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from: 21世紀さん
2010年03月30日 22時06分57秒
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from: 21世紀さん
2010年03月30日 00時12分16秒
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from: れいなさん
2010年03月27日 08時59分41秒
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from: ハムスターさん
2010年03月26日 23時30分17秒
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みなさん、お久しぶりです。
まだまだ、忙しくて本格的な投稿ができません。
今月は登山も出来ず・・・・寂しいですね。(´3`)
でも、来月くらいから再開できるかもしれません。
今日は、樋田さんのユーチューブから、最近の映像を紹介します。
http://www.youtube.com/user/yamasan40web#p/u/32/YgeEKZF8Efc -
from: 21世紀さん
2010年03月26日 20時47分18秒
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御霊宝虫払大法会
毎年4月6日・7日の両日、総本山でおこなわれる御霊宝虫払大法会は、秋の御大会(ごたいえ)とともに日蓮正宗の2大法要の1つです。宗祖日蓮大聖人の時代から700年にわたる長い間、本宗に伝えられてきたたくさんの重要な宝物を後世に永く伝えていくため、年に一度湿気を払い、害虫を除くなど保存に必要な手入れをし、あわせて多くの参詣者に披露して信行倍増に資する大事な儀式です。
大聖人がご入滅されたのち、本弟子6人のうち、日昭・日朗などの5人は、「大聖人が仮名文字で書かれた手紙は、御供養の返礼として愚痴の者を導くためのものであり、これを残しておくことは、大聖人の恥を後世に残すようなものだ」と言って、すき返したり、焼いてしまいました。これは、「大聖人は末法の一切衆生を救う仏様である。したがって大聖人のおおせられたお言葉、書きのこされた文字は仏様のご金言であり、尊いお経である」という大事なことを、血脈相承のない五老達にはよくわからなかったためといえます。
正嫡である第2祖日興上人は、その心得違いをさとすかたわら、つとめてあちこちに散在していた御書を集めて、重要な御書の目録を作り解説を書き残されました。また、みずから筆をとって御書を書き写すなど、大聖人の尊い教えがなくなってしまうことを防がれたのです。
こうした日興上人のご精神を受け継いで、代々の歴代上人がこれらの重宝を身をもって守り伝えてきたのです。 -
from: 21世紀さん
2010年03月26日 00時36分27秒
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‘破折済みの疑難’ カテゴリーのアーカイブ
7万5千名大結集総会
2009年9月26日 土曜日
7万5千名大結集総会の成功に焦る学会
機関紙の誹謗記事に妬みの心がアリアリ
証拠抜きで「失敗」罵るだけの『創価新報』
嘘だらけの誹謗記事を検証して粉砕
「空席」というが実際は満席状態だ
規模からいえばトラブルも皆無と同然!
八月十九日発行の『創価新報』。その七面には大きく「日顕宗の大会はやっぱり水増し結集」との見出しが踊った。『新報』は、
「去る七月二十六日の日顕宗の総会は大失敗に終わったが、宗門は機関紙『大白法』(八月一日付)でこの集会を特集。ところが、この新聞が、総会の悲惨な実態と宗門の大ウソを暴(あば)く大墓穴を掘るものとなっている」
とし、〝『大白法』に掲載された写真を見れば、三門前エリアに大きな空席スペースがあり、他にも空席が散見される〟としているのだが、不思議なことに、その駄文には裏付けとなる写真が掲載されていない。
〝『大白法』に掲載された写真を見れば……〟というのだから、当該『大白法』の紙面を載(の)せればよさそうなものだが、視覚で確認できる証拠は、まったく掲載していないのである。
なぜか――それは、件(くだん)の写真を載せてしまえば、『新報』の記事こそがデタラメであることが一目瞭然(いちもくりょうぜん)になってしまうばかりか、大結集総会が大成功したことを学会員に周知する結果になってしまうからに他ならない。
この哀れな『新報』に代わって、本紙が件の写真を掲載し、真実を証明してあげよう。
たしかに、 の写真を見れば、三門前にはまとまった空席があるように見える。
が、三門脇の杉木立付近をご覧いただきたい。その空席に相応する程度の人数が、そこに確認できるではないか。そして、この杉木立の中にはトイレがあるのだ。
今回は、参加人数等も考慮して、大結集総会の間であっても、トイレに立つことは規制されていなかった。そして事実、この写真のように、トイレに立った人がいた――それだけのことである。
