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from: 21世紀さん
2009年03月09日 15時16分21秒
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第二次創価学会問題
資料①(宗務院より創価学会宛ての第35回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね)
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創価学会会長秋谷栄之助殿
去る12月13日の連絡会議の席上において、11月16日第35回本部幹部会における池田名誉会長の発言に関するお尋ねの文書をお渡ししようといたしましたが、出処不明のテープを本とした文書は受け取ることができないとの理由にて受領を拒絶されました。
宗務院として、このテープについて数本のテープと照合しつつ、厳密な調査をいたしましたところ、改竄されたものではないことが判明いたしました。さらに、11月28日のスピーチの全国衛星放送の会場に出席した信徒からも、手紙や電話によって、疑問や不信の声が、総本山・宗務院へ寄せられております。この問題は、極めて重要な内谷を含んでおりますので、話し合いによる解決は不可能と考えます。よって、改めてこの文書を送達いたしますから、到達の日より7日以内に宗務院へ必着するよう、文書をもって責任ある回答を願います。
以上 平成2年12月26日
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第35回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね
創価学会会長秋谷栄之助殿
この度、平成2年11月16日、第35回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチのテープを聞きました。それによると、聖教新聞の内容と大幅に違っており、特に宗門に関することが故意に削られ改作されていることがわかりました。しかも衛星中継をもって全国の学会員に放送するため、当日のテレビ放映と新聞の内容の違いに不審を抱いた学会員から、学会について行けない旨の手紙が寄せられております。確かにテープの中には、昭和53年6・30、11・7等で確認されたことが、まったく忘れ去られている感もありますので、改めて拾い挙げてみました。何卒、責任ある回答を示されますよう、お願いいたします。
(1) 御法主上人・宗門に関ずる件
1 「文化運動、ね。文化も一生懸命、今、仏法を基調にしてね、文化・平和。文化は要らないと、詩法だ。もうわけがわからない、ね。なんにも苦労していないから。本当のことを、社会を知らないから、折伏もしていないから。(日達上人の昭和50年のNSAの第12回の総会の平和文化運動に関するメッセージを引いて)それがいけないって言うんですよ。折伏だけで、全部教条的にね、やれおかしいよって言うんだ。おかしいよ」
2 「猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません。」
3 「全然、また難しい教義、聞いたって解んないんだ。誰も解らないんだ、ドイツ語聞いていろみたいにね。それで『俺偉いんだ。お前ども、信徒ども、信者、信者って。そんなのありませんよ、この時代に。時代とともにやればいい、学会は。」
4 「あくまで御書です。御本尊です、法は。これが解かればいいんです。あと、ちゃんと日淳上人、それから堀猊下、全部日達上人、きちーっと学会を守ってますよね。」
以上の1から4は、名誉会長の今回のスピーチの中からその流れに沿って拾い出したものであります。昭和55年4月2日の聖教新聞に、「恩師の二十三回忌に思う」と題する名誉会長の所感が掲載されておりますがそこでは、「学会は、絶対尊崇の本源たる本門下種人法一箇の御本尊、宗祖大聖人に対し奉る信仰を根本とし、永遠に代々の御法主上人狙下を仏法の師と仰ぎ奉リ、強き広宣流布の戦士たる誇りも高く、さらに、日蓮正宗の信徒として、いっそうの外護の任を全うしてまいる決意であります。」
また、会員各位に対しては、
「今一度、学会の存立基盤に立ち戻リ、あくまでも外護と布教という根本の宗教活動を主体とし、そのうえで、社会的存在としての文化活動を推進してまいるようお願いしたい。その意味から、僧俗の和合をあくまでも根本とし、学会の使命遂行には、いささかも揺るぐことなき信心の大確信を堅持し、社会との融合を図りながら、広宣流布を進めていかねばなりません。」
と創価学金の基本姿勢を述べられております。この名誉会長の所感にありますとおリ、日蓮正宗では、古来人法一箇の御本尊即大聖人を信仰の根幹とし、また大聖人の法体を継承遊ばされたすべての歴代御法主上人を正法の正師と拝し奉ってまいりました。すなわち、歴代の御法主上人は、法体を護持継承される上から御本尊を書写され、またそれぞれの時代に応じて種々御指南されたのであります。したがって、現時点においては、日顕上人を仏法における根本の師匠、大導師と仰ぎ奉り、信伏随従する信仰姿勢が僧俗ともに肝要であることは、申すまでもありません。また、創価学会の基本姿勢についても、日蓮正宗の信徒団体として、僧俗和合を根本に、布教活動を行い、それに伴う文化活動を推進していくことは大変大事なことであります。その意味で、名誉会長の「恩師の二十三回忌に思う」との所感は、まさに正論であるといえましょう。
しかし、今回のスピーチは、その正論を述べられた名誉会長の言葉とは思えない内容であります。宗務院といたしましては、こうした発言の中に、名誉会長の本心、また血脈に対する拝し方に、大きな疑いをもつものであります。以下、その問題点を挙げてみたいと思います。
第一番目に、聖教新聞紙上において、頻繁に「悪しき権威・権力と戦う」という語が見られますが、大概の場合、その「悪しき権威・権力」というものが、何を意味するのか明らかではありません。しかし、2の発言によれば、「悪しき権威・権力」とは別して御法主上人を指していることがわかります。しかも、この発言によれば、「現猊下は法主という権威に身を寄せて権力を振りかざすばかりで、信徒の幸福などはまったく考えていない」ということを言っているのであります。このように、名誉会長は御法主上人に対して「権力」と決めつけておりますが、創価学会でいう「悪しき権威・権力と戦う」の「悪しき権威・権力」が、なぜ御法主上人に相当するのか、お示しいただきたいと思います。
また、第二番目に3の発言は、主語はないけれども、これを見聞した人は、明らかに御法主上人に対する言葉と受け止めるものと思います。すなわち、猊下の御説法・御指南というものは、外国語を聞くようにただ難しいだけで、信徒にとって現実的に役に立たないものと決めつけております。御法主上人の御指南にも、御説法、お言葉、その他種々の内容があり、その中で、特に御説法は、本宗の甚深の法義を説くのでありますから、難しいのは当然であります。信徒として、深く拝聴理解すべく心掛けるのが当然であるにもかかわらず、このように批評するのは、御法主上人を蔑視するものであります。また、「俺偉いんだ。お前ども」等の発言は、まさに日顕上人を指していると思われますが、日顕上人は、かつてそのようなことを言われたことは、一度もありません。これらは、明らかに御法主上人に対する誣告であると思いますが、御意見を聞かせていただきたいと思います。
第三番目に、創価学会の推進する仏法を基調とした平和文化活動につきましては、名誉会長自身が「恩師の二十三回忌に思う」の中で、折伏弘教と外護を根幹とした文化活動を推進するという大義を述べております。また、日達上人の賛同された御指南も多くありましたし、同様に現御法主上人も代替奉告法要、あるいは日目上人の第650回遠忌の折に、本当の意味で仏法を基調とする平和文化活動は大聖人の仏法を宣揚していく上で大事なことであると説かれております。ところが、これも主語はありませんが、前後の流れから、御法主上人を指していると思われる、1の発言によれば、「かつて折伏をされたことがまったくなく、布教について何も苦労したことのない世間的無知であるから、平和文化活動を理解出来ずに無条件に否定する」ということであります。まず、御法主上人は、いつ、どこで、仏法を基調とする平和文化活動を否定し、謗法だなどと言われていますか、お伺いいたします。また、多くの会員の前で、このようなことを公言している池田名誉会長の不遜な言動に対して、どう責任を取られるのでしょうか。
第四番目に、2の発言では、「猊下というものは」などと、御法主上人を指導、もしくは批評するごとき言語表現が、公然となされておりますが、日蓮正宗の信仰をする者として、あまりにも謙虚さに欠けた慢心の言であると思いますが、創価学会としてこうした発言に対し、どのように申し開きをされますか。
第五番目に、4の発言でありますが、ここで、59世日亨上人、65世日淳上人、66世日達上人が、学会を守って下さっていると言っておりますが、日達上人の御在職中の、いわゆる52年路線のころ、創価学会の教義の逸脱について、日達上人から、
「日蓮正宗の教義が、一閻浮提に布衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります。」
等と、厳しい御指南があったのも事実であります。にもかかわらず、そのような御指南には一切触れずに、都合のいいところだけを引用し、創価学会は60年の歴史の中において、まったく間違いがなく、間違いはすべて宗門の側にあったように述べておリます。そして、学会のやっていることに対して御先師方が理解を示され、学会を守られたという表現にすり替えているのであります。また、この一連の言葉の裏には、当然現御法主上人が学会に対して理解を示さない、学会を守らないという意味を含んでいるものと解釈されます。しかし、正信会から学会及び名誉会長を守られたのも、また名誉会長を総講頭に再任されたのも現御法主上人であります。したがって、「〈今の)猊下はまったく学会を守ってくれない」と考えるのは、まったく過去に受けた恩義を省みない無慙な心であると思いますが、いかがでしょうか。-
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コメント: 全51件
from: 21世紀さん
2009年03月10日 11時06分41秒
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「Re:第二次創価学会問題」
このパンフレットは、創価学会員の方々が戸田城聖会長時代の正しい信心に立ち返られることを願って作られたもので、単なる池田xx氏を誹謗するためのものではありません。
創価学会の皆様(みなさま)へ
魔性(ましょう)の創価学会製(せい)
ニセ本尊を拝んでいませんか?
この本尊を拝んだ途端(とたん)に病気や悩みが頻発(ひんぱつ)していませんか?
それが現証(げんしょう)です。
このニセ本尊は不幸の根源(こんげん)です。
何故ニセ本尊と云うのでしょうか?
説明は次にあります。
左図:創価学会の魔性(ましょう) 簒奪(さんだつ) 偽作(ぎさく) 盗作(とうさく) 変造(へんぞう) 自己矛盾のニセ本尊
なぜ ニセ本尊?
それは、魔性、盗作、変造、簒奪、偽作、自己矛盾だからです。
平成4年11月、もと日蓮正宗の末寺であった浄圓寺が日蓮正宗から離脱し、邪宗(じゃしゅう)となりました。
この邪宗となった浄圓寺に、総本山第26世御法主・日寛上人が本門(ほんもん)戒壇(かいだん)の大御本尊を御書写(しょしゃ)あそばされ、大行阿闍梨本證坊日證(にっしょう)という僧侶に授与(じゅよ)された御本尊が伝えられていました。
この御本尊の授与書き「大行阿闍梨本證坊日證」の部分を抹消(まっしょう)した上に、縮小(しゅくしょう)したり、拡大(かくだい)したりして印刷したのが、創価学会製の魔性本尊です。
ゆえに、日寛上人の御本尊を変造(へんぞう)したものです。
本来、御本尊は御法主上人猊下(ごほっすしょうにんげいか)の所有に帰(き)すべきところです。その御法主上人猊下の許可なしに授与書きを削除(さくじょ)し、勝手にいらうことは、御法主上人猊下の権能(けんのう)を侵害(しんがい)していますから簒奪(さんだつ)(王位を臣下が奪(うば)うこと)に当たります。
しかも、「日寛上人の御本尊である」と主張していますから盗作(とうさく)であり、偽作(ぎさく)、贋作(がんさく)です。
日蓮大聖人以来の血脈(けちみゃく)相承(そうじょう)を御所持されている御法主上人猊下の許可なしに本尊を新しく作ることは、これまでの学会の指導と全く違(ちが)っています。自己(じこ)矛盾(むじゅん)の魔(ま)の魂(たましい)が入った魔性本尊です。
これを拝めば今生(こんじょう)では不幸のどん底(ぞこ)になり、地獄(じごく)に堕(だ)すことになります。
創価学会の自語相違
「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人のお悟(さと)り、唯授一人(ゆいじゅいちにん)、代々の御法主猊下以外にはどうしようもない。だから仏立宗(ぶつりゅうしゅう)や身延のやつら身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性(ましょう)の力が入っている。だからコワイ」(創価学会第二代 戸田城聖会長の指導:大白蓮華 98号 9頁)
「いわゆる付嘱(ふぞく)のないもの。これは偽札(にせさつ)本尊といって、これを本尊と立てる連中は、御本尊はだれが書いてもよいなどと考えているのである。」(折伏経典 改定33版 345頁)
「本尊を『物』と扱うようになった場合は罰(ばつ)をうけます。学会精神に反します。信心ではありません。」(大白蓮華 159号 62頁)
創価学会は折伏(しゃくぶく)を放棄(ほうき)して摂受(しょうじゅ)になった
「謗法払い」は不要 -『聖教新聞』(H9.2.11付)
「謗法払いは必要ではない」ということは折伏を放棄(ほうき)したことを意味しています。
聖教新聞、平成9年2月11日号に秋谷栄之助会長は、
「『謗法払い』については、あくまで原則通り、本人処分であることには変わりはありませんが、御本尊を安置するための絶対的条件ではありません」 ―― 中略 ―― 「したがって、神棚(かみだな)や仏具等を取り除く必要はありません」
と指導しています。
これは御本尊を神札(かみふだ)や阿弥(あみ)陀仏(だぶつ)などと一緒に祀(まつ)ってもよいということで、この信仰のありかたは、天台(てんだい)大師(だいし)や伝教(でんぎょう)大師(だいし)が説かれた迹門(しゃくもん)熟脱(じゅくだつ)の法華経の修行すなわち摂受です。
末法の本門下種(ほんもんげしゅ)の仏法は折伏であることは、御書(ごしょ)のどこを拝読しても明々白々のことであり、かつては創価学会が実践してきたことでもあります。
創価学会が日蓮大聖人様の教えに真っ向から違背(いはい)し、成仏(じょうぶつ)できないことは明らかです。それでも「学会は日蓮大聖人の仏法を実践している」とうそぶいて、「日顕宗を折伏する」といっているのです。頭破作(ずはさ)七分(しちぶ)か、一闡提(いっせんだい)か。あなたはどう思われますか。
「謗法払いは必要ない」ということは、折伏を放棄して摂受になることであり、折伏を放棄した創価学会は折伏をする論拠(ろんきょ)も資格(しかく)もないのです。
皆さま、勇気を出して創価学会を退会(たいかい)し、戸田城聖会長時代の正しい信仰・日蓮正宗の信心に返(かえ)りましょう。池田創価学会の嫌がらせや誹謗(ひぼう)中傷(ちゅうしょう)ごときに懼(おそ)れをなしていては成仏できませんぞ。
池田xxの象徴(しょうちょう)と見られた
正本堂(しょうほんどう)解体
昭和47年に日蓮正宗の寺院・僧侶、法華講、創価学会員が総力をあげて建立した正本堂は平成11年に解体されました。正本堂解体を池田創価学会ははげしく批難しています。正本堂に御安置されていました戒壇の大御本尊様が新奉安殿に御遷座(ごせんざ)あそばされ、正本堂は無用の長物となったので、解体されたのです。
なぜ、戒壇の大御本尊様が正本堂から新奉安堂に御遷座あそばされたのでしょうか。第一は池田氏が広宣流布(こうせんるふ)の時に建立されるべき『三大(さんだい)秘法(ひほう)抄(しょう)』『一期(いちご)弘法書(ぐほうしょ)』の本門の戒壇であると偽(いつわ)ったからです。広宣流布が実現していないのに、実現したと偽ることは御本仏日蓮大聖人を欺(あざむ)くことになります。戒壇の大御本尊様を大聖人様を欺く正本堂に御安置することはいのびがたいことです。
第二には、正本堂建立が広宣流布の達成であるとみなすことによって、実にさまざま数え切れない池田氏の謗法の姿が顕れるにいたったのです。いわば謗法の固まりの意味をもつようになったのです。たとえば、正本堂建立より後は、創価学会の活動の目的が、池田氏の天下取りへと変わっていったのです。
このような正本堂に戒壇の大御本尊様を御安置申し上げることはできるはずありません。
日蓮正宗はあなたを破門(はもん)したのではありません
あなたにお尋ねします。あなたは日蓮正宗から破門状を受け取られましたか。
受け取っていないはずです。「日蓮正宗があなたを破門した」というのは、創価学会があなたの日顕上人猊下に対する信頼感を失わせ、被害者意識をもたせるためのデマです。
この度の破門は二通りありあます。創価学会という団体の破門と池田xx氏個人の破門です。団体の破門とは、創価学会の活動や指導は日蓮正宗の信心ではないとするものです。創価学会員の中で、個人として破門されたのは池田xx氏ただひとりです。
あなたは平成9年11月30日までに日蓮正宗の信徒としての届け出をしなかったために、信徒(しんと)資格(しかく)をなくしているだけです。今からでも決して遅くはありません。日蓮正宗の寺院に信徒として信心することを申し出て手続きをすれば、信徒として大石寺(たいせきじ)参詣ができ、冠婚(かんこん)葬祭(そうさい)もしてもらえます。
池田xxただひとりの破門
池田xxはなぜ破門になったのでしょうか。
創価学会が宗教法人になる時の創価学会規則の第三条に
「この法人は、日蓮大聖人の一閻浮提総与の大曼陀羅を本尊とし、かたわら日蓮正宗の教旨をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成し、その他正法興隆・衆生済度の聖業に精進するための業務及びその他の事業を行うことを目的とする」
と規定しています。
その当時、さらに日蓮正宗と創価学会との間で三ヶ条の約束が交わされました。
一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること。
二、当山の教義を守ること。
三、三宝(仏・法・僧)を守ること。
学会規則と三ヶ条の約束を守られることを前提として学会が宗教法人になることを宗門は認めたのです。
ところが、池田xxは宗門との三ヶ条の約束を破り、その上あろうことか、創価学会規則をも反故(ほご)にしているのです。唯一、日蓮大聖人の正統である日蓮正宗に泥をかけ、僧俗和合を破壊し、広宣流布を妨害した元凶です。けじめをつける上から池田xxは破門。それによって結局、創価学会は本尊も教義ももない邪教団となったのです。
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from: 21世紀さん
2009年03月10日 10時49分44秒
