新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

創価学会SGIを本音で語ろう

創価学会SGIを本音で語ろう>掲示板

公開 メンバー数:98人

チャットに入る

サークル内の発言を検索する

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

from: 22世紀さん

2010年08月11日 22時01分56秒

icon

[創価学会が肥大させた後藤組]

[創価学会が肥大させた後藤組]投稿者:変態カザーナ投稿日:2010年8月11日(水)21時33分50秒u553241.xgsfm36.imtp.tac

[創価学会が肥大させた後藤組] 投稿者:変態カザーナ 投稿日:2010年 8月11日(水)21時33分50秒 u553241.xgsfm36.imtp.tachikawa.mopera.net   通報 返信・引用
ヤクザに嗤われ蔑まれた池田大作 :FORUM21 (173号)

 ジャーナリスト 溝口 敦

 [創価学会が肥大させた後藤組]

山口組の元若頭補佐・後藤忠政氏が語り下ろしで半生記『憚りながら』を宝島社から刊行した。後藤氏はとりわけ関東圏で知られた経済ヤクザで、過去、映画監督の伊丹十三氏傷害事件など血腥い事件を数々重ねてきた。

山口組が5代目・渡邊芳則組長から6代目・司忍組長に移行したのに伴い、後藤氏は第一線からの引退イメージが強い「舎弟」に祭り上げられ、その後、山口組執行部から除籍処分を受けて、後藤組は解散した(後藤組から新たに良知政志、塚本修正両氏が直系組長に取り立てられ、それぞれ直系組を率いる)。

去年4月、後藤氏は天台宗系の神奈川県の寺で得度し、「忠叡」がその法名という。今は現役のヤクザではなく、あくまでも元ヤクザである。

現役時代、彼の住まいと後藤組事務所は静岡県富士宮市にあった。ご承知の通り富士宮は日蓮正宗大石寺のいわば門前町であり、彼は現役時代、創価学会のためにダーティーな役割を演じてきた。本書の中では第四章「創価学会との攻防」でその辺りのことを明かし、かつ自認している。

語り下ろしという性格上、本書の記述は放談調で、緻密さや詳しさは求めるべくもないが、それでも創価学会・池田大作名誉会長を正面切って面罵するなど、率直さと、真実を尊重する気概、話を簡略化した分かりやすさなどは十分認められる。

「一番の悪はやっぱり裏で、山崎(正友・元創価学会顧問弁護士)だの、Ⅹ(藤井富雄・元公明党都議を指すとの記述が本書の他の文にある)だのに″汚れ仕事″させといて、表では善意に満ち溢れた教祖サマ面してる、池田大作だろうな」(105ページ)

http://otarunounga.hp.infoseek.co.jp/FORUM21-173-01.htm

  • サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 5
  • サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 1

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2010年08月26日 20時00分01秒

icon

「Re:[創価学会が肥大させた後藤組]」
憚りながら
後藤忠政/著

宝島社

2010年5月



第4章 創価学会との攻防




 富士宮の小佐野賢治

 創価学会は、もともと日蓮正宗の信徒の集まりで、かつては富士宮の大石寺が本山だったから、地元で揉め事を扱っていた俺とは、自然と関わり合いも出てくるわな。
 初めて接点を持ったのは俺が三十二、三(歳)ぐらいの時(1975〜76年)で、まだ川内組の枝だった頃だ。その5、6年ほど前(69〜70年)から、学会は大石寺周辺の土地という土地を買い漁って、境内を拡張して大本堂(正本堂)を建てたり(72年建立〉、その近くにバカでかい墓地(現在の「創価学会富士桜自然墓地公園」、80年完成)を作ったりしていた。何しろあの当時、大石寺絡みの土地売買や建設工事で、富士宮に流れ込んだ金は莫大だったんだ。
 大本堂で300億円、富士桜(自然墓地公園)で200億円、その周りの土地を買うのに数百億円といった具合に、全部で1000億近くになったんじゃないか。もちろん、この学会の建設ラッシュで地元は潤ったが、俺たちにとっても昭和40年代、50年代の富士宮での最大の利権だった。それこそ、ヤクザ、堅気問わず、富士宮中の悪という悪が、その利権に群がって丁々発止を繰り広げたんだ。
 そんななか、富士桜の造成を一手に引き受けていたのが、地元じゃ有名な「日原」という男だった。

