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創価学会SGIを本音で語ろう

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  • from: 21世紀さん

    2009年05月31日 00時12分37秒

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    謗法路線の始動を風化させない為に!!

    謗法路線の始動を風化させない為に
    創価学会52年度路線検証
    1・創価学会の沿革
    昭和5年11月18日、創価教育学会として創立。
    昭和18年7月、治安維持法並びに不敬罪の容疑で逮捕された初代会長牧口常三郎は、
    翌19年11月、獄中で73歳の生涯を閉じた。
    牧口とともに牢に入った理事長戸田城聖(2代会長)は出獄後、名称を創価学会と改称して学会の再建に着手し、75万世帯を越える折伏を成し遂げた。
    昭和35年5月3日、第3代会長に池田/大・作(現名誉会長)が就任した。
    2・創価学会の謗法逸脱
    正本堂建立以降、創価学会は様々な謗法逸脱行為が行われるようになった。
    日達上人は『昭和47年に正本堂が建立せられた。その直後から非常に学会の態度がおかしくなってきた。大変僧侶も馬鹿にするし、また教義上に於いても非常に変化が多いように思う。そのつど私も種々な時にそれを指摘してそういうことはいけない、日蓮正宗教義に違うと指摘してきたつもりでございます。』と昭和53年2月の時事懇談会の席上、当時を振り返って述べられ、学会の態度の変化に対し、非常に苦心させられていたことを回顧遊ばされている。特に昭和52年1月15日に行われた池田/大・作による『仏教史観を語る』という講演に明らかである。
    ①・僧侶不要論
    ②・在家僧宝論
    ③・創価学会も供養を受けられる。
    ④・会館は現代の寺院(道場)
    ⑤池田本仏論
    ⑥・その他の大法謗に御本尊模刻がある。
    日達上人に無断で行った本部安置の御本尊以外の模刻事件についてはこれといった謝罪も無く、そのまま学会の本部会館に安置されていると言う状態で完全に解決していた訳ではなかった。困った池田は9月2日の連絡会議於いて宗門側にたいし『(模刻本尊)をどのようにしたらよいか』と伺いを立てた。その報告を聞かれた日達上人は『そんなものは人目にさらすな、金庫にでもしまっておけ』ときつく叱責されたのである。
    さらに困った学会では、北条理事長より、大宣寺・菅野慈雲御導師対し『学会でも置く場所がないのでどうしたらよいか』と再びお伺いを立てたのである。
    その結果総本山へ納められることになり、9月27日から28日の深夜早朝にかっけて当時の中西総務(一億数千万円入り金庫破棄事件で有名になった男)と山崎弁護士によって大宣寺に運び込まれた。そしてそれらは、直ちに菅野御尊師によって総本山に運ばれ、内事部に於いて日達上人に御覧いただき、翌日には奉安殿に納められたのである。
    これを承けて、10月3日には、反省の姿勢を示している創価学会を守り、又宗内の混乱を一日も早く正常な状態に戻すために総務院より通達がだされた。
    『この度、創価学会に於いては、これまでに彫刻申し上げた板本尊については、すべて総本山へ奉納せられ、総本山に於いては29日奉安殿にお納めいたしました。(中略)
    よって、今後は創価学会の板御本尊のことに関しては、一切論議を禁止する旨、御法主上人猊下よりご命令ありましたので、充分御了知くださるよう願います』
    これは、昭和53年6月29日、創価学会の教義逸脱問題について検討した会合での日達上人の『学会の方で板御本尊になおしたところがあります。それは私が知らなかった。しかし後で了解をして、こちらも承認したのだから、そういうことをつついてお互いに喧嘩をしないようにしてもらいたい(中略)学会の下の方では、悪口をいったり陰に回って盛んに色々なことを未だに云っていることは判っておる』『色々なことを云うことがすぐには徹底しないけれど、著しく徹底しなかったらしないで、即座に通知をもらいたいとおもいます。そして出来るだけ手を握って、檀徒は自分の寺の檀徒して守って、そして又一般の学会員と共に、広宣流布に向かって進んでいただきたい』との御言葉でも明確なように、あくまでも、再出発しようとしている創価学会を守り、僧俗和合の実をあげるべきと言う、
    日達上人の御慈悲によるところであることは云うまでもない。
    3・創価学会の本音(宗門からの分離独立)北条文書
    『9日の本山お目通りの際、猊下の話は大変ひどいものでした。之(これ)が猊下かと疑うほど、また信心そのものを疑いたくなるほどひどいものでした。反論はその都度しましたが話のすじはわかっても、感情的に思いこんでいるという所があり、公布の上に重大障害となり、また宗門僧侶等の問題の一切の根源がここからでていると感じました(中略)