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「Re:第二次創価学会問題」
3 本宗から退転し、正信会・顕正会・その他の宗教団体に所属していた者が、再び入信するむ場合の手続き
本宗から退転して、正信会・顕正会・その他の宗教団体に所属していた者が、再び本宗信徒として信心したい旨を願い出たときは、本宗寺院で御授戒を受けたことがあるか否かなど、本人及ぴ家族の信仰歴を聴取した上で、以下の手続きを行なう。(以下省略)
4 本宗信徒としての信仰歴がまったくない者が、新規に入講する場合の手続き
省略
5 『檀信徒名簿』の備え付けについて
院第2832号で通達した通り、従前の『壇徒名簿』・『信徒名簿』は廃止し、新しい『檀信徒名簿』を備え付ける。『檀信徒名簿』の登録事務については、別紙『檀信徒登録の手引き』にしたがって行なうこと。
『檀信健名簿』の用紙は宗務院所定の書式(B5版)を使用する。
10月1日以前の所属壇信徒については、本年12月31日までに登録を完了する。但し、創価学会員については、次の(3)にしたがって取り扱う。なお、10月1日以降に入信する者については、御本尊下付・御授戒・勧誡などの手続きが完了次第、その都度登録する。
創価学会員は、たとえ、従前の『檀徒名簿』・『信徒名簿』に登録されていた者であっても、創価学会を脱会して所属を解消し、勧誠を受けなければ、本宗信徒の資格がないから、登録してはいけない。
『檀信徒名簿』は、非公開となっているので住職主管の責任において適正に管理すること。
省略
6 墓地使用者(檀信徒資格を失った者)への対応
墓地の使用資格について(省略)
墓地使用権の承継について(省略)
墓石の新規建立について(省略)
典礼について(省略)
墓地管理料について(省略)
サイト管理者註:詳しくは本宗寺院・教会にお尋ね下さい。
7 納骨堂使用者(檀信徒資格を失った者)への対応
省略
サイト管理者註:詳しくは本宗寺院・教会にお尋ね下さい。
8 葬儀、法事などについて
平成9年12月1日以降、創価学会員は本宗信徒ではない。したがって、同日以降、創価学会貝に対しては、正信会・顕正会・その他の邪宗の徒と同様に、すべての面において本宗信徒としての扱いをしてはならない。葬儀・法事・塔婆回向なども、他宗謗法の者に対する宗門古来の化儀のあり方を遵守し、誇法厳誠を旨として対処すること。
9 各種法要の案内などについて
平成9年12月1日以降、彼岸会・孟蘭盆会などの各種法要の案内状は、『壇信徒名簿』に登録されている人以外の者に出してはいけない。特に、創価学会員に出すことのないよう留意すること。
10 『添書』の発行について
平成9年12月1日以降、創価学会員には本宗信徒の資格がない。したがって、同日以降、創価学会貝に、『登山御開扉願』(添書:てんしょ)を発行してはいけない。
11 御本尊に関する事項
折伏などで創価学会員宅へ行った際、その家の御本尊が本宗寺院で正規に下付された御本尊である場合でも、題目三唱などは一切行なわない。本宗の信心の血脈が断絶しているからである。
同一家庭に法華講員と創価学会員がおり、その家の御本尊が創価学会員に下付されたものである場合には、法華講員はその御本尊に向かって勤行や唱題をしない。この場合、自分の部屋があり、御本尊を御安置して護持できるのであれば、御本尊下付を願い出ることができる。それが不可能なときは内得信仰をすることになる。
以上
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2009年03月10日 10時45分52秒
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「Re:第二次創価学会問題」
資料29(宗規改正にともなう宗務行政措置要綱抜粋)
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院第2484号
平成9年11月25日
日蓮正宗宗務院(印)
全国寺院教会住職主管各位
宗規改正にともなう『宗務行政措置要綱』(通達)
(一部省略)・・・、住職主管各位には各院達の趣旨を十分にご理解の上、必要な措置を行なうとともに、12月1日以降における創価学会員への対応等についても、然るべく配慮されていることと存じます。・・・(中略)・・・ついては、12月1日以降における創価学会員への対応・その他の措置について、上記各院達の内容を併合して整理補訂し、別記の通り『宗務行政措置要項』をまとめました。住職主管各位にはよろしくご理解の上、12月1日以降はこの『要項』にしたがって必要な措置を実施し、法務その他の寺務を処理せられるよう通達いたします。・・・(以下省略)
宗規改正にともなう宗務行政措置要項
平成9年11月25日
日蓮正宗宗務院
平成9年12月1日以降、先に院第2830号(9月30日付)を以て通達した、本宗宗規一部改正(10月1日施行)にもとづく、諸般の法務及び寺務は、本要項によって執り行うこと。
1 基本事項
今回の宗規改正により、本宗の檀信徒が他の宗教団体に所属したときは、自動的に本宗檀信徒の資格を失い、除籍されることになった。また、改正施行日(10月1日)現在において、本宗檀信徒が本宗以外の宗教団体に所属している場合には、当該宗教団体の所属を解消し、11月30日までに本宗寺院教会へ申し出て住職主管の承認を受けなければ、本宗檀信徒としての資格を失うことが附則に規定された。
したがって、本年12月1日以降、本宗以外の宗教団体(宗教法人であるか、非宗教法人であるかを問わない)に所属している者は、すべて本宗の檀信徒ではない。(たとえ本宗の寺院で正規に御本尊を下付され、引き続き所持している者であっても、本宗以外の宗教団体にも所属しており、11月30日までに脱会・入講の手続きをしなかった者は、12月1日以降は本宗檀信徒の資格がないから、留意すること)。よって、本年12月1日以降、創価学会員をはじめ、本宗以外の宗教団体に所属している者は、邪宗謗法の徒として扱い、誇法厳誠の宗是にしたがって厳正に対処し、典礼等の法務や諸般の寺務については、すべて本要項にしたがって処理すること。
なお12月1日以降、「再折伏」という用語は一切使用せず、すべて「折伏」に統一する。(以下省略)
2 学会員が脱会し、入講する場合の手続き
創価学会を脱会(※サイト管理者註:平成9年12月1日の信徒除名処分措置以降に)し、本宗信徒として信心したい旨の願い出があったときは、『ニセ本尊』を受けているか否か、本宗寺院で御授戒を受けたことがあるか否かなど、本人及び家族の信仰歴を聴取した上で、それぞれ以下の手続きを行なう。
【2-A】 『ニセ本尊』を受けていない場合(本宗の寺院で正規に下付された御本尊を所持している場合)
創価学会を脱会したことを脱会届のコピーなどで確認する。(※サイト管理者註:未脱会ならば、その場で脱会手続きをする)
『誓約書』(A)を読み聞かせ、よく納得させた上で自筆で記入・署名・押印させる。家族も一緒に入講する場合、『誓約書』(A)は、必ず一人ずつ提出させる。
御授戒を受けたことがある者は、『勧誡願』を提出させて、勧誡(かんかい)を行なう。(※本宗での)御授戒(じゅかい)を受けたことがない者は、『御授戒願』を提出させて、御授戒を行なう。
「檀信徒名簿』に登録する。
本宗の寺院で正規に下付された御本尊は、そのまま護持せしめる。
【2-B】 『ニセ本尊』を受けていた場合
創価学会を脱会したことを脱会届のコピーなどで確認する。(※同上)
『ニセ本尊』は、本人が自分の手で謗法払い(焼却など)をすべきであるが、寺院で謗法払いをしてほしいと希望した場合には、必ず『念書』を提出させた上で、『ニセ本尊』を受け取ること。
『誓約書』(B)を読み聞かせ、よく納得させた上で自筆で記入・署名・押印させる。家族も一緒に入講する場合、『誓約書』(B)は、必ず一人ずつ提出させる。
『御本尊下付願』に必要事項を記入押印して提出させる。御本尊下付をせず内得信仰をする場合は、『勧誠願』を提出させ、後日御本尊下付を願い出た時、『御本尊下付願』を提出させる。
御本尊下付の際に、願主と一緒に御授戒又は勧誠を受ける家族は、『御授戒願』又は『勧誠願』を提出する必要はない。但し、別の日に、御授戒又は勧誡を受ける家族は、その時に『御授戒願』又は『勧誠願』を提出させる。なお、『誓約書』(B)も提出することになるので留意すること。
上記手続きを済ませた上で、勧誠((※本宗の)御授戒を受けていない者には御授戒)を行なう。
御本尊を下付する場含は、以上の手続きが済んでから下付する。
『檀信徒名簿』に登録する。
【2-C】 『ニセ本尊』は受けていないが、本宗の寺院で正規に下付された御本尊も所持していない場合(創価学会員ではあるが、御授戒を受けておらず、本宗信徒としての信仰歴が全くない者)
創価学会を脱会したことを脱会届のコピーなどで確認する。(※同上)
『誓約書』(A)を読み聞かせ、よく納得させた上で自筆で記入・署名・押印させる。家族も一緒に入講する場合、『誓約書』(A)は、必ず一人ずつ提出させる。
『御本尊下付願』に必要事項を記入押印して提出させる。御本尊下付をせず内得信仰をする場合は、『御授戒願』を提出させ、後日、御本尊下付を願い出た時、『御本尊下付願』を提出させる。
御本尊下付の際に、願主と一緒に御授戒を受ける家族は、『御授戒願』を提出する必要はない。但し、別の日に、御授戒を受ける家族は、その時に『御授戒願』を提出させる。なお、『誓約書』(A)も提出することになるので留意すること。
上記手続きを済ませた上で、御授戒を行なう。
御本尊を下付する場合は、御授戒が済んでから下付する。
『檀信徒名簿』に登録する。
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from: 21世紀さん
2009年03月10日 10時37分04秒
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「Re:第二次創価学会問題」
参考(藤本日潤総監の談話)
このたび、日蓮正宗宗規改正に伴い、本宗信徒が『日蓮正宗』以外の宗教団体に所属したときは、自動的に信徒資格を喪失することとなりました。謗法厳戒を旨とする日蓮正宗においては、むしろ当然のことと申すべきであります。
すなわち昭和27年、創価学会が宗教法人を設立した際、宗門は信徒団体である創価学会からの宗教法人格収得の強い願いを容れ、同会が宗教法人の認証を受けることを承認しました。以来同会は、日蓮正宗の信徒団体でありながら、別個の宗教法人として活動を行ってきたのであります。ところが近年創価学会は、日蓮正宗の信徒団体とは到底認めがたい教義上・信仰上の違背を犯し、再三の訓戒に対してもこれを改めようとしなかったため、平成3年11月28日、日蓮正宗は創価学会を団体として破門処分に付しました。これにより、同会は日蓮正宗の信徒団体の資格を失ったのであります。 しかし個々の創価学会員は、創価学会の法人設立時における本宗との約束により、入信時に本宗寺院所属の信徒となっております。すなわち創価学会員は、御受戒を受けた時点で、その寺院に所属する日蓮正宗信徒になると同時に学会員となったのであり、信徒として、日蓮正宗の教義を守り、日蓮正宗の三宝に帰依することが、創価学会の大原則だったのであります。したがって創価学会を破門処分にした後も、宗門は創価学会に所属している個々の会員については、日蓮正宗信徒としての資格を残したまま、一人ひとりが正しい信心に目覚める事を期待していたのであります。しかるに、その後も創価学会は『ニセ本尊』を作製販売するなど、誤りを反省するどころか平然と大謗法を犯しつづけ、会員に対して、『ニセ本尊』への交換の徹底をはかるなど、ますます謗法の度が深まっております。
よって今回、日蓮正宗は謗法厳戒の宗是の上から、また創価学会の謗法を呵嘖するために宗規を補正して、本宗信徒が謗法の団体に所属することを禁じたものであります。本年11月30日を過ぎると、日蓮正宗の信徒でありながら、創価学会等の謗法の団体に所属している者は、本宗信徒の資格を失うことになります。自他の成仏のため一刻も早く、創価学会を脱会され、正しい信心に帰されることを哀心より祈るものであります。
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C.F. 大白法 平成9年10月1日付 号外
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from: 21世紀さん
2009年03月10日 10時29分57秒
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「Re:Re:第二次創価学会問題」
資料28(信徒資格の喪失に関する呼び掛け)
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日 蓮 正 宗 宗 務 院
平成九年十月一日
くわしいことは `本宗の寺院教会へお尋ねください °
して清浄な信心を貫かれるよう `心から念願します °
今こそ創価学会の悪縁を断ち切り `日蓮正宗信徒と
の道を閉ざしてしまうのはあまりにも愚かです °
創価学会にこのまま所属し `さらに謗法を重ねて成仏
┐ニセ本尊└ を作製するなど `完全に邪教と化した
脱会して本宗の寺院教会に申し出てください °
日蓮正宗の信仰を続けたい人は `今すぐ創価学会を
宗の信徒資格が消滅します °
一月三十日までに創価学会を脱会しなければ `日蓮正
したがって `創価学会に所属している人は `本年十
徒団体ではありません °
創価学会は宗門から破門され `すでに日蓮正宗の信
信徒資格を失うことになりました °
檀信徒が他の宗教団体へ所属したときは `自動的に檀
このたび `日蓮正宗の宗規が改正され `日蓮正宗の
創価学会員のみなさんへ
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※この文章は、日蓮正宗の各寺院・教会に掲載された他、日蓮正宗・法華講の機関紙に掲載され、さらに末寺より住所の判明している学会員宅に葉書によって郵送された。
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from: 21世紀さん
2009年03月10日 10時27分04秒
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「Re:第二次創価学会問題」
四、宗改法人「創価学会」の解散手読さを求める
ところが、その後も創価学会規則第三条には、依然として、「日蓮正宗の教義に基づき、弘教および儀式行事を行ない」とうたっております。
よって、日蓮正宗は、今回の宗教法人法改正により、宗教法人「創価学会」の所轄庁が、東京都知事から文部大臣に変更せられたこの時に当たリ、文部大臣に対し、速やかに宗教法人「創価学会」の解散手続をとられるよう求めるものであり、直ちにこれが実施できないものとすれば、少なくとも、規則の変更措置をとられるよう強く要請するむのであリます。
以上
平成8年(1996年)11月18日
静岡県富士宮市 宗教法人日蓮正宗
代表役員(管長) 阿 部 日 顕(印)
責任役員(総監) 藤 本 日 潤(印)
責任役員(重役) 吉 田 日 勇(印)
他別紙720名
文部大臣 小 杉 隆 殿
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参考(藤本日潤総監の談話)
このたび、日蓮正宗においては文部大臣に対し、創価学会が宗教法人としての資格を欠落した団体であるので、法の定めるところにより、文部大臣の権限を行争使して、裁判所に創価学会の解散の手続きを取ることを求める「意見書」を提出いたしました。
元々創価学会は、日蓮正宗の教義を信奉する信徒団体の一つに過ぎませんでした。信徒団体の一つである創価学会は、本来宗教法人となり得ないものであるところ、その活動に便ならしめるためと、日蓮正宗の外護のためとして、特に日蓮正宗の許可を得て、昭和27年東京都知事に認証を申請し、例外的に宗教法人となり得たものであります。
ところが近年に至り、創価学会は日蓮正宗の教義信仰に違背し、宗門の再三の訓戒に対しても全く反省を示さないぱかりか、反って日顕上人及び宗門を誹謗中傷して憚らず、日蓮正宗の信徒団体として到底認められない状態に立ち至ったため、平成3年11月7日、日蓮正宗は創価学会に対し解散を勧告したのでありますが、創価学会はこれを無視し益々法主上人や宗門への誹諺中傷を繰り返しました。
右の経過をふまえ同月28日、宗門は創価学会を破門処分に付しましたこれにより、創価学会はその目的である「日蓮正宗の教義に基づき、弘教および儀式行事を行な」うための依って立つ基盤を失ない、宗教法人としての資格を欠落するに至ったのであります。その後も創価学会は、日蓮正宗への誹謗中傷を執拗且つ熾烈に反復累行して日蓮正宗の布教を妨害し、宗教団体としてあるまじき悪行を繰り返しております。
よって日蓮正宗は、今回の宗教法人法改正により、創価学会の所轄庁が東京都知事から文部大臣に変更せられたこの時に当たり、文部大臣に対し宗教法人「創価学会」の解散を裁判所に求められるよう要請する旨、またこれが直ちに実施できなければ、少なくとも創価学会の規則を変更せしめる措置を取られるよう強く要請する旨の意見書を提出するに至った次第であります。
なお、今後創価学会という団体は、永久に日蓮正宗に復することができませんが、創価学会員の一人ひとりは、正しい信心に目覚めれぱ、いつでも日蓮正宗寺院へ申し出ることにより復帰することができることを申し添えておきます。
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from: 21世紀さん
2009年03月10日 10時24分24秒
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「Re::第二次創価学会問題」
資料27(創価学会の法定解散を求める意見書)
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意 見 書
宗教法人「日蓮正宗」は、宗教法人「創価学会」の宗教団体としての不適格性につき、左記のごとく意見を申し述べます。
一、創価学会は、目蓮正宗の信徒団体であることを大前提に、特に、例外的に宗教法人格を取得した
創価学会は、初め創価教育学会として発足し、その後日蓮正宗の信徒団体となりました。同会は、昭和20年に創価学会として再建し、宗教法人法施行にともない、日蓮正宗の信徒団体でありながら、昭和27年8月27日付をもって、東京都知事より、特に、例外的に宗教法人「創価学会」として認証され、同年9月8日に宗教法人の設立登記を完了しております。
この宗教法人設立に際し、創価学会は、「日蓮正宗の信徒団体であることを前提としたうえで、創価学会を新たに宗教法人として設立し」、「日蓮正宗を外護してその興隆をはか」(改訂版創価学会入門・321頁・戸田城聖第二代会長)ることを目的としたのであリます。
二、創価学会は、固有の教義を持たない信徒団体
創価学会の絶対的指導者である池田xx第三代会長は、昭和35年5月3日、会長就任にあたり「申すまでもなく、わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります」(会長講演集第1巻・1頁)と創価学会は日蓮正宗の信徒団体であることを確認し、「創価学会は、日蓮正宗の教義を根本に」「まい進してきた」(昭和58年5月15日付・聖教新聞)と明言しています。
