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  • from: 庵主さん

    2016年02月28日 20時34分19秒

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    名言名句 第五十五回 『風姿花伝』男時女時

    男時女時。~世阿弥『風姿花伝』

    『風姿花伝』第七別紙口伝にある、世阿弥の言葉です。
    中国の陰陽思想を踏んだ世阿弥の造語で、その意味は、
    「勝負においては良い時と悪い時があり、それぞれ交互にやってくる」
    というもの。
    くわしくその意図を読み解く前に、まず本文を現代語訳でご紹介します。

    さて男時、女時とはすべての勝負に必ずどちらか一方が色めいて、いい感じになるときがある。これを男時と心得る。勝負の回数が多く長くなれば、双方へ移り変わり、移り変わりするものである。ものの本には
    「勝負神といって勝つ神様、負ける神様それぞれがご自分の勝つ部屋、負ける部屋を定め守っておられる。弓矢の道ではこれを第一の秘事となす」
    とある。敵方の申楽がよく出で来れば、勝つ神様はあちらにいらっしゃると心得、まず畏まるべきだ。これは時の間の因果を司る二神にてましませば、双方へ移り変わり、移り変わりなさるのである。ふたたびこちらの時分がきたと感じたら、自信のある能を出すこと。これすなわち、演能の場の因果である。返す返すおろそかに思ってはならない。信じてやるからこそよい結果がついてくる。

    『現代語訳 風姿花伝』水野聡訳 PHPエディターズ・グループ 2005年
    http://nobunsha.jp/book/post_13.html

    世阿弥の定義で男時女時とは、
    【男時】 どちらか一方が色めいて、いい感じになる時
    【女時】 その逆(色を失って、低調となる時)
    となりますが、観阿弥、世阿弥父子の長い舞台経験から、これは長い時間の間、敵方とこちらを移り変わり、移り変わりするものである、というのです。

    類似のものでは、以下の中国の故事成語がよく知られていますね。
    ●禍福はあざなえる縄の如し。
    (『史記』南越列伝の「禍によりて福を為す。成敗の転ずるは、例えば糾える縄の如し」より)
    ●人間万事塞翁が馬。
    (『淮南子』人間訓)

    古今東西を問わず、人類は運不運、幸不幸を時のめぐりあわせと考えていたようで、時代や文化の違いにより様々な成句・言い回しが伝えられてきました。
    たとえば面白いものでは、
    「明治は男時、大正は女時、昭和は男時、平成は女時」
    などと応用されており、検証・分析をおいて、なるほど、と思うようなものもあります。

    しかし実際には移り変わらず、続けて女時にばかり見舞われることがある。一難去ってまた一難です。
    世阿弥の生涯がそうでした。三代将軍義満に見いだされ、一躍猿楽界の時の人となり、名声をほしいままとした少年~青年期。四代義持の代となり、スターの座を他役者に譲らざるを得なかった中年期。そして将軍義教の迫害の下、相次ぐ悲運に見舞われついに佐渡流罪となった最晩年期。
    世阿弥の男時は若い頃のごく短い間だけで、後半生は女時の連続だったといえるのではないでしょうか。

    運勢が移り変わり、ピンチの後にチャンスが訪れるなら問題はありません。しかし、世阿弥のようにピンチ、女時が打ち続いた時、人はどのようにすればよいのでしょうか。
    ここに、『風姿花伝』が、六百五十年もの間受け継がれてきた秘密があります。
    どんなに幸運な人にも、必ず女時はやってくる―。これを前提として世阿弥はその克服方法を考えました。

    〔第七別紙口伝〕同段落に、
    「勝つ神様はあちらにいらっしゃると心得、まず畏まる」
    とあります。これは現状を冷静、客観的に捉え、焼け石に水のごとき無理な打開策を封じたもの。危難に際し、あるがままを受け入れ、謙虚であることを説いています。

    次に、〔第一年来稽古條々〕(四十四、五)では、容姿と体力の衰える中年期以降、能役者はどのように処すべきかが示されます。それは、
    「我が身を知る」
    「少な少なと演じる」
    「脇のシテを嗜む」
    の三つの方策。「我が身を知る」とは、現在自分の置かれている立場、他者(観客と一座の仲間)の期待を認識し、今の自分にふさわしい役回りを「少な少な」と実行することです。加えてなにより大事なのは「脇のシテをもつ」、すなわち後継者の育成です。
    将軍の支援をほとんど得られなくなった中高年期の世阿弥は、20年以上にもおよぶ長い期間、子息や一座の役者を育成し、七十作もの能の名作を書き、二十数作の伝書・著述を残しました。
    舞台の表現者としては不遇の時代、世阿弥は己の内面を深め、能という芸術文化の創造にすべてを捧げていたのです。

    〔第五奥義讃嘆云〕では、女時の「種蒔き」を勧めます。

    「たとえ天下に許しを得たほどのシテであっても、力及ばぬ因果の巡り合わせにより、ひととき廃れの憂き目に会うこともあろう。しかしこの時にも田舎・遠国にて褒美の花失せずば、そのままふっつり道の絶えることなどない。道ある限り天下の時がまた巡りくるのだ」。

    都会や中心地だけが、演能の場のすべてではない。周辺へと広く種を蒔いておけば、芸道や文化そのものが消滅してしまうことはない。どこかに種が残ってさえいれば、やがて男時が訪れ花がまた咲くのだ―。
    世阿弥自身は、不遇と悲運のうちに生涯を閉じましたが、能の種は数百年の間に芽を出し、すくすくと育ち、今日数え切れぬほどの花を咲かせたのです。

    こうして見ると、女時は悲運の女神ではなく、運を育む「母の時間」のようにも思えます。

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