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憲法20条を考える

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  • from: 21世紀さん

    2011年11月19日 21時47分12秒

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    オウム裁判全面終結へ 

    最後の遠藤被告、21日に判決
    2011.11.1 21:10 [刑事裁判]
    地下鉄サリン事件のサリンを製造したなどとして殺人罪などに問われ、1、2審で死刑判決を受けたオウム真理教元幹部の遠藤誠一被告(51)について、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は、上告審判決の期日を21日に指定した。

     一連の教団による事件で、死刑判決を受け、確定していないのは、遠藤被告と元幹部の中川智正被告(49)だけ。中川被告の上告審判決は18日に予定されており、遠藤被告の判決が出れば、オウム事件の裁判は全面終結する。

     9月29日の上告審弁論で、弁護側は、遠藤被告は元教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(56)のマインドコントロール下にあり、完全責任能力がなかったと主張。「各犯行の実行犯ではなく主導もしていない」などと犯意や共謀を否定し、極刑回避を求めた。

     1、2審判決によると、遠藤被告は麻原死刑囚らと共謀し、平成6年の松本サリン事件と7年の地下鉄サリン事件で計19人を殺害。滝本太郎弁護士に対するサリン襲撃、猛毒VXによる脱走信者の支援者男性襲撃にも関与した。

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コメント: 全13件

from: 22世紀さん

2011年11月21日 20時01分07秒

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「Re:Re:オウム裁判全面終結へ 」
オウム裁判が終結=強制捜査から16年-遠藤被告の上告棄却・最高裁
 地下鉄、松本両サリンなど4事件で殺人罪などに問われ、一、二審で死刑とされたオウム真理教元幹部遠藤誠一被告(51)の上告審判決で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は21日、被告側の上告を棄却した。死刑が確定する。これにより、1995年の地下鉄サリン事件発生や教団施設への強制捜査から約16年半を経て、計189人が起訴された一連の事件の裁判は全て終結した。
 事件ではこれまで、元教団代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)を含む11人の死刑が確定した。今月18日には元幹部中川智正被告(49)=一、二審死刑=の上告が棄却されており、中川、遠藤両被告の死刑が確定すれば計13人となる。(2011/11/21-11:08)

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from: 21世紀さん

2011年11月21日 19時44分50秒

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「Re:オウム裁判全面終結へ 」
遠藤被告の弁護団「コメントない」
2011.11.21 11:46 [刑事裁判]
 オウム真理教元幹部の遠藤誠一被告(51)の上告審判決を受け、遠藤被告の弁護団は「コメントはない。判決に対する訂正申し立てをするかどうかは、今日の段階では答えられない」と話している。
検察「指名手配中の3人未検挙、危険性を警戒」
2011.11.21 12:16 [刑事裁判]
 オウム真理教による一連の裁判が終結したことについて、最高検公判部の岩橋義明部長は21日、「裁判は終了したが、指名手配中の3人が未検挙であるうえ、団体に関する観察処分も継続中で、その危険性は警戒を要する状態であると認識している」とのコメントを出した。

 また、元幹部の遠藤誠一被告(51)の上告棄却については、「死刑判決が是認された最高裁判決は適正妥当」と評価した。

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from: 22世紀さん

2011年11月21日 18時51分11秒

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「Re:Re:オウム裁判全面終結へ 」
 創価学会を含む新興宗教は、とにかく〝確信者〟が多く存在するので、罪の意識はないだろう。

 忘れたころ、又、過激な新興宗教が出てくるのではないですか。

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from: 21世紀さん

2011年11月21日 13時21分44秒

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「Re:オウム裁判全面終結へ 」
(9)「死刑執行前に反省を」 「ひかりの輪」上祐史浩代表
2011.11.20 22:12 [刑事裁判]

 オウム真理教に強制捜査(平成7年)が入ると会見やテレビ番組などで、教団を正当化する主張を繰り返した。早大のディベート・サークルで鍛えた弁論術を生かし、相手の考えを封じる姿は「ああいえば、上祐」と呼ばれた。

 オウムの流れをくむ宗教団体「ひかりの輪」の上祐史浩代表(48)。いまは、あれだけ信奉していた「尊師」こと麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(56)を「麻原」と呼び捨てにする。

 「裁判が終結すると、今度は死刑執行が遅かれ早かれ始まるだろう。麻原は、執行前にきちんと反省すべきだ。反省の言葉を発しないまま死刑になると、神格化してしまい危険だ」

