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from: 22世紀さん
2012年08月30日 21時25分59秒
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from: クソ黒川和雄&娘のレイナ=親子でアホさん
2012年08月30日 18時53分01秒
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クソ黒川和雄一派よ!
嫁さんもうちの事務所のみんなも呆れ変えっとるぞ?お前はもう62歳やぞ年考えよ(爆)〓
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from: 22世紀さん
2012年08月30日 00時39分15秒
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「池田大作と暴力団」
池田大作先生殿――内容証明の全文
富士宮市議会での百条委員会は81年3月、いったん設置されたものの後藤組の学会への〈協力〉などによって同年12月、何ら機能しないまま終結した。
一方、山崎は、日蓮正宗と学会に生じた対立の影響などで80年、学会から除名。81年には学会を恐喝したとして逮捕・起訴され、その後、懲役3年の実刑判決を受けた。出所後は週刊誌上で学会批判を展開していたが、08(平成20)年に死去した。
〈ところが、だ。あいつら(学会)の依頼で協力してやったのに、その後(百条委員会が終結した後)は知らんぷりだ。それどころか、俺が今まで山崎から相談を受けて、学会のために協力してきたことを、「それは山崎とあんた(後藤)が勝手にやったことであって、ウチ(学会)は一切知りません」という態度になった。市議、県議といった地元の公明党関係者も、みんな。
それは話が違うだろう、と。山崎はあくまで学会のパイプ役、池田の使いとして来てたんだ。べつに俺は山崎に使われてたわけじゃない。あくまで大石寺、池田のために協力してやったんだ。
〝あんまり他人様になっちゃいかんぜ〟という話だよ。
それで地元の学会や公明党の連中に話をしても埒が明かんから、神奈川の「伏木」(和雄・元衆議院議員・元公明党副委員長)という人間に話をしようとした。ところが、こいつが逃げを打って、門前払いを食らわせた。ならばしようがないと、竹入(義勝・元衆議院議員。当時は公明党委員長)さんと、矢野(絢也・元衆議院議員。当時は公明党書記長)さん宛に内容証明(郵便)を出したんだ〉
実は後藤はもう一通、内容証明郵便を送っている。宛先はほかでもない。当時の創価学会会長で、現在も実質的なトップ、いや、もはや〝教祖〟といってもいいだろう。池田大作、その人である。私の手元に、その内容証明の全文がある。
「池田大作先生殿」と記された内容証明書用紙は7枚。日付印は昭和58(1983)年3月8日となっている。
創価学会が当時、いかに後藤組を利用してきたかを証明する、これ以上の文書はないので、その一部をご紹介しよう。【( )内は筆者の補足】。
【池田大作先生殿 貴殿は、昭和55年12月総本山大石寺の膝元、富士宮市、市議会に於ける百条(委員会)問題の始まりと、その百条が終結をしたその真相をどれ程知り、又それをどの様に受け止めていたのですか。(中略)
確かにあの百条(問題)に関しては、学会にとって大変な出来事でした。斉藤滋与史氏(元自民党衆議院議員、後に静岡県知事)にしろ、杉山憲夫氏(当時は自民党県議、元自民党衆議院議員)にしろ、当時の事を思い出すと、百条問題調査打ち切りに関しては多少なりの力添えはあったでしょう。
しかし、現実はその様なその様な甘いものではなかったのです。四方八方に手を尽くしてもどうにもならなかった学会側は、以前の富士桜自然墓地霊園(公園)造成の時と同じ様に、今度は、百条委員会調査打切り、池田大作先生の名誉市民剥奪を叫ぶ市民会議解散、山崎正友元弁護士の証人喚問阻止を、土橋(昌訓)公明党富士宮支部長、公明党元代議士高橋繁、公明党稲田(圭佑)市議、の三氏が学会側の代理人として私の元に依頼して来たのです。(中略)土橋、稲田、高橋、三氏の依頼は、学会そのものの依頼と信じ、私の心五分、学会の依頼五分と考え合せ、この問題解決のため全力を尽くし解決致しました。そして学会側からの依頼に関しては百パーセントなし得たと断言出来ます。
百条委員会に関しては、週刊サンケイにも記されていた中心人物、河原崎(澄雄)市議を自宅に呼び説得に説得を重ねました。私は常に物事に対処する時は、自分の声明を賭け、明日を考えずその一事、一事、に全力をぶつけて力一杯生きています。ですからこの件にしても、もしこれが刑法223条に於ける処の強要罪になったとしても、私は自分自身に信念を持ち行動して来ました。又、市民会議の代表者である今村、黒田、の両氏を喫茶店「ミミ」に呼び、市民会議を解散する様得々と説得致しましたし、山崎正友弁護士に対しては、私自身かなり強い態度で接して私の真意を伝えました。(中略)