さらに、秋谷栄之助現創価学会会長は、昭和37年「創価学会に問う」と題する座談会で、創価学会は「日蓮正宗の信者の団体です。」「創価学会は、この日蓮正宗を信仰している信者が集まってつくっている組織です。日蓮正宗の末寺は日本全国にありますが、その末寺に会員はそれぞれ信者として所属している。わかりやすくいうと、よくお寺などに、何々講というものがあって、その講中に信者が集まり、お互いに信仰上の研鑚をつんでいくわけですが、その形が全国組織になったものです。ですから創価学会そのものの特別な教義というものはありません」(中央公論昭和37年8月特別号・290頁)と明確に、創価学会は日蓮正宗の信徒団体であり、独自の教義は無いと述べています。
すなわち創価学会が、規則第三条(目的)に規定している、本尊・教義は全て日蓮正宗固有のものであります。
その規則第三条に、「日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき」と規定されていますが、この本尊は、日蓮正宗総本山大石寺に安置されており、教義は、日蓮正宗固有の教義であり、宗教法人「日蓮正宗」及びその被包括法人が本尊・教義としているものであります。
この点について、かつて文部省宗教局に勤務し、在職中、宗教団体法・宗教法人令・宗教法人法の立案・施行・運営にたずさわっていた井上恵行博士は、その著「宗教法人法の墓礎的研究」において、「創価学会は、法人法にいう『宗教団体』ではない、したがって法人法にいう『宗教法人』にはなれない、ということを、創価学会みずからが説明している」(335頁)と、創価学会が一信徒団体(講中)であり、宗教団体の要件である「宗教の教義」を欠く団体である以上、本来宗教法人にはなれないと明言しています。
三、創価学会に宗教法人法上の適格性なし
宗教法人法第12条第2項第1号規定の「目的」とは、「宗教法人となった場合の、宗教団体自体の目的、すなわち教義の宣布、儀式行事の執行及び信者の教化育成をいう。ただしかし、この目的は、宗教法人法が宗教団体を定義するために、その一般的要件として集約したもの」であり、したがって、規則には「宗教団体そのものの主目的たる宗教目的、その他の目的を達成するための業務及び事業を具体的に記すべき」(大宮荘策博士著・宗教法人法原論・93頁)であるところ、創価学会では、創価学会自体のその目的を、規則第三条(目的)に「日蓮正宗の教義に基づき」と規定しているのであります。
このことは、創価学会が、本来「日蓮正宗の教義に基づ」いて、宗教活動を行わなけれぱならないことを定めたものであり、その本質は日蓮正宗の内部信徒団体であることを明示しています。しかし、近年に至り、創価学会は、日蓮正宗の教義信仰に著しく違背し、再三の訓戒にもかかわらず、全く改めないため、平成3年11月28日、日蓮正宗から破門され、日蓮正宗の信徒団体でなくなりました。これにより、創価学会は、宗教法人法第二条に定める宗教団体としての構成要件のなかの「ひろめ」るべき「宗教の教義」を失ったこととなり、宗教法人法上の団体としての適格性を明らかに欠くに至ったものであります。
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from: 21世紀さん
2009年03月10日 10時20分07秒
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「Re:Re:第二次創価学会問題」
資料 26(宗門から学会員宅へ郵送された創価学会破折の葉書①②③④⑤⑥)
最近、創価学会では日寛上人の御本尊を複写して配っています。これは仏法上、大謗法であり、複写されたものは「ニセ本尊」です。これを拝めば、必ず現罰を受けます。
聖教新聞には「法主の許可や開眼などは無用、日寛上人の御本尊をニセ本尊という宗門こそ謗法だ」などと幼稚な言いわけをしていますが、草創期の学会員が学んだ『折伏経典』に、
「富士大石寺にそむく謗法の輩(やから)がもつ御真筆の御本尊には、大聖人の御たましいは住まわれるわけがない」
とあります。
それでもあなたは、御法主上人と大石寺にそむく創価学会が造ったニセ本尊を拝むことができますか。①
現在、創価学会は、唯授一人の血脈否定し、ニセ本尊を作製・配布しておりますが、 第二代戸田会長は「御法主上人は(略)私どもに、もったいなくも師匠として大聖人そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳が出てくる」(講演集下・164)と信心の原点を指導しています。
学会のニセ本尊は、日寛上人の御本尊を勝手にコピーしたものであって、決して「日寛上人の御本尊」ではありません。それどころか日寛上人の御心にそむく大謗法の本尊なのです。
いずれあなたも堕地獄のニセ本尊を拝まされますよ。
邪教創価学会から一日も早く脱会することをお勧めします。②
第二代会長は、御本尊について次のように指導しています。「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。(略)だからコワイ。」(大白蓮華、第九九号)
現在の創価学会は、戸田会長の指導にそむき、「われわれは作るわけにはゆかない」二セ本尊を勝手な理由をつけて製造販売しています。どんな理由をつけても謗法は謗法です。御法主上人の許可のないニセ本尊を作った創価学会はもはや「仏立宗や身延」と変わらない邪宗です。邪宗の「魔性」とは、福徳を奪い地獄に落すはたらきのことです。皆さんは日蓮正宗の信徒です。組織のいやがらせなど恐れず、今こそ勇気をもって邪教創価学会を脱会しましょう。③
正しい信心は、仏さまの金言にしたがうことが基本です。
日蓮大聖人は『如説修行抄』に、「仏法を修行せんには人の言を用う可(べか)らず只(ただ)仰いで仏の金言をまほ(守)るべきなり」と仰せです。
現在、創価学会員は、世法の名誉と権力に迷執する池田名誉会長に盲従し、御金言に背いて御法主上人誹謗の大罪を犯しています。
また学会でいう「大聖人直結」の思想は、唯授一人の血脈相伝と御歴代上人を否定し、日興上人の教えにも反する大謗法の邪説です。
学会の独立路線は、昭和49年6月、池田会長にあてた北条文書に「長期的に見れば(宗門と)うまくわかれる以外にない」とあるように、20年前から宗門や会員に隠して計画を実行されてきました。これまで学会本部が進めてきた墓園計画・法主誹謗・経本改変・ニセ本尊作成などは、すべて独立路線の一環なのです。
会員は、これにうまく乗せられているです。他人の郵便物を平然と回収するような狂気の謗法集団から早く脱会すべきです。④
今回、創価学会は、立正佼成会に対し、和解を働きかけていたことが明らかとなりました。学会ではこれにつき、「世界平和のために、異なった宗教が互いに対話していくべき時代」(聖教新聞2・28、秋谷会長と語る)などと弁解しています。しかし今回の和解工作は、「平和の為の対話」の美名のもとに、池田創価学会の宗教団体としての在り方への厳しい批判と、各方面からの追求を回避するためであることは明白です。
創価学会は、本門戒壇の大御本尊と、日蓮正宗の御法主上人に背き、破門された仏法破壊団体です。すでに信仰の根本が狂っていますから、新興宗教の立正佼成会と手を結ぶなどという、宗祖日蓮大聖人、二祖日興上人の謗法厳戒の御精神に背く、大謗法を平気で犯すのです。
今なお創価学会に所属している日蓮正宗信徒の皆様は、その恐ろしさに早く気づくべきです。それは創価学会員であること自体が、際限のないだい謗法に与同していることだからです。御書に照らしても、その行きつく先が無間地獄であることは明らかなのです。一刻も早く、日蓮正宗の寺院へ帰参し、正しい信心に就きましょう。⑤
このたび、創価学会は「他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく」「宗門の拘束を離れた今、私たちは他の宗教と協力することに努力する」旨の発表をしました。これは日蓮大聖人の「『慈無くして詐(いつわ)り親しむは即ち是れ彼が怨(あだ)なり』の重か脱(のが)れ難し」との御聖かいにあたる謗法行為であることは明白です。
また聖教新聞では「日蓮大聖人の『四箇の格言』は、仏教各派が『真の民衆の幸福のため』という根本目的から逸脱していることを戒めたもの」(趣意)と説明していますが、「四箇の格言」は日蓮大聖人が衆生救済の大慈悲の上から、諸宗の根本的邪義をただされたものであり、「逸脱を戒めた」という見解は日蓮大聖人の御精神を甚だしく歪めたものです。
先に三宝破壊・ニセ本尊販売という大謗法を犯した創価学会は、いまや邪宗教と手をにぎるという無節操な迷盲集団に成り下がりました。
会員の皆様には、魔の教団と化した創価学会によるマインドコントロールから一刻も早く目覚め、正法正義に戻られるようお祈りします。⑥
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2009年03月10日 10時14分52秒
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「Re:第二次創価学会問題」
資料25(池田xx信徒除名処分通知書)
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通 知 書
日蓮正宗大願寺信徒
池 田 x x
今般、日蓮正宗宗規に基づき、貴殿を信徒除名処分に付したのでここに通告する。
貴殿は、東京第二布教区管内の大願寺信徒であったが、最近の各種会合における貴殿の発言を調査したところ、本宗宗規第229条及び第230条に墓づき、貴殿を信徒除名処分に付すべきが相当と判断した。
そこで、貴殿に対して7月4日付で通知書を送付し、通知書到着後30日以内に、当職宛に弁疏の書面を提出するよう通知した。
しかるに、期日(8月3日)を経過した8月4日に至るも、貴殿からは弁疏の書面の提出がなく、何らの意思表示もなかった。
よって貴殿には、自已の行為についての指摘事実を全面的に認め、何らの弁疏を申し立てる意思もないものと判断し、所定の手続きを経て貴殿を信徒除名処分に付し、本通告に及ぷものである。
これにより、貴殿は日蓮正宗信徒の地位を喪失し、今後信徒としての一切の権利を行使できなくなったことを念告する。
平成4年7月4日
東京都杉並区西荻北2丁目29番12号
日 蓮 正 宗 佛 乗 寺
東京第二布教区宗務支院長
高 橋 信 興 (印)
東京都新宿区信濃町32番地
創 価 学 会 本 部
池 田 x x 殿
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※サイト管理者註:
これまでの謗法を反省懺悔し、日蓮正宗の寺院で勧誡を受けることによって、一信徒としてやり直すことは可能である。池田xxとて例外ではない。
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from: 21世紀さん
2009年03月10日 10時08分52秒
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「Re:第二次創価学会問題」
第二 該当規定
第一の1より7の事実について、
1の事実は、 日蓮正宗宗規第229条第1号「宗綱に違反し、異説を主張して、他の信仰を妨害したとき」、第2号「宗制宗規または宗門の公式決定に違背し、宗内を乱したとき」、第4号「総本山の維持保存を妨害し、或は『山法山規』を乱したとき」、第五号「言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀、讒謗したとき」に、
2の事実は、 日蓮正宗宗規第229条第1号、第5号に、
3の事実は、 日蓮正宗宗規第229条第1号、第5号、第10号「本宗僧侶並びに寺族に対し、横暴の文書、図画並びに言動を為し、或は侮辱したとき」に、
4の事実は、 日蓮正宗宗規第229条第1号、第5号、第10号に、
5の事実は、 日蓮正宗宗規第229条第1号、第5号に、
6の事実は、 日蓮正宗宗規第229条第1号、第5号、第10号に、
7の事実は、 日蓮正宗宗規第229条第1号、第5号に、
それぞれ該当する。
第三 証 拠
「第一 該当事実」掲記の各聖教新聞。
第四 情 状
貴殿は、本宗より破門に処された創価学会及びSGIの最高指導責任者である。昭和54年4月、会長を退き名誉会長となったが、今なお破門された創価学会及びSGIにおいて絶対的な立場にあり、貴殿の言動が同会会員(本宗信徒)に、重大な影響を与える地位にあることは明白である。
そもそも本宗は、宗祖日蓮大聖人を末法本因下種の本仏と仰ぎ、宗祖大聖人の出世の本懐たる三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊を信仰の主体とし、またそれに墓づ<化儀・化法の一切を、宗祖大聖人以来の唯授一人の血脈相承によって正しく相伝するとともに、血脈付法の法主上人の指南に基づいて信行に励み広宣流布に邁進してきた、700年の歴史と伝統を持つ大聖人正系の宗教団体である。したがって本宗信徒たる者は、すべからく右を信仰の基本としなければならない。しかるに、本門戒壇の大御本尊のまします総本山を誹謗中傷したり、唯授一人の血脈を無視した「大聖人直結」を主張したり、法主上人の指南に背いて誹毀讒謗し、多数の信徒を誑惑するならは、それは本宗信仰の根幹に背反する異端・異流義となり、無間大坑に堕する不信大謗法の大逆行為となるのである。
貴殿は、「学会が主、宗門が従」との本末転倒の思想を元とした、創価学会の昭和五二年路線といわれる逸脱の原因が、最高指導責任者たる貴殿白身の慢心に墓づく指導にあったことを率直に認め、深く反省懺悔し、昭和54年4月26日、総講頭を辞任した。特に、創価学会が一連の教義逸脱を反省確認した、昭和53年6月30日付聖教新聞紙上の「教学上の基本間題について(「六・三〇」)」に対して、貴殿は、昭和55年4月2日付同紙上における「恩師の二十三回忌に思う」と題する所感で、「絶対に踏み違えてはならない重要な規範」であり、「この徹底を怠ってはならない」と明確に述べた。
しかるに、貴殿自身、平成2年11月28日の第35回本部幹部会において、法主上人及び本宗僧侶に対して誹謗し、また昭和五二年路線の反省誓約を破棄した。その上、現在では、「六・三〇」の規範に違背した発言を盛んに行ない、例えば本宗相伝の唯授一人の血脈義を無視した「大聖人直結」を高言するなど、自身、その反省誓約を率先して破棄している。しかも、聖教新聞・創価新報等に掲載された諸種の本宗誹謗の記事に関して、貴殿は、最高指導責任者であるにもかかわらず、何らの是正も行なわなかったばかりか、平成4年1月17日付聖教新聞紙上で、同月15日創価国際友好会館における、全国青年部幹部会、東京の新宿・港合同総会のスピーチとして、
御書の通り、法華経の通りに実践する。経文の上から、道理の上から、『正義』を堂々と主張する-それは慢心でも何でもない。それを妬んで、“破門”などする者こそ、大慢心であり、大増上慢なのである。それは、“御書と経文を否定した”ことになるからだ。
大聖人の御遺命通り、広宣流布へ向かって、自行化他にわたって題目を唱えている-それが創価学会員である。御書と経文に照らして『地涌の菩薩』に決まっているのである。この『地涌の出現』を切り捨てるということは、地涌の菩薩の『上首』(最高指導者)であられる御本仏・日蓮大聖人への大反逆である。宗門は大聖人に矢を放ったのである。仏法上、これ以上の極重罪はない(大拍手)。
と述べ、本宗が、宗開両祖以来、七百年伝統の法義・信仰を厳護するために行なった創価学会破門処分に反抗し、本宗に対して「大慢心」「大増上慢」「御書と経文を否定した」「御本仏・日蓮大聖人への大反逆」「大聖人に矢を放った」「極重罪」等と誹謗するなど、自身、ますます増長の度を加えている。
貴殿の本宗の法義・信仰への違背は、現在に至るまで、右第一の該当事実の1から7以外にも、法偏重の謬った本尊義をはじめ、化儀に対する軽視・蔑視、たび重なる法主上人及び本宗僧俗を中傷する発言等、枚挙にいとまがない。
あまつさえ、本門戒壇を軽視・蔑視した発言、また正本堂の意義付けに関する発言に対しては、教義に関する正否の裁定権を有する法主上人が、平成3年3月9日付書面等によって宗内僧俗に教示され、厳しく指摘されたが、貴殿には、現在に至るまで何らの反省懺悔の姿が見られない。
さらに、平成4年5月5日付聖教新聞紙上で、同月3日創価大学記念講堂における五・三記念勤行会のスピーチでは、
今の宗門は正反対の姿に堕落してしまった。“金欲”と“信徒蔑視”に凝り固まった、極悪の教団と化してしまった。悲しいことであるが、極悪とは、断じて戦う以外にない。皆さまは、『正邪』を鋭く見破り、強くまた強く、邪悪と戦い抜いていただきたい(大拍手)。
などと誹謗して、自身、多くの信徒を煽動し、著しく混乱させている。
本宗発展にかかる貴殿の過去における責献がいかに顕著であったとしても、創価学会及びSGIの破門に至る貴殿の指導責任はもとより、破門以降における貴殿の一片の反省懺悔すら見られない無慚無愧の右該当事実及びその情状を勘案した場合、この際、信仰の筋目の上からその非違を正さなければ、さらに多くの檀信徒は惑わされ、本宗伝統の清浄な宗風がますます汚され、宗祖日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布の進展が著しく妨げられることになる。
右により、貴殿に対しては、信徒除名処分を相当と判断して、本通知に及ぶ。
以上
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2009年03月10日 09時53分26秒
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「Re:第二次創価学会問題」
資料24(池田xx信徒除名処分に関わる通知書)
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通 知 書
東京都新宿区信濃町32番地 創価学会本部
日蓮正宗大願寺信徒 池 田 x x
昭和3年1月2日生
今般、貴殿の最近の各種会合における発言を調査したところ、左記理由によって、貴殿を本宗宗規第229条及び第230条に基づき、信徒除名処分に付すべきが相当と判断する。
よって、貴殿に対し弁疏の機会を与えるので、本通知書到着後30日以内に到達するよう、当職宛て弁疏の書面を提出せられたい。
平成4年7月4日
東京都杉並区西荻北2丁目29番12号
日蓮正宗佛乗寺
東京第二布教区宗務支院長 高 橋 信 興(印)
池 田 xx 殿
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記
理 由
第一 該当事実
貴殿は、日蓮正宗大願寺信徒であり、平成3年11月28日付をもって本宗より破門に処された創価学会及びSGI(創価学会インタナショナル)の最高指導責任者であるが、
平成4年2月29日付聖教新聞紙上で、同月27日沖縄池田平和会館における、第1回アジア総会・平和音楽祭、第51回本部幹部会、第2回沖縄県総会のスピーチとして、
現在、日顕宗は、世界中の、あらゆる仏子を苦しめ迫害している。ゆえに我らは、大聖人の仰せのごとく、断固として、これらの魔軍と戦わねばならない。
と本宗を「日顕宗」「魔軍」等と極言して宗綱に違反し、異説を主張して他の信仰を妨害し、法主上人を誹謗した。さらに、
