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from: 庵主さん
2010年08月29日 09時16分26秒
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西行と芭蕉をつなぐ“能”。第六回
■俳聖 松尾芭蕉
松尾 芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日))は現在の三重県伊賀市出身の江戸時代前期の俳諧師である。幼名は金作。通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎。名は宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。蕉風と呼ばれる芸術性の高い句風を確立し、俳聖と呼ばれる。
延宝8年深川に草庵を結ぶ。門人李下から芭蕉を贈られ、庵に植えると大いに茂ったので「芭蕉庵」と名付けた。以降、自身の俳号も芭蕉と改める。
深川臨川寺に止宿する仏頂和尚に参禅し、侘び、寂び、軽み、しおりなど、禅の精神性をたたえる独自の句風を確立。近世日本文化の美的概念形成に大きな影響を与えた。
また、中国の杜甫・李白、また西行・能因など漂白の詩人、歌人に憧れ、生涯の多くを旅に過ごした。多くの名句がその紀行中で生まれたものである。「漂白の詩人」として旅に生き、旅に死ぬ芸術的人生の完遂により、現在も多くの信奉者、追随者が後をたたない。
『野ざらし紀行』・『鹿島紀行』・『笈の小文』・『更科紀行』などの紀行文を残したが、元禄2年(1689年)、弟子の河合曾良を伴って出た奥州への紀行文『奥の細道』は、芭蕉芸術の到達点であり、近世文学の金字塔とも呼ばれる名作となった。
その最期も旅の途中である。大坂御堂筋の旅宿・花屋仁左衛門方で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残して客死した。享年五十一。生前の「(墓は)木曾殿の隣に」との遺言に従い、大津膳所の義仲寺(ぎちゅうじ)にある木曾義仲の墓の隣に葬られた。
大坂俳壇門弟の仲がこじれ、その仲裁にはるばる病の身を押して旅したことが老いの身にはこたえた。複雑な人間関係の中に生涯を閉じたのである。満開の桜の下、望みどおりの大往生を遂げた西行と、なんと対照的な死であったか。
『奥の細道』
http://nobunsha.jp/book/post_7.html
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