    先生が前々から見抜いておられた本質がされけ出されたように思いますが、あまりにひどいのでかえすがえすも、残念です。公宣流布など全く考えていない、自分たちの私財がふえることことと、信徒を見下して、えばって暮らせば満足とういう風にしか考えられません。学会が生き抜いていく為には、相手に信心がないのなら、うまく使ってゆくか、徹底的に斗って学会の旗を守って死んでゆくか、いずれにせよ先生の最大のご苦心にふれる思いで、決意を固めました。』(猊下=日達上人)
    【昭和49年5月10日】
    『宗門の件』
    『広布の前途を大きく開いて、帰国された先生に、このような報告を申し上げる事は、洵に残念なことであり、且つ申し訳ない限りでありますが、報告を怠ってご判断をあやまらせてはより以上重大なことと思い、中西、秋谷、山本とt相談の上、ご報告申し上げます。
    また私たちなりに検討しました対策もしたためますので、ご指示賜りたく、その上で、私どもいかなる事なりとも斗う所存です。かねて先生の仰言っておられた通り、私たちの到底想像することの出来ない、みにくい姿であります。いずれにしても私たちは断固たたかいぬく決心です。(中略)長期的に見れば、うまく分かれる以外にないと思う。
    本質はカソリックとプロテスタントのような違いである。
    戦術的には、すぐ決裂状態となる事は避けて、早瀬理事とのパイプ(山本、八尋が話し易い関係にあります)を太くするか、当面Gの異常心理をしずめ、新しい進路を開きたいと
    考えます。但しやる時が来たら徹底的に斗いたいと思います。』(注G=猊下の事)
    【昭和49年6月18日】
    さて、当時池田が、いかに宗門や日達上人を馬鹿にし、また反感を抱いていたかという証拠がある。この報告書にさかのぼる1年ほど前の正本堂1周年に湧く総本山大石寺での事件である。
    昭和48年10月14日、正本堂から退出する途中、池田・大・作は日達上人に向かって
    『これだけ御奉公したのですから、お祝いとして学会に、10億本山から寄付して下さい。』
    『とにかく二人でお話し合ったことが、壊されるようでは信用出来ません。これからは皆の前で正々堂々やります』『もうこれからは従属はしません』等々、怒鳴りちらしたのである。その時の池田の顔はすさまじい限りであったと言う。
    『正本堂』建立に際して、日達上人に奉り、全国の僧侶・信徒が真心の御供養を行うに当たりその目標を大きく上回った。池田にとってこれだけの大金が我が命令一つで集まったと思い込み、「これだけの金が動かせるのであれば、思うがままに、世の中を操れる」
    というひずんだ自信が彼をこれだけ狂わせた原因と言えるのではないだろうか。
    そこにはすでに、日蓮正宗の教義を広めよう、宗門を外護しようと言う信心のかけらすらもなく、唯『宗門をうまく利用するだけ利用し、後は分離して思うがままにしていこう』
    という野望のみが存したのである。
    ともかく、一信徒が時の御法主上人に『10億よこせ』『信用出来ない』などというこの上ない無礼無遜な発言を平然と行う事自体自らの強い権力への執着と、宗門や日達上人に対して相当の嫉妬、恨みの修羅の心をすでに当時からもっていたと思われる。
    当然のように、日達上人は、後日の北条理事長とのお目通りの席で『創価学会は増えるけど、日蓮正宗には関係ない。大体会長さん、10月に公衆の面前で私を罵倒したでしょう。
    あなたは、そばにいたから知っているでしょう。あれでは管長の権威は丸つぶれだ。
    私は我慢した。あなたは会長さんの弟子だから、私がやられるのを見て気持ちよかったかもしれないが、いきなり10億といわれた。10億あるなんて言った覚えはない』とその傲慢無礼な池田の言動を、きつく注意されたのである。
    この件関する報告書が先の北条文書である。
    しかし、池田等最高幹部は、血脈付法の御法主上人よりの厳しいご注意を無視し着々と日蓮正宗潰しの計画を進めた。そして、その驕慢による狂った謀略はやがて、より具体的な形となって、宗門攻撃と教義逸脱、さらには本尊模刻事件に象徴されるような大謗法次から次と侵する結果となり、宗門内外より厳しい非難を受けることとなったのである。
    『山崎・八尋文書』
    今後の私たちの作業の進め方について。
    本山の問題については、ほぼ全容をつかみましたが、今後どのようにどのように処理して行くかについて二通り考えられます。一つは、本山といずれは清算せざるを得ないから、
    学会に火の粉がふりかからない範囲で、つまり、向う3年間の間の安定確保をはかり、その間、学会との関係では、いつでも清算出来るようにしておくと言う方法であり、今一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという方法です。