 一連のオウム裁判を通じて、一度たりとも真相に向き合おうとしなかった麻原死刑囚の態度に、強い疑問を感じているという。

 他の死刑囚、被告らについては「反省しているように見える人もいるし、そうでない人もいる」と冷静に分析する。

 だからといって、教団の正当化を吹いた自分の過去が清算されるとは思っていない。「道義的責任は免れ得ないと思っている」

 教団のモスクワ支部に長くいたことなどがあって、地下鉄サリン事件などについての全容を知る立場にはいなかった。だが、「教団の関与はうすうす感じていた」と告白する。

 幹部同士が地下鉄事件の証拠隠滅を確認するような会話を聞いた。麻原死刑囚が「サリン事件は教団が悪いことをした」と発言するのも聞いた。

 「事実と違う説明をしている自覚もあった。だが私自身、深い洗脳状態にあり、教団を守りたい、丸く収めたいと考えていた」

 自身は、殺人事件への関与はなかったものの、教団による熊本県内の土地取得をめぐる国土利用計画法違反事件で偽証罪などにとわれ、懲役3年の実刑を受けた。起きるはずだったハルマゲドンが起きず、独房の中で少しずつ“洗脳”が解け始めたという。

 出所後、1度だけ、麻原公判を傍聴したことがある。引きずられるように法廷に現れ、顔や手を小刻みに震わせる麻原死刑囚を見て、「『壊れた、終わった人』と感じた」。その後、教団の後継団体「アレフ」の代表となった。

 麻原死刑囚の呪縛と「完全に決別した」というのは5年前。「自分なりの神秘体験で、麻原への精神的帰依が心が晴れるように消えた」と説明する。

 ところが、オウムの後継団体「アレフ」の信者らにとっては、麻原教が上祐教になったことになる。団体の主導権争いが起き、4年前に約160人の元信者とともに教団を離れ「ひかりの輪」を設立した。

 反省しているなら解散を-。そんな声も届くが「宗教家をやめるつもりはない」と断言。「オウムなど従来の宗教を超える、新しい宗教の創造を目指す」と“崇高”な目標を掲げる。

 だが「ひかりの輪」は、公安調査庁から「オウム真理教上祐派」とみられ、団体規制法の観察対象となっている。施設周辺では、立ち退きや解散を求める住民運動も続いている。上祐代表の考えや理想は、社会には共感はないのが現実だ。(大島悠亮)

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from: 21世紀さん

2011年11月21日 13時15分12秒

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「Re:オウム裁判全面終結へ 」
ひかりの輪・上祐代表「心身の傷癒されるわけでなく、一つの節目に過ぎない」
2011.11.21 11:42 [刑事裁判]
 オウム真理教の一連の裁判の終結について、宗教団体「ひかりの輪」の上祐史浩代表(48)は21日、「被害者、遺族の皆様の心身の傷がこれで癒されるわけではなく、あくまでも時間の一つの節目にすぎないと思う」などとコメントを発表した。

 平成12年に「アレフ」と改称したオウム真理教は19年に分裂。現在は多数派の「アレフ」と、上祐氏らが設立した「ひかりの輪」が活動を展開している。

 上祐氏はコメントで「元信者一同は、この16年間の長きにわたり心を痛めつつ裁判の経緯を見続けてこられた全ての被害者、遺族の皆様に対して、改めておわび申し上げます」と謝罪。

 その上で、「二度と同様の事件を起こさないためにも、この裁判では必ずしも明らかにならなかった、事件に関与しなかった大部分の一般信者の思想的、宗教的責任についても探求し、いっそう反省、総括を深め、社会に還元していくことを約束します」とした。

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from: 21世紀さん

2011年11月19日 22時25分51秒

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「Re:オウム裁判全面終結へ 」
【16年目の終結 オウム裁判】
(8)教団研究、将来の教訓に 宗教学者・井上順孝さん
2011.11.19 21:19
井上順孝國學院大学教授
 オウム真理教についての研究書が今年夏、出版された。『情報時代のオウム真理教』(春秋社)。

 帯書きにはこうある。「オウム真理教とは、いったい何であったのか。宗教と社会の相剋(対立)を浮き彫りにする」

 20代の若手を含む18人の研究者らが、教団の情報発信、説法変遷、海外展開、報道の変遷などを、地下鉄サリン事件(平成7年)以前にまでさかのぼって分析した。

 中心になったのが国学院大教授で日本宗教学会会長の井上順孝さん(63)。「反省や将来への教訓が見えてくる。宗教を研究する者として、少しは責任を果たせたような気がする」と語る。

 「長い時を要したが、ようやくオウムの研究ができる時代になった」。研究者仲間から、そんな感慨とも安堵(あんど)とも取れる声が寄せられたという。

 国政選挙に出馬するなど、教団が社会の注目を浴び始めたのは平成元年。

 相前後して宗教研究は、オウムに翻弄されていく。

 教団に理解を示した発言をした宗教学者は、「オウムの社会進出を正当化した」と批判を浴び教壇を去った。新宗教をテーマにする研究者は減り、研究内容に萎縮もみられた。「何のための学問か」といった批判もあった。

 井上さんにとっても、オウムの存在は長い間、心にひっかかる存在だった。

 平成3年、井上さんは宗教ジャーナリストの取材に同行して、富士山周辺にある教団の拠点を訪問した経験がある。

 「サマナ服」と呼ばれる独特な服を着た出家者たち。漂う異様な臭気。「これまでのどんな宗教とも違う、異質さを感じた」

情報発信一つとっても、既存宗教が人から人への情報伝達を大切にしたのに、オウムは出版、音楽、ビデオ、ラジオ…といったメディアを利用し、見ず知らずの人との関係を作っていった。幕を開けたばかりの「情報化時代」の先端を走っていた。