学会側の、土橋、稲田、高橋氏が、私の元に来て依頼されたという事は、私はこの件に関して私と学会は一心同体のはずです。先にも書いた様に、富士桜自然墓地霊園造成問題に関係して、私の若い者が学会のために六年もの刑を受け未だに受刑中ですが、(中略)それを知りあえて私に百条委調査打切り、市民会議解散、山崎正友の証人喚問阻止を依頼して来た現実は拭う事の出来ない事実であり、私の信念五分、学会側の依頼五分と言うのも判って頂けると思います。(中略)
しかるに学会側はそんな私の心を踏みにじる問題を投げつけて来たのです。私には地位も名誉もありません。しかし仁義は守り、その上での意地があります。(中略)
学会の指導者は、七百年前に日本を救い数限りない人々に明日えの光明を与えて下さった日蓮聖人の教えを冒涜し、己だけの権力指向を欲望に生き、口先だけで勤行を唱えているに過ぎない(中略)私は池田大作氏の真の声を聞きたい・・・・・】
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from: 22世紀さん
2012年08月22日 22時33分31秒
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池田大作と暴力団
池田大作の〝密使〟が反対運動潰しの依頼
創価学会と後藤組の歴史は70年代まで遡る。日蓮正宗の信徒団体だった創価学会はかつて、後藤組の地元、静岡県富士宮市の「大石寺」を総本山としていたが、70年ごろから大石寺周辺の土地を買い漁り、境内を拡張。72年には大本堂「正本堂」を建立し、73年からは正本堂近くの広大な敷地に墓苑「富士桜自然墓地公園」の建設を始めるなど(80年完成)大規模な造成を行った。
後藤が得度した翌年の10年に著した自叙伝『憚りながら』(宝島社)によると、〈当時、大石寺絡みの土地売買や建設工事で、富士宮に流れ込んだ金は莫大だったんだ。大本堂で300億円、富士桜(自然墓地公園)で200億円、その周りの土地を買うのに数百億円といった具合に、全部で1000億円近くになったんじゃないか〉という。
ところが当時、後藤とも懇意だった地元市議が経営する建設会社「日原造園」が「富士桜自然墓地公園」の利権を独占していたため、他の業者から不満が集中。日原と後藤組との関係を指摘するビラが撒かれた。
そして77年、後藤組幹部がこのビラを撒いた住民宅に、大型ブルドーザーで突入し、ブロック塀を10メートルにわたって破壊。さらに、その住民を日本刀で切りつけ、左腕や背中などに2カ月の怪我を負わせ、翌日、殺人未遂の容疑で逮捕された。
後藤によると〈この事件でウチの若い衆は(懲役)6年食らったんだけど、実は日原の後ろにはあの「山崎正友」がいたんだ。日原と山崎は、それこそ二人三脚で富士桜を進めていたわけだ〉(前出『憚りながら』より。以下〈 〉内は同)。山崎は当時、創価学会の顧問弁護士で、池田大作・創価学会会長(当時、現在は名誉会長)の〝お庭番〟であると同時に、「宮本顕治共産党委員長宅盗聴事件」など、過去に創価学会が行なった数々のダーティーワークの指揮官でもあった。
後藤によると〈学会は、大本堂を造る時からデタラメなことをしてた〉という。〈大本堂を造る際に、市道を勝手に(市の許可なく)潰したり、農地を不正に取得したりしてな。それが(富士宮市)議会で問題になったり、道路法違反で池田大作が告発されたりしたんだよ〉さらに富士宮市内では、学会と日原の癒着を追及する「日原造園、創価学会と市政の疑惑を正す市民会議」が結成され、学会に対する大規模な反対運動が起こったのだが、その〝反対運動潰し〟に学会が使ったのが、後藤組だった。
〈山崎から(反対運動が)「何とかならんか」という相談があった。そういう裏の話は当時、あの男(山崎)がすべて仕切っていて、池田ともサシで話し合えるぐらいの実力は持ってたんだ。
実際、俺にも「親分のことは池田会長に伝えてあります。池田会長も『くれぐれもよろしく』と言ってました」と言ってたんだから。
一方の俺も、その頃には多少は力が付いてたから、もう日原なんか相手にしないで、山崎と直で話をしてたんだ。そのうち(富士宮市)議会に、「百条委員会」なんかができて、山崎を証人喚問に呼べだの、池田の名誉市民(称号)を取り消せだのという話になって、いよいよ学会がのっぴきならない状況になってきた〉
百条委員会とは、地方自治法100条に基つ゛く特別調査委員会で、関係者の証人喚問、強制調査、さらには証言拒否や偽証には禁固や罰金刑を科せる、という強力な権限を持つ。富士宮市議会では80年末から、この百条委員会設置に向けての動きが始まった。
〈この間(80年)、山崎は学会を破門(除名)になって失脚するんだけど、山崎が作った俺とのパイプは生きていて、今度は地元の公明党の連中を通じて(百条委員会を)「何とかして欲しい」という相談があったんだ〉
