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2025/03/12 10:58:23
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【言の葉庵】カルチャー情報 新教室〔毎日文化センター〕4月開始!
【言の葉庵】4月期のカルチャー講座ラインナップが出そろいました。
今回は、4月にスタートする新教室、〔毎日文化センター〕の二つの新クラスをご紹介しましょう。
NEW!〈東京都千代田区・毎日文化センター〉
1. 〔一日講座〕 風姿花伝を読む
https://www.mainichi-ks.co.jp/m-culture/each.html?id=1829
開講日:4月15日(火) 15:30~17:00
2025年5月~9月 ※継続クラス予定あり
■1000年にひとりといわれる天才能役者、世阿弥。
600年間一子相伝のみにて封印されてきたその秘伝書、『風姿花伝』を読み解きます。
日本人だけが「美しい」と感じるものは何か。また、それはなぜか...?
「花」と「幽玄」をキーワードに、磨き抜かれた達人の知恵と感性から、美の本質を学んでいきます。
能のビデオ鑑賞あり。能に初めて触れる、初心者対象の入門講座としました。
※入会金不要。どなたでもご参加いただける一日特別講座です。
2. 〔一日講座〕 茶の湯文化史入門
https://www.mainichi-ks.co.jp/m-culture/each.html?id=1830
開講日:4月22日(火) 13:30~15:00
2025年5月~9月 ※継続クラス予定あり
■「一杯の茶を飲むために、どうしてあれほど堅苦しく儀式ばるのか?」と現代の人は不思議に思うかもしれません。
それは、茶の形(作法)だけを見て、茶の心(侘び)を見ないからです。
茶の湯は中世以来の日本文化と精神を総合した、日本独自の生活哲学です。
茶の歴史・意義・思想を、千利休や他の名茶匠の足跡をたどりながら、やさしく学んでいきます。
茶書・歴史書から漫画まで幅広い資料を通覧、解説。
茶の湯の知識、稽古経験等一切不要の初心者向け講座です。
〔以下は、1.2.の講座共通です。〕
受講料 各3,520円(税込)
※別途、設備使用料 165円(税込)がかかります。
※ご予約後のキャンセルは1週間前までに。それ以降は全額お支払いいただきます。
資料代 110円(税込)
◆持参品:筆記用具
・お問い合せ・お申し込み
毎日文化センター東京 電話 03-3213-4768
平日10時から19時30分、土曜は15時まで
※日曜・祝日はお休みです。
※会場へのアクセス/地下鉄東西線竹橋駅1b出口徒歩1分、都営三田線神保町駅A8番出口徒歩5分
【講師プロフィール】水野 聡(みずの さとし)
日本でただ一人の専門の古典翻訳家。能、茶道、武士道、俳諧、禅、日本庭園など日本の中世の芸道、美学、精神文化を専攻。これらの古典名著を現代語訳にて発刊しています。著書(訳書)、『現代語訳 風姿花伝』、『現代語訳 五輪書』、『現代語訳 歎異抄』(以上PHP研究所)、『南方録 現代語全文完訳』、『山上宗二記 現代語訳』(以上能文社)、『現代語訳 申楽談義』(檜書店)他多数。
※その他の【言の葉庵】定期講座は下記にてご確認ください。4月より新テーマにてスタートする講座もありますので、この機会にぜひお近くの教室までどうぞ。
■言の葉庵 カルチャー講座一覧
http://nobunsha.jp/img/kozalist.pdf-
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from: 庵主さん
2025/03/10 12:16:44
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名言名句 第七十九回 清少納言「遠くて近きもの。極楽。舟の道。人の仲」(枕草子 第167段)
遠くて近きもの。極楽。舟の道。人の仲。清少納言『枕草子』第167段より