インドである方が言われていた。“総本山に参詣しなければ功徳がない”という宗門の主張は、道理からいっても、まったく意味をなさない-。…仏法に照らしてはもちろん、世法の常識に照らしても、まことに滑稽な、笑い話のような主張である。すべて黒い意図による己義であり邪義である。(大拍手)
と述べ、信仰の中心道場たる総本山を外護すべき檀信徒としての義務に違背し、宗内を乱し、総本山の維持保存を妨害した。
平成4年3月30日付聖教新聞紙上で、同月29日創価大学記念講堂における、四・二記念合唱祭、第二東京総会のスピーチとして、
大聖人に反逆する『極悪』の日顕宗とは戦う以外にない。
と本宗を「『極悪』の日顕宗」などと極言して宗綱に違反し、異説を主張して他の信仰を妨害し、法主上人を誹謗した。
平成4年4月28日付聖教新聞紙上で、同月26日中部池田記念講堂における、第53回本部幹部会、第8回中部総会のスピーチとして、
日顕宗の寺院は天魔の住処、魔窟になってしまった。私どもの供養した寺院である。天魔は追放せねばならない。(大拍手)
と本宗を「日顕宗」などと極言して宗綱に違反し、異説を主張して他の信仰を妨害し、法主上人を誹謗し、かつ本宗僧侶を「天魔」と悪罵し、侮辱した。
平成4年4月30日付聖教新聞紙上で、同月28日中部文化会館における、四・二八立宗の日記念勤行会のスピーチとして、
『貧欲の奴隷』になってしまえば、もはや真の『人間』ではないのである。その好例が日顕宗の僧である。(大拍手)
と本宗を「日顕宗」などと極言して宗綱に違反し、異説を主張して他の信仰を妨害し、法主上人及び本宗僧侶を「貧欲の奴隷」「日顕宗の僧」等と誹謗中傷し、侮辱した。
平成4年5月5日付聖教新聞紙上で、同月3日創価大学記念講堂における、五・三記念勤行会のスピーチとして、戸田二代会長の発言を紹介し、
学会員は、四味三教の極位(=法華以前の教えにおける最高の位の者)や、諸宗の元祖より、百千万億借勝れた大菩薩であると、御聖訓のうえから、断言されている(大拍手)。……近年、出現した大聖人違背・大聖人利用の日顕宗の“元祖”などは、比較にもならない。(爆笑・大拍手)
と述べ、本宗を「日顕宗」などと極言して宗綱に違反し、異説を主張して他の信仰を妨害し、法主上人を「大聖人違背・大聖人利用の“元祖”」などと誹謗した。
平成4年5月22日付聖教新聞紙上で、同月20日関西戸田記念講堂における、第14回関西総会、第54回本部幹部会のスピーチとして、
現在、私どもの前には、日向以上の『大聖人否定』の邪僧が出現している。釈尊に師敵対した提婆達多の『化身』のような極悪の法主であり、“提婆の宗”-『提婆宗』となってしまった。日興上人のお心を継ぐ私どもは、断じて戦わねばならない。悪人を追放せねばならない。
日興上人の身延離山から、ちようど700年-。今、私どもも日興上人の護法の精神の通り、勇敢に極悪の“不法の法主”と戦っている。
法主を筆頭に一宗あげて悪行乱行の限りを尽くす日顕宗-これほど法を下げ、大聖人を辱めている輩はない。
私どもも、日顕宗の極悪を永遠に許さない。忘れてもならない。歴史の上に、『真実』を残さねばならない。だからこそ、庶民の怒りを込めて、悪行を公にし、すべてを記録しておくのである。後世の教訓のために、民衆が二度とたぶらかされないために。
一番大切なのは広宣流布である。その広布を推進する学会を信頼し、たたえられた日淳上人。反対に学会の壊滅を狙い、広布の前進を阻む日顕。『正師と邪師』『善師と悪師』『大善と極悪』-全く対極の存在である。
今また、『邪曲なる宗教』と化した日顕宗を『排除』するために、正邪を糺す戦いをしているのも学会である。
等と、本宗を「提婆宗」「日顕宗」等と極言して宗綱に遠反し、異説を主張して他の信仰を妨害し、法主上人を「日向以上の『大聖人否定』の邪僧」「提婆達多の『化身』のような極悪の法主」「極悪の“不法の法主”」「邪師」「悪師」「極悪」等と誹謗した。さらに、
謗法の現宗門には、大聖人からの成仏の血脈は完全に切れている。堕地獄の宗門となってしまった。これに従う人々も、御書に照らし、同罪である。
と述べ、本宗相伝の血脈義を否定し、しかも「堕地獄の宗門」と悪罵して、本宗僧俗を誹謗中傷し、侮辱した。
平成4年6月4日付聖教新聞紙上で、同月2日創価国際友好会館における、第32回全国婦人部幹部会、第55回本部幹部会のスピーチとして、
今回の問題でも、日顕宗がいかにおどし、騒ごうとも、創価学会は賢明であったがゆえに、微動だにしない。
と本宗を「日顕宗」と極言して宗綱に違反し、異説を主張して他の信仰を妨害し、法主上人を誹謗した。
以上、貴殿は、多数の本宗信徒を対象として、本宗宗綱に違反し、異説を主張して他の信仰を妨害し、宗制宗規に違背して宗内を乱し、総本山の維持保存を妨害し、法主上人及び本宗僧侶を誹謗または侮辱したものである。
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from: 21世紀さん
2009年03月10日 09時40分44秒
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「Re:第二次創価学会問題」
(二)学会お得意の切り文引用とその真意の歪曲
秋谷の引用した日淳上人のお言葉は、御登座9年前の昭和22年10月『宗報』に掲載された「日蓮聖人と法華経」という論文の中にある。しかし、これがまた切り文引用で、日淳上人の真意を歪曲したものなのである。まず、「聖人の教義はあくまで聖人の御書に依て判断せられねばならない」との御発言の原点を挙げれば、
聖人の教義を正しく領解し奉るには先ず此の立場が批判されねばならない。法華経は仏教の教典中最勝第一であるとし、此れを鉄則として、聖人の教義を此の眼で見て、御一代の弘教を会通し法華経の要約と敷衍とにあると考えることは、聖人の教学において正しい立場とは言えない。聖人の教義はあくまで聖人の御書に依って判断せられねばならない。 (日淳上人全集 884ページ)
である。また、「聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によって決定されねばならない」との御発言は、
二祖日興上人が『聖人の御抄を心肝に染め、極理を師伝して若し間あらば台家を聞くべきこと』と、御遺誡置文に仰せられたが、学者は先ずその態度をはっきり決定して、法門を学ぶべきと教えられたもので、当時門下に置いて天台を学び、その教学を中心として、聖人の教学に臨むという風があったのにたいする御誡めである。聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によって決定されねばならない。 (同885ページ)
である。日淳上人は、御書と法華経との対比、大聖人の教義と天台の注釈との対比の上から大聖人の教義に臨む心構えを示し、他門徒のあり方を批判されたのである。すなわち日興上人の、
当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事。 (全集 1618ページ)
との仰せを引かれて、大聖人の門下であるならば、釈尊の法華経を敷衍(ふえん)するために御書を拝したり、台家の教義を基礎として御書を拝してはならない。ただちに御書に徹して大聖人の教義を拝し、さらに極理を師伝すべきであるという趣旨なのである。そのため、日淳上人は昭和12年5月、「物には序あり」との論文の中で、
ただしかし、世人は妙法蓮華経と日蓮大聖人の尊きをいふも漫然妙法蓮華経を読み大聖人の御書を拝読しをるがためにその御真意に正しく到達することができない様である。既に大聖人は此経は相伝によらずんば知りがたしと仰せられて相伝の鍵をもたずに此経ん扉を開くことはできないとせられてをる。その鍵こそ日蓮大聖人の御教である。しかして又大聖人の御教に於てはその御教の扉を開くべき鍵がある。大聖人の御書四百数十篇此れ等の御書はそれぞれの機根に応じて御教示なされた法門であるが故に一律一様に拝することはできない。(中略)ここに於いて大聖人は御入滅に際し御弟子中日興上人を抜んでられて付弟となし給ひ御入滅の大導師たるべしと定めさせられ、若し此れに背くものは非法の衆たるべしと掟てせられたのである。 (日淳上人全集 159ページ)
と、まさに相伝に依らなければ、到底、御書の真意に到達できないとも仰せられているのである。邪教学会にとっては、非常に煙たい御指南であろう。したがって、秋谷の引用した日淳上人の御指南も、決して秋谷の指向するような、血脈を無視して単に現存する御書によってのみ大聖人の教義のすべてが判断される、などという意味のものではないのである。大聖人の教義は、高野法雄師の述べるごとく、ただ御書を広く濫読(らんどく)すればよいというものではない。必ず血脈によって「師伝」しなければ、その真意に達することはできないのである。邪教学会の幹部らによって、ことあるたびにその意を曲げて引用される日淳上人も、さぞお嘆きであろう。
(三)秋谷栄之助のカラクリを暴く
天魔に魅入られた秋谷は、高野法雄師が「御書部分論」を主張しているとこじつけるために、日興上人の「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して」(全集 1618ページ)との御遺誡を引用している。しかし、秋谷はこの御文を挙げた上で、「日興上人は大聖人の枢要な法門をあたまたず後世に伝えるために、五大部、十大部を定められ、この置文を残されたのであり、御書に大聖人の法門の根幹が網羅されているのは明らかである」と、ただ「御書を心肝に染め」の部分を強調するのみで、「極理を師伝して」の部分については、一切、触れていない。
そもそも、この「御書を心肝に染め極理を師伝して」との御遺誡について、日淳上人は「教学研鑽の態度」と題して、
日興上人の御遺誡に曰く、『御書を心肝に染め極理を師伝し、若し暇あらば台家を学ぶべきこと』と、此れ実に聖祖の教義研鑽の羅針盤たるなり。求道者にして若し此大途を踏みはづさば遂に祖教に体達するを得ざるなり。御書を心肝に染めざれば聖祖の御霊格に親炙(しんしゃ)し奉るを得ず。而して極理を師伝せざれば我見に堕するを免れず。此二途を完うして智見初めて具はるを得る然るに古来聖祖門下に於て御書を手にすることを知つて、極理の師伝を知らずこれを忽(ゆる)がせにするもののみを見る、此れが為に我見に堕して救ふべからざるに至る誠に嘆ずべきである。 (日淳上人全集 45ページ)
と、相伝によって御書を拝すべきことを強調されている。また、御先師日達上人は、
大石寺門流は大聖人からの相伝の宗旨であるから、御書を十分に心に留め、その文底の法門は、歴代の法主が相承している法門の至極の理は師から教わり、かりにも己義をかまえてはならない。 (略解日興上人遺誡置文 10ページ)
と御指南されている。すなわち、大聖人の仏法を信仰するものは、御書を心肝に染めることはもとよりさらに大聖人の御内証をお受けあそばされた御法主上人を仏法の師匠とする師弟相対の道を尊重して、文底の法門を信をもって拝してこそ、真に大聖人の御教えに到達できるのである。しかるに、秋谷は、「極理を師伝して」との御文を引用していながら、この重要なことには全く触れていない。それどころか、「極理を師伝して」との御文の重要性を述べた高野法雄師の発言を、反対に歪曲して誹謗しているのである。何と愚かしい行為であろうか。
とにかく大聖人の門下には、古来、御書を通読・濫読して、大聖人の教えに到達したとか悟りを得たなどと、「未得謂得未証謂証」の大慢心を起こす輩が多くいるものである。遠くは大聖人に敵対した五老僧とその門下がおり、近くは妙信講や正信会の徒輩がいたこれらの者どもも御書を読んでいたはずであるが、今は全く邪教の徒と化している。そして、今、池田創価学会とともに、工藤玄英ら学会僧も同じ轍を踏んで邪教の徒と化したのである。
ハ、「時の貫首為りと雖も」云々について
さらに一点、彼ら学会僧は、
宗祖の云く『彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』と。仏法の道理に外れた指南には従わないという姿勢こそ、『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事』と仰せられた日興上人の御心にも適う道であると信ずるものであります。
と、いかにも御法主上人が「一凶」であると述べていることについて、その誤りを指摘しておくものである。先々に述べたとおり、本宗の命脈は唯授一人の血脈に存する。この法体血脈によらなけらば、いくら戒壇の大御本尊を拝しひたすらなる唱題行を尽くそうとも、決して仏果を成ずることはできないのである。池田創価学会は、この唯授一人の血脈によらないばかりか、かえって背反し、しかも悪口・中傷の限りを尽くしているのである。これを「一凶」と呼ばずして、何を「一凶」というのであろうか。
ところが、彼ら学会僧は、池田創価学会に同じて、血脈付法の御法主上人に対して「一凶」と称し、邪悪の限りを尽くしているのである。彼ら学会僧の、このような誤謬の原因の一つは、日興上人の、「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」との御遺誡に対する解釈に存する。彼らは、妙信講や正信会、池田創価学会の受け売りをして、この条目を御法主上人が仏法上の間違いを犯す証文であるとしているのである。
しかし、日亨上人は、この条目を釈する中で、
時代はいかように進展しても、無信・無行・無学の者が、にわかに無上位に昇るべき時代はおそらくあるまい。一分の信あり、一分の行あり、一分の学ある者が、なんで仏法の大義を犯して勝手な言動をなそうや。 (日興上人詳伝 436ページ)
と、御法主上人が仏法の大義を犯すことなど、決してあり得ないと釈されている。近年においても、日淳上人、日達上人、日顕上人と、一器より一器への法水の上の御指南は、その時々の状況に対し、常に正しく宗開両祖の正義の御教示であられる。このことは、我々宗門の僧俗一同の等しく拝するところである。大聖人の仏法を信仰する者であるならば、本宗の血脈の大事を、伏して拝するべきである。
◇おわりに
以上、彼ら学会僧による「諫暁の書」を破折してきたが、要するに彼らの本宗の信仰に対する基本的態度、体質が問題なのである。つまり、もともと日蓮正宗の僧侶というのは名ばかりで、池田創価学会員の出家でしかなかったのである。
一方、創価学会では、三宝破壊をはじめとする本宗法義の著しい改悪を犯している。観念文とて、すでに本宗本来の姿ではない。このような法義の改悪は、おのずと化儀のの改悪につながっていく。そのため現在では、葬儀・法事・御授戒をはじめとして、一切の化儀・法要において、僧侶は不要となったのである。つまり、創価学会はすでに日蓮正宗の信徒と全く異なる、別個の信仰(新興宗教)を構えているのである。だからこそ、破門されたのではないか。
しかるに、僧侶不要の創価学会は、宗門から離脱した工藤玄英ら学会僧の輩に対して、果たしてどのように対応していくのであろうか。世智に長じた創価学会のことであるから、工藤玄英ら7・8名の離脱行為を、宗門攻撃のために大げさにクローズアップして報道し、都合よく活用するであろう。しかし彼ら学会僧が、池田創価学会から捨て去られるのも、さほど遠い未来ではなかろう。彼らの末路を考えると、全く哀れさしか感ずるものはない。
以上
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from: 21世紀さん
2009年03月10日 09時28分33秒
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「Re:第二次創価学会問題」
ロ、宗門に封建体質はない
(一)宗内に門閥の勢力は横行していない
彼ら学会僧は、宗門改革の第二として、宗内にある門閥や僧階等による差別的体質を除去すべきであると主張している。すなわち、
門閥の後ろ盾のある者は、日頃の行躰や能力・功績などとは関係なく、比較的好条件の寺院に赴任するのに対し、そうでない者は山間辺地の寺院に追いやられる傾向が顕著であります。不祥事を起こした場合も、門閥ある者への処分が極めて寛大であるのに対し、そうでない者への処分は過酷であるなど、まったく公平を欠いております。また、僧侶間においても、僧階一つ、法臘一年の違いをもって、越えがたい上下関係があり、自由闊達な発言などおよそ考えられない体質であります。私たちは、このような宗門の封建体質を除去・払拭し、門閥・上下階級差別の不平等集団を刷新し、同心和合の民主的教団に脱皮しなければならないと考えます。
現在、宗門内においては、それぞれの法類同志が、師匠や兄弟を慕い、また同期生として集まることはあっても、門閥などによる差別体質を感じている者は、皆無といって過言でない。いや人徳の高い者のもとへは、むしろ門閥にかかわることなく集まってくるのが現状である。これは、門閥などというものではなく、僧侶間における麗しき信頼の姿なのである。また、このことは、日達上人が、総本山に年度得度制を敷かれたことからも、容易に首肯できることである。すなわち現在では、僧侶となる者は必ず時の御法主上人の徒弟となり、総本山において平等に修行することになっているのである。その沙弥や学衆の間にあっては、門閥という意識がいかに通用しないものであるか、学衆課に勤務した吉川幸道ならば、よく知っているであろう。また門閥によって、赴任する寺院等に差別があると述べているが、果たしてそうであろうか。むしろ個々人の能力や僧階、さらに行跡・実績等によって、赴任する寺院が決定されていると見るべきである。能力的に言えば、学会僧7名のうち、むしろ能力以上の寺院に赴任にした者もいたといって過言ではなかろう。しかし、それまでの功労等を勘案された上で、御法主上人より御任命いただいたのではないか。全く不知恩の輩としかいいようがない。
(二)僧階・法臘の上下は礼節と秩序にある
次に、「僧侶間においても、僧階一つ、法臘一年の違いをもって、越えがたい上下関係があり、自由闊達な発言などおよそ考えられない体質」と述べていることについてである。彼ら学会僧は、「僧階一つ、法臘一年の違い」とことのほか僧階や法臘を嫌悪し、「宗門の封建体質を除去・払拭し」などと、世直しをせんばかりに豪語しているのである。ところが「諫暁の書」なるものの文末の署名の次第は、離脱以前の僧階どおりなのである。何と不思議なことであろうか。先述のごとく、もとより本宗における僧侶の関係は、信頼をもって成り立っているのであるから、心配は無用である。『教師必携』に、「上下の礼節を重んじ、相互に慈愛をもって交わり、親睦を旨とする」と定めるとおりである。このため、実際に僧階上下間においても、礼節を重んずることは当然ながら、何でも忌憚なく話し合うことができるのである。
また学会問題に一応の決着が付いた現在、宗内においては、公式の場においてもさまざまな意見が出されている。今後の広布進展ののあり方や人材育成のあり方、また法華講の育成に関する意見など、全てが自由闊達である。宗務当局としても、これらの提言は必要に応じて最大限に活かしているのが現状である。したがって、「僧侶間においても、僧階一つ、法臘一年の違いをもって、越えがたい上下関係があり、自由闊達な発言などおよそ考えられない体質」などということは、まったく当たらない事柄であり、抱腹絶倒の限りである。工藤玄英ら学会僧は、宗門に対して、このような杞憂にも似た心配をする必要はない。むしろ幹部絶対主義の創価学会に、そのまま当て嵌まる問題であるから、今後、彼ら学会僧の母体となるべき創価学会をこそ、改革していくことを考えるべきである。
ハ、宗門に法主独裁はない、あるのは信伏随従のみ
(一)『宗制宗規』は宗務行政上、改正されるもの
