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from: 21世紀さん
2009年03月31日 01時54分47秒
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池田xxが政治を「従」から「主」に置きかえて創価学会は変質した
(古川利明著『カルトとしての創価学会=池田xx』5頁〜)
創価学会が政治の場に進出するのは、第2代会長・戸田城聖の時代である。
戸田城聖という人物も、池田xxと同様、矛盾の塊のような人間で、正確な評価をつかみとることは非常に難しい。その山師を彷彿(ほうふつ)とさせる事業家としての生々しい顔は、宗教者としてのそれとはあまりにもかけ離れており、実際のところ、現在の池田xxのルーツは、実は戸田城聖の中に胚胎していたといってもいい。しかし、戸田は「王仏冥合」という、政界進出するにあたって当初掲げていた理想の「旗」の中に、宗教者としての「志」は、池田と違って最後まで抱え持っていたと思う。
「王仏冥合」とは、「王法」、つまり、現実の「政治」を実践していくためには、そのバックボーンに「日蓮仏法の理念」を持ってくることが必要だということで、あくまで戸田の中では宗教が「主」であり、政治は「従」でしかなかった。そのギリギリのところで打ち出したのが、「宗教団体が力を行使する政治的限界は地方議会、せいぜいは参議院止まり。そして、創価学会は政党を作らない」という一線だった。
しかし、戸田の後を次いで1960(昭和35)年に第3代会長に就任した池田は、こうした師匠の方針も反故にし、都合のいい部分だけ戸田の権威を利用することで、なりふり構わず「天下取り」へと突き進むことになる。それが、公明党の創設であり、衆議院への進出であった。
そして、冷戦構造の崩壊を機に、自民党の一党支配が崩れ、この国の「真の支配権力」が、体制護持のための「補完物」を求めていたときに、ここぞとばかりにスルスルと権力の中枢に入り込んでいったのが、「反戦・平和」の仮面をかなぐり捨てた「公明党=創価学会」だった。
昨年(1999年)、あれよあれよという間に成立した「自・自・公」の本質が、「ファシズム」であり「全体主義」であるとするなら、その淵源にある最大の陥穽(かんせい)であり、究極の暗部とは「公明党・創価学会」(=池田xx)の存在であろう。
それは、例えば「自・自・公」から「自・公(・保)」の流れに向かう中で、池田xxの"忠実な犬"と化した自民党幹事長の野中広務が、総選挙直前の2000年4月に「野党応援と自・公批判は厳禁」という前代未聞の通達を出したことに象徴されている。-
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