『新報』編集子も、そんなことは写真を見て百も承知だったはず。にもかかわらず、かような記事を書かねばならなかったところに、また、『フェイク』をはじめとする怪文書が今も、大結集総会に対する誹謗(ひぼう)を続けているところに、七万五千名大結集総会の成功に対する、創価学会の焦(あせ)りと妬(ねた)みがハッキリと浮かんでいるのである。
『新報』はまた、
「転倒してケガをする者、総会中に卒倒してタンカで運ばれる人、総会前に吐き気を催(もよお)し悶(もだ)える人、これらは実際に参加者が目の当たりにした悲惨な光景である」「救急車は、何度も往来。一日のうち、大石寺にあれだけ救急車が出入りしたことが過去にあっただろうか」
などと書き殴っているが、これもまた、ためにする悪口でしかない。というのも、「これだけの規模の催しであれば、アクシデントがもっと発生していても何ら不思議ではないのに」と、市の関係者はじめ外部の人間が異口同音に語っていたほど、問題が少なく、また小さかった、というのが実際のところなのである。
実際、万が一の事態に備えて、今年三月に東京マラソンで有名タレントの一命を救ったことで知られるAEDを、山内各所に配置していたのだが、結局、それらは一回も使用されることがなかった。それほど、空前の大結集の規模に比すれば、アクシデントは皆無というべき状況だったのである。
加えて、当初、危惧(きぐ)する声が強かった(その声も大半は学会怪文書だが)富士宮市内の大渋滞も、事前の周知と周到な準備に加え、緻密(ちみつ)な運営の成果で、本山周辺の一部の道路を除き、大結集総会に起因するような渋滞は起きなかったという。これについては、『大白法』(八月十六日号)に掲載された法華講員の「声」の中に、それを裏付けるタクシー運転手の証言が紹介されている。
偽造された許可証もって謀略部隊が
総会終了後の空席を必死で撮影する姿も
このように、大成功のうちに終わった大結集総会だが、一方で、これの失敗を願う謗法の輩(やから)は、何とか総会の〝アラ〟を探して誹謗の種にしようと、あの手この手で暗躍した。
中でも呆(あき)れ返るのは、総会当日、わざわざ[PRESS」用の許可証まで偽造し、会場内に紛れ込んできた男がいたこと。
警備員がなぜ、その男に目を留めたのかといえば、その男は大結集総会の四日前にも、大石寺に現われて、総会の準備風景を撮影するなど不審な動きをし、警備員に誰何(すいか)された不審者だったからである。
参加者の中にその男の姿を見つけた警備員が男に声をかけると、男は、「PRESS」という文字と「立正安国論正義顕揚七五〇年」のロゴマークが印刷されたパスを、堂々と胸のところに下げていた(!)。
そして男は、警備員に対し、〝今日はお寺の記録係として、写真撮影をしている〟と釈明したのである。
だが、そもそも大結集総会の「PRESS」パスは、特別に許可された者だけに発行されたもので、〝お寺の記録係〟としての信徒個人に対しては発行されておらず、しかもこの男が身につけていたパスは、本物とは微妙に色合いが違っていたのである。
この男の属する「PRESS」が、いかなる新聞(文書?)であるかは読者の想像にお任せするとして、身分証まで偽造して侵入しようとする、その犯罪体質には開いた口が塞(ふさ)がらない。
また、登山バスの車列にカメラを向ける学会青年部の姿や、はては、総会終了後の空席を必死に撮影する(笑い)学会職員の姿までが目撃されているが、誰が逆立ちしてみたところで、大結集総会が成功した事実は覆(くつがえ)せないのである。
今回の大結集総会に関しては、その模様を伝える写真集『はばたけ未来広布へ!』も発行されている。
我々は、〝学会は大繁栄、法華講は衰退の一途〟と教え込まれている学会員に対し、厳然たる事実を彼らの眼前に突きつけ、正しい信心へと覚醒(かくせい)させていこうではないか。
慧妙 編集室 -
from: 21世紀さん
2010年03月24日 22時11分55秒
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「Re:御法主日如上人猊下御言葉」
唱題行(1月4日)の砌
平成22年1月4日 於 総本山客殿
立宗758年の新春、あけましておめでとうございます。皆様にはすがすがしく「広布前進の年」をお迎えのことと慶賀に存じます。本年「広布前進の年」は、言葉を換えて言えば「折伏前進の年」ということであります。折伏なくして広布は達成できないからであります。
大聖人は折伏について、まず『聖愚問答抄』には、
