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from: 21世紀さん
2009/04/05 18:06:08
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四箇の格言の見直し
いうまでもなく四箇格言=「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」とは、大聖人ご在世当時に盛んだった各宗の教義の誤りや、その害毒・悪果報を端的に示されたもの。これには当然、天台過時の義も含まれている。
つまり、この四箇格言は、三大秘法の南無妙法蓮華経以外の一切の宗教とか思想は邪宗邪義・邪教邪法であるぞ、と御宣言あそばされているものと拝し、あくまでも御本仏・日蓮大聖人の正法正義の建立・信受でなければ、一切衆生・国土の幸福、安穏、救済はない、というのが、日蓮正宗の教義であり、これまでの学会の指導であった。
四箇格言をないがしろにするということは、宗教や思想には高低正邪・浅深勝劣があることを無視し、「宗教はどれも同じ」(万教一致)とか「どの宗教もめざすものは一つ」(万教同根)といった、もっともらしい間違った認識を生み、こうした邪法邪義の思想的害毒に目をつぶることになってしまう。
逆にいえば学会・SGIのように、他宗教他思想との共存や協調を図ろうとすれば、いつのまにか、あの名誉会長の「11.16スピーチ」のように「四箇の格言」を茶化す心根や、今回のような見直し論が生まれてくる。
したがって宗門は『お尋ね』(平成2年12月16日付文書)で、池田創価学会・SGIの平和・文化・教育路線の背景にある、名誉会長をはじめ学会首脳の心根を問うたのである。
「イエス・キリストも仏法を説こうとした」とか「ヒューマニズムこそ仏法の精神だ」とか「最高の宗教活動は真の偉大なる人間の連帯である」といった趣旨で語る、“寛容の精神”に基づくSGIの思想や在り方そのものが、謗法与同・正邪混濁・仏法破壊になってしまうものだ、と指摘したのである。
宗門は「四箇の格言の意義は深いものがあり、七〇〇年を経た今日においても、これら権宗の思想的害毒が、社会に広く根強くはびこっていることに対して、破折、並びに教導していかなくてはならないのであり、軽々に教条的だなどと考えるべきではありません」(平成3年1月12日付・『お尋ねに対する回答についての指摘』)と述べている。
ところが学会は、宗門に対して、>>247で記したように、聖なる独善的な孤高を護り続ける姿勢は、教条主義・原理主義・権威主義・時代遅れとの見下しがある。
社会や世界に理解と共鳴を求め、現実の中で根を張ろうとすれば、宗門のような独善的な姿勢では受け入れてもらえない。宗門は、そうした苦労をしていないから、平和・文化活動の意義もわからないし、いつまでも「井の中の蛙」みたいな独り善がりの言い草を振り回す、と捉えている。
これは、社会や世界の中で“市民権”を得ようとした結果なのだと思う。世俗の論理や価値観に立っているから、宗教的思想的な独善性を捨てて、外道義・謗法思想の中に大聖人の仏法を求めようとしているため、他宗破折・謗法呵責を止めて、その代わりに本家本元である日蓮正宗を攻撃しているともいえよう。「仏法の論理」というか御本仏からの称賛よりも、世俗の価値観が大事になっているから、勲章や名誉を欲しがるのかもしれない。
〔続く〕
宗教的思想的な独善性を捨てて、他の宗教や思想との共存を図れば、極論すれば「宗教はどれも同じ」になってしまう。より高度か発展途上かといった相違でしかない。それでは、ずーっと会員に対して、大聖人の仏法の唯一絶対性を説きつづけてきた指導との整合性を失う。つまり、前に言っていた事と、今言っている事とが一致しないということだ。
そこで、外道義・謗法思想の中に大聖人の仏法を求めることになる。それが「どの宗教もめざすものは同じだ」という宗教多元主義との結びつきだ。諸々の宗教や思想・哲学が求める、究極の哲理・根本的な法理・根源の“法”こそが、日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」であるという捉え方である。
いわば“宗教の中の宗教”が大聖人の仏法であるという捉え方だともいえよう。そして“宗教の中の宗教”というのが「絶待妙」で、その究極の“宗教=法”から開かれたのが、「相待妙」としての各宗教・宗派、思想・哲学という認識を生み、他宗教との共存・協調も可能となる。
ヒューマニズムとは、人間中心の思想であり、人間性に最高の価値を置く。ましてや今日の現代ヒューマニズムは、無神論的ヒューマニズムに立つ。神の代わりに「人間を究極の目的として、最高の価値として考える理論」(サルトル『実存主義とは何か』)であり、徹底した「世俗の論理」である。