 「当時の宗教研究のスタンスではとらえきれないところがあった。研究者らが、オウムについての知識や情報を、蓄積、整理する前に事件が次々と起こっていった」

 井上さんは「宗教について、信頼できる確かな情報を蓄積していくことが、研究者の役割の1つだ」と考えている。

 だからオウム事件以降、若者の宗教意識の継続調査や、宗教情報専門の図書館の立ち上げなど、研究の幅を広げる土壌作りに積極的にかかわってきた。

 そんな調査研究を通じ、最近、オウム事件の風化とも取れる現象を察知している。

 「事件直後は、宗教団体に対する強い不信が社会にあった。それがこの15年間で、若者の宗教への関心は確実に高まりつつある」

 それが「良い」「悪い」と言うのではない。

 「きっちりと正確な情報を蓄積し、社会に判断材料を提供できるようにしておくのが研究者の役割の一つ。オウムから学んだ教訓でもあります」(赤堀正卓)
     


 

■オウムの社会進出


 平成2年の衆院選挙に25人が立候補し、惨敗した。原因を国家権力の陰謀と総括したことが、その後のテロ活動の一因となった。

 「ホーリーネーム」と呼ばれる教団内での名を選挙ポスターに記載。「ショショショショショショショーコー」と麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(56)の名を連呼する音楽と、踊り部隊を従えた選挙活動が、一部メディアに興味本位で取り上げられたことが、後の教団の知名度拡大につながった。

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from: 21世紀さん

2011年11月19日 22時21分20秒

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「Re:オウム裁判全面終結へ 」
【16年目の終結 オウム裁判】
(7)団体存続「違和感ある」 元検事総長・但木敬一さん
2011.11.18 22:32
 「今すぐ、来い!」

 平成11年9月8日朝。官房長官の野中広務氏(当時)から、法務省官房長だった但木(ただき)敬一(けいいち)さん(68)に呼び出しがかかった。

 当時、強制捜査(7年)後も存続するオウム真理教の封じ込めが、社会の課題となっていた。

 政府は、オウムに対し、団体を強制的に解散できる権限を持つ「破壊活動防止法」(破防法)の適用を請求。だが、“伝家の宝刀”といわれる法律の要件の厳しさなどのため、9年1月に公安審査委員会が請求を棄却していた。

 教団施設が建つ地域の住民からは政府に対し、「殺人集団に、国は何もできないのか!」といった不満が噴出していた。

 請求棄却後、破防法の適用条件を緩和する議論があった。しかし、「市民、労働団体も対象になりかねない」という反発が強く、政府は苦慮していた。

 首相官邸の官房長官室に到着し、野中氏が現れるまで約15分間。かねて抱いていた「新法」の構想を7、8項目に分けて、手持ちのメモ用紙に書きなぐった。

 「新法をやるとしたらこんな枠組みですかね」。メモを渡すと、「よし、これでいこう」。

 “オウム新法”とも呼ばれる「団体規制法」が誕生した瞬間だった。条文に「サリンを使用するなどし…」などの表現を入れ、事実上の観察対象をオウムに絞った。

 但木さんは「法律がどんな形であるかは、住民にとってはどうでもいいこと。不安におびえる住民に対し何もできないのは、申し訳なかった」と振り返る。

 ただ、破防法適用をあきらめ、新法を作らざるを得なかったことには、ためらいもあった。

 7年3月22日の強制捜査。「思いも寄らないことが現実になった」。法務省の執務室のテレビで見た、物々しい捜索風景が脳裏に焼き付いた。

 次々と明らかになる凶行に「破防法を適用できなければ、破防法は何のためにあるのか」と思い続けた。

 政府が破防法に基づく「解散指定」請求を決断した際(7年12月)は、法務省の官房秘書課長。当時の宮沢弘法相が朝から夜まで大臣室に籠もり事件の全記録を読み、破防法の請求に腹を固め、慎重派だった当時の村山富市首相を説得していく姿を見ている。

 それだけに、9年1月の公安審の請求棄却には、「世界の非常識」と忸怩(じくじ)たる思いがある。「日本は権力の行使に謙抑的すぎる。いい面もあるが、危機管理に極めて弱いお国柄だ。無差別に人を殺害した団体の存続を認めるのは日本だけでしょう」
議員立法として成立した、教団資産を被害者救済に役立てるための「破産特別措置法」などの制定に際しても、法務官僚として積極的に支えた。

 「オウムとの対決を恐れず活動する弁護士らがいた。その人たちのために省益は考えずに役に立ちたいと考えた」

 自らがかかわった団体規制法に基づく調査で確認された、国内の現在のオウム信者は約1500人。

 「オウムが生きながらえていることに違和感はある。ただ、新法ができて住民の不安を和らげることができたのではないか」。複雑な思いが交錯している。(上塚真由)


