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  • from: 庵主さん

    2014年08月16日 11時06分53秒

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    光源氏の老い。『源氏物語』若菜 下

    さかさまに行かぬ年月よ。老いはえ逃れられぬわざなり~『源氏物語』若菜 下

    源氏物語後半〔若菜 下〕にある、光源氏のことばです。
    このことば自体、普遍の真実を含むもののとりたてて際立った文飾はありません。
    しかし、このことばを口にした人と向けられた人との関係、そしてそれが発せられた場面。そのことばの真意を知る時、光源氏の未知の人格と深い心の闇が垣間見え、慄然とするに違いありません。
    以下に、当句を含む〔若菜 下〕の主要段落を現代語訳でご紹介しましょう。
    必要な場合、物語の背景とあらすじは下記リンクをご参照ください。
    ●3分で読む源氏物語 若菜 下
    http://genji.choice8989.info/main/wakanage.html

    〔現代語訳〕
    ●若菜 下
     衛門督をこうした機会に参加させなければ、催しも引き立たず物足りない。その上人々も不審に思うといけないので参上するよういってやったが、病が重いと称して参らない。とはいうもののそれほど病状も悪くなさそうである。遠慮しているのでは、と気の毒に思い、殿は丁重な招待状をお送りした。父の大臣も、
    「なにゆえ辞退なさるのか。すねてでもいるように院の殿にとられかねない。たいした病気でもないのだからがまんして参りなさい」
     とすすめられるところに、重ねて招待がきたので衛門督は辛い辛いと思いつつ参上した。
     上達部たちもいまだ集まっていない時分。殿はいつも通り衛門督を側近く御簾の内に招きいれ、ご自身は母屋の御簾を下し、その中にいらっしゃる。
     衛門督を見ると、確かにひどくやつれ、青い顔である。常々弟の君たちとくらべても誇らしく派手な振る舞いは見られないのだが、今日はことさら行き届き物静かな様子が人とは違って見えた。皇女たちの婿君として側にならべても、まったく遜色のない有様ではあるが、ただ例の件では二人ともまるで無分別であったことは許し難い。と、じっと目を注ぐのだけれども、さりげなくやさしく、
    「さしたる用事もなかったので、ずいぶんとお久しぶりのことです。この頃は病人たちの介抱のため、心の余裕もないところに、院の御賀のためこちらの女宮が法事をしようとしても何かとさしさわりが重なり、このように年も押し詰まってしまいました。なかなか充分とは申せませんが、形だけでも精進のお料理をさしあげようと思います。
     御賀といえば仰々しく聞こえましょうが、わが家の子供たちも増えてきたので、お目にかけようと舞など習わせはじめました。せめてその催しなりとも果たしたいもの、その拍子をどなたにお願いしたものか、と思い悩んだ末、ごぶさたの恨みも捨ててお呼びしたのですよ」
     と仰る気色は、なんのこだわりも感じられない。衛門督はいよいよ恐懼し、顔色が変わってしまうのでは、とにわかに返事もできなかった。
    「この頃、こちらで心配なことが起こっているとお聞きし、案じておりましたが、私も春より持病の脚気がますますひどくなり、しっかり立って歩くこともかないません。日ごとに弱り、宮中へも参内せず、世間とも縁を切ったように引きこもるばかり。
     今年は院が五十になられる年。心を込めてお祝いしなければ、と致仕の大臣が思いついたのですが、
    『もはや冠も挂け、車もきっぱりと捨ててしまった身。自ら進んでお仕えしたくとも、その場所はもうない。そなたは卑官の身ながら、お祝いする気持ちの深さは私と同じであろう。その志をご覧に入れよ』
     とせきたてられまして、重い病をおしてここに参りました。
     朱雀院はこの頃ますます静かな境地に精進され、仰々しい御賀など期待してはおられますまい。せめて儀式は簡略にすませ、ただご息女(女三の宮)とのご対面をかなえてさしあげるが何よりと存じております」
     と衛門督はいう。殿は、女二の宮主催の盛大な御賀をも夫である自分が仕切ったといわない、衛門督をなるほど行き届いたものだと思う。
    「いやもう、この通りです。簡略なお祝いに世間は気持ちがこもっていない、と見るかもしれませんが、あなたはちゃんとわかってくださっている。さればこそ、と私も意を強くすることができました。夕霧は公務の方ではようやく一人前になりましたが、こうした風流の催しはそもそも気にかけないものか。
     朱雀院は、すべての方面にもれなく通じていらっしゃるお方。とりわけ音楽にはご熱心で、精通していらっしゃいます。出家しすべてを捨てられたとはいえ、静かな境地で鑑賞できる今こそ、私たちもいっそうの心遣いが必要なのでしょう。かの夕霧といっしょにしっかりと舞の童たちにたしなみや心構えを教えてあげてください。芸事の師匠は自分の芸はともかく、人に教えることにはまるで役に立たないものですから」
     などと親しげに頼まれるため、うれしさの反面、心苦しく気詰まりに思う衛門督。返す言葉もなく、一刻も早く御前を逃れたいばかりで、まともな会話もできず、ようやくのこと座をすべりでた。
     その後、衛門督は東の御殿に行き、夕霧が用意した楽人・舞人の装束に、さらに助言する。これらは考えうる限りの工夫・趣向を凝らしたもの。にもかかわらず、衛門督の手によりさらに精妙さを加え、完成されていく。なるほどこの道に深い造詣をもった人には違いない。
    (中略)
     日も暮れていく。殿は御簾を上げさせて興にのられる。御孫の君たちのなんとも美しい姿、かたち。見たこともない舞の妙技を尽くして、師伝の奥儀をも越えさらに各々の才能を発揮して舞う姿は、みなみな限りなくいとおしく感じさせる。老いた上達部たちはみな涙なくしてこれを見ることができない。式部卿宮も孫の舞姿に鼻が赤くなるまで泣いていらっしゃるのである。
    「寄る年波には勝てず、酔い泣きというものは止められないようですね。衛門督はこれを目ざとく見て笑っておられるが、なんともきまりの悪いこと。なに、それも今だけのことです。年月はさかさまには進まない。老いというものは誰しも逃れられないものですから」
     といって主の院は衛門督をじっと見据えた。誰よりも緊張の中で気が滅入り、実際気分もすぐれず楽しいはずの宴の様子も目に入らない人に、酔ったふりをして名指しでこのようなことをいうとは。戯れをよそおった言葉にひどく胸をえぐられ、回り来る盃にも頭痛を覚え、飲んだふりをする衛門督であった。殿はこれを見咎め、盃を取らせたびたび無理強いする。中途半端に盃をもてあましている衛門督は、宴席で一人だけ浮き上がってみえるのであった。
     心も乱れ、耐え難く、宴のさなかに中座する衛門督。自宅に戻るとひどく苦しくて、
    「いつも通りの酒で深酔いしたわけでもないのに、どうしたというのだろう。やましさから血が頭にのぼったか。それほどの意気地なしとも思わなかったが、なんと不甲斐ないこと」
     と、われながら思い知らされるのであった。しかしこれは、一時の悪酔いなどではなかった。ほどなく衛門督は重い病の床に伏してしまうのである。
    (『源氏物語』若菜 下 現代語 水野聡訳 2013年4月)

