元の原稿も目の前のMacもストレス無く見える。
これで、手持ちの眼鏡は3本になった。
ビジネス用の近眼鏡と家内用の近眼鏡、そして今回の老眼鏡。
ちなみに、我が家は全員、メガネっ子だ。
上の息子は常時近眼メガネを着けているが、いろんな所に置き忘れるうっかり屋。
下の息子は、コンタクトとメガネの併用派。
良く見えないくせにメガネもコンタクトも着けずに、
夕飯の料理に目を近づけ見ることもあり、実に可笑しい。
カミさんは運転する時だけメガネをするが、それ以外は、片方の目が良く見えるからと裸眼で過ごしていて、これまたいとおかし。
裸眼で1.5以上の人は
アコギ弾きにもなんら支障ないだろうから、実にうらやましい。
ステージだけ〝伊達メガネ〟というミュージシャンもいるが
裸眼でOKな上に、そういうオシャレもできてうらやましい。
実は、ワシも高校卒業までは両眼とも1.5だった。
それが、大学の学生寮に入って、
造り付けのベッドの薄暗がりの中で、○ロ本ばかり凝視していたら
とたんにメガネが必要なくらいに視力が落ちてしまった。
そんな○ロな暮らしがなかったら、
いまでもメガネのお世話などにならずに
きっちり裸眼の1.5で手元の楽譜から観客席の可愛い子ちゃんまで
〝境目のないスムーズな視界〟をキープしていたに違いない。
車の運転や夏の野外ライブでも度付き不要のサングラスをかけて
格好つけられただろう。
キスで邪魔になることもなく、温度差のある場所で曇った視界を気にすることなく、
銭湯・温泉やサウナでも周囲が良く見えただろうし、
何よりもたいした知識もないくせに、いかにも勉強して眼が悪くなった、なんて勘違いされずに済んだのに。
「目は口ほどにものを言う」というのは本当で、
上司としてのワシをまったく信用していない部下や、被害妄想で疑り深い社の女性たち、なでてやろうとしても全く寄りつかない近所の縞トラ猫の眼はみんな不信感で満タンの光を帯びている。
口先では何とでも誤魔化しが利くが、
眼だけは嘘をつかない。
注意したら「分かりました」と平伏しているのに
両目が不満感でどよーんとしている部下や
「ギターも歌もとても上手ですね」っておべんちゃらいいつつ
瞳が泳ぎまくっているライブスタッフなど
ワシは常に面従腹背の目玉に見つめられている気がする。
瞳を閉じてアコギの音を聴き、
歌の歌詞に耳を傾けると、邪念を持たずに感動が心に刻まれる。
「信じられるのは自分だけ」などというナルシストがいるが、
ワシは自分ほどアテにならない存在はないと、常に考えている。
観察力がないから、見ているようで何も見ていない「両眼」なんて
その最たるものだ。
家中での探し物が下手、人の顔をすぐ忘れる、五線譜を誤読してずっとでたらめに弾いている、下手な嘘が眼の動きでカミさんにバレるなど
それは眼のせいではなく、CPUたる我が脳みそがこの夏の猛暑で
アメてしまったに違いない。
※アメる=北海道弁で、「腐る」「悪くなる」「変質して機能を果たさなくなる」こと。
世の中には、
年老いても、虫歯ひとつなくリンゴも丸かじりできて
裸眼で1.5以上、白目も濁らずキラキラして、
あすこもビンビンで内外に子孫を残しまくっている、老人もいるだろう。
いま、問題になっている
戸籍はあるのに、この世に存在しない百歳以上のおじいやおばあたち。
自分たちが同じ目に遭わないという保証はない。
心も身体も弱って日常生活もままならなくなれば
子や孫に頼らざるを得なくなる。
像や猫のように、死期を悟ったら人知らず身を隠せればいいが
天涯孤独・孤立無援の存在でない限り、誰かの世話にはなる。
避けては通れない、老いとその先の最期の時。
老眼鏡と部分入れ歯をこしらえたことをきっかけに
ワシはまた、アコギとの長い付き合いを振り返りつつ
ひと弾きひと弾きを大切に楽しんでいこうと、思うのだった。
PS=======
kieros2005氏の「グライダーカポ」
Greg Bennettの宣伝動画で、Greg Bennett氏が使っているのを見たことがある。なんとスムーズな瞬間移動、しかもしっかりとホールドされている(よーな)気がした。すごいと思った。カポダストは、スムーズな移動としっかりホールドって二律背反だとずっと思っていた。SHUBBは移動はスムーズだが、アコギの持ち替えでネック厚によってネジ調整が必要。
Victor Capoは、ネック厚に関係なくしっかり抑えられるけど、セットに多少手間取る。その点「グライダーカポ」はどうなのか?けっこういい値段するし、kieros2005氏のユーザーレポート追伸に期待したい。
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