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from: 22世紀さん
2010年09月26日 19時46分41秒
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池田大作「権力者」の構造
が、驚くべきことに、これらの年齢は池田の19歳を除いてすべてデタラメなのである。戸田が北海道から上京し、はじめて牧口を訪ねたのは大正9(1920)年8
が、驚くべきことに、これらの年齢は池田の19歳を除いてすべてデタラメなのである。
戸田が北海道から上京し、はじめて牧口を訪ねたのは大正9(1920)年8月のことで、そのとき戸田は明治33(1900)年2月出生の満20歳、数え21歳、牧口は明治4(1871)年6月出生の満49歳、数え50歳であった。
また池田が創価学会員となった昭和22(1947)年8月には、昭和3(1923)年1月出生の池田は満19歳、数え20歳、戸田は満47歳、数え48歳であった(出生と出会いの年時は創価学会教学部長・原島崇著『創価学会』による)。
満、数え年齢ともに、48歳――19歳に一致しない。池田の『人間革命』は虚偽を援用して、戸田と山本伸一の名で登場する池田自身の徹底的な粉飾をはかったものであるが、それでも牧口と戸田だけは実名で登場させている。池田は、「私の人生に、戸田城聖という恩師がなかったとしたら、今日の私は、無にひとしい存在であったにちがいない」(「〝人生に負けてはいけない〟」)といいきるまでに崇める戸田の年齢ばかりか、牧口のそれをも、自分の都合によって故意に改変する。『人間革命』はフィクションだとするなら、前掲の「〝人生に負けてはいけない〟」と『聖教新聞』の記事はどうなるのだろうか。
創価学会が『人間革命』を「現代の御書」として会員に推奨していたのは広く知られた事実だが、同時に、小説と銘打ちながらノンフィクションとして扱っていた形跡がある。『聖教新聞』縮刷版の「主要日誌」(昭和44年11月14日)に「池田会長による小説『人間革命』第五巻がノンフィクション部門で連続3週間、ベストセラー第一位を示している」と記されている。
ここで池田が故意に変えたというのは根拠のないことではない。彼は、45年に遺族の手で刊行された戸田『若き日の手記・獄中記』に序文を寄せているが、それには、「戸田先生に、初めてお会いしたのは、昭和22年8月であり、先生が47、8歳、私が19歳の時であった」と、戸田の年齢を曖昧にして逃げているからである。
池田の無残なまでの嘘のうわ塗りは、彼が権力者だったために、「おべんちゃら本」によって、さらに一層卑劣さを増幅する。が、これらには、その厚顔さのゆえに、より露骨に池田の狙いを浮かび上がらせるという長所がある。次に引用するのは、前掲の蒲田の場面を描いたものであり、ほんの一例にすぎない(『 』内は池田の語り)。
「そして、池田がさらに戸田の話を聞いているうちに、奇跡としかいいようのない神秘的な現象が、突然二人の間におこった。
『それは、私がいつかこの人(戸田)のあとを継ぐだろう、継がなければいけない。私はそのために生まれてきたんだ――という強烈な直感でした。それまで、そういう運命的な直感などむしろ軽蔑していた私が、どうしてああいう気持ちに襲われたのか、いまもって不思議ですね。
しかし、もっと不思議なことは、これはあとでわかったんですが、私がそう直感した瞬間、戸田先生のほうでも、〝このやせこけた若者がいつかオレのあとを継ぐだろう。いまオレはついに後継者にめぐりあった〟――と、ひと目で直感されたというんですよ。
はじめて会って30分もたたないうちですが、戸田先生と目が会ったとき、私はそのことを――先生がなにを感じられたかを――ハッキリ知りました。先生のほうも私の目の中を満足そうにジッと長いあいだ見ておられた。私の直感と決心を、そのとき、先生も完全に知って下さったわけです』」(五島勉『現代の英雄』)
『宗教と信仰の心理学』と、これとの懸隔はあまりにも大きい。池田の入信神話は、デマゴギーの発生と肥大に関する調査、研究に、貴重なデータを提供できるほどのものであろう。
from: 22世紀さん
2012年10月02日 21時52分13秒
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「Re:Re:池田大作「権力者」の構造」
> 昭和3年は
> 1923年ではなく1928年
> だから成り立たない記事です
が、驚くべきことに、これらの年齢は池田の19歳を除いてすべてデタラメなのである。
戸田が北海道から上京し、はじめて牧口を訪ねたのは大正9(1920)年8月のことで、そのとき戸田は明治33(1900)年2月出生の満20歳、数え21歳、牧口は明治4(1871)年6月出生の満49歳、数え50歳であった。
また池田が創価学会員となった昭和22(1947)年8月には、昭和3(1923)年1月出生の池田は満19歳、数え20歳、戸田は満47歳、数え48歳であった(出生と出会いの年時は創価学会教学部長・原島崇著『創価学会』による)。
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つまり、元創価学会教学部長・原島崇氏が嘘を書いたのでしょう。
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