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from: 庵主さん
2013年12月31日 21時26分07秒
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チョッパーさま
コメントありがとうございます。
こちらこそ大変お世話になりました。
犀の角のようにただ独り歩め
釈迦のことばの真意はわかりませんが、
ひたすら前に進む勇気だけは、ひしひしと伝わってきますね。
来年もぜひ気持ちだけは強くもち、前進していきたいと思います。icon
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from: チョッパーさん
2013年12月30日 22時17分48秒
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皆様、こんばんは^^
中村元先生訳のブッダの言葉、深い深い道理なのかもしれません。
「独り歩め」の意味をどのように捉えるかは様々あるかと思います。
私はまず自分から行動を起こすことだと捉えさせていただきました。
小さな波でもいいかもしれない。
むしろ最初は小さな波でしょう。
それが自分の成長と人との関りにより
徐々にではあるけれどもうねりがでてくる。
気づいたときには自分も周囲の人たちも
とても気持ちのよい境涯になっているのかもしれません。
真っ直ぐに信念をもって。
情報が氾濫するなかで指標とするものをもちたいですね。
今年も沢山のことを教えていただきありがとうございました。
また来年もどうぞ宜しくお願い致します。icon
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from: 庵主さん
2013年12月30日 19時14分57秒
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【釈迦の名言】 犀の角のようにただ独り歩め
本年最後の釈迦の名言は、『スッタニパータ』(「ブッダのことば」中村元訳 岩波文庫)冒頭のもっとも高名な「犀の角」より、以下三句をご紹介しましょう。
◆四方のどこでも赴き
害心あることなく
何でも得たもので満足し
諸々の苦痛に堪えて
恐れることなく
犀の角のようにただ独り歩め。
◆音声に驚かない獅子のように
網にとらえられない風のように
水に汚されない蓮のように
犀の角のようにただ独り歩め。
◆今の人々は自分の利益のために
交わりを結びまた他人に奉仕する
今日利益をめざさない友は得がたい
自分の利益のみを知る人間はきたならしい
犀の角のようにただ独り歩め。
人にひきずられることなく、まっすぐ信念をもって歩み続ける尊さが、釈迦の力強い言葉のリズムをもって朗々と謳われる名段落。
今回、三句のみ取り上げましたが、原文では全40数句が、同じ文末「犀の角のようにただ独り歩め」により、とぎれることなく語り続けられます。
内からふつふつと力のわきあがってくる、何と力強い言葉なのでしょうか。一年の疲れを吹き飛ばし、新しい年を迎える勇気ふたたびを与えてくれます。
『ブッダの名言』(言の葉庵)
http://dp20101654.lolipop.jp/img/ブッダの名言(能文社).pdf-
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from: チョッパーさん
2013年12月27日 12時21分36秒
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from: 庵主さん
2013年12月27日 10時14分49秒
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from: チョッパーさん
2013年12月25日 11時39分11秒
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from: 庵主さん
2013年12月24日 20時46分17秒
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世阿弥のいう「面白さ」は現代語とは少し意味が違っています。
「面白い芸とは最上位のもの。
物まねをことごとく修得した者を為手(シテ)という。
さらに鍛錬を重ねたシテが、ようやく上手とよばれる。
上手のもう一段上に面白さがある」
世阿弥『申楽談儀』
http://nobunsha.jp/meigen/post_136.html
現代語の「愉快」「笑える」という意味ではありませんね。
よって、無限の苦患を与えられ続ける、仏教の修羅道の
世界が「笑える」ものであろうはずはありません。
能が描く、清経も、常正も、朝長も、敦盛も、修羅の無間地獄に苦しんでいる…。
これらの人々の鎮魂と再生を目指したのが修羅能。
チョッパーさんが、悩まれるのも無理のないことです。
面白さはまず、「珍しさ」であり、やがて「花」へとつながる
能の至上の境地なのです。
ここから、感動がうまれてくるのではないでしょうか。icon
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from: チョッパーさん
2013年12月24日 13時39分45秒
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オーナーさん、どうもありがとうございます。
『清経』は「修羅能」ということですが
この「修羅」を面白いと思ってよいのかどうか
そこで悩んでおりました。
ご丁寧なアドバイスをありがとうございます。
観るべきポイントはいろいろとあるのですね。
少しでも鑑賞力が向上できれば
もっともっと楽しみを見出せるかもしれませんので
最初はTV中心ですが鑑賞を続けてまいります。
これからも宜しくお願い致します。icon
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from: 庵主さん
2013年12月24日 10時26分20秒
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能鑑賞の核心をつくご質問だと思います。
1回能を見て、100%理解できる人はおそらくこの世にいないと思います。
能は「わかるものではない」と、能目利きの白洲正子も結論づけています。
もちろん、楽曲それぞれの制作意図はあります。
『清経』ならば、柳ヶ浦で入水した、青年武者清経の無念さがテーマとなっています。
また、シテ個人による演技のポイント、どの部分をどう観客に伝えたいのか…
は人により、まったく違ってくると思います。
『清経』の場合、妻が送り返した遺髪についての恨み(個人の)、または壇ノ浦で
滅びた平家の恨み(一門の)をどのように重み付けて表現し分けるか…など。
観客が、どの部分に注目して、どのように面白く思い、感動するかは
演じる側よりも、さらに自由です。逆に一曲眠り続けるのも、自由。
ちなみにぼくは30年前、初めての能体験で、囃子と謡、能の音楽に
まず釘付けとなり、魂を奪われました。
そこから徐々に、舞や振り付け、舞台構成、面・装束、原典・能の歴史など、
さまざまな面白さ・鑑賞方法を発見していきました。
見る人の知識・経験にあわせ、「知れば知るほど面白くなる」。
これが、能が700年近く、人々に愛され続ける秘密ではないでしょうか。icon
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from: チョッパーさん
2013年12月22日 18時20分55秒
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皆様、こんばんは^^
オーナーさん、能・清経、TVにて鑑賞させていただきました。
ところで質問なのですが能を鑑賞するときには
その人それぞれの視点や感じ方などがあってもよいのでしょうか?
例えかたが悪かったら申し訳ないのですが
私は特に国語の現代文というのが苦手でした。
文章から筆者の意図を汲み取るにはある程度の正解があるようですが。
それで能にも確か鑑賞する側のレベルが高くないと
演じる側のいわんとすること(正解)がわからないのでしょうか?
『風姿花伝』の中には鑑賞する側のことも書かれていたような気がします。
個々の感じ方でよいのか模範となるものが存在するのか
そんなことを考えて悩んでしまいました。
もっと伸び伸びと鑑賞してもよいのでしょうか?
何かアドバイスいただけますと助かります。
宜しくお願いします。icon
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