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from: 庵主さん
2016年06月16日 17時30分36秒
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名言名句第五十六回 死ぬ時節には死ぬがよく候 (良寛)
文政十年(1828年)、現新潟市三条を襲った大地震。当句は、同地の縁者に宛てた良寛の手紙の中の一節です。まず、原文と現代語訳をご案内しましょう。
〈原文〉
地しんは信に大變に候 野僧草庵ハ何事なく親るい中死人もなくめで度存候
うちつけにしなばしなずてながらへてかゝるうきめを見るがはびしさ
しかし災難に逢時節には災難に逢がよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 是ハこれ災難を
のがるゝ妙法にて候 かしこ
良 寛
臘八
山田杜皐老 良 寛
與板
(『定本 良寛全集 第三巻』書簡集/法華転・法華讃 中央公論新社2007年)
〈現代語訳〉
地震は本当に大変でした。拙僧の草庵は無事で、親類にも死者はなくさいわいでした。
うちつけにしなばしなずてながらへてかゝるうきめを見るがはびしさ
(突然死んでしまったなら、生き残ってこのようなつらい目にあうわびしさもなかったものを)
つまり、災難にあう時には災難にあうのがよく、死ぬ時には死ぬことがよい。なんとしてもこれが災難を逃れる妙法なのですから。 かしこ
良 寛
臘八(12月8日)
山田杜皐老 良 寛
與板
(現代語訳 水野聡 能文社2016年)
上の地震は同年11月、栄町(現新潟県三条市)を中心に発生したもので、杜皐の住む与板では家屋全壊264、家屋焼失18、死者34名、負傷者118名の大きな被害を出しました。しかし良寛の住む島崎(現長岡市)では1軒の家屋も倒れませんでした。
手紙の宛先、山田杜皐(とこう)は、与板の町年寄で、代々酒造業を営む家の九代目当主。俳諧と画をよくし、良寛とは再従弟にあたり親しく交流していたと伝えます。
さてこの良寛一文の主旨は、今あるがままを受け入れ、生かされた命を大切に前を向いて生きなさい、と励ましたものです。たとえ家を失い、家族・友人を失ったとしても、悲しみ悔やんだところでどうにもならない、地震は天より与えられたもの、昨日より今日、過去より未来を信じ、力強く歩きなされ、と。
しかし言葉は本来、それを発する人と受け取る人との関係、互いのシチュエーションによって、大きくニュアンスが変わってくるもの。いくら親しい間柄とはいえ、震災の被害のなかった人から甚大な被害を受けた人に宛てた言葉として、良寛のこの手紙はあまりに冷たい、と非難する人もいます。
「しかし災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ―と記してあるのはいただけません。それはたしかに、禅僧だから、『災難に逢う時は災難と一つになってしまえ、死ぬときは死と一つになってしまえ』と言うでしょう。が、災難を受けないものが、ひどい目に逢っている者に、こう言っては、その人の人格さえ疑われるでしょう。この良寛の言葉は、達観した禅境を表わした名言として、高く評価されることが多いのですが、私は、これにあえて異を唱えたいと思うのです。(中略)
言葉には言ってよいものと、言って悪いものとがあるのです。それを見きわめるのが、人間の心だと思うのですがどうでしょうか。軽はずみな言葉を吐くのは、心が軽いからだと思います。
(中略)涅槃経に『むだ口を離れる行を修めては、人びとに思いやりの心をつかうように願った』とあります。この点で申しますならば、良寛の『災難に逢う時節には災難に逢うがよろしく云々』は、まさに、むだ口であろうかと思うのです。災難に遭ってよいなんてことがありますか」
・行雲流水HP
http://sindbad4.dreamlog.jp/archives/52156485.html
これもひとつの偽らざる感情でしょう。しかしまさか、良寛の本意とも思えません。
「自然をあるがままに受け入れること」「今この与えられた命を精一杯、最大限努力して生きること」が、仏教、禅の教えではないでしょうか。そして究極は、死を厭うことなく、生死を截ち切り、乗り越えること。
道元の教えがこの時良寛の脳裏をよぎったのかもしれません。
「この生死はすなわち仏の御いのちなり。これをいとひすてんとすれば、すなわち仏の御いのちをうしなわんとするなり。これにとどまりて生死に著すれば、これも仏のいのちをうしなうなり、仏のありさまをとどむるなり。いとうことなく、したうことなき、このときはじめて仏のこころにいる。ただし、心をもてはかることなかれ、ことばをもていうことなかれ」
(『正法眼蔵』「生死」の巻)
「あるがままを受け入れる」ことは、たとえば他宗では親鸞のことば「自然法爾」という教えにも結び付きます。(親鸞『末灯章』第五通)
まず「自然」とは、「おのずからそのようになる」こと。人為の働かぬさまです。「法爾」の「爾」は「然」と同義。すなわち「法則通りになる」という意です。
さらに、「あるがままを受け入れ」「生死を離れる」ことは、アジアの仏教のみならず西洋キリスト教でも、以下のように指し示されています。
「生るるに時があり、死ぬるに時があり、~泣くに時があり、笑うに時がある。~神のなされることは皆その時にかなって美しい」
(伝道の書3:1~11)
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな(ヨブが災害で全財産と10人の子供を失った時)」
(ヨブ記1:20)
・聖霊で満たすHP
http://www.christ-ch.or.jp/3_sekkyou/dendou/luke2-25_35.html
「死ぬ時節には死ぬがよく候」が現実に起こってしまった、悲しい実話もあります。
「先日、買い途中に、散歩中の御近所のSさん(90代)に出会い、ひとしきり、世間話をして別れた。
それがSさんとの最後の会話になるとは夢にも思わずに・・
そのときにSさんが言っていた言葉が、今も脳裏を過る。
『私ね。もう9?歳なのよ。いつお迎えが来てもおかしくない歳でしょ。
だからね、いつも、良寛さんの『災難にあう時節にはあうがよく候、死ぬ時節に死ぬがよく候。
これ災難をまぬがるる唯一の妙法にて候』を毎日復誦しているのよ。ホホホ』
翌日の明け方、早起きの夫が、寝坊助の私を起こしに来た。
『おい大変だ!Sさんの家から火柱があがっているぞ!』
為す術も無く、我が家の2Fのベランダから、
Sさんの家の鎮火するまでを見つめているしかなかった。
Sさんが火災から無事に逃げだせたことを祈りながら・・・。
だが、残念ながらSさんは焼け跡から焼死体で見つかったと翌日の朝刊の地方版に載っていた。
ショックだった」
・老婆は一日にして成らずHP
http://towardthelastgoodbye.blog136.fc2.com/blog-entry-172.html
悲運としかいいようがなく、言葉もみつかりません。しかしもしも自分自身がこのブログの著者さんと同じ経験をしたのなら、起こった事実を否定し拒むことでしょう。ですが悲しみは消えるどころかさらに重くのしかかる。一歩も前に進めなくなってしまうでしょう。
災難も、死も、ただありのまま、静かに受け入れることが良寛の説く「災難を逃るる」たったひとつの妙法だと気付くのです。
良寛の手紙の末尾にある日付「臘八」は、「臘月八日」すなわち十二月八日のこと。
この日釈迦が悟りを開いたとされ、これを記念し禅僧たちは座禅修行に励むといわれています。
草庵で地震の死者を想い、永らく瞑想したのち、にわかに釈迦の心を悟った良寛。己を裁断するように、一気呵成に筆を走らせた手紙が、まさに与板の友を救ったのかもしれません。
↓【言の葉庵】ホームページ
http://nobunsha.jp/meigen/post_196.html-
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