その人間性を社会的な基本的人権として捉え、民主主義という一つの思想を生み、近代現代の社会体制を作り出してきた。民主制とは、王とか神(教会)などの絶対性を否定し、すべての人は自由で平等であるという“多元的”“相対性”を前提に成り立っているものだ。
学会SGIの「人間主義仏法」あるいは宗教多元主義は、こうした「民主主義の論理」=「世俗の論理」を宗教の世界に持ち込んできたものである。つまり、宗教の“唯一絶対性”というものが否定されてしまうのである(その上で、横断的普遍性を持つ究極なるものの構築を志向する)。
つまり、念仏や禅宗、キリスト教、イスラム教など、あらゆる宗教・思想・哲学は、「相待妙・絶待妙の法門」を牽強付会して、すべて「南無妙法蓮華経」の一分を説いたものであるとし、極論すれば、心に「南無妙法蓮華経」を思い浮かべたら対境は何でもいい、ということになり、「御本尊はどれも同じだ」「本門戒壇の大御本尊は民衆のものだ」「心こそ大切だ」といった指導が罷り通るようになる。
だから、信心の血脈だけを強調し、御本尊をまるで幸福製造機のように受け止め、必死に題目を唱えれば功徳を得ることができるという「ご利益信仰」(利用信心)に陥り、自分の信心(信力・行力)だけが大事となり、自分の心の在り様だけが問われることになる。
学会では、重要なのは信じる側の姿勢なのだ。それは、それで、その通りなのだろうが、何を信じるかという検証を忘れ怠り、「鰯の頭も信心」とばかりに学会を疑うことには目をつぶり、自己の生命の中に内在するだろう仏界を引き出そうとし、あるいはこの大宇宙に遍満するだろう妙なるリズムを合致しようとする。最終目的の成仏は、自己の可能性を開いた“人間革命”だと捉え、御本尊はそのための方便・手段にすぎず、信心が正しければいいのだと豪語する。
つまり、御本尊を信じているようにみえても、実は御本尊よりも学会・名誉会長を信じ、そして学会を信じている己れ自身を信じているのではなかろうか。
1つの見方をすれば、学会の「人間主義仏法」は、仏性信仰ともいえるかもしれない。
すなわち、われわれ衆生一人ひとりの己心・生命には“仏性”という仏界の境界があって、その仏界を開現・顕現すれば、最高の絶対的な幸福境涯をえられるという捉え方だ。だから、最高の人間性が“仏”であるとし、完成された人間像として「仏」を仰ごうとする。つまり「仏」は目標にすぎず、御本尊は単なる手段であり、仏様への信仰心を失っているといわざるをえない。
言い換えると、人間主義仏法は、「人間(衆生)=仏、だから人間を信じ合いましょう。さすれば世界が平和になる」という思想で、御本尊よりも衆生(民衆)を、仏法よりも仏性を尊ぶようなもの。しまいには「私は仏だ」「俺はすごい」と言い出し、己れ自身を拝むようになるかもしれない。ぜんぜん仏様を信じていない。そのうち、御本尊の拝し方も、中央のお題目の下に自分の名前(自己の本性・仏性)を観ていくことになるやもしれん。
学会には、御本尊は生命に内在している仏界を顕した“レントゲン写真”のようなもの、という解説がある。また、以前から会内では、本門戒壇の大御本尊への絶対的な信仰は、偶像信仰の一形態であり、こうした偶像信仰は宗教としては低級なもので、世界宗教としてふさわしくない、なんてことを堂々と語る幹部がいるくらいだ。
けど、どこの世界にレントゲン写真だけを拝んで病気が治るという話があるのか。レントゲン写真を見ているだけで、結核や骨折、脳内出血、胃潰瘍、肝炎、糖尿病等が、他の動物のように自然治癒力で治るならば、医者はいらない。それと同じ。仏様の存在なくして、己れの力で、己れ自身に内在する「衆生本有の理」とかいうのを、どのようにして引き出そうというのだろうか。
正宗教義が「仏(本仏)とは日蓮大聖人なり」=本門戒壇の大御本尊とするのに対し、学会教学では、大聖人の仏法を生命哲学と捉え、「仏とは生命なり」に立脚して、仏=生命=仏界(仏性)とし、「一切衆生のなかに、仏と等しい生命の法理を見いだし、その顕現への実践の道を開いたのが仏法である」(『大白蓮華』平成3年3月号)と、仏性顕現の実践道を強調する。
だが正宗教義に従えば、仏法とは本門戒壇の大御本尊を絶対と信ずることによって、凡夫は成仏するのであって、衆生の生命に内在する仏性・衆生本有の理または宇宙根源の一法を信ずることではない。
学会教学は人間性そのものに価値を見出すので、西欧のヒューマニズムと容易に結びつく。
欧米では、禅が根強くもてはやされている。禅宗は仏心宗ともいう。仏心とは仏性のこと。そこで、いわゆる「直指人心・見性成仏」という教義を立てる。仏性を月に譬え、仏の教えは、その月を示す指であって、自己の心に仏心を見出せば、仏は方便にすぎない、と。これは、正宗の伝統的教義に従えば、ご存知の通り爾前権教、けっして実教ではない。
正宗・宗門側からみれば、昨今の学会の在り様は、
仏性信仰といい、自力志向の利用信心といい、相伝仏法を否定し、衆生を本とするような慢心教学―等々、どれもこれも「禅天魔」に劣らない。
