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from: 21世紀さん
2009年02月27日 11時42分48秒
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御法主上人猊下御講義 立正安国論
於夏季講習会第1・2期<立正安国論講義の開講に当たって>皆さん、おはようございます。今回、平成21年の『立正安国論』正義顕揚750年に向かいまして、宗
於夏季講習会第1・2期
<立正安国論講義の開講に当たって>
皆さん、おはようございます。今回、平成21年の『立正安国論』正義顕揚750年に向かいまして、宗門僧俗一致しての正法護持興隆・行学増進に励む次第であります。そういうことから、本年度よりまた、この夏期講習会を始めることになり、今回は第2期に当たります。昨日から、それぞれ担当講師によりまして、折伏その他のいろいろな重要な行学に関する話があったことと思うのであります。
本年度は『立正安国論』正義顕揚750年を6年後に控えた、その最初の年といたしまして、『立正安国論』を拝読して、皆様と共に大聖人様の深い御仏智を拝したいと思うのであります。それで、講義の内容を考えましたが、『安国論』の始めから終いまでの御指南の量は、たとえば『開目抄』とか『報恩抄』『撰時抄』というような御書はとても長い御書でありますが、それに対してもっと短い御書も御消息等においてはあるわけで、この『安国論』は、ちょうどその中間くらいの長さになります。
そこで、全10期にわたっての講義の内容をどのようにしたらいいかということを考えた挙げ句が、『安国論』全体を5つに分けさせていただき、第1期と第2期を最初の部分、次のところを第3期と第4期というような形で行うことにいたしました。したがって本日は、先般の第1期のときに拝読いたしました『安国論』の最初の部分を、もう1回拝読する次第であります。
<安国論建白の背景と意義>
最初に、この『安国論』は、どのような縁由によって示されたかと申しますと、その当時、数年にわたって大風・大雨・洪水・飢饉・疫病・大地震等の災害がずっと重なったのであります。これは日本国中が正に背き、邪を行っておるところの謗法に因るということを大聖人様が御覧になりまして、しかも王臣共にこれを覚らず、したがって仏の弟子としてその謗法を戒め、不義・邪悪を諌めるということが、この『立正安国論』を作り、最明寺入道時頼に献じられたその意義であります。
しかし、これは一往、文に付しての形の上からの縁由でありますが、再往の深い元意におきましては、久遠元初自受用報身という根本の仏様が末法において再誕をせられ、そして法華本門の下種の大法を、その大行者たる日蓮大聖人によって末法万年の正法広宣流布のため、一切の民衆、一国乃至全世界への折伏諌暁の書であると拝して、しかるべきと思うのであります。
その時は、人皇(にんのう)90代・亀山天皇の御宇(ぎょう)でありました。いわゆる文応元(1260)年7月16日に奏呈をされました。そのときの将軍は、鎌倉9代の中の第6代・宗尊(むねたか)親王であり、執権は北条長時という人でありましたが、政治の実権はその前に執権を務めた最明寺入道時頼の手にあったのであります。時頼は4年前の康元元(1256)年に落髪をして入道となりましたが、なお政務に携わっており、したがってその政治の権力を持つ実力者として存在しておりましたから、宿屋入道光則(みつのり)に託して、この『立正安国論』を時頼に献ぜられた次第であります。
その主意は、第一に未来の大災難、これは経文等に明らかに示されるところの自界叛逆(じかいほんぎゃく)の難と他国侵逼(たこくしんぴつ)の難、この2つは、それ以外のたくさんの災難が現れておるこの時点においても、まだ現れていなかったのであり、かかる大災難の起こるべき所以を、予言書として示されたのであります。第二に、その災難の原因としての謗法の誤りを指摘して、これを強く諌められておる。すなわち仏法上の謗法に対する諌めであります。それから第三には、衆生の現当二世にわたる救済のために、その謗法の罪を糾されるという意義があります。
