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  • from: 庵主さん

    2011年01月10日 18時25分00秒

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    戦国武将と茶の湯「松永久秀」第六回

    所持者久秀自身に勝るとも劣らず、「つくも茄子」は以降数奇な人生を歩むこととなります。その流転の様をざっとたどりましょう。
    また久秀は「一の数奇道具」として自身の茶会で「つくも」を披露している。永禄八年、多聞山城で開かれた茶会記に千宗易、すなわち利休の名も見られます。


    久秀がつくもを用いた茶会

    ・永禄元年九月九日 昼会。北向道陳、今井宗久、山上宗二
    ・永禄三年二月二十五日 信貴山城の朝会。津田宗達
    ・永禄六年正月十一日 多聞山城内六畳敷。興福寺塔頭盛福院、間直瀬道三、松屋久政、若狭屋宗可、竹内秀勝
    ・永禄八年正月二十九日 多聞山城内四畳半の朝会。松江隆仙、千宗易、松屋久政、若狭屋宗可(茶頭)

    当代目利によるつくも拝見記

    「白地金襴の袋、裏浅黄。浅黄の緒、内赤の四方盆にのせる。高さ二寸三分半、胴径二寸三分半、口一寸、底一寸。茶十二服入り」
    今井宗久

    「すこしもいやしきやうにはなし。あまりにあまりに、くらいありすぎたるやうには見えず」「(山名政豊の具足による疵は)とかくさやうには見え申さず」
    津田宗及

    「土薬、なり、コロ、口のつくり、古人天下一の名物とす」
    山上宗二

    永禄十一年九月久秀は、足利義昭を奉じて上洛した織田信長に、九十九茄子を帰属の証しとして献上する。吉光の太刀も副えたという。久秀の手中にあったのは、十一ヵ年にも満たなかったことになる(山上宗二記では二十年間とする)。

    九十九髪を掌中にした信長は、以降茶の湯にのめりこんでいく。元亀二年八月岐阜城に飾った。ついで、天正元年十一月、妙覚寺茶会で二日にわたって披露。同三年十月、朝会に飾る。そして、同年六月二日、本能寺の変にて信長とともに焼け失せたと伝えられる(山上宗二記)。

    しかし、本能寺焼け跡から奇跡的に発見され、次いで羽柴秀吉の手に渡った。その後秀吉から秀頼に伝えられて大坂城で愛蔵されていたが、大坂夏の陣で再び兵火に掛かる。戦後徳川家康の命で焼け跡から探し出されたもののはなはだ破損がひどく、漆接ぎの名工・藤重藤厳の手により修復された。その功により家康から藤重に下賜。代々藤重家に伝えられたが、明治になって三菱財閥の岩崎弥之助氏の所有となり、現在は東京世田谷の静嘉堂文庫美術館に保存されている。

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