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  • from: kieros2005さん

    2010年09月22日 10時18分53秒

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    ジャズコンサートを聴いて

    おととい、ジャズコンサートを聴きに行った。
    ジャズを聴きたいというより、たまたまチケットを手にいれたからでもありますが。

    倉地恵子というボーカルの圧倒的な歌唱力が印象に残りました。
    どうしてあのような声が出るのだろう。どうしてあのようなビートの効いたメロディラインを破綻せずにダイナミックレンジ一杯に歌えるのだろうか。その圧倒する歌唱力に驚きましたね。

    伴奏のバンドの腕も一流でした。ウッドベースの音がまたいいんですね。途中からエレキベースに代えていたが、あきらかにウッドベースの音が良かった。PA担当のセッティングの腕前かも。
    ギターも、ドラムもベースも凄い。それぞれバンドマスターをつとめるミュジシャンだとか。みなノリノリで演奏していました。

    演奏の水準が非常に高く、PAの出来もよくしたがって、高音質でした。

    さて、問題はここからだが、アタシはジャズにあまり関心がない。
    こんな力量のあるミュージシャンがジャズをやっているのはもったいない、という様に甚だ失礼な感想を持ったものだ。

    心の琴線に触れないのです。こっちの好きでもない音楽を力量ある高名なミュージシャンが演奏したところで、「あ、そう、、、」としか思わないのです。共感性がないということです。

    このことは大事です。技量がイマイチでも共感できる音楽はあります。そしてその演奏者の一生懸命の演奏と好きな音楽に自分が共鳴して感動の輪が広がる、というのが理想です。

    自分だけ悦にいって演奏している、自分はしらけて演奏している、
    その曲をあの人が演奏するというだけで悦にいってしまう自分、
    自分だけがしらけて聴いている、、、と色々なパターンがあると思うのですが、演奏者と聴衆に共感の輪が発生するというのは、どういうことなのでしょうか。

    ヨーロッパのクラシック音楽は初め王侯貴族のために作曲演奏されるものだったので、ひたすら相手におもねる、ある意味で卑屈な態度もあったと思われます。プロフェッショナルの甘受すべき位置づけですね。

    ジャズやロックやフォークなどは、自分のことを歌い演奏しているようで必ずしも聴いてもらうことを前提にしていないのかもしれません。これが商業主義に染まれば、聴かせてナンボ、の世界になってしまいますからプロフェッショナリズムが介在するしかありません。

    そういうのじゃなくて、俺の心の叫びを聞いてくれ!などと若気の至りでわめいても「あ、そう、、、」というだけのことかもしれない。それが共感を得るのは限られた範囲にしかならない。

    昔、歌謡曲は100万枚売れれば、日本人1億人ほぼ全員が聴いたものだが、今は1万枚売れれば1万人しか聴かない。そのように音楽文化は変わった。音楽メディアの発達がこれを支えている。

    それもまたよし。
    アタシら、アコギを弾語りしていて、誰もこんな曲を見向きもしないだろうな、と思いつつ、意外にも拍手を受けたりするときの驚きと感動はもう病み付きになるもので、大観衆である必要はないのですよ。

    今回のジャズコンサートを聴いて、あれは演奏側が楽しい音楽だな、という思いを強くしました。演奏者が楽しく演奏し、それが聴衆に伝わって楽しさ倍増ということは確かにあるだろう。

    しかし倉地さんのボーカルは凄かったなあ。


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