×××


【用語解説】破防法と団体規制法

 破壊活動防止法(破防法)は、終戦後に多発した極左の暴力的なゲリラ活動などに対応するため昭和27年に成立。政治目的で暴力的破壊活動を行った団体に解散、集会の禁止などの措置ができるが、団体への規制は条件が厳しく、一度も適用されたことがない。

 団体規制法は、オウム真理教への破防法の適用請求が棄却されたことで平成11年に成立。サリンを使用するなど無差別大量殺人行為を行った団体を対象とし、立ち入り検査などの「観察処分」がある。破防法と異なり、解散を命じることはできない。


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from: 21世紀さん

2011年11月19日 22時16分55秒

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「Re:オウム裁判全面終結へ 」
【16年目の終結 オウム裁判】
(6)元裁判長の山室恵氏「懺悔の涙、本物だったか」
2011.11.16 21:47
 自分の下した判決は正しかったのか。慟哭(どうこく)しながら懺(ざん)悔(げ)を繰り返した被告の涙は“本物”だったのか。地下鉄サリン事件の実行犯、林郁夫受刑者(64)を無期懲役とした元東京地裁裁判長の山室恵弁護士(63)は、判決から13年を経た今、ふと思う時がある。

 「やはり、生きていちゃいけないと思います」。法廷で対(たい)峙(じ)した林受刑者は、医師である自分が人を救うどころか殺害に手を染めたことへの悔悟の念と、死刑への覚悟を何度も口にした。被告の号泣に法廷は静まり返った。

 だが、裁判官席から見つめる山室さんの視線は冷静だった。「泣こうがわめこうが反省しようが、『こいつを死刑にするんだ』と思っていた」と告白する。

 林受刑者の散布したサリンで2人が死亡、地下鉄事件全体で犠牲者13人という事実は重かった。

 しかし、検察側の求刑は「無期懲役」。林受刑者の自供が教団の組織犯罪解明につながったことなどが酌まれたためだ。

 極刑やむなしと考えていた山室さんは、この時の衝撃を「天井を打たれた」と表現する。求刑を超える判決を言い渡すことも可能だが「懲役を1年増やすのと、無期を死刑にするのでは訳が違う」。
判決に頭を悩ませる日々が始まった。たばこと酒の量は増え、眠れない日もあった。書き上げた判決文を、宣告までの2週間で数え切れないほど読み返した。「ほぼ空で言えるまでになった」。平成10年5月、無期懲役の宣告に林受刑者は深々と頭を垂れた。

 最近、気になる話を耳にした。「林受刑者が、服役中の千葉刑務所で座禅を組んでいる」という。真偽は不明だが、教団のヨガが頭に浮かんだ。「結局はそこに戻っていったのかなぁ」

 判決後、公判に立ち会った地裁職員から「山室さん、だまされてるんじゃないですか?」という言葉をかけられたことがある。当時は気にしなかったが、今になって心が重い。

 「あの時、あの日本という場で、あの事件で判決するとしたら、やっぱり同じようにしたと思う。それについて反省はない」。そして、こうも続けた。「でも、違う物差しで振り返ってみれば、本当によかったのかなとも思える。これが『歴史が裁く』ってことなんだろう」

 林受刑者への判決の5カ月後の10年10月、坂本堤弁護士一家殺害事件の実行犯、岡崎一明死刑囚(51)に、オウム真理教事件で初めてとなる死刑判決を言い渡した。これを皮切りに、他の幹部らへの死刑判決が相次いだ。
「死刑は必要」という考えだが、「オウム事件によって、社会の死刑に対する感度が鈍くなった。死刑というのはまさに極刑なんだという認識が少し薄れた」との危機感も抱く。

 オウム裁判の終結には「長い年月がたったんだなぁ」。刑事裁判官生活を振り返り、「死刑に関与するっていうのは嫌なことだよ。『あんた死ね』というんだから。重いことだよ」とつぶやいた。(滝口亜希)


オウム裁判での死刑と無期


 189人が起訴された一連の裁判で、すでに死刑判決が確定したのは11人。このうち地下鉄サリン事件に関しては、散布役となった5人のうち4人が求刑通りの死刑判決となった一方で、林郁夫受刑者だけは求刑通りの無期判決となった。検察は林受刑者の供述が「自首」に相当すると判断した。死刑と無期をめぐる判断の相違では、井上嘉浩死刑囚に関して、1審で死刑求刑に対して無期判決、2審、最高裁で死刑判決となった。



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from: 21世紀さん

2011年11月19日 22時10分52秒

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「Re:オウム裁判全面終結へ 」
16年目の終結 オウム裁判】
(5)滝本太郎弁護士「信者なくなるまで戦う」
2011.11.16 11:37
 今月3日、翌日の命日を前に鎌倉・円覚寺で営まれた坂本堤弁護士=当時(33)=一家の二十三回忌法要。滝本太郎弁護士(54)は墓前に手を合わせた。「21日で全員の判決が確定しちゃうよ。どうしたらいいかな」