しかるに、文永9(1272)年の2月にこの予言の一つである自界叛逆の難が起こりました。さらに文永11(1274)年10月と弘安4(1281)年5月の2回にわたって蒙古の国が攻め寄せてきて、他国侵逼の災難の大予言が、まさに寸分も違わず的中したわけであります。これまさに、このことを通じてさらに下種の御本仏が未来末法万年にわたるところの日本乃至世界における真の正法護持、立正安国により真の平和に至る道を示された大予言であり、その大指針であります。
<安国論の題号について>
次に、「立正安国」の題号ということについて申し上げます。
「立正安国」というのは「正を立てて国を安んずる」ということです。この依拠は経文にたくさんありますけれども、法華経の『方便品』に、「正直捨方便・但説無上道(正直に方便を捨てて、但無上道を説く)」(法華経124ページ)という文があります。すなわち、従来の爾前経、大乗・小乗等の四十余年の経々はすべて方便教であるということを、釈尊自らがはっきりと決定した上で「正直に方便を捨てて但無上道を説く」ということを説かれたのであります。この正直に方便を捨てるということは、方便にいつまでもとらわれて真実を見ないところが邪道であり、その邪を破すという意義であります。また無上道を説くのが正法を立てること、顕正であります。いわゆる「破邪顕正」が、この「立正」であります。
次に、「正」の内容は非常に深く、また広いのであり、すなわち五重相対が考えられます。これは第一に内外相対、次が大小相対、第三番目が権実相対、第四番目が本迹相対、第五番目が種脱相対で、この5つの相対の上からはっきりと浅深勝劣をつける。そこに本当の「正」の意義と衆生を開導する徳が現れるのであります。
・内外相対
第一の「内外相対」ということは、内道すなわち仏教は法界の一切と過去・現在・未来の三世にわたるところの正しい原因・結果、さらに因縁・果報ということをはっきり正しく述べておるのであります。しかるに、外道たる他の哲学・宗教等においては、このところがまことにはっきりしておりません。イスラム教やキリスト教など、その他世界中にはたくさんの宗教がありますけれども、それぞれの神様が出来た原因は、全く説いておりません。神は元々存在するというのです。しかし、これは一切万物の、原因があって結果があるという理法に反するのです。仏教においては、仏も仏としての原に成る原因がある。また、それによって一切衆生がその筋道の上から本当の仏の修行と悟りに基づいて、真の幸せを得ることができるという次第であります。
また、因縁因果は、そのまま善因善果、悪因悪果という大原則に通じています。この善因は必ず善果を生じ、悪因は悪果を生じるという因果の理法が徹底していないために、今、世の中において「目前の結果さえ良ければ、悪いことをしても平気である」というような誤った思想が現れておるのであります。その悪見が、今日の世界の様々な不幸と大動乱を起こしておるということが言えるのです。
したがって、内外相対した場合に、「内道」の仏教と、仏教以外の教えの「外道」との相対において、仏教が因縁因果の道理を説く故に本当に正しい教えであるということ。その筋目から見ないと、この『立正安国論』のこれから拝読していくところの本当の意義が判りません。やはり仏の教えをきちんと正しい意義と筋道において見ることにより、はじめて「正」が立つわけであります。それが第一の内外相対であります。
・大小相対
次は「大小相対」です。この「小」というのは小乗のことで、同じ仏教の中でも小乗と大乗の区別があり、仏教は外道に対すれば正しいけれども、大乗と小乗を内容の上から相対すれば、小乗は非常に視野が狭いのであります。教えの内容が、単に六道の迷いから抜け出して、より安穏な灰身滅智(けしんめっち)のところに行こうということにすぎません。ですから法界全体の存在とその因果の姿、またその大きな法界観、世界観によるところの修行の道が欠けているのであります。したがって、小乗は自分だけが迷いを去って悟りを開けばいいということだけで、他の苦悩の相を見ることができないのです。