大聖人のご法門の骨格を盗み、西洋ヒューマニズムで味付け、もっともらしく装い、下種三宝を破壊しているのは「真言亡国」そのもの。
その上、宗門サイドの文書資料や反学会情報は、受取り拒否や拒絶、読みもせず閉じて捨て抛るなど、まるで法然の「捨閉閣抛」と同じ。つまり「念仏無間」。
ついで、宗門僧侶に対して小乗戒を守れみたいなこと要求し、糾弾キャンペーンを繰り広げるのは「律国賊」みたいなものかもしれない。
創価学会・公明党 創価学会の宗教問題
コメント: 全1件
from: 21世紀さん
2009/04/05 21:48:35
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「Re:四箇の格言の見直し」
日蓮は排他的だったか
創価学会が路線変更をしたという記事である。もともと創価学会は、戦闘的折伏売りに信者数を伸ばしてきた団体である。その際、折伏をしない糞坊主と、接受路線の日蓮宗を批判していた。今に至って、創価学会が、折伏から接受へと路線変更したところで、他宗から冷ややかな目でしか見られないだろう。
(朝日新聞夕刊 平成14年8月12日)
「四箇格言」見直す 創価学会
排他的な人物と見られがちな日蓮(1222〜82)を、解釈しなおす動きがある。他宗を批判した「四箇格言」をとらえ直す創価学会、「折伏」をめぐる日蓮宗内部の論争。立教開宗750年にちなんで、二つの議論を紹介する。(菅原 伸郎)
創価学会の機関誌「大白蓮華」は3月号で、池田x作名誉会長と斎藤克司教学部長の対談を掲載し、「四箇格言」の読み直しを提唱している。
「四箇格言」とは、日蓮が他宗を「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」と批判した四句をいう。それぞれ順に、浄土宗、禅宗、真言宗、律宗を指しており、名指しされた側は、日蓮の排他性を示すものとして反発してきた。
2年前に発行された創価学会編『宗教哲学大辞典』は、念仏信仰について、
「来世に極楽浄土に生まれることを目指し、娑婆世界を穢土として嫌った」
とし、法華経を誹謗したことを理由に「無間地獄に堕ちる」と述べていた。
今回の対談では、各宗の態度が日蓮の時代と違うことを強調する。
池田氏は
「当時の念仏宗は権力と結託し、独善的で排他的だった」
としながらも、浄土教を「どんな疲れ病む衆生をも仏界の生命力で包み、絶対の安心感を与える」
とする。
「自力のみによる悟りの獲得と安住を説く」という「天魔」の禅は「自分の中に自分を変革する力のあることを信じ、それを実感していける」とされた。
「呪術による現世利益を説く護国宗教」の「亡国真言」も「現実の変革に勇気をもって邁進していける」存在となった。
日蓮か激しく他宗派を非難した背景には、新興教団を当時の有力教団が迫害した歴史的背景もある。斎藤氏は経緯をこう説明した。
「創価学会にも、似たような事情から他宗派を反撃した過去がある。しかし、今後は攻撃されないかぎりは協調していきたい。そのために組織内の意識改革を狙った試論です。時代の変化を無視して今の世に『四箇格言』をそのままにしておくことは、かえってこちらが独善的と批判されかねませんから」
いまのところ、伝統教団の反応は冷ややかだ。「政治的ポーズだろう。排他的体質は変わっていない」との声が強い。
折伏・摂受で論争 日蓮宗
山梨県の身延山久遠寺に総本山を置く日蓮宗内では、「日蓮の布教は摂受だったか、折伏だったか」との論争が起きている。
「摂受」は相手を摂取し、受け入れつつ説得する穏やかな教化法。「折伏」は相手を破折し、伏せしめる激しい布教手段をいう。
戦前の国家主義的な布教もあり、日蓮は戦闘的な折伏の人と見られがちだった。しかし、遺文「佐渡御書」には「摂受・折伏、時によるべし」とあり、今成元昭・立正大名誉教授は99年から「宗祖の本懐は摂受だった」という論文を発表してきた。国文学者の立場から原典を比較考証しての主張で、こう説明する。
「残された手紙類を読むと、日蓮自身は相手の話を実によく聞く方で、その上で説得をする摂受型だったようです。たしかに折伏の優位を説く文書もあるが、その多くは後年に偽造された疑いが濃いのです」
しかし、学者の間では反論も多い。昨年春に東京で開かれた宗門内の討論会では
「教えを堂々と主張すること自体が悪いのでない。他宗派との協調が必要な時代だからといって、教義を変えていいわけでもない」
との発言もあった。
もっとも、明治以降の日蓮宗は事実上、摂受路線に傾いており、他宗派との融和を図ってきた。今年は日蓮が故郷の千葉県天津小湊町にある清澄寺で立教開宗を宣言してから750年。「国家主義や排他性と決別するためにも議論を深めよう」という意見が宗門内の機関誌には載っていた。
創価学会・公明党 創価学会の宗教問題
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