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from: 正義顕揚さん
2009年10月30日 00時40分09秒
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from: ハムスターさん
2009年10月30日 00時00分15秒
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これものすごく面白いです。
的を得た投稿です。笑わしてもらいました。
御法主日如上人猊下御書写「誤字」疑難の件 投稿者:the聖教新聞社 投稿日:2009年10月29日(木)22時37分49秒
> No.49145[元記事へ]
変態アホ坊と同じ地獄・畜生の会の謀略部員である
阿部日ケ〜ン(院政)の戯言のつづき
>出してきた資料がすべて大石寺と無縁のサイトの真筆である(爆笑)
とほざいているが、
大聖人様(御真筆御本尊様)が唯授一人金口嫡々の日蓮正宗と無縁なわけない(失笑)。
ニセ本尊の害毒もここまでくれば
勲章もの。
「無縁」を発展させて更に斬ると、
創価は
創価と無縁の日蓮正宗御歴代上人御書写の御本尊様を偽造し、
ニセ本尊を販売、
これは何とする。(爆笑)
創価単細胞民は創価と無縁のニセ本尊を拝む、
これは何とする。(爆笑)
更に
>「ニセ」などと難癖つけるのは大聖人をも冒涜、愚弄するものでしょう(大笑)
これには心の底から笑ろたが、
ニセもんに「難癖」も「冒涜」も「愚弄」もへったくれもない。
「泥棒、正義を語る」みたいなもの。
【写真】教宣部(謀略部員)も怪文書で「偽造」を認めた創価のニセ本尊。
ニセ本尊こそ、
大聖人様への冒涜、愚弄以外何ものでもない。
以上降魔の剣より。写真は省略します。
さらに新事実が、創価学会脱会推進員会の投稿では、かの変態で有名なH部員くんが、下記映像・・・・Zシリーズに登場の司会者が、中立どころか、実はアホ学会の役付きだったことを言ってしまったのです。
しかも、その投稿者は、アホ学会員です。
http://www.youtube.com/watch?v=QlQuLUq-2qc&feature=player_profilepage -
from: 21世紀さん
2009年10月29日 22時53分11秒
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from: 正義顕揚さん
2009年10月29日 00時52分44秒
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from: けんちゃんさん
2009年10月28日 15時05分49秒
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from: 正義顕揚さん
2009年10月27日 13時49分28秒
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from: 21世紀さん
2009年10月27日 10時29分08秒
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創価学会総関西長が退任 衆院選敗北で体制立て直し狙う
2009年10月27日5時40分asahi.com
公明党の支持母体である創価学会の関西組織を統括してきた西口良三・総関西長が退任したことが26日、関係者への取材でわかった。後任の総関西長は置かず、池田大作名誉会長の長男、博正副理事長を関西トップの関西最高参与に、原田稔会長に次ぐ立場の正木正明理事長を関西ナンバー2の関西総合長とする。いずれも東京を本拠地にしたまま関西をまとめるという。
関西の創価学会は選挙での集票力の大きさから「常勝関西」といわれてきたが、8月の衆院選で全敗した8小選挙区のうち六つを関西が占めていた。来年は創価学会の創立80周年で、夏には参院選を控えていることから、衆院選の敗北を受けて人事を刷新し、体制を立て直す狙いがあるとみられる。
西口氏は71歳。77年から関西長や総関西長などを務めてきた。今後は組織運営の一線を退き、総主事となる。関西総合長を務めてきた藤原武氏は副総主事となる。
創価学会のホームページによると、博正氏は53年生まれで東京都出身。正木氏は54年生まれで大阪府出身。 -
