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from: 21世紀さん
2009/05/06 23:27:33
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戸田城聖2代会長指導から
大御本尊様の車引き戸田先生の指導より---------------------------------------------------------
大御本尊様の車引き 戸田先生の指導より
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もったいなくも、総本山から猊下をおむかえして、ここに第四回の総会を開催できたことは、ひじょうな喜びに耐えないしだいである。
わたくしは、きょう、創価学会の使命について、この機会に少し述べたいと思う。
日蓮大聖人様から六百年余年、法燈連綿(ほうとうれんめん)と正しく続いた宗教が、日蓮正宗である。もっとも完全無欠な仏法が、日蓮正宗なのである。
この仏法こそ、わたくしたちを、真に幸福に導いてくれる宗教であることを、わたくしたちは、日夜、身をもって体験しているのである。
世界の文化がいくら発達しても、国と国とのもつ間柄が、道徳を無視して、実力と権力闘争の世界では、決して人類の真の幸福はない。不幸にして、原子爆弾による戦争がおこったならば、世界の民族は、崩壊の道をたどる以外にない。
この時に、日本国に厳然として存在している、人類破滅を阻止しうる偉大な宗教が、日蓮大聖人様によって、与えられているのであると確信する。
毎朝、御観念文に拝することのできるのは、誠にもったいないしだいである。
われわれは、日蓮大聖人様の家来であり、子であり、弟子なのである。
そして、宇宙の仏様であらされる大聖人様の家来、子、弟子となれることは、人生の大因縁なのである。
しかも、開示悟入(かいじごにゅう)の大聖人様の因縁である。
大聖人様のご出世は、われわれのごとき無智な悪人に、大御本尊様を拝ましてやるという一大事因縁なのである。ゆえに、
大聖人様の教えに随順(ずいじゅん)して、世に最高唯一の大御本尊様を子として、弟子として、家来として拝することは、無上の大果報である。
ゆえに、世人にさきだって、この因縁を知りえたわれわれは、御本尊様の功徳を、悩める衆生につたえる使命をもっている。われも拝(おが)み、人にも拝ませるようにつとめ、善きにつけ、悪しきにつけ、世のなかがいになろうとも、世界人類の幸福のために、自分も拝み、他にも拝ませなければならない。
わたくしたちは、無智な人々をみちびく車屋である。
迷っている人があれば車にのせて、大御本尊様の御もとに案内して行くのが、学会唯一の使命である。
宝の山にはいって、宝をとるかとらないかは、その人の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様へ案内するのが、われわれ学会の尊い使命なのである。
宗教によって名誉を欲するのではない。
まして、新興の宗教屋ごとき金もうけを目的とするものではないことなど、いまさら申し上げるまでもない。
ただ目前のご利益を望み、真の大聖人様の功徳を知りえないならば、まことに不覚といわなければ為らない。最近にいたって、百人にもおよぶ指導員ができて、ともに同志として、広宣流布に邁進(まいしん)できることになっとことを、まことに喜ばしく思っているしだいである。
昭和24年10月24日
創価学会第四回総会
東京教育会館
from: 21世紀さん
2009/05/10 21:51:39
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「Re:戸田城聖2代会長指導から」
仏法は勝負である 戸田先生の指導より
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わたくしは、毎月諸君らの確信を聞くたびに、悲しい気がする。
というのは、折伏をするのが、まるで数字の計算のようであるからだ。
どこそこが勝った、やれ負けたと相撲か、野球でも見るような気持ちで来る人が、この中にいるんです。しかし、折伏は遊戯のようにやっても功徳がある。相撲を見て、自分のひいきが負ければ悲しいし、入場料を損する。ここは、ただで見られる。
仏法は勝負で、国法は正邪、世法は評判である。
この三つがわからぬと戸田の哲学がわからない。
やみの米を運ぶことが、良いか悪いかと聞かれる。病に病んでいる夫を持ち、子を持っているならば、どうするのだ。どしどし、やみ米を運びなさいという。
国家できめた国法では悪いが、仏法では悪くない。国民の生活を維持できないのは、国の政治が悪いのではないか。つかまらないようにやるのが仏法だ。
国法と仏法とけんかして、仏法は必ず勝つ。戸田は悪人であると評判しても、罰することは出来まい。
罰せられるようなことをしないわたくしは、こんど謗法しました。いままで謗法しないと思うた。しかし謗法はよくやるが、わからぬのだ。
わたくしは、病気で気持ちが悪いときがあった。声がでなくなり、のどがつまり、息ができぬ。その原因は、本部ができて、嬉しくてたまらなかった。さぞかし、静かであろうと思ったら、毎日題目でわんわんであり、うるさいと思った。とたんに謗法でこのとおりになっていた。
ただ題目をとなえれば良い。うんとあげなさい。
もうひとつ、謗法しては悪いから言うとくそれは子どもがきていろいろこわす。
どんどんきてこわしている。これを、こわされる方も謗法であれば、こわす方も謗法である。
ゆえに、いま懺悔している。ほんとうに懺悔しているのは、御本尊様に向かう以外にない。
いまぼくが三百円盗んだとする。懺悔できない。言ったらいけない。キリストと違う。
これを「まさに懺悔せんと欲せば端座して実相を想え。衆罪(しゅうざい)は霜露(そうろ)の如し。慧日(えにち)良く之を消除す」といわれている。
これがほんとうの懺悔といわれる。題目を唱えれば良い。こんどの病気は懺悔してなおった。きょう、支部長がほらを吹いたから、きみたちもほらを吹くのだ。仏法ではほらの貝を法羅(ほうら)という。
本年十八万というが、そんなにやらなくてもよい。八万で結構だ。十五万できれば広宣流布できることを知っている。いくらやっても、学問教育がなかったら、なにごともできぬ。虱(しらみ)の集団である。
来年二十五万世帯になったら、手に負えない。わたくしが教学を立てなければつぶれる。会長の願いは、十八万やらなくてもよいから、八万やってもらいたい。
昭和28年12月21日
本部幹部会
豊島公会堂
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