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from: 庵主さん
2010年08月18日 21時27分10秒
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西行と芭蕉をつなぐ“能”。第一回
能の題材として、多く取り上げられる、平安歌人の西行法師。そして、西行に憧れて陸奥を行脚し「奥の細道」を創作した、俳聖松尾芭蕉。実はこの二人をつなぐ文化的背景が、和歌ではなく、能と謡曲だったのです。
今回は、数百年の時を超えて、和歌→能→俳諧の歴史をたどってみたいと思います。
まず、世阿弥の能楽秘伝書「風姿花伝」に、能作の基本は「本説正しいこと」が第一条件に挙げられています。
一、能の本を書くこと、この道の命なり。極めたる才学の力なけれども、ただ、巧みによりて、よき能にはなるものなり。大方の風體、序破急の段に見えたり。
殊さら、脇の申樂、※本説正しくて、開口より、その謂はれと、やがて人の知る如くならんずる來歴を書くべし。
しかれば、よき能と申すは、本説正しく、珍しき風體にて、詰め所ありて、かかり幽玄ならんを、第一とすべし。
(花傳第六 花修云)
※本説正しく 由緒ある出典、古典籍・漢籍、和歌よりの引用。
能の詞章作成に際して、名作古典からの引用を世阿弥は奨励します。これは盗作ではなく、古典作品の背景・情趣を借りて、能の作品世界に深い奥行と物語性を付加しようとするテクニックです。能の分野に限らず、先行文芸の引用は「本歌取り」と呼ばれ、古くから日本文学の一般的な手法でした。
●本歌取
本歌取(ほんかどり)とは、歌学における和歌の作成技法の一つで、有名な古歌(本歌)の一句もしくは二句を自作に取り入れて作歌を行う方法。主に本歌を背景として用いることで奥行きを与えて表現効果の重層化を図る際に用いた。
例えば、
『万葉集』巻一 額田王
「三輪山の しかも隠すか 雲だにも 心あらなも かくさふべしや」
『古今和歌集』巻二 紀貫之
「三輪山の しかも隠すか 春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ」
この、二作品を比較すれば明らかなように、貫之は額田王の第一句・第二句をそのまま採用して第三句以後を自作としている。
こうした本歌取については様々な受け取り方があった。六条藤家の藤原清輔はこれを「盗古歌」(こかをとる)ものとして批 判的に評価した。これに対して御子左家の藤原俊成はこれを表現技法として評価している。
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