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from: 庵主さん
2010年06月07日 12時59分52秒
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奥の細道行脚。第三回「室の八島」
【奥の細道】
室の八島に詣でる。同行の曾良が、
「ここの神さまは、木の花咲くや姫と申して、富士浅間神社と一体です。神話では、お姫さまが無戸室(うつむろ)に入り火を放って誓を立てる。その最中にお生まれになったのが火々出見の尊。これにちなんで室の八島と申します。また八島に煙を付け合せて歌を詠むこともこのいわれによります」
と語った。さらに、当社にはこのしろという魚を禁じる 縁起も伝わっている。
【曾良旅日記】
一 二十九日、辰の上刻、間々田を出る。
一 小山まで一里半。小山の屋敷は右手にあった。
一 小山より飯塚まで一里半。木沢というところより左へ曲がる。
一 この間、姿川を越える。飯塚より壬生まで一里半。飯塚の宿外れより左へ折れ、小倉川の河原を進み、川を越え、惣社河岸という船着場の上手にかかり、室の八島へ行く(乾の方角へ五町ばかりである)。すぐに壬生へ着く(毛武という村がある)。この間、三里とするが、実際は二里あまりである。
一 壬生から楡木までは二里。壬生より半道ほど行くと、金売り吉次の墓が、右手二十間ほどの畑の中にあった。
一 楡木より鹿沼まで一里半。
一 昼過ぎより曇り。同夜、鹿沼(より文挟まで二里八丁)に泊まる。(文挟より板橋まで二十八丁、板橋より今市へ二里、今市より鉢石へ二里)
【奥細道菅菰抄】
室の八島に詣でる
神社。下野の国、総社村にある。室の八島大明神と号す。祭神は、富士浅間の祖神であるという。すなわち木花開耶姫のことで、以下に見る。
同行の曾良
信州諏訪の生まれ。東武に遊学し、翁に随身する門人である。
木の花咲くや姫と申して(中略)室の八島と申します
『日本書紀』にいう。「当時この国に美人がいた。名を鹿葦津姫(またの名を神吾田津姫、または木花開耶姫)という。皇孫これを愛す。すなわち一夜にして子を授かった。皇孫がこれを疑ったので、鹿葦津姫は怒り、恨んだ。無戸室をつくり、これに入って誓っていう。
『妾が身ごもったのが天孫の子でなければ、必ず焼け死ぬこととなるでしょう。またもし、それがまことの天孫の胤であれば、火も妾を害することはできないはず』
と。すなわち火を放ち無戸室を焼く。はじめに熾った煙のかげより生まれでた子を、火闌降命(ほすせりのみこと)と名付ける。次に炎熱より避難した場所より生まれでた子を、火火出見尊(ほほでみのみこと)と名付けた。(下略)」
無戸室は、俗に塗籠めというように、出入りの戸口のない家である。
八島に煙を付け合せて歌を詠むこともこのいわれにより
『詩花集』、「いかでかは思ひありともしらすべきむろのやしまのけぶりならでは」、藤原実方朝臣。このほかに、煙を詠んだ歌は、千載・新古今・続古今集などに見える。一説には、「この野中に清水あり。その水蒸気が立ち昇って煙のごとし」。これを室の八島の煙と呼んだという。
さらに、当社にはこのしろという魚を禁じる
コノシロは、鱅・鰶の字を用いてきた。俗に、鮗と書いているが、鰶の誤りであり、鮗は辞書にはない。これらの類はほとんど、小野篁の歌字尽くしという書物の過失から出ている。この書物は子供に与えてはならぬ。
○むかしあるところに住むものに可愛らしい娘があった。国主これを聞き、この娘を召し出そうとするが、娘は拒んで行かぬ。父母もこれがただひとりの子ゆえ、差し出すことを望まなかった。とかくする内に、召し出しの使いが数度におよぶ。国主の怒りが激しいことを聞き、仕方なく、娘は死んだと偽って、鱅魚をどっさり棺に入れて焼いた。鱅魚を焼くにおいは、人を焼くそれと似ているゆえである。この話により、この魚を、このしろと名付けたとか。
歌に、「あづま路のむろの八島にたつけぶりたが子のしろにつなじやくらん」とある。この話は、『十訓抄』にあったように覚える。このしろは、子の代であり、子供の代わりという意味。ちなみに、この魚を上方では、つなじと呼ぶ。
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