抑仏法を弘通し群生(ぐんじょう)を利益せんには、先づ教・機・時・国・教法流布の前後を弁ふべきものなり。所以(ゆえ)は時に正像末あり、法には大小乗あり、修行に摂折あり。摂受の時折伏を行ずるも非なり。折伏の時摂受を行ずるも失(とが)なり。然るに今の世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて、邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交はりて観法を修し、五種六種乃至十種等を行ずべきなり。折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ(願口)誉れを擅(ほしいまま)にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣(さしお)いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途(みち)に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明なり。是仏法修行の大事なるべし。(御書402ページ)
と仰せであります。要約して申し上げますと、まさしく今、末法は「経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ(願口)誉れを擅(ほしいまま)にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時」すなわち、邪教池田創価学会をはじめ邪義邪宗の者達が、お互いに自分の思想や教義がいかに深遠で優れているかと、手前勝手に主張をしているような時は、「万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり」と仰せの如く、一途に折伏を行じなくてはならないのであります。
したがって、折伏を行じなければならない時に摂受を行ずるようなことがあれば、悪道に堕つることは必定であると、法華經・涅槃経に定め置かれており、天台大師や妙楽大師の解釈も同様に説かれており、摂受、折伏の途を違えないようにすることが仏法修行の最も大事なところである、と仰せられいるのであります。
もし「折伏などしなくとも、朝晩の勤行をして、お寺の御講や座談会にもそこそこ参詣していれば、それで充分」などと考えていたら、それはこの御金言に反することになります。御本仏の御金言に背いた信心をしていたのであれば、絶対に幸せにはなれません。
されば、また『聖愚問答抄』には、
今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。(同403ページ)
と仰せられております。すなわち、今、末法濁世んいおいては「読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり」と仰せられ、何を差し置いても折伏を第一に行ずるべきであると仰せられているのであります。
さらに、『法華初心成仏抄』には、
「地獄には堕つるとも、仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり。されば天台・妙楽も此の心を以て、強ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起(た)つが如し。地獄には堕つれども、疾(と)く浮かんで仏になるなり。当世の人何となくとも法華経に背く失(とが)に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり。(同1316ページ)
と仰せであります。この御文中、「法華経」と仰せられているのは、法華経本門寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経のことであります。したがって、この妙法蓮華経の広大無辺なる功徳によって、たとえ地獄に堕ちた者でも、妙法蓮華経を耳に触れれば、それを種として必ず仏に成るのでありますから、とにもかくにも、強いて下種折伏を行じていくことが肝要であります。なぜなら、折伏を受けた人は「信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり」と仰せ如く、順逆二縁共に必ず成仏をするからであります。
今、宗門は総力を結集して折伏を行じ、平成27年、33年に向けて前進すべき、まことに大事な時を迎えております。目標達成のためには、我々一人ひとりが、理屈ではなく折伏を実践する人となることであります。信心とはすなわち実践であるからであります。されば、すべての信心活動の源となる唱題をしっかりと行い、その功徳と歓喜をもって折伏に打って出ることが大事なのであります。故に『三大秘法抄』には、「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経妙なり」(同1594ページ)と仰せであります。
唱題は自行、折伏は化他行、この自行と化他は一体であります。されば唱題に励み、折伏を行ずることが、信心の原点とも言えるのであります。この信心の基本をしっかりと実践していくときに、「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(同 630ページ)との御金言が確実に実証されるのであります。
どうぞ、皆様には大御本尊の広大なる功徳を信じ、なお一層唱題に励み、万難を排し、勇猛精進して折伏を行じ、すべての支部が必ず目標を達成されますよう心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。icon