つまり学会は、反対運動潰しに続いて、〝百条委員会潰し〟を後藤組に依頼したわけである。
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from: 22世紀さん
2012年08月21日 14時17分44秒
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池田大作と暴力団
阪神・淡路大震災や、オウム真理教による地下鉄サリン事件など厄災が続いた1995年の初秋――。東京都港区虎ノ門のホテルオークラにほど近い、白いレンガ造りのオフィスビル2階の一室で、二人の男が向き合っていた。
一人は、山口組きっての武闘派として知られていた「後藤組」の後藤忠政組長。もう一人は池田大作・創価学会名誉会長の「腹心中の腹心」といわれ、「公明」代表を務めていた藤井富雄・東京都議会議員である(肩書はいずれも当時)。
後藤はその後、2008年に山口組を除籍となり引退。翌09年に得度し、仏門に帰依した(得度名は「忠叡=チュウエイ」)。
一方の藤井は、04年に公明党最高顧問に就任。05年に政界を引退した後も、都議会公明党顧問、公明党の政治資金団体である「公明文化協会」の理事に就いている。
しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは後藤のほうだった。
「なんでウチを飛ばして、中野の会長を通じて、五代目の親分に話を持ってったんだ?」
後藤の言う「中野の会長」とは、五代目山口組若頭補佐だった中野太郎・中野会会長、そして「五代目の親分」とは山口組のトップ、渡辺芳則・五代目山口組組長のことだ(肩書はいずれも当時。中野会長は、渡辺組長の〝右腕〟として知られていたが、この2年後の97年に起こった「宅見勝若頭射殺事件」で絶縁処分となり、05年に組織を解散した)。
後藤からそう問い詰められ、「いや、後藤さん、それは・・・・・」
と必死に釈明する藤井。しばらく藤井の言い訳を黙って聞いていた後藤は、次にこう質したという。
「藤井先生よ、あんたんち(学会)のために、ウチの若いもんが一体、何人捕まったと思ってんだ?」
延々と続く藤井の釈明を制するかのように放った、後藤のこの発言の意味を理解するためには、学会と後藤組との深い関係について紐解かなければなるまい。
参考文献:
宝島NF 2012年8月4日 -
from: 22世紀さん
2012年08月20日 22時51分27秒
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池田大作と暴力団
闇社会を利用してきた池田・創価学会
創価学会の池田大作名誉会長(84)が公の場に姿を見せなくなって、2年以上が経った。死亡説まで流れる時期もあったが、いま随所で、創価学会の内紛を巡って怪情報が飛び交っている。
公称827万世帯の会員数をバックに、毎年2000億円とも3000億円ともいわれる巨額の財務(お布施)を集め、不動産から有価証券まで抱え込んだ資産は大企業を凌駕する希代の宗教コングロマリット。政党を支配し、日本の権力中枢である官庁に学会員を浸透させ、ときに批判者の個人情報を違法に収集する謀略&諜報体質の組織――。
その頂点に君臨し続けてきた池田名誉会長の跡目を誰が引き継ぐのか?
乱舞する怪情報は、巨大な既得権をめぐる内紛の様相を想起させるに充分である。
本書は、池田大作が支配してきた創価学会の反社会性、日本社会への浸透ぶりを検証するために企画された。
小社では、2010年5月に元山口組後藤組組長である後藤忠政(得度名=忠叡)氏の自叙伝『憚りながら』を刊行した。その第4章「創価学会との攻防」において後藤氏は、かつて創価学会に協力し、批判封じを行なった事実を吐露している。本書ではさらに踏み込んで、平成史のミステリーとも呼ばれる、後藤組長と藤井富雄都議会公明党顧問の「密会テープ」(1995年)の全貌について、盗聴実行犯の証言にもとつ゛いて解明している。
その経緯から見えるのは、目的のためには手段を選ばない、創価学会という組織の体質である。
創価学会は、宗教法人として税制優遇措置を受けてきた。しかしなぜ、このような組織が税の優遇を享受し続けられるのか。減免された巨額の税金は、そもそも日本国民全体のものではないのか。消費税増税法案が衆議院本会議で可決された今、声を大にしてこのことを問いたいのだ――。
なお本書で取り上げた「密会テープ」については、まだ第二幕がある。いずれそれについても公表したいと考えていることを、ここでお断りしておく。
参考文献:
宝島NF 2012年8月4日-
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from: 22世紀さん
2012年08月20日 22時47分07秒