 オウム被害者弁護団の活動をするなかで、教団の凶行の犠牲になった坂本弁護士とは彼の司法修習時代から、酒を酌み交わす仲だった。

 「坂本だけをオウムに立ち向かわせてしまった」

 猛烈な後悔の念が、滝本さんの人生を変えた。

 滝本さんは一連の裁判で、教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(56)以外の死刑執行反対を訴えてきた。一連の事件は、麻原死刑囚によるマインドコントロールのもとで起きたと考えるからだ。だから、教団施設の調査や、信者の脱会活動を積極的に展開した。

 そんな熱心な活動ぶりが「『魔法』を使って滝本をポア(転生の意。殺人を正当化する教団用語)する」(麻原死刑囚)と標的になるまで、時間はかからなかった。

 平成6年5月、車のフロントガラスからサリンを流し込まれた。太陽が「縁だけ赤く、黒っぽく」見え、間もなく嘔吐(おうと)。
それでも、「オウムをなくすのが坂本の無念を晴らすこと」という信念は揺るがなかった。7年6月、信者の脱会後の生活をサポートする「カナリヤの会」を発足。裁判の傍聴や、拘置所にいる幹部らへの面会も積極的にした。

 「信者がマインドコントロールされる過程を知り、再発防止につなげたい」という一心からだ。

 「カナリヤ」には元出家者100人以上が訪れたが、麻原死刑囚の呪縛から解き放たれるまでに10年の歳月を要するケースもあった。3人に1人は精神科に通院した。苦悩の末に命を絶つ元信者もいた。

 オウム事件の実相に近づくほど、「洗脳」の深刻さは実感を増した。多くの命を奪った教団幹部たちでさえ、そんな“被害者”と考えるようになった。

 印象に残る幹部の一人が上告中に拘置所で面会した林泰男死刑囚(53)だ。地下鉄サリン事件で、他の実行役がサリンの入った袋を2つ持ったのに、林死刑囚は3つ持ち込み“殺人マシン”と言われた。

 「少しは悪い感じのやつだったらよかったのに…」。当時の様子を率直に振り返る話しぶりからは、死刑を言い渡した1審判決ですら「人間性自体を取り立てて非難できない」と表現した素朴な人柄がにじみ出た。

 「悪意の殺人には限度がある。善意の殺人には限度がない」。素朴な人柄の“善人”ですら、殺戮(さつりく)に駆り立てるカルトの恐ろしさを改めて実感した。
「アレフ」「ひかりの輪」などオウム後継団体の信者からは、現在も連絡があり、話を聞いている。そこには、「先生はうまいことポアされなくて、残念でしたね」と無邪気に笑いかけてくる若者たちの姿がある。事件前同様、カルトにのめり込む若者たち…。

 「麻原を信じる人間がただの一人もいなくなるまで、自分の戦いは終わらない」。天国の友に思いを馳せ、決意を繰り返す。(時吉達也)





 ■洗脳と脱会信者支援 オウム真理教のようなカルト教団の中では、信者らは「洗脳」あるいは「マインドコントロール」といった状態になり、正常な判断能力を失う。そのため、脱会活動や脱会した信者らには手厚いケアが必要となる。平成7年の強制捜査以降、脱会者は急増。信者の親などで組織される「オウム真理教家族の会(旧被害者の会)」や、元信者が相互カウンセリングをする中で完全な脱却を図る「カナリヤの会」、カウンセラーや宗教学者らによる「日本脱カルト研究会(現協会)」などが支援や情報交換をしている。



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from: 21世紀さん

2011年11月19日 22時03分31秒

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「Re:オウム裁判全面終結へ 」
【16年目の終結 オウム裁判】
(4) 妻の命奪った実行犯 面会続ける河野義行さん
2011.11.14 22:01
 「『恨み』を持ち続けながら生きていくことは不幸だ」と考えている。被害者にとっても、加害者にとっても…。だからこそ、松本サリン事件を起こし、自らの家族を苦しめ、妻の命を奪った実行犯らに対して、寛容な態度で接してきた。

 一昨年と昨年、東京拘置所で井上嘉浩死刑囚(41)、新実智光死刑囚(47)、そして最高裁判決を前にしている中川智正被告(49)、遠藤誠一被告(51)の教団幹部4人と面会し、謝罪の言葉を受けた。

 「何が変わるわけでもないが、彼らの気持ちが、少しでも穏やかになればいい」と面会の意図を語る。

 遠藤被告との面会では、松本事件でのサリン噴霧車の構造図を見せられた。手書きの図だった。「噴霧装置じゃない?」と答えると、「結構詳しいですね」と返ってきた。

 「現実感がないというか。まるでドラマで悪役を演じた役者と会ったような感じ」と振り返る。

 10代で入信し“オウムの申し子”と呼ばれた井上死刑囚からは、死刑に対する認識を聞いた。仏教は輪廻(りんね)転生を説く。「終わり(死刑)は終わりなの?」と問うと、井上死刑囚は「自分の終わりは始まりです」と応じた。「人生をやり直すという考えがあるなら安心しました」と返すと、笑顔をみせたという。