しかし実際には、世の中は決して自分一人だけの存在ではありません。必ず他との関連において善悪、正邪、幸不幸等、あらゆることが存在するのです。したがって、自分が善い行いによって幸せになっていくと共に、他をも導いていくということがなければならない。故に、小乗は「空」の真理を示すのみであるのに対し、大乗は「空」と「仮」と「中」の真理観が説かれます。それらをはっきりと示して、全体観の上から教えを説くのが大乗の教えであります。
したがって、小乗と大乗を相対するならば、小乗に対して大乗こそ真実の正法であるにもかかわらず、小乗が大乗に背くならば邪の意義が生じます。故に「正を立てる」とは、小乗を廃して大乗を立てることが大小相対の意味であります。
・権実相対
次が「権実相対」。「権(ごん)」とは「かりのもの」方便の意で、「実」とは真実の意です。仏教五千七千の経巻を大きく分ければ、方便と真実に分かれます。この方便教として華厳・阿含(あごん)・方等・般若等の四十余年の諸経が説かれておりますが、それに対して「正直に方便を捨てて、但無上の道を説く」と、釈尊が法華経においてはっきりと宣言され、法華経こそ一切の衆生を真に導き幸せにするところの教えであると示されました。
そうすると、この権教によって宗旨を立てておるところの、いわゆる念仏・禅・真言・律等、様々な仏教における権大乗の宗旨は、すべて正法を無視し、正法の意義と価値に背いておるところに邪の意味があるのです。その邪を打ち破って、真実を立てるところに権実相対における「立正」の意義があります。特にこの『立正安国論』においては、大聖人様の御一期(いちご)のうち最初の御化導の形として、まず第一に法然(ほうねん)の念仏宗の邪義を中心として破折されており、これがこの権実相対の内容からの破折に当たるのであります。
・本迹相対
その次が「本迹相対」です。これは法門の上から言うならば、本門の大法をもって根本とし「正」といたしますから、爾前迹門にとらわれた考え方は邪法となります。その法華迹門を中心とする宗旨として天台宗があります。これは一往、法華経の教えをもって正しく仏法を立てたものであるけれども、まだ権実相対までがその教義の主意になっておりまして、きちんとした形で本門と迹門とのけじめがついていないのであります。これは迹門付嘱の天台や伝教の法義としては当然のことなのです。
しかし、すでに時の過ぎた、像法の時代の衆生を導く法華迹門にいつまでもとらわれることは邪法となり、末法においては法華本門の教えをもって爾前迹門との区別を立てていくところに「立正」の「正」という意義が存するのであります。
・種脱相対
[本尊] 最後は「種脱相対」です。これは下種の法華本門の教えこそが本門の宗旨の実体であり、大聖人の御出現の目的でありますから、その種脱に迷乱するところの日蓮他門家はことごとく、「立正」と口では言っても真実の「立正」ではありません。それは何かと言えば、下種の本尊とその三大秘法こそが真の「立正」の「正」という意味であり、末法万年の下種仏法の弘通、化導の上にはっきりと示された大法であります。そこに種脱相対しての「立正」とは、三大秘法の妙法大漫茶羅、本門戒壇の本尊であります。その意義はすでに大聖人の『立正安国論』の中に深く篭(こ)められておるわけですけれども、ただ化導の具体的な形としては、文永、建治、弘安等、御一生の御化導の上から、それが次第に現れてくるのであります。
さて、「立正」とは「三大秘法」であるということよりして、この「正」とは何かと言うと、第一には「妙」ということなのです。「妙」が「正」、「正」がまた「妙」です。ですから「妙」ということを離れて真実の「正」はないのです。
故に「妙」についてさらに本仏の悟りを拝するならば、それは「妙法蓮華経」の五字であります。この妙法蓮華経の法体のもとについて、大聖人様が『観心本尊抄』に仰せであります。すなわち、末法万年を救う法華経の根本的な付嘱の要旨として、「此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶(なお)文殊・薬王等にも之を付嘱したまはず、何に況んや其の已外をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付嘱したまふ。其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏…」(御書654ページ)と示されております。右の文の「本尊の為体」というところに、特に注目すべきです。