彼ら学会僧は、第三の改革として、御法主上人の独裁からの脱却を挙げている。すなわち、
宗制宗規の度重なる『改悪』の結果、現在の宗門は、事実上法主一人の独裁となっております。法主の意向に反する意見が取り上げられることは皆無であり、何かものを言えば即座に切られるという驚くべき『恐怖政治』の体制が現今の実体であります。そのような体質のもとでは、宗風は萎縮し、硬直していくばかりであり、今こそ、独裁から民主へ、保守から革新へ、硬直から柔軟へ、閉鎖から開放へと自らの体質を改革すべき時を迎えていると訴えるものであります。
『宗務内規』は、実際の宗門行政に即して制定されたものである。したがって、時代等の変遷や将来の展望の上から、その都度適宜に改正されていくことは宗門人の願うところであって、当然のあり方であろう。それを、「度重なる改悪」などというのは、むしろ彼ら学会僧が目先の私利・私欲に執われてばかりであり、宗門内外の情勢を高所に立って大局的に見ていない証拠である。というよりも、この『宗制宗規』の改正を「改悪」などということ自体、学会僧お決まりの学会受け売り発言というべきである。
(二)御法主上人は大聖人の遣使還告
さて、後に詳述するところであるが、本宗においては、唯授一人の血脈相承のもとに、御法主上人を大聖人の遣使還告、住持の僧宝として拝し奉るのである。故に、日亨上人は『法華文句記』の、「初めに此の仏菩薩に従って結縁し、還って此の仏菩薩に於いて成就す」との文について、
「一往の文釈を為さば・此仏とは第一番成道久遠実成釈迦牟尼仏にして、菩薩とは本化上行等の本眷属なり・再往末法に於いて義釈を為さば・此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是なり、是即血脈の直系なり。 (富要 1-117)
と釈され、また『化儀抄』第14条の注釈においても、
本山の住持の当職(末寺も此に准ず)は三世諸仏高祖開山三祖の唯一の代表者なれば・仏祖も殊に現住を敬重し給ふ。 (富要 1-145)
と仰せられているのである。此の唯授一人の血脈法水が存するからこそ、我々一般僧侶は、何のわだかまりも、またためらいもなく、時の御法主上人に対し奉り、拝跪(はいき)合掌し、その御指南に信伏随従するのである。その中で、現在さらに多くの宗門僧侶が、自由闊達に意見を出し合っていることは、宗門が民主的であり、柔軟であり、解放されている証左である。
したがって、このような本宗のあり方は、断じて『宗制宗規』によって成り立っているのではない。まさに、本宗古来の信条なのである。それを、「恐怖政治」などというのは、またまた創価学会の受け売りであり、本宗信仰の喪失の証明というべきであろう。
五、その他の邪義について
彼ら7名の学会僧による「諫暁の書」なる書面の内容は、幾度も述べるが、ほとんど池田創価学会の受け売りであって、彼ら独自の目新しいものは何もない。しかも時局協議会等によって、すでに破折済みのものばかりである。あるのは、何の根拠もない悪口と中傷のみである。その中で、彼らが教義上の問題とするとこと(やはり学会の受け売りである)について一応の破折を付け加えておくこととする。
彼ら学会僧の書面では、
教義上の問題について申し上げれば、法主を御本仏を同列に扱うかのごとき謬見や、御書を軽視し法主の指南こそ絶対であるかのように喧伝する邪論まで宗内に横行し、かつ猊下がその誤りを正そうともされない現状は、七百年の宗門史にかつてなき混濁の時であります。
と述べている。要するに、宗門が意図的に法主本仏論立てている説、宗門は御書を軽視しているという説、の二点である。
イ、意図的に立てる「法主本仏論」「法主信仰のからくり」
(一)問題の発端と学会古参幹部のすり替え論理
この問題は、宗内の尊能化と学会古参幹部による往復文書に始まる。平成3年7月21日、和泉覚氏を代表とする学会古参幹部4名より、早瀬日慈重役はじめ各尊能化に対し、抗議とも陳情とも察しかねる奇怪な書面が送付された。この書面に対して、各尊能化は、本宗本来の信仰の筋道と、信徒としての正しい信心のあり方の上から、池田xxをはじめ学会首脳の誤った考え方を五点に括(くく)って指摘し、一刻も早く反省・懺悔するようにとの、教導の書面を送付された。
この中で、各尊能化は、池田創価学会の誤りの一番の元が、宗旨の根本たる唯授一人血脈に対する尊崇の念の欠如と、不信より起こった三宝破壊にあることを重視されて、次のように厳しく教訓されたのである。
正信会問題の時も強く叫ばれたことですが、本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。具体的には、御法主上人の御指南に随従し、御本尊受持の信行に励むことが肝要です。なぜならば、唯授一人の血脈の等処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません。
ところが、既に池田の魔性の虜(とりこ)と化した古参幹部らは、このような善導の言辞を、悪意を持ってすり替え、「宗門は『法主本仏論』を立てている」と、無慚きわまりない言辞を浴びせてきたのである。すなわち、同年8月16日付書面において、
先生方は『唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊を不二の尊体』であるから、『戒壇の大御本尊を唯授一人血脈付法の御法主上人』の『根本の二つ』に対する信心は『絶対』でなければならないと、驚くべき法主本尊不二論を述べています。先生方のこの言によりますと、御法主上人は戒壇の大御本尊と不二の尊体、すなわち同一の存在ということになりますが、何を根拠にこのように断定されるのでしょうか。法主大御本尊論、法主本仏論は一体、御書のどこに説かれているのでしょうか。
と能化方の文意も理解しようとせず、あろうことか、「法主大御本尊論」「法主本仏論」という新語まで創作して、宗門を批判してきたのである。もっとも創価学会は、その根本に、池田本仏論なる邪説を構えているのだから、かような新語を造るなど、いわば朝飯前なのであろう。このような、独断と偏見と悪意に満ちた言辞は、早速、池田の傀儡(かいらい)と化した秋谷栄之助をはじめとする幹部らによって、会内に周知徹底された。彼ら学会僧も、こうやって洗脳されてきたのである。邪教創価学会の卑劣な手段は、重要な語句を削除し、その本質をすり替える方法である。各尊能化よりの、「唯授一人の当処は、戒壇の御本尊と不二の尊体にましますからであります。」との文の取り扱いもそうである。
そもそも、「唯授一人の血脈の当処」とは、大聖人の法体にして、血脈法水そのものを意味する語である。それが「戒壇の大御本尊と不二の尊体にまします」と述べられたことの、どこがおかしいというのか。まさに正論ではないか。ところが、学会の手法にかかると、「唯授一人の血脈の当処」という大事な文言が、ただちに『御法主上人の個性』に置き換えられた上、「戒壇の大御本尊と同一の存在」と改変されるのである。そして、「法主大御本尊論」「法主本仏論」などという新語を造り、宗門批判の材料として組み替えるのである。彼らは、決して仏智をもととしているのではない。ただ世智に長じているだけである。
(二)学会よるすり替えの本質は血脈への不信
古来、本宗には「法主大御本尊論」「法主本仏論」など存在しない。また、現在においても、誰もそのようなことを述べていない。それにもかかわらず、池田創価学会やそれに魅入られた学会僧らは、新語を捏造してまで、宗門を陥れんとしているのである。その本質は、大聖人・日興上人以来、御当代日顕上人へと伝わる唯授一人血脈相承への不信である。このことは、同年8月16日付の古参幹部の書面に、
先生方はさらに、この誤った法主本仏論を楯にとって『大聖人の仏智による御指南は、血脈付法の御法主上人によってなされるのであって、私どもはそこに信伏随従するのみであります』とも述べられています。しかし、この主張は歴史の事実に照らして明らかに誤っております。なぜならば、過去の何人かの法主が宗義に違背する指南をされているからであります。
と血脈否定ともいえる暴論を述べていることからも、容易に汲み取ることができるのである。そもそも、大聖人の仏法の一切は、大聖人から日興上人へ、日興上人から日目上人へと次第して、七百年を経た今日にまで、寸分も違わず正しく伝わっている。これは、ひとえに唯授一人の血脈相承の功徳によるのである。これが信じられなければ、それは、もはや大聖人の弟子檀那ではない。自分に都合の良いときにはこれを連呼し、一度、都合が悪くなればこれを否定する。このような徒輩は、外道にも劣る畜生というべきである。工藤玄英ら学会僧は、もって銘すべしである。いや、むしろ池田創価学会並びに工藤玄英らは、池田本仏論を立てんがために、どうにかして本宗の血脈を否定しなければならないのであろう。このような邪知の輩であるから、すり替え・捏造はお手のものなのである。
(三)皮相に執着して物事を捉えるのが学会の体質
邪教学会の輩は、全ての物事に対して、皮相のみに執着して捉える体質がある。しかも、思慮が非常に浅いのである。このような体質であるから、「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。」との文を、素直に拝することができず、ただちに「法主本仏論」であるなどと、まるで幼児が駄々をこねるような姿を呈するのである。このような皮相のみに執着する彼らは、果たして次の御指南をいかに拝し、いかに会通するのであろうか。
日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰く、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。 (聖典 373ページ)
この『御本尊七箇之相承』の御文を、学会流に解釈すれば、大聖人と代々の御法主上人は、まさに同一人と拝さなければならなくなってしまうであろう。まさか、いくら悩乱した学会僧でも、そこまではいうまい。この御相伝は、大聖人より血脈相承あそばされた、その御内証の血脈の法体に約して、即本仏大聖人と示されたものなのである。すなわち、「代代の聖人」の「唯授一人の血脈の当処」が「悉く日蓮なり」との意である。このことは、誰人にも理解されているとこおである。この『内証と外用の立て分け』について、日因上人は、下種三宝に約して、
日興上人已下の代々も亦爾なり、内証に順ずる則んば仏宝也、外用によれば則ち僧宝なり。 (宝暦4年10月17日の御消息)
と示され、日亨上人も、『有師化儀抄註解』において、
貫首上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論の義なり。 (富要1-160)
と御教示されているのである。相伝書や御歴代上人に、このような明らかな御指南があるにもかかわらず、「法主を御本仏と同列に扱うかのごとき謬見」などというのは、彼ら学会僧が、まさに池田創価学会流の皮相の外見に執着している証拠である。と同時に、所詮、彼ら学会僧への情報源は学会出版物のみであり、池田創価学会というフィルターを通してしてか、大聖人の仏法を拝することができない体質なのである。また、さらにこのような学会僧の輩が、今日まで日蓮正宗で仏飯を喰(は)んでいたことを思うと、本当に恐ろしいという他に言葉はない。
ロ、「宗門は御書軽視」というこじつけを破す
(一)問題の発端と悪意による学会のすり替え
平成3年9月14日、大阪市の浄妙寺において、法華講大阪大会が開催された。この折り、高野法雄師は、「法華講の信心とは」と題して、御書の真意はあくまでも血脈付法の御法主上人の御指南によって、はじめて理解できることを述べたのである。その中で、学会が問題にしているのは、「大聖人の御法門の『部分』といえましょう。」と述べた部分である。
一見、確かにこの部分だけを取れば、おかしいと思うであろう。しかし、物事は部分でなく全体で捉えなければならない。すなわち高野法雄師は、はじめに、
御書があれば、六巻抄があれば、大聖人の法門の総てが了解出来るのでしょうか。断じてそうではありません。
と述べ、さらに、
要するに現今の御書は、本尊抄・開目抄を始めとする深甚の御指南が集録され、私たちが信心する上には、重要この上もない大聖人の御指南であります。が、御書を軽視されては困りますが、大聖人様の御法門・御指南の一切が、網羅されたものえはありません。言葉をかえれば、大聖人の御法門の『部分』と言えましょう。では大聖人の御法門の一切は消滅してしまったのでしょうか。そうではありません。『この経は相伝に有らざれば知り難し』と。末法万年尽未来際まで、この仏法が正しく、清らかに誤りなく伝わるようにと、大聖人御自らが唯授一人法水瀉瓶(しゃびょう)の規範を定め置かれたのであります。
と、相伝の大事なる所以を示し、結論として、
たとえ、何百編の御書がすべて揃っていた処で、血脈付法・御法主上人の御指南がなければ、大聖人の御真意を拝することは断じて不可能ということであります。
と本宗伝統の正しい御書の拝し方を示したのである。このように、講演全体の流れから見れば、高野法雄師の発言には、何らおかしいところはない。
ところが、邪教の会長・秋谷は、高野法雄師が、「御書を軽視されては困りますが」と、誤解を招かないように断っているにもかかわらず、早速『聖教新聞』において、
日興上人の遺誡置文には『当門流に於いては御書を心肝に染め極理を師伝してと示されている。日興上人は大聖人の枢要な法門をあやまたず後世に伝えるために、五大部、十大部を定められ、この置文を残されたのであり、御書に大聖人の法門の根幹が網羅されているのは明らかである。それを、“御書は大聖人の御法門の部分”などというのは、御書軽視も甚だしい愚論である。(中略)また、日淳上人は『聖人(日蓮大聖人)の教義はあくまで聖人の御書に依て判断せられねばならない』『聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によって決定されねばならない』と仰せである。
高野住職のいう通りとすれば、これから、宗門は、御書を見下し、猊下の御指南をすべての根本とし、猊下は大聖人を越え、御本仏より偉いということになる。代々の猊下でださがそんなことを言われたことがあるか。大聖人軽視も甚だしい大謗法であり、邪義であることは明白である。
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from: 21世紀さん
2009年03月10日 09時16分31秒
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「Re:Re:第二次創価学会問題」
三、学会僧に『立正安国論』を引用する資格なし
彼らの書面では、初めに『立正安国論』の、
予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸かりて千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生まれて諸経の王に事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや。其の上涅槃経に云く『若し善比丘あって法を壊ぶる者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子・真の声聞なり』と。 (全集26ページ)
との御文を挙げ、学会問題の非を宗門に当て嵌めた上で、
このときにあたり、宗祖大聖人の広布大願をかしこみ、歴代先師の僧俗和合の御指南を拝してきた『弟子一仏の子』たる私たちは、今日の破壊的な仏法衰微の事態を、もはやこれ以上、座して傍観することはできません。よって、私たちは、真の不惜身命の決意に立って、ここに、宗門再生のため日顕猊下をはじめとする宗門現執行部に対し、信ずるところを諫言するとともに、これを広く宗門内外に訴えるものであります。
と述べている。そもそも仏法では、何事においても仏智によるべきであって、凡智・人情に任せるべきではない。日蓮正宗は、血脈相伝の宗旨であり、大聖人の仏智は唯授一人の血脈相承によって、現日顕上人まで伝えられているのである。したがって、日興上人以来、御歴代上人に止住する血脈法水を通して本仏大聖人を拝するのが、「弟子一仏の子」としての信仰の基本である。このことは、日有上人が『化儀抄』第4条で、
手続の師匠の所は三世の諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我が信を取るべし」(富要 1-61)
と仰せられていることからも明らかである。さらに、また第27条では、
信と云ひ血脈と云ひ法水と云う事は同じ事なり、信が動せざれば其の筋目違ふべからざるなり、違はずんば血脈法水は違ふべからず、夫とは世間には親の心を違へず、出世には師匠の心中を違へざるが血脈法水の正しきなり、高祖已来の信心を違へざる時は我れ等が色心妙法蓮華経の色心なり、此の信心が違ふ時は我れ等が色心凡夫なり、凡夫なるが故に即身成仏の血脈なるべからず。 (富要 1-64)
と、仏法においては、師匠(御当代上人)との師弟相対の信心化儀こそ大切であると定められているのである。この師弟相対の信仰形態は、いかなる時代にあっても変わることはない。
ところが今、学会僧は、彼らの「信ずるところを諫言する」と述べているのである。このことは、仏智によるのではなく、彼ら自身の凡智・人情を元としている証拠である。換言すれば、不信謗法による我意・我見であって、仏法を私せんとする外道の見なのである。このように、我見を元として、血脈法水を護持あそばされる御法主上人を誹謗し、血脈法水の当処から離れた彼らに、どうして「弟子一仏の子」といえる資格があろうか。それとも、正信会の輩のように、血脈二管説を立てて、自らに血脈が流れているとでもいうのか。あるいは、彼ら学会僧の信奉する池田本仏なるものから、血脈の「証」なる紙片でも受けたとでもいうか、笑止千万とはこのことである。『五人所破抄』の
今下種結縁の最初を忘れて劣謂勝見の僻案を起し・師弟有無の新義を構へ理非顕然の諍論を致す、誠に是れ葉を取って其の根を乾かし流れを酌みて未だ源を知らざる故か。 (富要 2-6)
との御文は、まさに彼らのためにあるといって過言ではない。また、彼らは、宗門は無慈悲・非道にして蛇行・逆行していると述べているが、とどの詰まりは、
いまや、かかる暴挙によって、末寺はもちろん、総本山も疲弊と荒廃の一途をたどり、呻吟する僧侶の悲憤・義憤の声は地に満ちております。
と「今の宗門では、僧侶の生活の保証かできないではないか」ということをいいたいだけなのである。彼らは、すでに道心を失くし、世俗的な平穏を求め、利養に貪著するゆえに、現在の物質的な疲弊を挙げて愚痴をこぼし、仏法そのものを破壊せんとするのである。「衣食の中に道心無し」とは、まさに彼らの体質をいうのである。
さらに、このことを正当化するため、彼らは、「これを広く宗門内外に訴えるものであります」と述べているのである。これらの言葉を合わせて見れば、彼らはすでに池田に魅入られた僭聖増上慢の一分と化したといえよう。なぜならば『勧持品』の二十行の偈に説かれる「利養に貪著し」の文は、まさに彼らの姿そのものだからである。彼ら学会僧は、この二十行の偈の増上慢の輩が、実に我が身にあたっているということを、思い知るべきである。
四、学会僧のいう「改革」を破す
彼らは、
私たちは、今回の問題は、偉大なる御仏智の表れであり、宗門積年の悪弊の総括、清流への蘇生、本義に則った改革への動執生疑であると深く拝すものであります。