今回ご紹介する名言は、『枕草子』第167段の「遠くて近きもの」です。
一見遠くにあるように思われるものが、実際には身近にあった、ということは誰しも経験することではないでしょうか。千年前の才女、清少納言はさまざまな比喩を用いて、こうした人間の心の揺れを『枕草子』に遺しました。
ここでは、遠くて近きものを三つ挙げ、「極楽」「舟の道」「人の仲」としたのです。
一つずつ、見ていきましょう。
1.極楽
清少納言が、「遠くて近きもの」として最初にあげたのが「極楽」です。仏教で、人が死んだら行く場所の一つとされ、ユートピアとして説かれています。
さて極楽は、いったいどこにあるのか。
枕草子評釈(金子元臣 1868-1944)には、以下のようにあります。
「阿弥陀経に〈従是西方、過十万億仏土、有世界、名曰極楽、其土有仏、号阿弥陀〉とあるので〈遠くて〉といい、観無量寿経に〈阿弥陀仏去此不遠〉とあるので〈近きもの〉という。極楽は遠けれど、仏を念ずる時は、即ち、瞬く間に到ることが出来るゆえに近いのである」
出典:枕草子評釈 金子元臣著 明治書院 1940年7月 国立国会図書館近代デジタルコレクション インターネット公開(保護期間満了)
ある科学者の試算によれば、十万億仏土は十京光年ともされています。生身の人間が生きてたどり着ける距離ではとうていありません。つまり仏の世界、極楽への距離は観念的なもので、頭で考えても仕方がなく、信仰し、悟りを開くことで一瞬にたどり着けることを教えたもの。仏を信じることは難しく、しかしまた簡単であることを「遠くて近きもの」といいあらわしたのです。
2.舟の道
「舟の道」、狭義では水路であり、広義でとらえれば旅ということでしょうか。
陸上の旅が、山坂を超え、紆余曲折するのに比べて、海路は高低差なくおおむね直線的な行程。途中寄港することなく、目的地へ直行すれば、案外近いともいえるかもしれません。
幼い日の清少納言は、父親の周防への赴任に同行しました。これを初めて聞いた都の少女にとって周防はどんなに遠い国と想像されたでしょうか。しかし実際、凪いだ瀬戸内海の舟旅は陸路のごとき紆余曲折もなく、いかにもスムーズであっという間の移動だったに違いありません。『枕草子』、第286段に「船の路。日のいとうららかに」と、周防への舟旅が記されています。
現代のぼくたちの旅行も、初めて行く目的地は、不測の事態もあれこれ想像され、遠く感じられるものです。しかしいざ旅立ってみれば、あっという間に旅を終え帰宅していた、という経験はないでしょうか。
3.人の仲
「遠くて近きもの」、信仰、旅に続いて最後は人と人との関係です。
『枕草子』三巻本には、「人の仲」となっていますが、能因本では「男女の仲」となっており、一般的な対人関係というより、恋愛など男女間の複雑なコミュニケーションとして解釈することが多いようです。
さて、清少納言の恋人は歌人の藤原実方であったといわれています。実方は中古三十六歌仙の一人であり、美男でもあり、光源氏のモデルともなっているようです。そんな実方と清少納言の具体的な関りは文書に遺されてはいません。
ただ、二人による贈答歌が一組のみ今日に伝えられており、その内容からわりなき間柄ではなかったか、と推測されるのです。
以下、二人の歌のやりとりを実方の家集からご紹介しましょう。
【原文】
もとすけがむすめの、中宮にさぶらふを、おほかたにて、いとなつかしうかたらひて、人には知らせず、絶えぬ仲にてあるを、いかなるにか、久しうおとづれぬを、おほぞうにてものなど言ふに、おんなさしよりて、「忘れ給にけるよ」といふ、答(いら)へはせで、立ちにけり、すなはち
忘れずよまたわすれずよかはらやの下たく煙(けぶり)したむせびつゝ
【訳文】
清原元輔の娘が中宮にお仕えしているが、そ知らぬふりで、とてもなつかしく語らっていた。他の人には知られぬような関係が続いていたのだが、通り一遍に話などしていると、彼女はこっそり近寄って、「お忘れになったのよ」という。返事はしないで、その場を離れ、すぐに歌を届けさせた。
忘れないよ、ああ忘れないとも。瓦焼きの窯の火がくすぶって煙がこもるように、見せないだけで、あなたを想う気持ちは変わらず抱いているよ。(「瓦屋」と「変わらない」を掛けている)