すなわち妙法蓮華経とは、地涌の菩薩に付嘱された法華経本門の根本の法体としての本門の本尊なのです。ですから「立正」の「正を立てる」ということは、三大秘法を立てるということであり、その第一は「本門の本尊」を立てることであります。本門の本尊を正しく立てることが「立正」の「正」なのであります。
[題目]さらに、この御本尊を顕す目的は、一切衆生に正しい修行をさせるためである。ですから、この正境の本尊に縁するということは、正しい本尊に縁して初めて信心が正しくなるわけです。信心が正しくなるから、また「行」というものが正しくなるのです。もし間違った「行」をしていたら大変です。いつの間にか不幸になっていき、未来は地獄に堕ちるような結果となります。
すなわち正しい「行を立てる」とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることであり、これがいわゆる「行」についての「立正」であります。ですからこれは「本門の題目」です。
[戒壇]また、次に「正」とは「一」に「止」まると書きまして、この「一」とは、三に非ず、五に非ず、七に非ず、九に非ず、三乗、五乗、七方便、九法界を超絶し、かつこの一切を含む久遠元初の実相たる人法体一の法体です。これについて、「一大事の秘法を霊鷲山にして相伝」(同1569ページ)という『南条殿御返事』の中の大事な御文があります。その御本尊を所持されて末法に出現し給う大聖人様のおわしますところ、またその御魂を墨に染め流して御顕示あそばされた本門の本尊のところに妙法の法体が止(とど)まるわけであります。
「止まる」とは、すなわち住する、そこに存在するということです。したがって、止まり住するということは、本尊の住するところの意義であり、すなわち「本門の戒壇」であります。ですから、先般、皆様方の尊い御供養によりまして立派な奉安堂が出来ました。この奉安堂に本門戒壇の大御本尊様を御安置申し上げておるところが、すなわち本門の戒壇であります。
さらに、戒壇に関する根本的な大聖人様の御指南の上から拝するならば、『一期弘法抄』『三大秘法抄』のごとく、「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(同1675ページ)と示された戒壇は、また広宣流布の時の戒壇です。そのような意味において、日本国乃至世界の衆生の妙法受持の功徳をもって立てる事の戒法の顕現たるところの戒壇。それがまた「立正」の「正を立てる」という意味に当たります。故に「立正」とは、末法万年に弘通するところの本尊と題目と戒壇、すなわち三大秘法であるということ、これをまず申し上げておく次第であります。
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icon拍手者リスト
from: 21世紀さん
2009年02月27日 16時21分48秒
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「Re:Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
・提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや久しく阿鼻の焔に咽ぶ。
この「提婆達多」という人は、五逆罪のうちの三逆罪を行った大悪人であります。三逆罪とは、一つは仏身より血を出だすこと。これは釈尊が歩いてくる道の脇の、高い山の上から大きな岩を投げ落として釈尊を殺そうとしたのです。その岩が足の指に当たって血が出たということです。このとき釈尊は殺されなかったけれども、これは出仏身血(すいぶつしんけつ)、すなわち仏身より血を出だすという罪で、五逆罪の一つになっておるのです。つまり殺仏という規定はないのです。父を殺す、母を殺す、阿羅漢を殺すということはあるが、仏は殺すことが、できないからです。