    本山管理に介入することは、火中の栗を拾う結果になりかねない危険が多分にあります。
    しかし私の考えで、本山、正宗は、党や大学、あるいは、民音以上に学会にとっては存在価値のある外郭だと思われ、これを安定的に引き付けておくことは、広布戦略の上で欠かせない要素ではないかと思われます。こうした観点から、後者の路線で進むしかないように思われます。そのための布石としては、
    ①・本山事務機構(法人事務、経理事務の実質的支配)
    ②・財政面での支配(学会の依存度を高める)
    ③・渉外面の支配
    ④・信者に対する統率権の支配(宗制・宗規における法華講総講頭の
    権限の確立、海外布教権の確立等)
    ⑤・墓地、典礼の執行権の移譲
    ⑥・総代による末寺の支配
    が必要です。これらの事は機会をとらえながら、さりげなく行う事がひつようであり、
    今回の事は、①・本山事務機構(法人事務、経理事務の実質的支配)
    ②・財政面での支配(学会の依存度を高める)
    ③・渉外面の支配を確立し更に④・信者に対する統率権の支配(宗制・宗規における法華講総講頭の権限の確立、海外布教権の確立等)まで確立できるチャンスであります。
    いずれにせよ、先生の高度の判断によって決せられるべきと思いますので、ご裁断を仰ぐ
    次第です。』
    これらの文書に明らかなように、学会は宗門を支配するか、さもなくば独立という野望を
    抱いていたのである。
    4・日達上人学会の誤りを指摘
    日達上人は、学会の法謗を非常に憂慮されて、色々な機会に学会の誤りを指摘された。
    『この辺りでも、最近、人間革命が御書だということを盛んに言われてきております。
    私の耳にもしばしば入ってきています。又、誰が本仏である言葉も、この近所で聞かれるのであって、私は非常に憂慮しています(中略)凡夫が、体の仏であるということは、御書にはっきり書いてあります。その体の仏を以って、どこまで仏と言いふらしていくならば、
    大変間違ったことになります。やはり、末法の仏は宗祖大聖人以外にはないのであります。
    (中略)それが、たまたま違ったことが入るならば、それは日蓮正宗でもない、日蓮正宗の
    御本尊を拝するならば、日蓮正宗の教義に従って、信心していかなければならないのであります(中略)日蓮正宗の教義が、一閻分浮提(いちえんぶだい)布えんしていてこそ、公宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻分浮提に広がっても、それは、公宣流布とは言えないのであります。』
    (日達上人全集第2-6-295)
    ①・『学会こそ僧宝』に対する指南
    『我々が公布し公布するが故に、我々も僧宝であるから他の人々が我々を拝んでもいいんだ。と云うような心を起こせば、それは既に驕慢であります。』
    【昭和52年7月27日】
    ②・『寺院不要論』に対する御指南
    『或る本で大聖人様の寺院観と云うものを、大聖人様が居らしゃった所が御寺だといったならば、或る人は『寺、寺』というならばまるで多造塔寺堅固の時代に逆戻りしたようなものだと出ておる。これは、考えが違うんだ。其の人は表面はそういう言葉をしっているから使うだけであって、大聖人様の仏法を知らない。勘違いしている(中略)
    大聖人様の仏法を公宣流布する為に、寺々家々それをそれを建立するのは当たり前のことです。』
    【昭和52年8月18日】
    ③・『僧侶侮辱論』に対する御指南
    『世間の人は基本が分からない。基本の学問はそっちのけにして、唯言葉を知っているからと云ってやたらと悪口を言う。例えば我々は僧侶である。日蓮正宗の僧侶である。で、それをすぐ「供養を欲しがる禿人だ」などと言っておる。禿人と云うのは、もともと食べる事が出来ないで、乞食ですね、食べる事も何も出来ないから、仕方無しに坊さんの格好をすれば、供養がある。日蓮正宗の僧侶はそういうものではない』
    【昭和52年8月18日】
    ④・『学会の師弟観』に対する御指南
    『よく世間では、「あの人は私の師であるから、あの方が地獄へ堕ちるならば、私も地獄へ行っていい」等と言う人があります。此の人は何の為に信心しているか分かりません。
    大聖人様の仏法に対して全く誹謗の人であります。
    【昭和52年11月27日】
    この様な日達上人の謗法厳戒姿勢を受けて、活動家僧侶といわれる人たちが中心となって
    学会の破折が活発に行われるようになったのである。
    5・創価学会謝罪す
    これら一連の池田による仏法破壊行為によって、当然の事ながら、純粋に大聖人の教義を
    信奉していた多くの学会員が徐々にその邪儀に目覚め雪崩の如く退会し始めた。