    〔解説〕
    文中の殿・主の院は光源氏、衛門督(えもんのかみ)は柏木です。
    この物語中、各人物の年齢は、源氏44-5歳、女三宮18-9歳、柏木28-9歳と推定されます。
    現代でいえば、源氏と女三宮は年の差婚です。四十五の中年男と娘盛りの新妻。この若妻がこともあろうに輿入れ直後、若い男と通じてしまうのです。
    中年とはいえ「光る君」として宮中すべての女性の憧れの的であり、身分も知性も教養も並ぶもののない圧倒的な存在だったのです。
    完全無欠、神にも等しい主人公が妻を盗んだ男に投げつける、ことばの剣。
    「寄る年波には勝てず、酔い泣きというものは止められないようですね。衛門督はこれを目ざとく見て笑っておられるが、なんともきまりの悪いこと。なに、それも今だけのことです。年月はさかさまには進まない。老いというものは誰しも逃れられないものですから」
    この刀は、罪の恐れにひどく弱り、今にも絶えなんとする柏木の心を過たず貫き通しました。
    病をおして参内した柏木、これにはたまらず宴を中座。帰宅後ますます弱り、ついに他界してしまいます。
    完全無欠の人格として描かれる光源氏の容赦ない仕打ち、報復は一体どのように受け取るべきでしょうか。
    神ならぬ生身の人に忍び入った「老いの影」は、中国の偉大な聖帝、太宗晩年の事跡にもたどれます。無謀な高麗への度重なる征討と、皇太子選定の過ちがそれです。
    聖賢凡愚に関わらず、老いは等しく人の目をおおい隠すものなのでしょうか。
    後日女三宮は懐妊し、出産します。それは夫源氏ではなく、柏木の子。
    毛ほども愛情を覚えぬ赤子を膝に乗せ、憮然たる源氏の胸中を去来したのは、因果応報の想いでした。
    思えば若かった自分も、義母藤壺と密通した。父桐壺帝はこれを知りながらも生涯色に表すことをしなかったのではないか。その報いの罪が今、自分にあらためて下されたものか。
    「さかさまに行かぬ年月」
    時間は決して逆行することはないが、人は世代を越えて同じ行い、同じ過ちを繰り返し犯すものである。因果応報のわだちからはとうてい逃れられぬ、と源氏の心を凍りつかせるのです。
    すなわち、「え逃れぬわざ」は、老いではなく因果の報いではなかったでしょうか。

    実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
    (ダンマパダ 第一章 ひと組みずつ)
    ◆ブッダの名言(能文社)
    http://dp20101654.lolipop.jp/img/ブッダの名言(能文社).pdf


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