と述べた上で、『大悪大善御書』の、「大事には小瑞なし、大悪おこれば大善きたる」(全集 1300ページ)との御文を引いている。彼らごとき学会僧ならずとも、宗門の誰しもが、今回の学会問題を偉大なる御仏智の表れと拝している。ただし、それは池田創価学会積年の悪弊の総括であって、まさに富士の清流を護持するための、そして真の僧俗和合による大法広布のための、血脈仏法の本義に則った改革である。したがって、大石寺開創七百年という意義ある年に、池田創価学会の傲慢にして邪悪・陰湿な体質が現れ出たことは、まさに、「すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし」(同)との大瑞相であったと拝するものである。
イ、見せ掛けの僧俗平等を破す
(一)「信心を大切にしていない」は不当
学会僧の書面では、宗門改革の第一として、宗開両祖の御精神に立ち返り、真に信徒のための宗門となるべきであると述べている。すなわち、
今日の宗門僧侶の実体は、率直に言って、多くの場合、信徒に対し自らを一段高いものとする差別意識を持っているのであります。また、指摘されるとおり、日常の生活が少欲知足にほど遠い贅沢と堕落に流されていたことも、必ずしも否定することはできないでありましょう。このように宗開両祖の御精神から懸け離れた『暴走』を続けるならば、日興上人に始まる富士の清流は枯渇、断絶し、民衆から見放されて法滅・死滅に向かうことは明らかであります。(中略)今こそ、私たちは、出家の本義に基づき、権威と抑圧をを信心を根本とした慈悲と求道に変じ、小欲知足の行躰に徹し、民衆による仏法弘通を支え、信徒に奉仕する教団へと脱皮すべきであると訴えるものであります。
彼ら学会僧は、「今日の、宗門僧侶の実体は、率直に言って、多くの場合、信徒に対して自らを一段高いものとする差別意識を持っている」と述べているが、果たして本当であろうか。そのようなことは断じてない。このことは、以前より宗内僧侶間において、互いに誡め合ってきたこである。御法主上人も、昭和59年8月、行学講習生に対して、
僧侶が在家に対して垣根を作ってしまって、まるで僧侶だけが正しいような考えを持ったり、僧侶だけが偉いような、また仏法の上から在家は一段と落ちておるような立場であると考えてみたりすること、そういうことも大きな間違いであります。 (大日蓮 464 50ページ)
とご教示されているが、特に非教師に対しては、常々御訓誡されてきたことである。かつて、大石寺内事部において、学衆課主任を務めた吉川幸道ならば、よく知っていることであろう。
(二)僧俗は差別即平等・平等即差別
ただし、また僧俗の筋目は、広布進展の上からも、また教団の秩序の上からも、明確でなければならない。したがって、日興上人は『遺誡置文』で、
若輩為りと雖も高位の檀那自り末座に居る可からざる事。 (全集 1618ページ)
と仰せであり、また、『化儀抄』第1条には、
貴賤道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり、然れども竹に上下の節の有るがごとく、其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか。 (富要 1-61)
と定められているのである。僧俗の筋目において、僧侶が上位に付くことの理由は、僧侶に能導の権威が備わるためである。そのため、また日亨上人も、
僧侶能導の権威が失墜すれば、仏法中の僧分はまったく破滅である。
と仰せられているのである。
仏法では、差別即平等、平等即差別と説くのである。したがって、広大深遠な仏法の中には、当然、平等主義・民主主義を正しく活かして民衆の幸福を築いていく意義が存するのである。しかし、また「仏法は体、世間は影」であるから、世俗の平等主義・民主主義をもって、広深な仏法を律しようとするならばそれは明らかに誤りであり、摧尊入卑(さいそんにゅうひ)の大謗法となるのである。池田創価学会のいう平等主義・民主主義・平和主義は、まさに世俗を基準としている。言葉の聞こえこそ良いが、実際は世語をもって仏法を破らんとしているだけである。『涅槃経』の
是の諸の悪人、復是の如き教典を読誦すと雖も、如来深密の要義を滅除して世間荘厳の文を安置し、無義の語を飾り、前を抄て後に著け、後を抄て前に著け、中を前後に著けん。
との文は、まさに池田創価学会のことをいうのである。このような仏法無視の体質が、自分の権利のみを主張して他人のそれを無視し、意見の異なる人に対して、多勢による弾圧暴力に徹する身勝手な行動となって現れるのである。また、都合の良い情報のみを一方的に流して、会員が他の情報を知ることを妨げたり、自らの言のみが正しいとして、他の意見には耳を貸さないという極めて独善的な姿を呈するのである。こうしたさまざまな行為をもって、仏法上においても、また世法上においても、大聖人の仏法に大きく泥を塗っているのである。このような池田創価学会や彼ら学会僧による、むやみな名前だけの平等主義・民主主義・平和主義のあり方こそ、本当に廃されなければならないのである。
さて、彼らのここでの主眼は、「民衆による仏法弘通を支え、信徒に奉仕する教団へと脱皮すべきであると訴えるものであります」というところに存する。つまり、「日蓮正宗宗門は、創価学会傘下の法要執行部となって、奉仕に徹せよ」というのである。これは、僧侶能導の権威はもとより、本宗の根幹である血脈の尊厳すら、地に堕とさんとする策謀の現れである。すなわち創価学会が、昭和五十二年路線以来十数年もの間、ひたすら抱きつづけてきたことと一致する。工藤玄英ら学会僧は、これによって生活の安定を求めるのであろう。先に述べたとおりである。まさに、「法師の皮を著たる鬼畜」というべきである。
(三)学会僧こそ僧侶の堕落
なお、学会僧が盛んに言う僧侶の堕落について、一言述べておく。そもそも学会の体質的な問題は、信徒からの悲痛な手紙や電話などによって、以前から様々な形で宗門へ届けられていたのである。しかし実際に表面化したのは、一昨年の7月17日、宗務院・学会の連絡会議においてである。
席上、学会側から、御法主上人や宗門僧侶に対して、悪意に満ちた誹謗・中傷がなされた。しかも学会側は一方的に言うだけ言い終えるや、宗門側の言うことも聞かず、席を立って帰ってしまったのである。この突然の暴挙に対して、7月21日に登山してきた池田・秋谷両名に対し、御法主日顕上人から、連絡会議の背謗の言に対する御注意がなされた。また、宗務院としても種々調査の上、翌8月の連絡会議の席上、事実と食い違う数多くの事柄に対してそれらを指摘したのである。しかしまた一方で、宗務院は宗門側の糺すべきことは正直に糺さんと務めた。そのため、8月末の全国教師講習会の折りには、教師指導会を開催して、さらに僧侶・寺族の綱紀粛正を徹底したのである。もとより、少欲知足の宗風ながら、特に現在の宗内では、彼ら学会僧がいうような、贅沢で堕落した僧侶は、実際にいないことを申し述べておく。
それよりも、血脈から離れ、日蓮正宗の僧道から脱落した脱会僧の輩こそ、その精神において、堕落・腐敗しているというべきではないか。しかも、彼の7名ないし8名中には、少なくとも過去に女性問題を起こした者が2名おり、また海外出張御授戒で東南アジアへ行った折りに、夜の歓楽街へ出てカラオケ三昧をした者など、破廉恥な者が非常に多いではないか。自らを「弟子一仏の子」などといいながら、何たる行体をしていたのか。無漸極まるものである。
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from: 21世紀さん
2009年03月10日 09時10分37秒
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「Re:第二次創価学会問題」
資料23(『諌曉の書』を粉砕す)
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学会僧七名による「諫暁の書を」粉砕す
時局協議会文書作成班一班
◇はじめに
本年2月3日、「諫暁の書」(2日付)なる書面が、御法主上人猊下宛に送付されてきた。送り主は、工藤玄英・大橋正淳・吉川幸道・池田託道・串岡雄敏・吉川雄進・宮川雄法の7名である。内容は、工藤玄英ら学会僧の我意我見による池田創価学会の擁護と、御法主上人に対する誹毀讒謗を羅列しただけのものである。が、結局現宗門は謗法、御法主上人に大聖人の御魂はないと決めつけた上で、学会僧7名は、宗門改革ために本宗より離脱するというのである。しかし、宗門が彼らの思い通りに改革されたならば、また宗門に帰伏するなどと、調子の良いことも最後にしっかりと述べている。なお、その後成田雄具も2月8日付書面をもって離脱した。
もとより、御法主上人並びに宗門に対する彼らの誹謗は、池田創価学会の受け売りであるから、今さら目新しいものは何もない。これらは、また時局協議会などによって破折されていることでもあるから、ここで一々破折するものではない。ただ彼らのように、現在まで、日蓮正宗僧侶の姿を借りて、仏法を破壊しようとしてきた輩の体質を暴き、もって稚書を粉砕するものである。
一、工藤玄英らは本然的に学会僧
そもそも、工藤玄英ら7ないし8名はもともと池田創価学会の絶対的な信奉者であり、池田創価学会という歪んだフィルターを通してしか、日蓮正宗の仏法を学んだことがない。したがって、彼らの教義解釈は、日蓮正宗の相伝から外れたものなのである。実際に首謀者である工藤玄英・大橋正淳らは、以前より池田xx本仏論者だったのである。このことは、昭和53年8月30日、第27回教師講習会開講式における、御先師日達上人のお言葉からもよく拝される。すなわち、
また『池田会長に法衣を着せれば即大聖人様だ』などという僧侶がいる。私はびっくりしました。先日、北海道の信者さんから手紙が来ました。その人は札幌の僧侶でないけれども、この様な僧侶がいます。全く情けないではないか。さらに、『自分は、会長が袈裟・衣を着たらそのまま大聖人であるから、もしも学会と宗門が手を切ったならば私は学会の方につきます』と言明しているそうです。全く私は情けないと思います。今ここにいる人は、心当たりがあるのかないのか知らないけれども、そういう人がいるから日蓮正宗の教義がおかしくなってくるのであります。 (日達上人全集第2輯729頁)
このお言葉は、創価学会の昭和五十二年路線という大問題の真っ只中のものである。お言葉中の「僧侶が」、直接誰を指しているのかは明らかではないが、工藤玄英らが学会僧であったことは、当時から広く宗内に知られていたことである。さらに、この時工藤玄英は北海道千歳市の法涌寺に、また大橋正淳は同じく室蘭市の深妙寺に、それぞれ赴任していたことも事実である。
そして、その決め付けは、今回の彼ら学会僧の取った行動である。つまり日達上人のお言葉にある「情けない僧侶」の発言を、そのまま実行したのが今回の行動である。ならば、日達上人のいわれる「僧侶」が誰を指しているのか、おのずと明らかであろう。しかも、彼ら学会僧は、「諫暁の書」なる書面において「仁王経」の、
仏波斬匿王に告げたまわく・この故に諸の国王に付属して比丘・比丘尼に付属せず何を以ての故に王のごとき威力無ければなり。
との文、また『観心本尊抄』の、
是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初めに出で給わざる可か、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずるときは賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す。 (全集254ページ。※この文の解釈は、時局協議会文書「外護について」を参照されたい)
との文を挙げた上で
創価学会の出現により、まさに正宗七百年を境として折伏広布の時は開け、賢王たる歴代会長の不借身命の戦いによって、今日宗門は、世界の宗門となったのであります。
と堂々と会長本仏論を述べているのである。このような本仏義は、まさに池田教の邪義であり、本宗の教義ではない。この他にも、彼ら学会僧の主張を見れば、本当に今まで日蓮正宗の仏飯を喰んできた者の言であろうかと、疑わざるをえないことばかりである。まさに、日達上人の「そういう人がいるから日蓮正宗の教義がおかしくなってくるのであります」とのお言葉を証明するものといえよう。宗門としても宗内にこのような学会僧がいては、非常に迷惑であり、百害あって一利なしといえるのである。幸いに、今回、宗門がわざわざ手を下す前に、このような輩が自ら離脱したのであるから、正法護持、広布進展の上から、大いに喜ぶべきであろう。
ともかく、このような学会僧の輩が、いかにもっともらしく学会を擁護し、宗門を誹謗してみても、それらは全て池田本仏論という、致命的な謗法根底としたであることを知るべきである。つまり、彼らの主張は、全て為にする暴論でしかないのである。このことは、彼ら学会僧が、どのようにいい逃れようともいかんともしがたい事実である。
二、自語相違の行動
彼ら学会僧の「諫暁の書」の目的は、決して御法主上人への諫暁にあるのではない。そもそも諫暁ということは、臣・弟・子として、ひたすらなる態度でもって諫め訴える忠の行為であって、決して主・師・親に誹謗・中傷を尽くすことではない。まして、離脱の表明などであろうはずがない。大聖人様は『開目抄』に、
比干は殷の世の・ほろぶべきを見て・しゐて帝をいさめ頭をはねらる(中略)此等は忠の手本なり」(全集186ページ)
と仰せである。殷の紂王は、国政をも顧みずに妲己(だっき)を溺愛したため、紂王を諫暁したのである。そのため比干は紂王によって頭を刎ねられたのであるが、大聖人はこれこそ真の忠であり、真の諫暁であると仰せである。しかるに、万が一彼らがいうように、宗門に非があったと仮定しても、彼ら学会僧はその礼儀をもって諫めているわけではない。ただ単に、学会受け売りの誹謗・中傷の語を重ねているだけのことである。これは、どのように見ても忠とも諫暁ともいえる代物とはいえない。単なる反逆である。もとより池田教信者である彼らには、大聖人の仏法の正当血脈に随従することなど、どうでもよいことなのである。邪教池田創価学会が破門に処せられた今、日蓮正宗を離れて、創価学会に付く程度しか彼らには考えることができない。
その証拠に、この「諫暁の書」なるものの結論が、彼ら学会僧による宗門からの離脱宣言に存するではないか。つまり、「諫暁」などと聞こえのよい言葉を使用してはいるものの、結局は離脱するための口実でしかなかったのである。さらにいえば、彼らの書面中、
かかる状況に至るまで、私たちは、創価学会との和合なくして宗祖御遺命の達成は断じてあり得ないとの憂宗護法の思いから、幾度となく猊下ならびに宗務院に対し抗議し、その非を訴えてきました。
などと、居丈高に言い放っていることである。しかし、彼ら7名ないし8名の学会僧のうち、果たして何人が「猊下ならびに宗務院に対し抗議し、その非を訴えてき」たのであろう。しかも、「幾度となく」である。むしろ、彼らのほとんどが、最近まで学会僧としての正体をひたすら隠そうとしてきたではないか。
「謝罪要求書」にしても、署名・捺印をしなかったのは、彼ら7名の中3名である。しかしこの3名においても、自ら進んで「幾度となく、猊下並びに宗務院に対し抗議し、その非を訴えてき」た者など、誰もいなかったではないか。他の4名について言えば、「謝罪要求書」には、自ら署名・捺印したのである。さらに、つい先日に至るまで、「猊下並びに宗務院に対し、抗議しその非を訴えてき」たどころか、教区内僧侶や同期生、あるいは心ある仲間によって、逆に「学会に対する破折等の活動をしっかり行ってないのではないか」と、幾度となくその非を指摘されてきたではないか。しかも、このような指摘に対して、むしろそれを否定し、自ら「池田創価学会は大謗法の団体である。そのために、自分も脱会を呼び掛け、脱会者を直属信徒として受け入れている」などと称していたのである。まさに、「蝙蝠(こうもり)鳥のごとし」である。離脱とともに、袈裟・衣も返上すべきである。
今、邪教創価学会が宗門から破門に処せられたこの時になって、池田本仏論を信奉する学会僧7名ないし8名は、とうとう本宗の根幹である血脈から離れ、和合僧団の座より立ち去ったのである。まさに、『方便品』で座を起た五千の上慢と同轍(どうてつ)である。天台大師は、五千の輩について、上慢・我慢・不信の三失を挙げ
疵を蔵し徳を揚げ自ら省みること能わざることこれ無慙の人なり。
と示され、さらに妙楽大師は、
疵を蔵し徳を揚ぐるは上慢を釈す。自ら省みること能わざるは我慢を釈す。無慙の人とは不信を釈す。
を釈されている。本来は、出家に上慢、在俗に我慢、女子に不信と次第浅深して釈されたものである。しかし、池田本仏観を信仰の根底において身勝手な行体や研学をし、上慢の心を強くして離脱した彼ら学会僧には、我慢・不信の二失も、当然、含まれることを知るべきである。
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2009年03月10日 09時02分55秒
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「Re:第二次創価学会問題」
創価学会が宗祖御遺命たる広宣流布達成の仏勅(ぶっちょく)を受けた団体たることは、先師の御指南並びにその出現の時機、行動に照らして明らかであります。総本山第65世日淳上人は、「開宗704年を迎へて」との論文の中で、「今此の七百余年の歴史を振り返って見て、此れを今日の状況と比較して考えますと今や状況は一大転換して、歴史の上に時代を劃(かく)しつつあると思います。それは創価学会の折伏弘教によって、正法が全国的に流通して未だ曽て無かった教団の一大拡張が現出されつつあることであります。此れを以て考えますと将来の歴史家は立宗七百年以前は宗門の護持の時代とし、以後を流通広布の時代と定義するであろうと思われます。これまでの宗門の歴史を見ますれば時に隆昌がありましたが、結局護持といふことを出なかったと考えます」と仰せられ、大聖人の仏法を護持の時代、流通広布の時代に分けられ、立宗七百年をその境とせられたのであります。
仁王(にんのう)経に云く、「仏波斯匿王(はしのくおう)に告げたまわく・是の故に諸の国王に付属して比丘・比丘尼に付属せず何を以ての故に王のごとき威力無ければなり」本尊抄に云く、「是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責(かいしゃく)し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」
創価学会の出現により、まさに立宗七百年を境として折伏広布の時は開け、賢王たる歴代会長の不惜身命の戦いによって、今日宗門は、世界の宗門となったのであります。しかるに、その宗門の内実は、先述のごとく、前近代的、封建的体質から脱皮しきれず、門閥政治と信徒支配に明け暮れて、事実の上での広宣流布への実践を全く忘却し去った姿でありました。それを、広布の実践団体たる創価学会から厳しく指摘されるや、信徒の分際で何事かと、権威的対応に終始していたずらに反発し、ついに破門、御本尊下附停止の暴挙に及ぶに至ったのであります。
宗祖大聖人は、一閻浮提(いちえんぶだい)の衆生に御本尊を受持せしめ、もって一切衆生の救済を願われたのであります。本尊抄に云く、「地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」また云く、「一念三千を識(し)らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹(つつ)み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」
