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  • from: 21世紀さん

    2009年02月24日 22時13分43秒

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    ひめゆり隊の校章、64年歳月経て自決の浜辺で見つかる

    2月23日7時8分配信 読売新聞

    太平洋戦争末期の沖縄戦で主に傷病兵の看護にあたった「ひめゆり学徒隊」の女学生の校章が、隊員が集団自決した沖縄県糸満市の荒崎海岸で発見された。

     犠牲となった隊員の校章が確認されたのは初めて。白いユリをあしらった校章は64年前の隊員の悲劇を静かに物語っており、6月、同市の「ひめゆり平和祈念資料館」に展示される。

     荒崎海岸は1945年6月21日、学徒隊を構成していた県立第一高等女学校(一高女)の隊員7人、教頭1人ら10人が米軍に追いつめられて手榴(しゅりゅう)弾で集団自決した場所。将来ある女学生が命を失った悲劇を象徴する地として、同校同窓生らが「学徒隊散華(さんげ)の跡」と記した慰霊碑を建てた。

     発見したのは、沖縄戦犠牲者の遺骨収集に取り組む市民団体「ガマフヤー」(那覇市)の具志堅隆松代表(54)。昨年12月31日、荒崎海岸の別の場所に遺骨収集に向かう途中、岩場の陰に落ちていたという。

     校章はひし形で縦2・2センチ、横1・6センチ。中央に白いユリの花、右上に「高女」の2文字があしらわれている。具志堅代表は「最初は砲弾のかけらと思って拾った。付着していた土をこすると、『高女』の文字が出てきたので校章と気付いた」と発見時の様子を話す。その後、資料館で一高女の校章と確認。7人のうちの誰のものかは分かっていない。

     元隊員で資料館証言員の宮城喜久子さん(80)によると、隊員は自決を決めた直後、未練を断ち切るために家族の写真などを入れた救急カバンを捨てたという。宮城さんは集団自決した7人とともに米軍に追い込まれたが、7人とは別の岩陰に逃げ込んで助かった。「64年もたって見つかるなんて……。ひめゆりの誇りである校章だけは最後まで肌身離さず持っていた人がいたんですね」と語った。

     戦後64年がたち、当時を知る元隊員は少なくなっている。資料館の普天間朝佳(ちょうけい)・学芸課長(49)は「戦争体験者がいなくなる時、校章は隊員の無念さを伝える何よりの資料になる」と話している。

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090223-00000089-yom-soci
    http://www.youtube.com/watch?v=gmXlcYsZWUs&feature=related

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