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  • from: consolationsさん

    2009年09月20日 01時44分25秒

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    グスタフ・マーラーの音楽・・・全体を通しての意見

     マーラー(1860-1911)の交響曲は、声楽を取り入れたものが多く、ヴェートーベンが第9番交響曲で、到達した高みを維持しながら、より高い次元、感覚を取り入れようとした作曲家であったと思います。

     また、これだけ、マーラーの音楽が支持されるのは、ハイドンのような均整美がどこかにあるからだと思います。この世の音楽ではありえないような天国的な響きの曲もあります。

     一方、指揮者のマーラーは、演奏会前の練習で、不都合が起こるとオーケストラのメンバーをどなりつけるなど、かんしゃく持ちの一面もあったようです。この点、気弱で人のいいブルックナーとは異なります。喜怒哀楽の感情が激しかったのです。


     およそ、時代背景として、世紀末という何とも言えない一般的不安感があるというか、1914年に始まる第1次世界大戦前夜の不穏な空気も感じていたのでしょう。
     
     とはいえ、生と死が彼の創作の原点で、マーラーの交響曲を聴くと、世の中のあらゆる苦悩を一人で抱え込み、それを音楽にしたのではないかという錯覚を覚えます。

     ある交響曲では死への恐怖と救済、別の曲では単に救いを求めるのでなく、挑戦する人生肯定を作品から大いに感じることが出来ます。

     
     人間は生まれてくる時も、一人で、亡くなる時も一人です。ごく当然のことですが、マーラーは、生きるということは、「死を意識すること」 そう思って生きていたのだと思います。終始、死の観念に取りつかれていたのです。

     でも世の多くの人も、それについては、毎日でなくても意識しているはずで、
     
     音楽の天賦の才があったマーラーだからこそ、それを音に投影することが出来、また、それを感受する心が人一倍強かったことが、余計に彼をいらだたせ、あせらせたのだと思います。
     
     そうした深層の予感・不安感は、1907年にウィーン宮廷歌劇場の辞任、不幸にも、彼自身心臓疾患を告げられる現実として突きつけられます。


    私は、前のコメントで第9番を「諦観の念」を感じる曲と記しました。
     彼は、第9番を作曲し終えた時点で、来るべき死を従容と受け入れ。これは、あきらめでもありますが、本質を見抜くこと、つまり、そうなのだと理解出来た瞬間だったように思います。

     そのころ、1910年の夏に交響曲第8番の初演が大成功を収め、作曲家として、大変満足のいく時期であり、まだまだこれから、創作していくという意識が、燃え上がったのではないでしょうか。

    交響曲第10番、(クック版)を聴いても、死に対して卑屈な面など微塵も感じません。たまたま、人生終焉の運命がこの時期であったとみるべきでしょう。

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