これは大聖人様も同様であります。文永元(1264)年11月11日、房州の小松原において、東条左衛門の指揮による何百人かの武器を持った者に囲まれて殺されそうな状況にはなったけれども、結局、その者たちは大聖人様を殺すことはできなかったのです。そのときに、やはり大聖人様も眉間に4寸の傷を負われ、血が出たということがありました。これも仏の身から血を出だすということで、五逆罪の一つであります。
次に、和合僧を破すということです。これは長くなりますので省略しますが、やはり提婆達多が釈尊の弟子を誘惑して自分の弟子にしようとしたということがありました。
さらに3つ目が阿羅漢を殺すということで、これが今ここに示されておる「提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや」という事例です。蓮華比丘尼という方は、尼さんではあるけれども、釈尊の弟子として深く仏教の修行をした方であり、阿羅漢の悟りを得ていました。かつて提婆達多は、阿闍世王に「私は釈尊を殺して、代わりに仏に成る。だからあなたは父の頻婆舎羅王を殺して国王になりなさい。そしてあなたは国王として、私は仏と成って世を改めていきましょう」というようなことを言って誑かし、その言葉に阿闍世王が乗って、自分の父である頻婆舎羅王を幽閉し、最後に殺してしまったのであります。
その悪業によって阿闍世王は身体に大変な悪瘡を生じ、苦しみに苦しむような状態が起こりました。そのときに耆婆等の賢明な大臣に教えられて釈尊を訪ねて懺悔をし、その大きな慈悲の功徳をもって悪瘡を治すことができたのであります。そこで阿闍世王は、提婆達多が非常に恐ろしい男で、自分をこのように騙して悪業を行わせた大悪人であることをすでに自覚しておりました。そこへ提婆達多が従前どおり供養を受けるために城へ来たわけであります。
当然、阿闍世王は、提婆達多を城の中に入れることを拒絶したのです。そこで提婆達多が憤慨しているところへ、城の中から蓮華比丘尼という方が出てまいりまして、提婆達多を見て「お前は釈子でありながら、このような悪業を働き、仏に背いて実に不届きな者である」と、強く叱りました。提婆達多は大変怒って、拳(こぶし)をもって蓮華比丘尼を殴り、ついに打ち殺してしまったのです。
ところが城の門の外に大きな穴が空いて、提婆達多は直ちにその穴から地獄の底へ堕ちてしまったのであります。それが「蓮華比丘尼を殺せしや久しく阿鼻の焔に咽ぶ」ということです。玄奘(げんじょう)三蔵が17年間にわたってインドの国々を回ったときには、提婆達多が地獄へ堕ちた穴がまだ存在していたということが、玄装三蔵の『西域記』という本に書いてあります。
・先証斯れ明らかなり、後昆最も恐れあり。
この文が客のこの段における結語です。前にも述べておるごとくに、僧侶を殺すということをすれば、その罪業として阿鼻地獄に堕ちるということが明らかである。ですから「後昆」、すなわち後の子孫、後の人々のためにも、僧侶を殺すということは実に恐るべきことであるというのです。
・謗法を誡むるに似て既に禁言を破る。此の事信じ難し、如何が意得んや。
したがって、このようなことは仏子を哀れみ、仏子に対して供養をしなければならないという仏様の金言を破ることになるではないか。邪教を説くと言っても、その僧を殺すのが正しいということは、まことに信じ難いことであるという反論であります。
主人の曰く、客明らかに経文を見て猶斯の言を成す。心の及ばざるか、理の通ぜざるか。全く仏子を禁むるに非ず、唯偏に謗法を悪(にく)むなり。夫釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。然れば則ち四海万邦一切の四衆、其の悪に施さずして皆此の善に帰せば、何なる難か並び起こり何なる災か競ひ来たらん。
・主人の曰く、
次は、客に対する主人の答えです。
・客明らかに経文を見て猶斯の言を成す。心の及ばざるか、理の通ぜざるか。