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from: 21世紀さん
2010年03月23日 08時55分53秒
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興師会について
日興上人のご命日である2月7日に行われる法要で、寺院おいて厳粛に執り行なわれます。これは日蓮大聖人から仏法の正義を受け継がれ、後世にまで正しく法燈を伝えて下さった日興上人に対し奉り、僧俗一同、心からご報恩申し上げるために奉修されます。
日興上人は、弘安5年(1282年)9月に大聖人から一切の仏法を付嘱(相伝)され、10月13日には身延山久遠寺の別当職(住職)としての付嘱も受けられました。
大聖人滅後、関東方面の五老僧達(大聖人の6大弟子のうち日興上人を除く5人)は国家の権勢を恐れて軟化し、もろもろの師敵対謗法をおかして、次第に大聖人の正義を失ないましたが、日興上人はいささかも教義を曲げることなく、正義を守り抜かれました。
また身延の地頭・波木井実長(はぎりさねなが)が仏法に違背する行為を重ねたため、日興上人は正応2年(1289年)の春、本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊(だいごほんぞん)をはじめとする一切の重宝をお持ちして、門弟とともに身延を離れ、翌正応3年10月、南条時光殿の寄進により、富士上野の地に大石寺(たいせきじ)を建立されました。
【日興上人略年表】
寛元四年(一二四六年)三月八日、甲斐国大井庄鰍沢(山梨県南巨摩郡鰍沢町)で御誕生。父は甲斐の国大井荘在住の武士で大井橘六、母は富士上方河合(静岡県芝川町)由比家の女(むすめ)。祖父に河合入道。大聖人はこの時二十五歳。京都・奈良等で勉学に励まれていた。この年の三月二十三日に北条時頼が執権職に就いている。
正嘉二年
(一二五八年) 大聖人は二月『立正安国論』御執筆にあたり、大蔵経を閲覧されるために富士岩本の実相寺に赴かれた。 この時、実相寺で修学に励まれていた日興上人が入室し、名を伯耆房と賜わる。日興上人御年十三歳。
弘長元年
(一二六一年) 五月十二日、伊豆に配流になった大聖人に従い、常随給仕をされる。この時期に伊豆宇佐美・吉田の地で折伏弘教をされる。
弘長二年
(一二六二年) 熱海真言僧・金剛院行満が、日興上人の折伏を受け改衣して日行と名乗り、自坊を大乗寺と号した。
文永五年
(一二六八年) 八月、『実相寺衆徒愁状』を幕府に提出される。
文永六年
(一二六九年) 身延の地頭波木井実長を折伏される。
文永七年
(一二七〇年) 六老僧の松野阿闍梨日持、および和泉公日法・治部公日位を折伏し、大聖人の弟子とされる。
文永八年
(一二七一年) 九月十二日、竜の口法難。十月十日、大聖人のお供をして佐渡に出立。
文永十一年
(一二七四年) 三月十三日、佐渡一ノ谷を後にされた大聖人のお供をして鎌倉に入る。さらに、五月、大聖人を甲州波木井郷(身延)にご案内し、甲斐、駿河で折伏を推し進められる。日目上人が、はじめて日興上人に御目通りをされた。
建治元年
(一二七五年) 一月下旬、南条家に到り、大聖人の代理として故兵衛七郎行増の墓参をされる。同時に、富士下方で折伏戦を展開され、駿河熱原滝泉寺・寺家下野房日秀・越後房日弁・少輔房日禅・三河房頼円及び在家の人々が弟子となる。さらに、日興上人に随って日向・覚乗房、富士加島高橋家を拠点に折伏をされる。
建治二年
(一二七六年) 四月八日、日目上人が日興上人のもとで得度。
弘安二年
(一二七九年) 一月、興津時業、日興上人が書写された法華経一部を請く。
十月十二日、本門戒壇の大御本尊御建立。
十月十五日、熱原神四郎・弥五郎・弥六郎鎌倉にて刑死。同日、日興上人は鎌倉より大聖人に法難の状を急報される。
十月十七日、大聖人より「万年救護本尊」を賜る。
弘安三年
(一二八〇年) 一月十一日、大聖人より『法華本門宗血脈相承』(百六箇抄)を相伝される。
弘安四年
(一二八一年) 園城寺申状を代奏される〔初度天奏〕。
弘安五年
(一二八二年) 九月、大聖人は日興上人を唯授一人本門弘通の大導師を定め、『日蓮一期弘法付嘱書』(身延相承)を授けられる。
九月八日、大聖人身延御出立。
九月一八日、大聖人池上に着かれる。
十月一三日、大聖人は日興上人を身延山久遠寺の別当と定め、『身延山付嘱書』(池上相承)を授けられる。
十月一三日、大聖人御入滅。
十月二十一日、大聖人の御遺骨を捧持して池上を御出発。
十月二十五日、身延御帰山。
弘安六年
(一二八三年) 十月一三日、身延において大聖人の一周忌を奉修される。
弘安七年
(一二八四年) 十月一三日、身延において大聖人の三回を奉修される。
弘安八年
(一二八五年) 日向身延に登り学頭に補せられる。
弘安九年
(一二八六年) 日向に不法の色が現れ、時を同じくして波木井実長も謗法を犯す。
正応元年
(一二八八年) 大聖に第七回忌を身延において奉修される。