from: 21世紀さん
2009年10月25日 23時57分14秒
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トインビーvs池田対談の嘘を暴く
http://dakkai.org/toynbeeikeda.html
リンク先を読めば、「トインビー博士が池田氏に対談を要請した」という学会宣伝がウソで、実はタナボタ的に池田氏にお鉢が回ってきただけだということが分かります。
http://dakkai.org/toynbeeikeda.html -
from: 21世紀さん
2009年10月24日 23時41分32秒
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from: 21世紀さん
2009年10月23日 10時11分40秒
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「Re:血脈相承の大事」
●67『日顕上人お言葉』
「基本においては、日興上人をもって僧宝の随一として拝するわけであります。そういうところからするならば、歴代法主は僧宝以下の立場であって、それを軽々しく「仏様だ、仏様だ」というような表現は、少し言い過ぎであると私は思っております。仏様という意味は、あくまで御本尊の御内証のうえにおいての、二にして不二の境地のみを申し上げていくのであって、それ以外に、例えば宗門を統率するうえにおいて色々な指導をするとか、その他色々な意味で振る舞い、行うことについて一々、仏果のところであるとか仏様のところであるとか、因に対する果であるとか、そういう難しいことをいう必要はないのです」(大日蓮 昭和五八年五月号九〇㌻)
●67『日顕上人御講義』
「(※池田大作は)本当に大狂乱の者でありまして、日達上人の時代から「御相承の片鱗を聞きたい」と思って色々に探りをかけておったようであります。実は私にも、『日達上人にこういう法門を聞いた』というように、人を介して探りを入れてきたことがあるのです。私も、直接聞いてきたならば、話してもよい範囲までなら教えてもよいと考えておりましたが、結局、自分自らは聞いてはきませんでしたので返事はしませんでした。とにかく、日達上人には色々と探りを入れて、なんとか聞き出そうとしたらしいのですが、当然、日達上人はこの金口嫡々、金紙の相承を在家の者にお話しになるはずがありませんので、その片鱗さえ知ることができなかったのです」(大日蓮 平成四年一〇月号三〇㌻)
●67『日顕上人御指南』
「法主の心に背いて唱える題目は、功徳がありません」(大日蓮 昭和五五年八月号一六㌻)
●67『日顕上人御講義』
「その信心の形は、いわゆる大聖人様から日興上人、日目上人と血脈の上において正しく御本尊の深義が伝えられておるのであり、法体の相承、さらに言うなれば金口嫡々血脈相承という意義、さらに法門の相承、そしてそれらの上において信心の血脈における信心の成仏ということが存するのです。」(偽造本尊義を破す六七㌻)
●67『日顕上人御講義』
「たしかに本宗信徒の立場からは、歴代法主の内証を大聖人様と拝することが、信仰上、大切でありますが、そこには三宝における内証と外用等の甚深の立て分け、筋道があるのです。(中略)しかし、それと学会が論難する『法主即大聖人』や『法主本仏』などとは、筋道も意義も異なるのであり、そのようなことは全く宗門には存在しておりません。存在していないにもかかわらず、さも存在している如く誣告するのが、創価学会の卑劣なやり方であります」(仏法破壊の邪難を粉砕す二四五㌻)
●67『日顕上人御講義』
「これはもちろん、一往上行菩薩、再往本仏大聖人様こそ、末法の衆生が智慧の水を受けた根源の師であり、そこに大聖人を拝し、大聖人を根本として、その血脈の上から一切の人々に、その時その時の相伝の法主が取り次いでいくわけであります。ですから、そのところを忘れてよそへ心を移すということは、今、創価学会がやっているようなことであり、これこそ、この御指南の破折に当たる」(仏法破壊の邪難を粉砕す72)
●67『日顕上人御説法』
「血脈相承とは、信心の血脈がその基をなすのであり、その信心の血脈によって仏の本地甚深の境智に基づく法体法門の血脈が、一器より一器へ流れ通うのであります。日興上人が大聖人に信心の血脈を通じて即身成仏の大法を承継された如く、日興上人の弟子檀那僧俗は、日興上人に信伏随従して大法についての信心の血脈を得、師弟不二の境地に至って成仏の本懐を遂げられたのであります」(大日蓮 昭和六二年五月号三一㌻)