あなたは、私が挙げておる経文を明らかにご覧になっておるにもかかわらず、なおこのようなことを言うとは、結局、あなたの心が経文の真意に及ばないのであろうか、それとも経文に示す道理があなたに通じないのであろうかとまず指摘され、次に客の思い違いを矯(ただ)されるのです。
・全く仏子を禁むるに非ず、
すなわち、従来述べてきたことは「仏子を禁むる」のではないということです。つまり客が大集経の文を引いて、持戒や毀戒でも僧侶は共に仏子であるということを論じました。したがって、そういう一般の僧侶については当然、仏子として考えるべきであるから、これを禁めるべきではない。すなわち「仏子を禁むるに非ず」と言われるのです。
・唯偏に謗法を悪(にく)むなり。
この「謗法」ということは、前の第七問答に「一闡提」ということが出ましたが、この一闡提とは、仏法の根本精神を破る者のことであります。この謗法の行為のみを悪むのであると示されます。 ですから、酒を飲んではいけないという戒に対して酒を飲んでしまったとか、あるいはちょっとした嘘を言ったりする。都合が悪いと嘘を言うのが、今の人間の常だけれども、とにかくそういうことは全部戒を破ることになるのです。これらを犯した者は謗法であるとして、その者を殺すべきだというようなことでは絶対にないという意味であります。
ところが謗法の僧侶の場合は、仏法の根本精神を破っているのです。仏教と仏様の敵になっておるわけです。したがって涅槃経に禁ずるところであり、この禁めは謗法の悪比丘に対するものであって、通常の僧侶の持戒・毀戒に対することではないということが「全く仏子を禁むるに非ず、唯偏に謗法を悪むなり」の文で、謗法の者こそきちんとけじめをつけるべきであるということをまず仰せであります。
それならば、その謗法の者に対して、いわゆる法然のような悪言を述べて仏法を破壊する者に対しては、どのようにすべきであるかということが、この次に述べられるところです。
・夫釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。
この「釈迦の以前の仏教」というのは、前に涅槃経等に述べられた過去の事例、これも釈尊の行為として説かれたのでありますが、例えば仙予国王が大乗を謗るところの婆羅門を直ちに殺してしまったこと。あるいは有徳王が覚徳比丘を守るため、武器をもって戦ったことなどがあるけれども、そのような意味で釈尊の出世される以前の仏教の形においては、その謗法者の罪を斬るということがあったという事例を言われるのです。
・能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。
この「能仁」とは釈尊を指すのであり、慈(いつく)しみすなわち慈悲の上から一切を大きく包んで衆生を導くという意味でありますが、その能仁である仏様の化導からいって、釈尊以後の経説においてはすなわちその施を止めるのであると示されるのです。
この「施を止む」とは、つまり念仏等の悪義を述べる謗法の者に対しても殺すのではなく、その者に対しての布施を止むべきであるということを、釈尊がはっきり示されておるわけです。したがって「施を止む」ということこそ、謗法退治のための要術であり、大切なことであると、ここに言われておるのです。
・然れば則ち四海万邦一切の四衆、其の悪に施さずして皆此の善に帰せば、
そのようにきちんと仏法の善悪のけじめをつけ、そしてその悪に施さず、正法の善に対してのみ供養をするということが、世の中のあらゆる国や民衆に徹底して実現するならば、あらゆる正義がそこに確立するわけであります。
・何なる難か並び起こり何なる災か競ひ来たらん。
したがって、このように邪義が根本から止められるならば、その上にどのような難が来たるであろうか、災いが起こるであろうか、全く起こることはないという意味です。すなわち世界万邦に通ずる正法治国・邪法乱国の指導原理による捨悪持善の行為こそ、まさに災いを止めるところの秘術であることを、ここに述べられているのであります。
<第九問答:疑いを断じて信を生ず>