 サリン噴霧車を製造し、懲役10年の刑を受けた元受刑者とも「友達」になった。出所後、申し訳なさそうな顔で自宅前に現れた元受刑者。服役中に学んだ職能技術をいかし、河野さん宅の庭木の手入れをし、釣りにでかける仲になった。「あいつはもうオウム(アレフ)には戻らない」

 なぜそこまで寛容になれるのか-。「それは私も『被疑者』扱いされたからだ」と即答する。

平成6年6月27日の事件発生後、警察は河野さんの家から複数の薬品を押収。本来は被害者である河野さんを“犯人視”する報道が相次いだ。

 犠牲者の遺族らから「殺してやりたい」「お前がサリンで死ね」と書かれた手紙が何通も届いた。

 そんな経験を通じ、「恨んで、恨んで…。死刑が執行されて晴れ晴れするかといえば、そんなことは絶対にない。恨みを持ち続けながら生きていくことは不幸だ」と思うようになった。

 「人を恨むより、私にとっては妻が命をつないでくれたことへの感謝のほうが大きかった」

 事件の後遺症で意識の戻らないまま、ベッドの上で過ごす妻の澄子さん=享年(60)=を14年間、介護し続けた。「家内を回復させる。それが私の戦いだった」。体は動かないが声は聞こえる。呼びかけに対し、涙を流し、顔をゆがめ、反応があるたびに希望がわいた。

 澄子さんの三回忌を迎えた昨年、鹿児島市に移り住んだ。いまはマンションの一室で隠居生活を送る。「私にとってのオウム事件は、3年前に妻が亡くなったとき、すべてが終わったんです。いまは少し離れたところで人生をリセットしたい。最後に笑って終われるように」(伊藤鉄平)

     ◇

 ■松本サリン事件 平成6年6月27日夜から翌未明にかけ、長野県松本市の住宅街でオウム真理教が猛毒のサリンを散布、8人が死亡、660人が重軽傷を負った。教団松本支部の立ち退き訴訟を審理していた、裁判所松本支部の官舎を狙った犯行だった。

 警察は当初、現場近くに住み、事件の第1通報者だった河野義行さんを取り調べ、河野さんを犯人視する報道が続いた。オウムの犯行と分かったのは平成7年の地下鉄サリン事件後のことだった。その後、警察、報道各社が河野さんに謝罪した。

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from: 21世紀さん

2011年11月19日 21時59分38秒

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「Re:オウム裁判全面終結へ 」
【16年目の終結 オウム裁判】
(3) 今も信者「再来」の不安 富士ケ嶺オウム対策委員会の元代表理事、竹内精一さん
2011.11.13 01:48 [ドラッグ]
 山梨県上九一色(かみくいしき)村。平成18年に甲府市と富士河口湖町に分割編入された。

 富士山を望む自然豊かな村にオウム真理教が進出したのは22年前。教団は「サティアン」と呼ばれる建築物など、最盛期で30を超える施設を建築。勝手な振る舞いをし、住民と激しいトラブルとなった。

 多くのサティアンがあった富士ケ嶺地区は静けさを取り戻している。過去の騒動を伝えるのは、公園として整備された跡地にある約1メートルの高さの「慰霊碑」だけだ。

 だが、オウムと縁が切れたわけではない。

 地域の教団対策委員会で代表委員などを務めた竹内精一さん(83)は今春、元オウム信者で、現在は教団の流れをくむ団体「アレフ」の荒木浩幹部(43)と、信者らしき約15人の男女を「第6サティアン」跡地で見かけた。

 一連の事件の首謀者、麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚は逮捕当時、この場所に隠し部屋を作り、潜んでいた。

 荒木氏とはここで、教団が村から退去した8年11月、2人きりで約30分間話し合ったことがある。「人の道として、謝罪しないといけないぞ」。そう、諭した竹内さんに、彼は「個人としては(謝罪)しないといけないが、教団としては…」と曖昧な返事しかしなかった。

 あれから15年。「何をやってるんだ! 早く辞めた方がいいぞ」。声をかけると、苦笑いを浮かべながら黙ったままだった。

 呪縛が解けない彼らの姿に、竹内さんは複雑だ。

 竹内さんが教団と激しく対峙したのは、教団退去までの6年あまり。「人生の中で最も“濃密”な時期だった。地域を守らなければという強い思いが自分を支えた」

 教団が村に進出を始めたのは平成元年。教団は村民が気付かぬうちに土地を取得していた。突然、高さ約3メートルの金属塀が立った。

 説明を求めようにも、信者らはカメラを構え、車のナンバーを控える。何を言っても取り合わない。門前の信者は竹刀で自分の足をたたいている。「エネルギーを発散するため」という主張も理解を超えていた。