この宗祖の大慈大悲に対し、信仰を純粋に求める者に御本尊下附を拒む猊下の決定は、宗祖の御心を踏みにじる大謗法、大背信行為と言わざるを得ず、結果として三宝破壊以外の何物でもないと断ずるものであります。かかる状況に至るまで、私たちは、創価学会との和合なくして宗祖御遺命の達成は断じてあり得ないとの憂宗(ゆうしゅう)護法の思いから、幾度となく、猊下ならびに宗務院に対し、抗議し、その非を訴えてきました。特に、昨年三月には、池田名誉会長に対する根拠なき「謝罪要求書」に署名・捺印せよとの宗務院の方針について、それを撤回し、まず何よりも猊下と名誉会長が膝を交えて話し合うべきことが道理であると、直接言上申し上げましたが、猊下はまったく聞く耳をもたず、ただ猊下に信伏随従するか否かに終始され、学会との話し合いを拒否されたことは、まことに残念至極でありました。
その後も、理を尽くして、話し合いによる問題解決について申し上げたにもかかわらず、猊下に信伏随従しないものとの理由によって、すべて邪論、謗法として排斥され、あるいは無視されたのであります。私たちは、猊下の慈悲深き振る舞いを願ってまいりましたが、私たちの直言を聞き入れないばかりか、ますます非道に非道を重ねるに及んでは、もはや猊下には、大聖人の御魂はないと判断せざるを得ないのであります。このような事態を打開する道は、唯一つでありました。
すなわち、「かへりて大ざんげあるならば・たすかるへんも・あらんずらん」との御金言のとおり、猊下が、これまでの不当な措置をすべて撤回し、懺悔することであります。また、宗門執行部も、自らの非を認めて宗内僧俗に懺悔するとともに、速やかに学会破門を撤回し、こうした事態を招いた責任をとって、総退陣すべきであったのであります。
しかし、宗門は、このような真摯な措置をとることなく、大聖人の御精神に敵対して、ますます信徒を圧迫するに及んだため、私たちは、真の大聖人の門下として、もはやこれ以上宗内に留(とど)まることはできないと決意したのであります。
原殿御返事に云く、「身延沢を罷(まか)り出で候事、面目なさ、本意(ほい)なさ申し尽し難く候へども、打還(うちかえ)し案じ候へば、いづくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候はん事こそ詮にて候へ。さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ。日興一人本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚え候へば、本意忘るること無く候。又君達(きんだち)は何れも正義を御存知候へば悦び入って候。」
今、私たちは、謗法の山には住むまじとの断腸の思いで身延離山されし日興上人の御心を心として、あえて石山(せきざん)を離れるものであります。しかしながら、もとより、宗門改革の難作業を放擲(ほうてき)するものではありません。むしろ、今後も日蓮正宗の僧侶として、未来に大いなる希望を抱き、我らが生涯をかけ、あらゆる手段方法をもって、必ずや大石寺を本来の清流に戻すことを誓うものであります。今回の私たちの行動は、その第一歩であり、この決意と行動に対しては、宗開両祖も必ずお喜び下さることと確信するものであります。そして、宗門が真に宗開両祖の末流たるに恥じない姿に向かうときが来るならば、私たちは、喜んで帰山し、宗祖御遺命たる広宣流布の聖業に僧俗和合して邁進する所存であります。願わくば、広布の大願に立つ我が同志が、一人また一人と後に続かれんことを。
平成4年2月2日
工 藤 玄 英
大 橋 正 淳
吉 川 幸 道
池 田 託 道
串 岡 雄 敏
吉 川 雄 進
宮 川 雄 法
日 顕 上 人 猊 下
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2009年03月10日 08時59分52秒
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「Re:第二次創価学会問題」
資料22(離脱僧からの『諫暁の書』)
立正安国論に云く、「予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事(つか)う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや。其の上涅槃経に云く『若し善比丘あって法を壊ぶる者を見て置いて呵責し駈遣し挙処(こしょ)せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子・真の声聞なり』」
一昨年末より惹起し表面化した宗門と創価学会の問題は、一日も早く解決の光が差し込むことを願いし多くの宗門、檀信徒の思いに反し、ますます混乱と混迷の度を深めつつあります。まことに哀惜・痛憤(つうふん)おくあたわざるものがある、と言わざるを得ません。今や、富士の清流は濁流とまみれ、宗門執行部の無慈悲・非道な暴走・蛇行・逆行はとどまるところを知らず、遂に宗門は昨年11月、先師日達上人が「清浄無比にして護惜(ごしゃく)建立の赤誠に燃ゆる」と称賛せられた創価学会を、無意味にも「破門」するという暴挙を犯すに至ったのであります。宗門が犯した誤りは、まさに「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」と言うべきであります。
いまや、かかる愚挙によって、末寺はもちろん、総本山も疲弊と荒廃の一途をたどり、呻吟(しんぎん)する僧侶の悲憤・義憤の声は地に満ちております。このときにあたり、宗祖大聖人の広布大願をかしこみ、歴代先師の僧俗和合の御指南を拝してきた「弟子一仏の子」たる私たちは、今日の破滅的な仏法衰微の事態を、もはやこれ以上、座して傍観することはできません。よって、私たちは、真の不惜身命の決意に立って、ここに、宗門再生のため、日顕猊下をはじめとする宗門現執行部に対し、信ずるところを諌言するとともに、これを広く宗門内外に訴えるものであります。
私たちは、今回の問題は、偉大なる御仏意の表れであり、宗門積年の悪弊の総括、清流への蘇生、本義に則った改革への動執生疑であると深く拝するものであります。すなわち、時代は、二十一世紀まで余すところ8年にして、大転換期・大激動期の相を示しており、仏法的にも、輝ける立宗750年の大佳節を10年の目睫(もくしょう)の間にしております。かかる時にこの問題が惹起したことは、「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる」の御金言に照らし、広布の新時代を迎える大瑞相として受け止めざるを得ず、まさに宗門改革の時至れりの感を深くするものであります。しからば、その改革とは何か。
第一には、真に信徒のための宗門たるべきことであります。すなわち、宗祖の民衆救済の御精神に立ち還り、開祖の清流へと立ち戻り、宗門に蘇生の光を照射すべきことであります。思えば、宗祖大聖人、日興上人は、民衆の苦しみに同苦され、信徒の一人一人を心から大切にされました。また、遊戯雑談(ゆげぞうだん)を厳しく戒められ、御自ら少欲知足の聖僧の御振る舞いであられました。しかるに、今日の宗門僧侶の実態は、率直に言って、多くの場合、信徒に対し自らを一段高いものとする差別意識を持っているのであります。また、指摘される通り、日常の生活が少欲知足にほど遠い贅沢と堕落に流されていたことも、必ずしも否定することはできないでありましょう。このように宗開両祖の御精神から懸け離れた「暴走」を続けるならば、日興上人に始まる富士の清流は枯渇、断絶し、民衆から見放されて法滅・死滅に向かうことは明らかであります。堕落にまみれ、死滅に瀕している今日の宗門の姿を見て、宗開両祖の御嘆き、御叱りはいかばかりかと恐懼(きょうく)し、尊厳の回復、蘇生をひたすら祈るものであります。今こそ、私たちは、出家の本義に基づき、権威と抑圧を信心を根本とした慈悲と求道に変じ、少欲知足の行躰に徹し、民衆による仏法弘通を支え、信徒に奉仕する教団へと脱皮すべきであると訴えるものであります。
第二に、宗門の悪弊、すなわち差別的体質の除去であります。周知の通り、宗内には門閥等によるあからさまな差別があり、また、上下の階級差別もはなはだしいものがあります。門閥の後ろ盾のある者は、日頃の行躰や能力、功績などとは関係なく、比較的好条件の寺院に赴任するのに対し、そうでない者は山間辺地の寺院に追いやられる傾向が顕著であります。不祥事を犯した場合も、門閥ある者への処分が極めて寛大であるのに対し、そうでない者への処分は過酷であるなど、まったく公平を欠いております。また僧侶間においても、僧階一つ、法臘(ほうろう)一年の違いをもって、越えがたい上下関係があり、自由闊達な発言などおよそ考えられない体質であります。私たちは、このような宗門の封建体質を除去・払拭し、門閥・上下階級差別の不平等集団を刷新し、同心和合の民主的教団に脱皮しなければならないと考えます。
第三には、独裁的体質からの脱却であります。すなわち、宗制宗規の度重なる「改悪」の結果、現在の宗門は、事実上、法主一人の独裁となっております。法主の意向に反する意見が取り上げられることは皆無であり、何かものを言えば即座に切られるという驚くべき「恐怖政治」の体制が現今の実態であります。そのような体質のもとでは、宗風は萎縮し、硬直していくばかりであり、今こそ、独裁から民主へ、保守から革新へ、硬直から柔軟へ、閉鎖から開放へと自らの体質を改革すべき時を迎えていると訴えるものであります。
今回の問題が起こって以来、私たちの苦悩、懊悩(おうのう)は計り知れないものがありました。それまで、学会を賛嘆し、僧俗和合を説き、檀徒づくりは布教の邪道であると指南されてきた猊下が、一夜にして掌(てのひら)を返すように学会を攻撃する姿をどう受け止めればよいのでしょうか。多くの信徒の方々もまた同じ思いであったでありましょう。僧としてひとたび出家した者が、時の猊下に反することは、忘恩の謗りを免れないかもしれません。しかし、宗祖以来の清流を断じて絶やすまじとの熱き一念こそが、私たちの基本であり、たとえ猊下であっても、その非が明らかである以上、これに従うことはできないのであります。今回の問題を僧侶の立場から冷静に考えてみるとき、全面的に学会に非ありとする猊下並びに宗門執行部の対応は、到底、容認できるところではありません。この問題の経過を詳(つまび)らかに思慮するならば、恐れ多いことではありますが、問題の元凶は、偏に、猊下の感情的な指南、采配の誤り、なかんずく学会、池田名誉会長に対する怨嫉、嫉妬の念にこそあると言わざるを得ないのであります。
猊下が名誉会長の慢心を指摘せんとされた正本堂の意義に関する説法は、学会の質問書を待つまでもなく、明らかに日達上人の訓諭の趣旨を曲解し、名誉会長の罪をあげつらわんとして故意に事実を改竄するなど、誤りが多々見受けられたことは、紛れもない事実であります。また、猊下が、禅宗寺院の墓地に先祖の墓を建立し、第60世日開上人の塔婆を立てて法要をされたことは、明らかに本宗の教義を逸脱するものであり、いかなる事情があろうとも、一宗を統率する法主の行為としては黙過(もっか)し得ざる謗法であると言わねばなりません。教義上の問題について申し上げれば、法主を御本仏と同列に扱うかのごとき謬見(びゅうけん)や、御書を軽視し法主の指南こそ絶対であるかのように喧伝(けんでん)する邪論まで宗内に横行し、かつ猊下がその誤りを正そうともされない現状は、七百年の宗史にかつてなき混濁の時であります。
また、猊下は、日達上人の時代に僧俗和合して整備された総本山を大きく改変されました。なかでも六壺の改築、大化城の取り壊しなど、その必要なきものまで手を付けられた結果、かつての質実清浄なる総本山の空気は薄れ、華美軟風の趣が顕著になっているのであります。その猊下の采配は、先師日達上人への個人的怨嫉の念を源とし、その御事跡をことごとく否定せんとするかのごときものであり、私たち僧侶一同の誇りとしてきた宗風を改変してしまったことは、宗門人として看過でき得ぬことであります。
これらは、ほんの一例であり、多くの宗内僧侶は異口同音に、猊下の判断に疑問を持ち、宗門の著しい混迷の事態に憂いを深くしているのが偽らざる姿であります。このような今日の事態であるゆえに、大聖人が「仏尚我が所説なりと雖も不審有らば之を叙用(じょゆう)せざれとなり」と仰せのように、いかに猊下の発言であっても、とうてい道理とは思えないものに従うことはできないのであります。宗祖の云く「彼の万祈(ばんき)を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」と。仏法の道理に外れた指南には従わないという姿勢こそ、「時の貫首為(た)りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」と仰せられた日興上人の御心にも適う道であると信ずるものであります
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from: 21世紀さん
2009年03月10日 08時54分05秒
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「Re:第二次創価学会問題」
第四 創価学会の宗教法人としての逸脱
このように、大謗法団体と化した創価学会は、宗教法人法に定める法人としても、また到底認められない団体となっております。
創価学会は、現在、日蓮正宗を外護する信徒団体から、逆に日蓮正宗に敵対する大謗法団体へと変質・変貌してしまいました。しかも先に述べたごとく、三原則遵守の確約を完全に破棄して、その存立の目的も基盤もことごとく失ってしまったのであります。
『創価学会解散勧告書』に指摘したとおり、創価学会における、たび重なる巨額の金銭不祥事にまつわる社会的不正・疑惑事件は、創価学会自体が宗教法人としての資質や責任を厳しく問われる、反社会的実態を露呈したものであります。これは、同時に本宗の社会的信用に著しく傷を付け、広宣流布への大きな障害となっております。しかも毎年行なわれる財務では、多額の寄付を集めて、実際に本宗信徒の生活を苦しめ、窮地に追いやっている事例も少なくありません。このような創価学会の実態は、本宗信仰の信条はもとより、宗教団体の目的からも著しく逸脱するものであると断じます。
第五 創価学会の宗門に対する背信
以上のような実状から、本年11月7日、宗門としては、創価学会及びそれに同調するSGI組織の全てに対し、一切の責任を取って自主的に解散するよう『創価学会解敵勧告書』を送付したのであります。
創価学会では、この解散勧告に対して、いたずらに「大謗法の日顕一派」「傲慢と邪悪の法主」「平成の提婆達多」「仏法破壊の法主」「邪教の法主」などと、血脈法水の尊厳を冒す誹毀讒謗の限りを尽くし、法主の退座を執劾に要求するという暴挙に出ているのであります。しかも、相も変わらず唯授一人の血脈を無祝して、ことさらに「大聖人直結」を主張したり、また秋谷栄之助氏が、「宗門の解散勧告書は、学会員にとっては黒い権威からの解放の宣言に聞こえた」「一方では、こうした腐敗、堕落し、謗法と化した宗門に対して、いつまでもかまってはおられない、という声もあり、まことに同感だと思います」と発言するなどは、むしろ本宗から離反し、在家教団として独立することを企図、指向している何よりの証左であります。
創価学会の昭和五十二年路線における逸脱・背反の根底にあったものは、池田氏への報告書として記された、『山崎・八尋文書』『北条文書』等の学会内部文書に明らかであります。すなわち、昭和49年4月12日付の『山崎・八尋文書』には、
本山の問題については、ほぼ全容をつかみましたが、今後どのように処理して行くかについて二とおリ考えられます。一つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、つまり、向う三年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係ではいつでも清算できるようにしておくという方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという方法です。本山管理に介入することは、火中の栗をひろう結果になりかねない危険が多分にあります。
しかし、私の考えでは、本山・正宗は、党や大学、あるいは民音以上に、学会にとっては存在価値のある外郭と思われ、これを安定的に引きつけておくことは、広布戦略の上で欠かせない要素ではないかと思われます。こうした観点から、後者の路線ですすむしかないように思われます。そのための布石としては、
(1)本山事務機構一法人事務、経理事務一の実質的支
(2)財政面の支配(学会依存度を高める)
(3)渉外面の支配
(4)信者に対する統率権の支配(宗制・宗規における法華講総講頭の権限の確立、
海外布教権の確立等)
(5)墓地、典礼の執行権の移譲
(6)総代による末寺支配
が必要です。これらのことは機会をとらえながら、さリげなく行うことが必要であり、今回のとこは、(1)、(2)、(3)、を確立し更に(4)まで確立できるチャンスではあります。いずれにせよ、先生の高度の判断によって決せられるべきと思いますので、ご裁断をあおぐ次第です。
と、創価学会首脳が、宗門支配という恐るべき陰謀を企てていたことが、明記されているのであります。さらに、昭和49年6月18日付の『北条文書』には、「宗門の件」として、
長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。(中略)やる時がきたら、徹底的に斗いたいと思います。
と、宗門から独立せんとする謀計が記されております。これらの学会内部文書から判るように、要するに創価学会では、当時「学会が主、宗門が従」という傲慢な考えから、実際に宗門を公明党や創価大学などと同様の外郭団体として、創価学会の支配下に置くか、それができなければ日蓮正宗から独立しようという、謀略を廻らしていたのであります。
昭和54年11月、この文書が明るみに出たとき、当時の創価学会の責任者が総本山へ登山し、「今後は、宗門の永遠の上において宗門をお護り申し上げ、かかる誤りというものを、今後行なうことはもちろん、考えることも絶対にない」と深く陳謝し誓ったのであります。
そのため、ひとたびは、法主としての慈悲の上から、これを信じて許すとともに、多くの僧侶に対しても、この旨を述べた上で、
もちろん、今後も、もしもそのような兆候が万一にでもあれば、直ちにその団体乃至その責任者に対して、どこまでもその誤りを糾し、そしてそれを改めざる限りにおいては、はっきりとした処置というものも考えていかなければなりません。
と、再びこのような問題が起こったときの宗門の対処についても、明確に示したのであります。
しかるに池田氏は、昨年11月16日の第三十五回本部幹部会において、
五十周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ、正信会から。馬鹿にされ、そいでその上北条さんが「もう、お先まっ暗ですね。」『何を言うか、六十周年を見ろ。もう絢燗たる最高の実が、六十周年が来るから元気だせ。』会長だから、これがよ。私は名誉会長だ。「そうでしようか。」馬鹿かー。
と発言し、また森田一哉氏は、本年3月18日の杉並ビクトリー勤行会において、昭和五十二年路線当時と現在とを対比し、
十年前は堂々とできなかった。一言も言えなかった。それで失敗しましたんで、今度は堂々とやっている。