ここからが第九問答になります。ここに至って客が始めからの主人の言を理解できたのです。この第九問答の趣意は、破邪顕正によって安国が現ずることを示されるのであります。そこで客が、いわゆる疑いを断じて信を生ずるという意義が篭められております。
客則ち席を避け襟を刷(つくろ)ひて曰く、仏教斯れ区にして旨趣窮め難く、不審多端にして理非明らかならず。但し法然上人の選択現在なり。諸仏・諸経・諸菩薩・諸天等を以て捨閉閣抛と載す。其の文顕然なり。茲に因って聖人国を去り善神所を捨て、天下飢渇し、世上疫病すと。今主人広く経文を引いて明らかに理非を示す。故に妄執既に飜り、耳目数朗らかなり。所詮国土泰平天下安穏は、一人より万民に至るまで好む所なり楽ふ所なり。早く一闡提の施を止め、永く衆僧尼の供を致し、仏海の白浪を収め、法山の緑林を截らば、世は義農の世と成り国は唐虞の国と為らん。然して後法水の浅深を斟酌し、仏家の棟梁を崇重せん。
・客則ち席を避け襟を刷(つくろ)ひて曰く、
この「客則ち席を避け」ということは、きちんと座り直すということで、主人の言うことをよく理解し、その人格はまことに尊敬すべき方であると感じたために、改めて座り直したことを表します。そして、自らも身繕いを改めて、さらに主人に対して答えます。
・仏教斯れ区にして旨趣窮め難く、
初めに客は「私は、まだ本当に仏教というものが判っておりません」ということを述べるのです。この「仏教斯区にして」とは、ありとあらゆる意味で仏教の経文や文献、さらに大小乗の宗旨がたくさんあるという意味です。したがって「旨趣窮め難く」とは、すなわちそれぞれの論ずる旨とするところ、趣くところを見極めることが難しいということです。
たしかに仏教は難しいのです。小乗仏教一つを取っても、小乗仏教の経論をそのまま読んで直ちに理解できる人は、現代においておそらくいないでしょう。大乗仏教がまた実に広く、そしてなお深い意味がありますから、より一層難しいのです。ところが仏教の法理をきちんと教えられた正しい筋道の上から読めば、大体判るのです。いきなり読んだのでは、何が何だか全く判らないはずです。
・不審多端にして理非明らかならず。
訝(いぶか)しく不審不明なところが多く仏教の理が深遠であるため、その道理と非理について明らかに知ることができませんと客が述懐します。
・但し法然上人の選択現在なり。
そこで客は続いて、しかし法然の『選択集』というものが現に存在することは、そのとおりであると肯定します。法然は、世間で非常に尊ばれておりますから、この客もここではまだ「法然聖人」と尊敬の言葉を示しておるわけです。
・諸仏・諸経・諸菩薩・諸天等を以て捨閉閣抛と載す。其の文顕然なり。
その『選択集』において、あらゆる「諸仏・諸経」すなわち浄土の三部経というわずかな念仏の経典以外の全部、それらのあらゆる経典に説き示されているところの、釈尊を含めた様々な尊い仏や菩薩とその修行・功徳等の一切、それから「諸天」とは、この仏法を護る天人等ですが、これらについて悉くを「捨閉閣抛せよ」と言っていることは、まことに明らかであると申します。
「捨閉閣抛」とは、すなわち捨てよ、閉じよ、閣け、抛てということで、『選択集』の文章の中のあちらこちらに、この捨閉閣抛の四字が出てくるのです。つまりあらゆる経文や仏菩薩、諸天に対し、「捨閉閣抛せよ」と言うことは、たしかにあなたの仰せのとおり、その文が明らかであると答えます。
・茲に因って聖人国を去り善神所を捨て、天下飢渇し、世上疫病すと。今主人広く経文を引いて明らかに理非を示す。
この『選択集』によって、聖人が国を去り、善神が所を捨てるが故に、天下には様々な災難が起こり、飢渇し、疫病があるということを、今あなたは広く経の文証を引いて、その上から明らかに道理と非理を示されておる。
・故に妄執既に飜り、耳目数朗らかなり。
したがって「私は今まで法然なる僧も偉いと思っていたし、念仏の教えもまた仏教の中では非常に尊いものであると思っていたけれども、それは私の間違った執着であり、私の耳も目も正しい道理を聞き、正しい道理を見ることにおいて、非常に明らかになってまいりました」と言うのであります。