 日原博は富士宮市で建設・造園業「日原造園」を営む傍ら、1967(昭和42)年から富士宮市議、79(昭和54)年から静岡県議を務め、自民党富士宮支部支部長を兼ねる実力者だった。

 日原は地元じゃ、「影の市長」とか、「富士宮の小佐野賢治」とか呼ばれてさ。ちょっとした有名人だったんだよ。後で、この富士桜で儲けた金を隠してて、脱税で挙げられるんだけどな。その後も東名(高速道路)なんかに食い込んで、ボロ儲けしていた。バブルの時に手を広げ過ぎてパンクしちまったが、今でも再起を目指して頑張ってるそうだ。バイタリティーのある男だよ。
 俺は初め、その日原から頼まれて、用心棒みたいなことをやっていた。何しろ当時は〝学会利権〟にありつこうと、色んな悪い奴が次から次へと集まってきたから。ただ当時はまだ、俺もチンピラみたいなもんだったから、今から考えたら鼻くそみたいな小遣いで、日原のために動いてやったんだ。
 ところが、日原が、富士桜の儲けを独り占めするもんだから、他の業者から散々、反発を買ったんだよ。やり過ぎたんだ。墓石でもさ、台湾か中国で買ってくれば1000円か2000円程度のものを5000円で売って、据え付けたら1万円ぐらいになって、それが何万基もあるんだから。そんなこんなで日原は怪文書を撒かれたり、告発されたりしてたんだが、日原の悪口と一緒に、ウチの組の悪口を書いたビラを、ご丁寧にも新聞に折り込んで撒いたMという男がいた。それに怒ったウチの若い衆が、相手ん家にブルドーザーで突っ込んだんだ。

 1977(昭和52)年11月21日、後藤組幹部が富士宮市内のM宅に12トン用の大型ブルドーザーで突入し、ブロック塀を10メートルにわたって破壊。その後、Mに日本刀で斬りつけ、左腕や背中などに2カ月の怪我を負わせ、翌日、殺人未遂の容疑で逮捕された。

 後から聞いた話だと、相手もなかなか腹の据わった奴だったらしいよ。「いつでも来い」とか言って、自分も日本刀持って寝てたらしいから。この事件でウチの若い衆は(懲役)6年食らったんだけど、実は日原の後ろにはあの「山崎正友」がいたんだ。日原と山崎は、それこそ二人三脚で富士桜を進めていたわけだ。

 山崎正友は当時、創価学会の顧問弁護士で、池田大作・創価学会会長(当時。現在は名誉会長)の。〝お庭番〟であると同時に、「宮本顕治・共産党委員長宅盗聴事件」など、過去に創価学会が行なった数々のダーティーワークの指揮官でもあった。

 学会は、大本堂を造る時からデタラメなことをしてたんだ。大本堂を造る際に、市道を勝手に(市の許可なく)潰したり、農地を不正に取得したりしてな。それが(富士宮市)議会で問題になったり、道路法違反で池田大作が告発されたりしたんだよ。けど、この告発の黒幕が実は日原で、山崎は日原を懐柔するために日原と組んだんだ。それからは、何をするにも山崎と日原は二人三脚だった。
 ところがだんだん、学会と日原のこれまでやってきた悪事がバレてきて、富士宮の中でも左翼の連中を中心に「日原造園、創価学会と市政の疑惑を正す市民会議」とかいうのができたりして、(創価学会に対する)反対運動が起こった。デモが起こるぐらいに盛り上がったんだが、その時に山崎から(反対運動が)「何とかならんか」という相談があった。そういう裏の話は当時、あの男(山崎)がすべて仕切っていて、池田ともサシで話し合えるぐらいの実力は持ってたんだ。実際、俺にも「親分のことは池田会長に伝えてあります。池田会長も『くれぐれもよろしく』と言ってました」と言ってたんだから。

  • サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 3

icon拍手者リスト