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from: 21世紀さん
2009年02月18日 23時37分45秒
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過去帳を破ることは謗法か?
投稿者 : れいな1608
> 故意に御尊師のしたためられた過去帳を破るのは法謗なのでしょうか?
> 過去帳は信仰の対象物ではないから問題ないという考えと
> いやいや御法主上人猊下から任命されている御住職様に願い出てしたためていただいた過去帳を一時の感情で御不敬するのは大法謗なのか
> 是非教えて下さい。
これは「化儀(けぎ)」のご質問ですね。
結論から言いますと、謗法に当たります。ただし謗法と言いましても直接御本尊様を不敬したりする大謗法ではありません。軽い謗法です。(*^_^*)
日蓮正宗における化儀(けぎ)に関して、私の同志で、このサークルのメンバーでもある21世紀さんが、このことに関して挙げていますので、ご紹介させて頂きます。
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「日蓮大聖人は、末法の御本仏として、当時の鎌倉時代にあって、字の読めなかった人々に対しても、成仏への仏道修行の在り方を、「化義」として残されたのでした。
日有上人は「化儀抄」で、「法花宗は能所共に一文不通の愚人の上に建立」と仰せであり、「化儀」とは、主に仏道修行の在り方を指しております。
「化儀」は、「化儀即化法・化儀即法体」であり、「化法」とは仏法であり、「法体」は御本尊です。すなわち「化儀」は、日蓮大聖人の仏法の表明であり、単なる形式ではなく、仏法・法門を日々の行動・振る舞いの中に具現させる、「成仏への仏道修行・布教の要」なのです。
「化儀」の軽視・無視は「仏法」否定である
日蓮大聖人は、「一生成仏抄」で、「仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」と、御教示されております。
ー仏道修行にあって、題目を唱えること、勤行をすること、樒をそなえ、灯をともす等々、その所作ひとつひとつが、成仏への道を確立していくのです。成仏への仏道修行を具体化するために、「化法と化儀」は絶対に不可欠なのです。
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・・ということです。過去帳そのものは言われるように御本尊様ではありません、・・が、過去帳を用意され、歴代猊下のご祈念及び先祖への回向は化儀から致しますと、成仏への修業の一部なのです。大聖人様が「一生成仏抄」で、
「仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」
と言われているのですから、たとえ要らなくなった過去帳とて大切に扱うのが信徒の信仰姿勢だと思います。要らなくなった過去帳でしたら粗末に扱うのではなく、お寺にお納めし、新しい過去帳にしてもらいましょう。
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