と発言し、さらに最近では、柏原ヤス氏が、本年11月26六日付『聖教新聞』紙上において、
今の宗門をみていると、結局、十数年前も同じね。あの時、学会は一歩譲って宗門のいう通りにしたけれど、あの時も学会は正しかった。
と発言しております。これらの発言をはじめ、最近における創価学会の宗門に対する攻撃は、まさにかつての『山崎・八尋文書』『北条文書』等の、「宗門支配か、しからずば独立か」との野望をそのまま密かに懐き続け、機会を窺っていたことを示すものであり、昭和五十二年路線の反省が、まさしく欺瞞であったことを証する、無慚無愧の著しい背信行為といわなければなりません。
以上、創価学会は、法主並びに宗門のたび重なる慈悲の教導に背反し、本宗の法義・信仰を著しく改変して、仏法破壊の大謗法団体と化したのであります。ここにおいて本宗は、創価学会の過去における外護の功績が、いかに甚大であろうとも、謗法厳誠による宗門七百年の伝統法義護持と、真の大法広布を目指す上から、もはや日蓮正宗の信徒団体として認めることができません。
よって日蓮正宗は、宗教法人創価学会を破門に付し、以後日蓮正宗とは無関係の団体であることを通告いたします。さらに、このような創価学会の指導を受け入れ、同調している全てのSGI組織、並びにこれに準ずる組織に対しても、これを破門に付し、以後、日蓮正宗とは無関係の団体であることを通告いたします。
平成3年11月28日
日 蓮 正 宗 管 長 阿 部 日 顕(印)
日 蓮 正 宗 総 監 藤 本 日 潤(印)
創価学会名誉会長
SGI会長 池 田 x x 殿
創価学会会長
SGI理事長 秋 谷 栄 之 助 殿
創価学会代表役員
創価学会理事長 森 田 一 哉 殿
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※注:本『創価学会破門通告書』は、創価学会を以後日蓮正宗の信徒の適正なる活動団体とみなさないとの通知であって、個々の会員については、以後約7年間、個人の日蓮正宗信徒としての資格は保留され、全ての日蓮正宗寺院は会員の申し出によって、各種法要の執行や塔婆供養等の祈願、ないし本門戒壇大御本尊御開扉願いを受け付けていた。
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2009年03月10日 08時49分46秒
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「Re:第二次創価学会問題」
資料21(創価学会組織破門通告)
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創価学会破門通告書
先般、日蓮正宗は創価学会に対し、これまでの間題の一切の貴任を取って、自主的に解散するよう、『創価学会解散勧告書』を送付いたしました。しかるに、創価学会はかえってこれに反発し、法主並びに宗門に対して、ますます悪質な誹謗中傷を重ねております。日蓮正宗としては、創価学会が、信徒団体としての存立の目的・基盤を自ら破壊し、本宗の法義・信仰に著しく背反し、また宗教法人としてのあり方からも大きく逸脱して、法主・宗門からのたび重なる教導・制誡に対しても、一片の反省懺悔すら示さないため、もはやこれ以上本宗信徒団体として放置しておくことはできず、ここに日蓮正宗からの破門を通告するものであります。さらに、このような創価学会の指導を受け入れ、同調している全てのSGI(創価学会インタナショナル)組織、並びにこれに準ずる組織に対しても、併せて破門を通告いたします。
第一 日蓮正宗と創価学会との関係
日蓮正宗は、宗祖日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、本門戒壇の大御本尊を信仰の主体とし、宗祖以来の唯授一人血脈付法の法主の指南に基づいて、信行に励み広宣流布に邁進してきた、七百年の歴史と伝統を持つ正系の宗教団体であります。創価学会は、初め創価教育学会として昭和5年に発足し、その後日蓮正宗信徒の団体となり、昭和20年、創価学会として再建したのであります。故に、個々の創価学会員は、学会員である前にまず日蓮正宗の信徒なのであります。よって創価学会は、右宗旨の根本に絶対的に帰依し、法主の教導に従って、日蓮正宗信徒団体としての本分を守らなければなりません。戸田二代会長は、昭和26年、宗門外護と折伏活動の便宜の上からとして、宗教法人を設立しようといたしましたが、その際、宗門より提示した「①折伏した人は信徒として各寺院に所属させること、②当山の教義を守ること、③三宝(仏法僧)を守ること」との三原則の遵守を確約したのであります。すなわち、宗門外護と三原則の遵守こそは、宗教法人創価学会が、自らの会則規則においても定めるとおり、本宗信徒の団体として存立する上で、欠くことのできない大前提なのであります。
第二 創価学会の教義上の違背
創価学会は、現在本宗の伝統法義に対して、重大明白な違背を犯しております。
本宗の三宝中、仏宝及び法宝の意義内容たる人法一箇の御本尊について、池田xx氏は、「宇宙根源の法をそのまま御図顕あそばされた大御本尊」などという、御本仏大聖人の己証から外れた法偏重の謬義を繰り返し述べております。これは、まさに本宗の教義を破壊する大謗法であります。しかも池田氏は、過去にも、あろうことか何体もの板御本尊を、勝手に模刻するという大罪を犯しております。
また、本宗の僧宝は唯授一人の法体血脈所受の人にして、第二祖日興上人を随一とし、歴代法主の全てにわたるのであります。すなわち、法主は血脈法水のもとに、本尊書写並びに教義に関する正否の裁定をはじめ、仏法の化導における一切の権能を具えるのであります。故に本宗の僧俗は、自行においても、また広布進展の上からも、法主の指南に信伏随従しなければなりません。しかるに創価学会では、この血脈付法の法主に信伏随従する信条を、「盲信への強要」であると誹謗したり、また法主に対して、「二枚舌」「悪鬼入其身」「天魔」「法滅の法主」「日顕宗」などと誹謗中傷の限りを尽くし、本宗の命脈である唯授一人の血脈の尊厳を、甚だしく冒涜しているのであります。これは、明らかに本宗相伝の僧宝義・血脈義に背反する大謗法であります。
さらに、『聖教新聞』『創価新報』等の機関紙において、広い意味で僧宝に含まれる宗門僧侶に対し、実名・顔写真入りで、口を極めて悪口中傷し、その社会的信用を大きく失墜させております。
このように、現在の創価学会が、本宗信仰の根幹である下種三宝を著しく破壊していることは、火を見るよりも明らかであります。
宗祖大聖人の究極の重大事たる、三大秘法中の本門戒壇の意義について、かつて池田氏が、浅見をもって、
「戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしっかえないわけでございます。」
などと決め付けて大聖人の正意を汚す発言をし、また正本堂の意義についても、諸種の書面等によって指摘したにもかかわらず、池田氏並びに創価学会首脳は、その誤りに対して全く反省懺悔を示さず、かえって反抗・反駁をもって応じてきました。このことは、創価学会が既に法主の教導に背反する大謗法団体と化したことを証するものであります。
創価学会では、現在、孟蘭盆会や彼岸会等の年中行事や、葬儀をはじめとする冠婚葬祭などの儀式法要を、僧侶不要として信徒のみで独自に執行したり、塔婆や戒名等を無用とするなどの邪義を立てております。これらは、己義をもって、本宗伝統の化儀を改変する大謗法であります。さらにこのことは、本宗寺院から信徒を隔離する行為ですから、三原則の「折伏した人は信徒として各寺院に所属させること」にも、明らかに違反するものであります。
第三 創価学会の信仰上の違背
創価学会では、このように本宗の化法・化儀を破壊しているのですから、当然、その信仰面においても本宗の信条に背反していることは明らかであります。
かつて池田氏が、「われわれが登山して、大御本尊を拝することは、そのまま日蓮大聖人様にお目通りすることであり、偉大なる功徳を享受できる」と述べているように、創価学会は、これまで総本山を根本として登山参詣し、本門戒壇の大御本尊を信じ、その大功徳に浴してきたからこそ、今日の大発展があったのであります。しかるに現在、池田氏をはじめ創価学会員のほとんどは、総本山への登山参詣をせず、信仰の中心道場たる総本山外護の任を放棄しております。これは、池田氏らが敬虔な信心の基本を失った証拠であり、多くの信徒の罪障消滅と現当二世の功徳成就の道を閉ざす大謗法であります。
本宗の各寺院は、それぞれの地域における大法弘通の法城ですから、本宗の信徒であるならば、所属の寺院に参詣して仏道修行に励むことが大切であります。ところが創価学会は、寺院参詣を志す純真な信徒の参詣をも阻止していると見られ、現に、ほとんどの創価学会員が所属寺院に参詣しておりません。さらに創価学会員は、創価学会を脱会しようとする人や、脱会して法華講員・各寺院直属の信徒となった多くの人々に対して、さまざまな手段を使って、執拗にに圧迫を加えております。これらのことは、日蓮正宗の正しい信仰をしたいと願う、信徒の純真な信心を妨害するものであり、まさしく大謗法の行為であります。
創価学会は、本来、本宗を外護し、広宣流布へ邁進すべき立場にあります。ところが、実際学会員は、その外護の任を果たさないどころか、僧侶に村してあるまじき悪質な嫌がらせをし、寺院における法莚の場を乱し、果ては徒党を組んで暴力事件を引き起こすなど、僧侶の布教を妨げております。これは、甚だもって許すべからざる布教妨害行為であり、大謗法であります。
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icon拍手者リスト
from: けんちゃんさん
2009年04月07日 14時39分52秒
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「Re:Re:第二次創価学会問題」
> このパンフレットは、創価学会員の方々が戸田城聖会長時代の正しい信心に立ち返られることを願って作られたもので、単なる池田xx氏を誹謗するためのものではありません。
>
>
>
> 創価学会の皆様(みなさま)へ
>
>
>
> 魔性(ましょう)の創価学会製(せい)
>
> ニセ本尊を拝んでいませんか?
>
> この本尊を拝んだ途端(とたん)に病気や悩みが頻発(ひんぱつ)していませんか?
>
> それが現証(げんしょう)です。
>
> このニセ本尊は不幸の根源(こんげん)です。
>
>
>
> 何故ニセ本尊と云うのでしょうか?
>
> 説明は次にあります。
>
>
>
> 左図:創価学会の魔性(ましょう) 簒奪(さんだつ) 偽作(ぎさく) 盗作(とうさく) 変造(へんぞう) 自己矛盾のニセ本尊
>
>
>
>
>
> なぜ ニセ本尊?
>
> それは、魔性、盗作、変造、簒奪、偽作、自己矛盾だからです。
>
> 平成4年11月、もと日蓮正宗の末寺であった浄圓寺が日蓮正宗から離脱し、邪宗(じゃしゅう)となりました。
>
> この邪宗となった浄圓寺に、総本山第26世御法主・日寛上人が本門(ほんもん)戒壇(かいだん)の大御本尊を御書写(しょしゃ)あそばされ、大行阿闍梨本證坊日證(にっしょう)という僧侶に授与(じゅよ)された御本尊が伝えられていました。
>
> この御本尊の授与書き「大行阿闍梨本證坊日證」の部分を抹消(まっしょう)した上に、縮小(しゅくしょう)したり、拡大(かくだい)したりして印刷したのが、創価学会製の魔性本尊です。
>
> ゆえに、日寛上人の御本尊を変造(へんぞう)したものです。
>
> 本来、御本尊は御法主上人猊下(ごほっすしょうにんげいか)の所有に帰(き)すべきところです。その御法主上人猊下の許可なしに授与書きを削除(さくじょ)し、勝手にいらうことは、御法主上人猊下の権能(けんのう)を侵害(しんがい)していますから簒奪(さんだつ)(王位を臣下が奪(うば)うこと)に当たります。
>
> しかも、「日寛上人の御本尊である」と主張していますから盗作(とうさく)であり、偽作(ぎさく)、贋作(がんさく)です。
>
> 日蓮大聖人以来の血脈(けちみゃく)相承(そうじょう)を御所持されている御法主上人猊下の許可なしに本尊を新しく作ることは、これまでの学会の指導と全く違(ちが)っています。自己(じこ)矛盾(むじゅん)の魔(ま)の魂(たましい)が入った魔性本尊です。
>
> これを拝めば今生(こんじょう)では不幸のどん底(ぞこ)になり、地獄(じごく)に堕(だ)すことになります。
>
>
>
>
>
> 創価学会の自語相違
>
>
>
> 「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人のお悟(さと)り、唯授一人(ゆいじゅいちにん)、代々の御法主猊下以外にはどうしようもない。だから仏立宗(ぶつりゅうしゅう)や身延のやつら身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性(ましょう)の力が入っている。だからコワイ」(創価学会第二代 戸田城聖会長の指導:大白蓮華 98号 9頁)
>
>
>
> 「いわゆる付嘱(ふぞく)のないもの。これは偽札(にせさつ)本尊といって、これを本尊と立てる連中は、御本尊はだれが書いてもよいなどと考えているのである。」(折伏経典 改定33版 345頁)
>
>
>
> 「本尊を『物』と扱うようになった場合は罰(ばつ)をうけます。学会精神に反します。信心ではありません。」(大白蓮華 159号 62頁)
>
>
>
>
>
> 創価学会は折伏(しゃくぶく)を放棄(ほうき)して摂受(しょうじゅ)になった
>
> 「謗法払い」は不要 -『聖教新聞』(H9.2.11付)
>
>
>
> 「謗法払いは必要ではない」ということは折伏を放棄(ほうき)したことを意味しています。
>
> 聖教新聞、平成9年2月11日号に秋谷栄之助会長は、
>
> 「『謗法払い』については、あくまで原則通り、本人処分であることには変わりはありませんが、御本尊を安置するための絶対的条件ではありません」 ―― 中略 ―― 「したがって、神棚(かみだな)や仏具等を取り除く必要はありません」
>
> と指導しています。
>
> これは御本尊を神札(かみふだ)や阿弥(あみ)陀仏(だぶつ)などと一緒に祀(まつ)ってもよいということで、この信仰のありかたは、天台(てんだい)大師(だいし)や伝教(でんぎょう)大師(だいし)が説かれた迹門(しゃくもん)熟脱(じゅくだつ)の法華経の修行すなわち摂受です。
>
> 末法の本門下種(ほんもんげしゅ)の仏法は折伏であることは、御書(ごしょ)のどこを拝読しても明々白々のことであり、かつては創価学会が実践してきたことでもあります。
>
> 創価学会が日蓮大聖人様の教えに真っ向から違背(いはい)し、成仏(じょうぶつ)できないことは明らかです。それでも「学会は日蓮大聖人の仏法を実践している」とうそぶいて、「日顕宗を折伏する」といっているのです。頭破作(ずはさ)七分(しちぶ)か、一闡提(いっせんだい)か。あなたはどう思われますか。
>
> 「謗法払いは必要ない」ということは、折伏を放棄して摂受になることであり、折伏を放棄した創価学会は折伏をする論拠(ろんきょ)も資格(しかく)もないのです。
>
>
>
> 皆さま、勇気を出して創価学会を退会(たいかい)し、戸田城聖会長時代の正しい信仰・日蓮正宗の信心に返(かえ)りましょう。池田創価学会の嫌がらせや誹謗(ひぼう)中傷(ちゅうしょう)ごときに懼(おそ)れをなしていては成仏できませんぞ。
>
>
>
>
> 池田xxの象徴(しょうちょう)と見られた
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> 正本堂(しょうほんどう)解体
>
> 昭和47年に日蓮正宗の寺院・僧侶、法華講、創価学会員が総力をあげて建立した正本堂は平成11年に解体されました。正本堂解体を池田創価学会ははげしく批難しています。正本堂に御安置されていました戒壇の大御本尊様が新奉安殿に御遷座(ごせんざ)あそばされ、正本堂は無用の長物となったので、解体されたのです。
>
> なぜ、戒壇の大御本尊様が正本堂から新奉安堂に御遷座あそばされたのでしょうか。第一は池田氏が広宣流布(こうせんるふ)の時に建立されるべき『三大(さんだい)秘法(ひほう)抄(しょう)』『一期(いちご)弘法書(ぐほうしょ)』の本門の戒壇であると偽(いつわ)ったからです。広宣流布が実現していないのに、実現したと偽ることは御本仏日蓮大聖人を欺(あざむ)くことになります。戒壇の大御本尊様を大聖人様を欺く正本堂に御安置することはいのびがたいことです。
>
> 第二には、正本堂建立が広宣流布の達成であるとみなすことによって、実にさまざま数え切れない池田氏の謗法の姿が顕れるにいたったのです。いわば謗法の固まりの意味をもつようになったのです。たとえば、正本堂建立より後は、創価学会の活動の目的が、池田氏の天下取りへと変わっていったのです。
>
> このような正本堂に戒壇の大御本尊様を御安置申し上げることはできるはずありません。
>
>
>
> 日蓮正宗はあなたを破門(はもん)したのではありません
>
> あなたにお尋ねします。あなたは日蓮正宗から破門状を受け取られましたか。
>
> 受け取っていないはずです。「日蓮正宗があなたを破門した」というのは、創価学会があなたの日顕上人猊下に対する信頼感を失わせ、被害者意識をもたせるためのデマです。
>
> この度の破門は二通りありあます。創価学会という団体の破門と池田xx氏個人の破門です。団体の破門とは、創価学会の活動や指導は日蓮正宗の信心ではないとするものです。創価学会員の中で、個人として破門されたのは池田xx氏ただひとりです。
>
> あなたは平成9年11月30日までに日蓮正宗の信徒としての届け出をしなかったために、信徒(しんと)資格(しかく)をなくしているだけです。今からでも決して遅くはありません。日蓮正宗の寺院に信徒として信心することを申し出て手続きをすれば、信徒として大石寺(たいせきじ)参詣ができ、冠婚(かんこん)葬祭(そうさい)もしてもらえます。
>
>
>
> 池田xxただひとりの破門
>
> 池田xxはなぜ破門になったのでしょうか。
>
> 創価学会が宗教法人になる時の創価学会規則の第三条に
>
> 「この法人は、日蓮大聖人の一閻浮提総与の大曼陀羅を本尊とし、かたわら日蓮正宗の教旨をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成し、その他正法興隆・衆生済度の聖業に精進するための業務及びその他の事業を行うことを目的とする」
>
> と規定しています。
>
> その当時、さらに日蓮正宗と創価学会との間で三ヶ条の約束が交わされました。
>
> 一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること。
>
> 二、当山の教義を守ること。
>
> 三、三宝(仏・法・僧)を守ること。
>
> 学会規則と三ヶ条の約束を守られることを前提として学会が宗教法人になることを宗門は認めたのです。
>
> ところが、池田xxは宗門との三ヶ条の約束を破り、その上あろうことか、創価学会規則をも反故(ほご)にしているのです。唯一、日蓮大聖人の正統である日蓮正宗に泥をかけ、僧俗和合を破壊し、広宣流布を妨害した元凶です。けじめをつける上から池田xxは破門。それによって結局、創価学会は本尊も教義ももない邪教団となったのです。
>
>
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