 対策委は監視小屋を設置。サティアンに通じる道路にコンクリートブロックを置き、工事用トラックの進入を防いだ。信者の出入りもチェックした。

 「少しでも怖さを感じたら足が止まってしまうと思っていた」。当時の恐怖をこう振り返る。自宅から盗聴器が発見されるなど、嫌がらせも相次いだ。

 竹内さんは一連の教団事件の裁判を傍聴はしていない。「裁判は信者個々人の罪に対してのものでしかない。教団全体の問題としてとらえる場ではないと思ったから」と話す。

 なぜ、教団が上九一色村に進出したのか。竹内さんには疑問が残る。「富士山という信仰の象徴のほかに、警察の目が届きにくい県境で、土地が安かったからなのか」

 公判の途中で検察側が、村の教団施設が舞台となった覚醒剤・麻薬密造事件について起訴を取り消した(平成12年)ため、教団の施設建設過程について裁判で明らかにされることはなかった。

 教団関係者がいまなお、サティアン跡地を訪れるという現実を前に竹内さんは思う。「再び同じような教団が生まれ、歴史が繰り返されはしないだろうか」(川畑仁志)

    ◇

 サティアンとオウムの拠点 サンスクリット語で「真理」を意味する言葉で、オウム真理教が教団施設をそう呼んだ。旧上九一色村を中心に富士山周辺には、麻原彰晃死刑囚の住居や、サリンや自動小銃などの製造施設、信者の修行・生活施設などがあった。

 教団の施設は北海道から沖縄まで20以上。東京都心では青山、亀戸などに拠点があった。教団は最盛期の平成7年当時、出家約1500人、在家約1万4千人の信者がいたとされる。

 信者らは現在、主流派のアレフ(東京・杉並)と、ひかりの輪(同・世田谷)に所属公、都内でも住民が反対運動を続けている。安調査庁によると、信者は計約1500人(うち出家者約500人)。

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from: 21世紀さん

2011年11月19日 21時56分42秒

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「Re:オウム裁判全面終結へ 」
【16年目の終結 オウム裁判】
(2)「法廷で真相」かなわず 坂本弁護士事件の被害者遺族、大山友之さん
2011.11.10 19:31 (殺人・殺人未遂]
オウム真理教の裁判が始まってから、何度同じ朝を迎えただろうか。裁判を傍聴するため、午前4時20分に茨城県ひたちなか市の自宅で目覚まし時計のベルの音を聞いてきた。

 坂本弁護士一家殺害事件で犠牲になった坂本堤弁護士の妻、都子さんの父親、大山友之さん(80)は、そう回想する。

 妻のやいさん(77)が用意してくれた納豆やノリの朝食を済ませ、上野行き特急に乗り込む。東京・霞が関の東京地裁で、被害者や遺族ら用の傍聴券の交付を受け法廷に入る。

 「裁判など行きたくなかった。麻原の顔など見たくなかった。だが、法廷で何か真相が明かされるかもしれない。事件の真相を突き止めたい。考えれば考えるほど、行かなければならないと思った」

 大山さんは「平成元年の一家失踪から、7年の立件までに長期間を要した理由」や「なぜ教団が娘たちのアパートに入れたか」の解明を裁判に期待した。

 事件の首謀者とされる麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(56)の公判での光景だった。

 傍聴する大山さんの目の前で、元幹部の岡崎一明死刑囚(51)が証言台に立った。岡崎死刑囚は7年4月、弁護士一家事件を神奈川県警に「自白」した後、中国へ渡航しようとする際のことをこう証言した。

 「警察に殺人事件をやっていることを話しているのに、黙って海外に行ってはまずいと思い電話をしたら、『気をつけて行ってこいよ』といわれて…」

 「まさかと思った」と大山さん。「『首を絞めた』と自白した人間が身柄も拘束されず、海外旅行さえできることが信じられなかった。だが裁判で警察の姿勢は問われなかった」

 裁判を通じて大山さんが最もこだわったのは、娘一家が殺されたアパートの鍵の問題だった。

 法廷で検察側は岡崎死刑囚の供述をもとに、「玄関ドアの鍵が開いていたため坂本弁護士がすでに帰宅しているものと考え、麻原死刑囚の指示で一家の皆殺しへと犯行計画を変えた」と指摘した。

 それは判決で「無施錠の玄関から坂本堤方に侵入し…」と認定された。

 「あれだけきちょうめんに、誠実に生きてきた娘たちが鍵をかけ忘れて寝てしまうことなど絶対にない。実家へ帰るたび、身の危険をほのめかしていた当時の状況から考えてもあり得ない。それなのに裁判では犯人の供述が『事実』となり、鍵をかけ忘れるようなだらしない生活をしていたから災難に遭ったという結論にされた。娘の名誉のために認められなかった」

 控訴審までは傍聴を続けたが、近年の上告審は年齢的なこともあり、東京へ出かけることはなかった。

 もうじき81歳になる大山さん。オウム裁判の全面終結を控え、こう話した。

 「裁判所へ足を運んでは、いつもむなしさと徒労感だけを味わって帰ってきた。警察の捜査の怠慢も、鍵のことも、何も実になるものはなかった」

 ■坂本弁護士一家殺害事件 平成元年11月4日未明、坂本堤弁護士=当時(33)=と妻の都子さん=同(29)、長男の龍彦ちゃん=同(1歳2カ月)=が横浜市磯子区の自宅アパートで首を絞められるなどして殺害された。7年9月に遺体が発見されるまで「失踪事件」として扱われていた。「オウム真理教被害者の会」の指導的立場だった坂本弁護士を、組織拡大の障害になると感じた麻原彰晃死刑囚が殺害を指示した。事件直前にTBSがオウムの問題性を指摘する坂本弁護士のインタビューを収録し、それをオウムに見せていたことがのちに発覚。TBSの報道姿勢が問われる事態になった。