【原文】
返し、清少納言
葦の屋の下たく煙つれなくて絶えざりけるも何によりてぞ
【訳文】
返歌、清少納言
葦ぶきの小屋の中で、焚く火の煙が外からはみえないのに、絶えることがないように、何もなかったことのようにそしらぬ振りをしていながら、仲が絶えなかったのはどうしてかしら
(『実方集』岩波新体系「平安私家集」所収)
男のつれない態度に「私のこと覚えているの」と詰め寄った清少納言に、今も昔も変わらないお決まりの男の挨拶、「忘れるものですか。ぼくの気持ちは変わらない」。それに対する清少納言の返歌はクールで客観的です。しかし本当に気持ちが覚めていたのなら、そもそも「忘れ給にけるよ」などと耳打ちするはずがない。これが男と女の「遠くて近き仲」なのでしょう。
ところで、『枕草子』前段の166段には、この逆の「近うて遠きもの」があります。
【原文】
近うて遠きもの。宮のまへの祭り。思はぬはらから、親族(しぞく)の仲。
鞍馬(くらま)のつづらをりといふ道。十二月(師走/しはす)のつごもりの日、正月(睦月/むつき)のついたちの日のほど。
【訳文】
近くて遠いもの。宮のべの祭り(正月と十二月の最初の午(=うま)の日に行われた祭り)。親しくない兄弟姉妹、親族の間柄。鞍馬のつづらおりという道(幾重にも折り曲がった坂道)。十二月の大みそかの日と、正月の一日の間。
そもそも他人である、恋人や夫婦は「遠くて近い」のに、血を分けた親兄弟の間柄は「近くて遠い」というのが面白いですね。今日の故事成語、「遠くの親類より近くの他人」も人と人との縁の不思議さを、日本人が長い社会経験の中から実感してきた真実なのかもしれません。-
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2024/10/25 17:42:40
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名言名句 第七十八回 ソクラテス「無知の知」
無知の知。ソクラテス『ソクラテスの弁明(プラトン著)』等より
今回ご紹介する名言は、哲学の創始者とされるソクラテスの「無知の知」です。
ソクラテスのこの思想により、人類の哲学が始まったとされており、人がものに気づき、それが何かを考え、活用し、想像し、創造していく精神活動の源泉となっているのです。
1.ソクラテス「無知の知」
現在、多くの辞典・哲学用語集に記載され、ソクラテス哲学の代名詞ともみなされる「無知の知」が、じつは誤解に基づく慣用句が一人歩きして広まってしまったものだ、と考えられています。
『ソクラテスの弁明』から翻案された「無知の知」は、ソクラテスの言葉に沿うなら「不知の自覚」と訳さねばならない。この思想が形作られた経緯と、解釈を高校生向けに世界史用語を解説するホームページから、以下に引用します。
(田中美知太郎訳『ソクラテスの弁明ほか』、納富信留訳『ソクラテスの弁明』よりの引用文を含む)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■「無知の知」の誤解
ソクラテスに関して必ず語られるフレーズの一つが「無知の知」であるが、それについては誤解があるので注意を要する。プラトン『ソクラテスの弁明』でソクラテス自身の語るところに依れば、あるとき仲間のカイレポンという者がデルフォイのアポロン神殿で「誰よりもソクラテスより知恵のある者はいない」という神託を受けたことを聞いて、その意味を確かめなければならないと一念発起し、知恵があると思われる人を次々と訪ねていった。しかし、彼が訊ねた政治家、芸術家、職人はいずれも、本人たちは自分は知恵があると思っているが、本当は何も知らないのだとソクラテスは気づいた。
(引用)しかしわたしは、自分一人になったとき、こう考えた。この人間より、わたしは知恵がある。なぜなら、この男もわたしも、おそらく善美のことがらは、何も知らないらしいけれども、この男は、知らないのに、何か知っているように思っているが、わたしは、知らないから、そのとおりに、また知らないと思っている。だから、つまりこのちょっとしたことで、わたしの方が知恵のあることになるらしい。つまりわたしは、知らないことは、知らないと思う。ただそれだけのことで、まさっているらしいのです。<プラトン/田中美知太郎訳『ソクラテスの弁明ほか』1968 新潮文庫 p.21-22>