「唯授一人の血脈も、その基本的本質は前来述べる如く信心の血脈に存します。(中略)末法万年の衆生救済の仏法においては、僧俗を問わず、この根本の一器より一器への相伝に対する信解が確立するところ、即身成仏の大法とその利益は縦横無尽に開花し、顕現するのであります。(中略)要するに、日蓮日興唯授一人の相伝血脈は、その信心において万人に通ずるのであり、かかる信心の血脈が正法の僧俗一切の行学の根底であります。故に、大聖人より日興上人への血脈が貫主一人しか解らぬ独断的、偏見的な仏法などというのは血脈の真義を解せぬ者の●言であり、信心の一念に法水が流れるところ、有智、無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳が実証として開かれているのであります」(大日蓮 昭和62年五月41〜42)
●※『日蓮正宗宗規』第四条
「本宗は、大漫荼羅を法宝とし、宗祖日蓮大聖人を仏宝とし、血脈付法の日興上人を僧宝とする」
●※『日蓮正宗宗規』第十五条
「管長は、(中略)教義に関して正否を裁定する」
●※『能化文書』
「本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。具体的には、御法主上人の御指南に随従し、御本尊受持の信行に励むことが肝要です。なぜならば、唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません」(大日蓮 平成三年九月号八七㌻)
●※「三宝一体とは、まさに本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にましますということであります。外相においては、確かに仏法僧は別体でありますから、日顕上人や日達上人の仰せのように、歴代の御法主上人が、ただちに御本仏大聖人ではありません。しかし、御所持あそばす唯授一人金口相承の当処は、まさに人法一箇の御尊体なのであります」(大日蓮 平成三年136)
●※ 野干の吠うるごとく、何べん「断絶した、断絶した」と繰り返してみても絶えていないものは絶えていないのである。だいたい血脈相承を受けていない者が、血脈相承という仏法内証の奥伝を云々すること自体おかしなことである
▲一、舜師当山入院の節、法詔寺日感より檀頭への書状の略云云。
「然れば日舜未た御若年に候間寺檀定て軽々敷思召候はんかと笑止に存じ候、其の故は抑日蓮一宗御書判の趣を以て一宗を弘め候事、諸寺一同の儀に候得共、別して、大石寺は金口の相承と申す事候て、是の相承を受く人は学不学に寄らず生身の釈迦日蓮と信する信の一途を以て末代の衆生に仏種を植えしむる事にて御座候、天台宗は寺檀ともに智者にて候間、一念三千の観法を弘め智恵を以て仏種を養育せる事にて候、日蓮宗の寺檀は愚者にて候間但信の一字を修して仏種を植え候、経文明白に開山の御本意之に過きず候、是れを以て日興上人末代を思召し此の相承を残し置き給へり其の意趣を尋候に若し身の能徳を以て貫主と定めば学者を信し非学者を謗して仏種を植えざるのみならず、謗法の咎出来して無間獄に入り候はんこと不便に思召し其器量の善悪を簡ばす但相承を以て貫主と定められ候、故を以て一山皆貫主の下知に随ひ貫主の座上を踏まざる事悉く信の一字の修行にて候、○釈迦日蓮代々上人と相承の法水相流れ候へば上代末代其の身の器は替れとも法水の替る事少しも之なく候、此の如く信する時は末代迄も仏法松柏の如くにて常に寺檀仏種を植え三宝の御威光鎮に於閻浮提広令流布は疑ひなき事に候、此旨を相知り候上は如何様の僧貫主となるとも相承伝受候上は生身釈迦日蓮たるべきこと開山の御本意一門徒の肝要にて御座候、袋くさしと云って金を御捨て候はんや、いらんをにくまばせんだんを得べからず、汚泥をきらはゞ蓮を取るべからず、若しさはなくして世間の貪瞋癡にふけり互に述懐を起こし学者非学者を簡み軽慢の志あらば謗法の苦因を御植え候はん事必せり、信解品の文の如くたるべし、富士の法則日有上人の御遺文に御背き候はゞ将来いかゞ候はんや、但【賛字滅す】者法を日昌上人の御仰せのごとく成され候はゝ法灯再ひ富士の峰にかゝやき【此間六七字磨滅す】八識の田地に仏種を御植え候はんか、愚僧ごとき者の申すはをろかなる事に候ども年来の芳志浅からず存じ候故、微志を呈し以て報恩を存し候故にて御座候、不宣謹言icon