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from: 21世紀さん

2011年11月19日 21時51分56秒

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「Re:オウム裁判全面終結へ 」
16年目の終結 オウム裁判】
(1) 傍聴400回「怒りだけ」 地下鉄サリン事件被害者の会代表世話人、高橋シズヱさん
2011.11.10 13:53 [刑事裁判]

地下鉄サリン事件で営団職員だった夫の一正さんを失った高橋シズエさん
 「最近、改めて悔しさがわいてくる」

 地下鉄サリン事件で夫の一正さん=当時(50)=を失った高橋シズヱさん(64)。オウム真理教の全裁判が終結するのを前に、そんな思いを持つ。

 傍聴のため裁判所に足を運んだ回数は400回超。「夫は自分の身に何が起きたのかも知らずに亡くなった。あの日、何があったのか。法廷での出来事を克明にノートに記してきた」

 だが、当初は連日のように開かれていた裁判も、刑が確定する被告が増えるにつれて数が減っていった。必然、自宅にいる日々が多くなる。

 「一人でいると夫のことを考えてしまう。いろいろな思いがこみ上げてきて、改めて殺されたんだと悲しみや悔しさがわいてくる」

 買い物に付き合ってくれた。休みの日にパート先まで迎えにきてくれた…。

 平成7年3月20日午前8時過ぎ。営団地下鉄(現・東京メトロ)霞ケ関駅の助役だった一正さんは、救助活動の中で命を落とした。

 「泊まり明けで午前9時に勤務が終わるはずだったんです。予定していた旅行の案内を持ってきてもらおうと、駅に電話したがつながらない。直後、妹からの電話で事件を知りました」

 以降、高橋さんの「突っ走る生活」が始まった。地下鉄サリン事件被害者の会代表世話人に就任。普通の主婦だった人生は大きく変わり、全国に名前を知られる存在になった。

傍聴し続けた裁判。抱く感想は「いつも怒りでしかなかった」という。「法廷で被告らが自らの主張を述べるのに対し、遺族や被害者は、その場で反論する機会がないから」

 8人が死亡するなど、最も被害が大きかった日比谷線内でサリンを散布した林泰男死刑囚(53)の公判。遺族らに謝罪の手紙を書かない点を裁判官から問われ、「何回も書こうとしたが、書けなかった」と供述した。

 「何をしたのか、本当に分かっているのか!」。思わず傍聴席で怒鳴っている自分がいた。

 死刑制度の残虐性を訴える弁護人もいた。「何の罪もない家族を殺されたものにとって耐えられなかった」。裁判所から遺族に用意された傍聴席の権利を放棄し、退席するという形でしか抗議できなかった。

 「裁判ではもどかしさを感じるだけだった。それが一番つらかった」

 首謀者の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(56)の口からは、真相は何も語られなかった。「ちゃんと裁判を受けてほしかった。心残りです」

 オウム真理教は「アレフ」や「ひかりの輪」として形を変え、いまも残る。「あれだけのテロを起こした集団が残るのは、外国では考えられない。きちんとしたこともいえない教祖で、結局は卑怯(ひきょう)な人間で何の信念もなかった。現役信者らには、それを認識して真摯(しんし)に受け止めてほしい」

夫の死から16年。裁判がもうすぐ終わる。被害者の会の活動も落ち着いた。

 「改めて悔しさがあふれてくる」という胸の内には、「もう終わりにしてもいいのかなぁ」という思いも同居する。

 昨年、事件当時に夫が着ていた制服や靴、靴下などを処分した。段ボール箱1箱分にもなった裁判のノートも捨てた。「突っ走る生活」から離れ、自分自身の人生を歩もうと考えている。(森本充)


× × ×


 オウム真理教事件の刑事裁判が終結しようとしている。最後まで裁判が続いていた2人の被告の判決が今月、最高裁で言い渡される。中川智正被告(49)の判決が18日、遠藤誠一被告(51)が21日。教団の凶行が法廷で本格的に裁かれ始めてから16年。関係者らに今の思いを聞いた。

 ■地下鉄サリン事件 平成7年3月20日朝、地下鉄の日比谷線、千代田線、丸ノ内線の計5車両で、オウム真理教が猛毒のサリンを散布。乗客および駅員ら13人が死亡し、約6300人が重軽傷を負った。社会とさまざまなトラブルを起こしており、警察による強制捜査が入ることへの危機感を持った教団側が、先手を打つ形で都心を混乱させたとされる。被害者の中には今もなお、「恐怖心で電車に乗れない」といったPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状で苦しんでいる人がいる。

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