つまり、ソクラテスは「知らないことは知らないと思う」と言っているのであり、「知らないことを知っている」と言っているのではない。したがって「無知の知」という言い方は正しくない。「無知の知」とは日本で誤って流布してしまった誤解である。
(引用)ここで大切なのは、ソクラテスが「知らないと思っている」という慎重な言い方をしていて、日本で流布する「無知の知」(無知を知っている)といった表現は用いていない点である。ソクラテスはそんな特別な知者として、人類の「教師」などと崇められる人物ではなく――彼は自分が「教師」であることをくりかえし否定している――あくまで人間が知恵という点でどのように謙虚であるあるべきか、を代表して示している。そこで初めて、哲学が始まるからである。<プラトン/納富信留訳『ソクラテスの弁明』2012 光文社古典文庫 解説 p.129-130>
・「世界史の窓 世界史用語解説 授業と学習のヒント」ホームページ
https://www.y-history.net/appendix/wh0102-136.html
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
さて、ソクラテス哲学発祥のきっかけとなった、当時のギリシャの時代背景と、「無知の知」(不知の自覚)発見に至る道筋を、先生と生徒の問答として、面白くわかりやすく解説するページもあります。
こちらも参照してみてください。
・「TABI LABO ~なぜソクラテスは無知の知に気づいたのか?」
https://tabi-labo.com/282605/zombie-3000-2
2.孔子「知らざるを知らずと為す」
ソクラテスよりも前に、「無知の知」の思想を提唱した東洋の哲人がいました。中国儒教の祖、孔子です。
ソクラテスが紀元前470頃~399、孔子が紀元前552~479。孔子の没後9年目にソクラテスが生まれているため、世界最高峰の哲人が相次いで誕生していたことはとても興味深い事実です。
孔子の思想が著作として成立するのは後世のことですし、遠く国を隔てていることを思えば、ソクラテスが孔子の思想を知り得たとは思えません。
「無知の知」(不知の自覚)と「不知為不知」が、踵を継ぐがごとく近い時期、国も人種も異なるこの二人から生まれ出たことに驚かされます。
孔子の「不知為不知」を出典『論語』の為政第二より、〔白文〕〔訓み下し文〕〔口語訳〕にて、以下ご紹介しましょう。
〔白文〕
子曰、由、誨 女知之乎。知之為知之、不知為不知。是知也。
〔訓み下し文〕
子曰く、由よ、女(なんじ)に之を知ることを誨(おし)えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。
〔口語訳〕
師がこういわれた、「由よ、お前に『知る』ということを教えてみよう。知っていることを知っているとし、知らないことは知らないとする。これが知るということだ」と。
由、すなわち子路は孔子の最初の弟子で、武勇を好む直情径行の人物です。
この率直な性質を愛され、「道が行われないから、いっそ海に向かおうか。ついてくるのは由であろう」(『論語』公冶長篇)、といわれました。すべての門人の中で『論語』に登場する回数がもっとも多いのが子路です。
さて、孔子と子路の関係は、師と弟子という以上に、旧友同士のように近しいものでした。後輩弟子たちが師を恐れ、なかなか口を開くことができないような場面でも子路はずけずけと思うことをいい、孔子を諫めることもありました。時には口がすべり、知ったかぶりをすることもあったのでしょうか。師は「お前に教えよう。知っていることは知っていると思い、知らないことは知らないと認めなさい。それが本当の知ることだ」と教えました。ソクラテスの「無知の知(不知の自覚)」です。子路はここから賢人への第一歩をはじめ、その生の最期まで師の教えを忠実に実行していくのです。