正応二年
(一二八九年) 春のころ身延を離山し、河合入道の宅を経て富士上野の南条時光の舘に入られる。
正応三年
(一二九〇年) 十月一二日、大石寺を御建立。
十月十三日、日目上人へ法を内付される。
永仁二年
(一二九四年) 十月一三日、大聖人の十三回忌を奉修される。
永仁六年
(一二九八年) 重須に御影堂を建立して移られる。
元徳三年
(一三三一年) 大聖人第五〇遠忌。
元弘三年
(正慶二年・一三三三年) 一月十三日、『日興遺誡置文』を著される。
二月七日。重須にて御入滅。八十八歳。
『日興遺誡置文』 (御書・一八八三〜一八八五頁)
一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事。
一、五人の立義一々に先師の御弘通に違する事。
一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
一、衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。 -
from: 21世紀さん
2010年03月22日 18時19分37秒
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「Re:御法主日如上人猊下御言葉」
唱題行(1月3日)の砌
平成22年1月3日 於 総本山客殿
立宗758年の新春、あけましておめでとうございます。皆様にはすがすがしく「広布前進の年」をお迎えのことと慶賀に存じます。
新たなる目標である平成27年、同じく33年へ向かって第1年目に当たる本年「広布前進の年」は、目標達成にとって極めて大事な年になります。と申しますのも、平成27年までは長いようで短く、油断をするとたちまちに時間が過ぎていきます。まさしく「光陰矢の如し」であります。「時を失うは賢に非ざるなり」という言葉がありますが、なすべき時になさないということは、敗北を招く最大の原因になります。27年を勝利するためには、まず初年度を勝利することが肝要であり、本年を勝利すべく、各講中は異体同心・一致団結して、今日ただいまから大折伏戦に入っていただきたいと思います。
大聖人様は『持妙法華問答抄』に、
受けがたき人身をうけ、値(あ)ひがたき仏法にあひて争(いか)でか虚しくて候べきぞ。同じく信を取るならば、又大小権実のある中に、諸仏出世の本意、衆生成仏の直道(じきどう)の一乗をこそ信ずべけれ。持つ処の御経の諸経に勝(すぐ)れてましませば、能(よ)く持つ人も亦(また)諸人にまされり。爰(ここ)を以て経に云はく『能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て亦為(こ)れ第一なり』と説き給へり。大聖の金言疑ひなし。(御書298ページ)
と仰せであります。まさに今、我々は受け難き人界に生を受け、値い難き仏法に値い奉り、この上なき恵まれた境界にあることを、まず心から感謝しなければなりません。 と同事に、このたぐいまれなる恵まれた境界にありながら、自信の成仏のためにも、世の人々のためにも、さらに広布のためにも、なすべきこともなさずに、いたずらにむなしく一生を過ごすことほど愚かなことはありません。それでは自分自身の人生に対する冒涜であります。「持つ処の御経の諸経に勝(すぐ)れてましませば、能(よ)く持つ人も亦(また)諸人にまされり」との御金言を固く信じ、確信と勇気を持って、末法流布の大願を目指して、強盛に自行化他の信心に励むことが最も肝要であります。
されば、同じく『持妙法華問答抄』には、
願はくは「現世安穏後生善処(げんぜあんのんごしょうぜんしょ)」の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後生の弄引(ろういん)なるべけれ。須(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧(すす)めんのみこそ、今生人界の思出なるべき。(同300ページ)
と仰せられています。
妙法広布に生き、世のため、人のために尽くすということはまことに大事なことで、これこそ最も価値ある一生と言うべきであります。妙法広布に生きるとは、「身軽法重・死身弘法」の御金言のまま折伏を行じることであります。
今日、混沌とした世の中を救うのは、大聖人様の仏法を正しく信奉している我ら本宗僧俗以外にはおりません。国を憂い、世の中の多くの人々の幸せを心から願い、折伏を行じていくところ、自身の過去遠々劫の罪障も消滅し、転迷開悟の大功徳を享受することができるのであります。世のため、人のため、広布のために尽くしていくところに、自らの幸せも築くことができるのであります。
どうぞ皆様方には、御本仏大聖人の弟子檀那との栄えある自覚を持ち、勇気を持って折伏を行じ、本年「広布前進の年」を必ず勝利するよう心から念じ、本日の挨拶といたします。icon
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from: 21世紀さん
2010年03月17日 22時44分42秒