・所詮国土泰平天下安穏は、一人より万民に至るまで好む所なり楽ふ所なり。早く一闡提の施を止め、永く衆僧尼の供を致し、
客はそこで、国土泰平・天下安穏は上一人より下万民までの皆が願うところであり、早く一闡提の施を止め、仏法護持のため未来に永く正しい僧や尼への供養を励みましょうと言います。「一闡提」というのは、前にも出てきたとおり、謗法の仏敵として仏教の精神を破る者です。その一闡提に対しても、殺すのではなく、布施を止めることが大事であると理解したのです。ですから謗法の者には絶対に布施をしてはならないのであり、このことをきちっと肚に入れることが日蓮正宗の僧俗として大事なことであります。
・仏海の白浪を収め、
一闡提への布施を止めることにより、仏法を正しくする昔の例言であります。
中国の後漢の最後に霊帝という国王がいましたが、その時期に、黄色い布をもって身体を包むという出で立ちの黄巾(こうきん)の賊というのが起こったのです。その賊は、張角(ちょうかく)という道士が首領でしたが、さらにその余党がいまして、これが西河の白波谷(はくはこく)という所において様々な賊の所業を働いていたのです。そこで、その賊のことを「白波」と称したのであります。ですから、日本でも盗賊のことを白波(しらなみ)と言うのです。芝居でやる「白波五人男」などがその例です。
「仏海」というのは、仏様の教えが非常に広大であり、海のように広いという意味の譬えであります。しかし、その中において風によって波が立ち、海が非常に荒れて白波が立ちます。要するに、仏教の中においての賊=白波とは、法然の『選択集』であることを、客の言葉として表しておるのです。
・法山の緑林を截らば、
それから「法山の緑林」とは、前漢の末の頃に荊州の緑林山という所において賊が起こったことが元であります。これによって「緑林」が盗賊の異名となったのです。ですから、この偉大な山のごとき仏法の中における緑林の賊とは、すなわち法然の『選択集』であることを表す語であります。
・世は義農の世と成り国は唐虞の国と為らん。
そこで、そういう邪悪の教を収め、その禍根を截ってしまえば、「世は義農の世と成り国は唐虞の国と為らん」と言うのです。
この「義」は三皇の中の伏羲(ふくぎ)のこと、「農」は同じく神農(しんのう)のことであります。「国は唐虞」というのは、三皇五帝の五帝のほうの4番目と5番目の人と国のことで、「唐」は唐尭(とうぎょう)、「虞」は虞舜(ぐしゅん)のことです。この唐尭という王様は、帝(ていこく)という方の子であり、その唐尭がさらに帝位を譲ったのが虞舜であります。このことについてもいろいろな話がありますけれども省略いたします。
要するに、こういう昔の伏羲・神農というような方々が世を治めたところの平和な天下太平の時に戻るであろうということを、この客の言葉として言うのであります。
・然して後法水の浅深を斟酌し、仏家の棟梁を崇重せん。
ここにおける客の認識は、法然の『選択集』によるところの諸仏・諸経・諸菩薩・諸天をことごとく捨閉閣抛せよという極端な教えが誤りであったということは、よく理解したわけです。故に、この邪教を止めさせた上で法水の浅深を斟酌する。この「法水」とは、仏法の水の流れ、つまり伝承ということで、仏法において衆生を導くための功徳の水に浅いもの、深いものがあるという、譬えの言葉ですけれども、その浅深を正しく計るということであります。
当時、南都においてすでに倶舎・成実・律・華厳・法相・三論という六宗がありましたが、その後、平安朝になってからは天台・真言の二宗が加わり、さらに鎌倉へ入ってから禅宗と念仏が出てきました。厳密には法然の浄土宗は平安末期からですが、要するにその十宗等がありました。
そのうちの念仏は邪義として除き、あとのものについては、どれがよいかということをよく計り定めつつ、いわゆる「仏家の棟梁」となるべきところの勝れた教えを中心として尊重いたしましょうと言うのです。けれども、その棟梁たるべき教えが何であるかという認識がまだはっきりしていないのであり、そこにこの段階における客の領解があるわけであります。
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