3.世阿弥「上手は下手の手本、下手は上手の手本」
ソクラテスが神託に基づき、智者・賢者の代表とされる政治家・学者・芸術家を訪ね、問いただしたところ、本人たちは「自分は知恵がある」と思っているが、本当は何もしらないのだ、と気づきます。
これが、「無知の知」(不知の自覚)発見の契機でした。
ソクラテスが訪問した識者・賢人たちは、当然当時の各界の第一人者だったろうと思われます。その道については誰よりも豊富な知識と経験をもち、高い見識をもった人々。果たして彼らが本当に「知って」いるのか。ソクラテスの答えは前述通り「否」でした。
なぜ各分野のベテラン・権威とされる人が、実は「知らない」のか。
この「不知」から、本当の「知」へと至る心のプロセスを日本の能楽の大成者、世阿弥と父の観阿弥が、上手(年季を積んだベテラン役者)と下手(初心の役者)の二者に分けて解明しました。
下手はもちろん、名人上手であっても「不知」の暗がりから抜け出せないのは、「慢心」があるからだと看破したのです。
以下、世阿弥『風姿花伝』第三問答條々から、「上手は下手の手本、下手は上手の手本」の段落を現代語訳でご紹介しましょう。
第三 問答條々 ~上手は下手の手本、下手は上手の手本。
(質問者は世阿弥、回答者は観阿弥)
質問 能においても人それぞれ得手不得手というものがある。ことのほか劣ったシテであってもある方面では上手に勝る芸をもつ者がいる。これを上手が真似しないのはできないからであろうか。また、真似してはならないので、しないのであろうか。
回答 一切のことに得手といって、生まれながらにして与えられたよい面があるもの。位は格上ながら、その面についてのみ及ばないということはある。しかしこの場合もまた上手とはいえどもほどほどの上手の範囲ではある。まことに能と工夫を極めつくした上手であれば、どのような芸であろうとできないということなどあろうか。つまりは能と工夫を極めつくした上手が万人に一人もいないということになろうか。いない理由は、工夫がなく慢心のみあるからである。そもそも上手にも悪い面があり、下手にもいい面が必ずあるものだ。ただこれを見分けて指摘する者もなく、本人も自覚していないということか。上手は名を頼み技能にかくされ自分の欠点が見えなくなっている。下手はもとより工夫せず欠点も見えないので、たまたまある長所にも気付かない。されば上手も下手も互いに相手に尋ねるべきだ。反面能と工夫を極めた者はこれを悟るものである。
いかに下手なシテであっても良いところがあると気付けば、上手もこれを学ぶべきだ。これが一番の方法である。もし良いところに気付いても、自分があんな下手から何を学ぶのだと思い上がる。この心にしばられて自身の悪いところをも無視するようになってしまう。これがすなわち極め得ぬ心となる。また下手にも上手の悪いところが見えた場合。あんなに上手なのに欠点があるものだ、ということは初心の自分にはさぞかし欠点も多いはずと悟り、これを恐れ人にも尋ね工夫をする。これが良い勉強良い稽古となって能は早く上達するだろう。かたや自分はあのように悪い芸などするはずがないと慢心を持てば、自分の長所をも全くわきまえないシテとなってしまう。長所を知らねば短所もよしとしてしまうもの。こうなるといくら年季を積んでも、能は上がらない。これすなわち下手の心というものである。さればたとえ上手であっても、思い上がりは能を下げる。いわんや根拠のない思い上がりはなおさらのこと。よくよく公案し考えることだ。上手は下手の手本、下手は上手の手本とわきまえ工夫すべし。下手の良いところを、上手が自分に欠けている芸域に取り入れることはこれ以上ない理想的な方法ではないか。人の悪いところに気付くだけでも自分の勉強になるというのに、ましてや良いところについては、言うまでもない。「稽古は強くあれ、しかし慢心はもつな」とは、まさにこのことである。
(『現代語訳 風姿花伝』水野聡訳 PHP研究所 2005/1/21)-
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