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from: 21世紀さん

2009年05月31日 00時34分42秒

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「Re:謗法路線の始動を風化させない為に!!」
>謗法路線の始動を風化させない為に
さらに、池田の創価学会独裁支配、あるいは最高幹部達の極端な排他性による様々な反社会的行為などに対して、マスコミや世間一般の識者からも厳しい批判を受けるようになり、
とうとう池田は八方塞の状態となって、宗門からの分離独立をはかった野望は挫折したのである。すると池田は手のひらを返したようにそれまで徹底的に攻撃していた日達上人にお詫びを申し上げ、さらに、宮崎県・日向市本山定善寺の新築落慶法要では大衆の面前で
「どうか御尊師方々には、私ども信者の、今までの我侭をここに謹んでご寛恕下さるよう
御願いしたい」【昭和52年12月5日聖教新聞】
と宗門僧侶に許しを乞い願ったのである。そして、その後ことあるごとに日達上人に奉り、
お許しをいただくための話し合いを御願いしていたことが、昭和53年2月9日並びに同月
22日に開催された時事懇談会おける日達上人の御言葉に示されている。
『12月の4日、日向へ行ったとき、(池田)会長が種々な事(お詫び)言いましてそれから大変納まったと思って居りました。12月12日、会長が本山に来まして対面所に来たとき、私が
今までのことを指摘しまして学会はおかしい、まるで別な教義を立てるようなことをしておる。例えば、池田会長は本門弘通大道師だなどと盛んにいっておる。あるいは北条さんが、私が改宗する以前の宗旨が日蓮正宗であった。まるで本宗謗法の寺の如く言っておる。
等々旨指摘しましてこれじゃおさまりゃしない(中略)私がおさえておるが弥々手を切るならば、宗会を開いてはっきりしなければならんと思っている、といいました。会長の方も
私が手を切るといったことに関して一寸驚いたような顔をしていました。』
(時事懇談会2月9日)
「宗門から学会と手を切るというような話し合いであった話を薄々聞いたが(中略)どうか手を切るというようなことをしないでくれ、自分の学会員が1千万人ある。この人達を正宗から手を切るという事は地獄へ堕すようなものであるから、どうかそういう事をしないでくれと(池田)は云って(中略)それから第2回目、また突然、14日、12日に来て又14日に又会長が来まして(中略)どうかその手を切るというようなことをしないでくれと、それを
その案件も、どうしても皆が動揺するからやめてくれと、云ってきたので私は、あなたの信心は当然立派なもんだ。牧口さんはりっぱな信者だった。戸田さんも(中略)信心は強かった。あなたも信心はあるでしょう。だから若し種々な教義の間違った事あるいは、お寺へ
行っちゃいけないと、日蓮正宗では成仏出来ないようなことを言いふらすのはやめさせて
くれれば宜しいです。(中略)それなら手を切ると云うことやめます(2月22日)
「日蓮正宗では成仏出来ない」などという当時の学会組織内部のあまりにもひどい指導内容と、それに対する日達上人の御教導、そして、そして、その大謗法のものであっても、
これを訂正したならば、1千万信徒を波紋するようなことはしない旨を池田に伝えられて
いた事がよくわかる。こうした中、宗門より学会へ教学上の諸問題についての質問が出された。これに対して学会では、これまでの逸脱した邪儀ををすべて撤回し、純粋に日蓮正宗の教学に立ち返る事を正式にやくそくしたのである。これが6月30日に発表されたことから、「6・30」と呼ばれている。しかるに、日達上人の御苦心と御慈悲をよそに、創価学会の組織内は分裂に分裂を重ねていた。そこで、事態取拾のため、山崎、原田、野崎、
原島等の学会の代表者と宗門の僧侶代表との会談が幾度となく開かれた。
その結果、創価学会創立48周年記念代表幹部会(通称・お詫び登山、11.7)を11月7日、
総本山大講堂において開催する事がけっていされたのである。
さて、この代表幹部会では先ず北条理事長が「僧俗和合へ新たな全身を」と題して挨拶に
立った。「問題を起こした背景に、宗門の伝統、法儀解釈、化儀等に対する配慮の欠如が
あったことを率直に認めなければなりません。(中略)私ども創価と学会といたしまして、
以下の2点を率直に認めるものであります。
第1に、学会のここ数年の指導、進み方、教学の展開の中に正宗の信徒団体としての基本が疎かになっていた事。
第2に、昨年のような学会の行き方は、行き過ぎがあったこと。
以上の2点を私ども学会は、特に我々執行部は、深く反省するものであります。」
つまりこれまでの責任は、一切創価学会の指導にあることそして、それについては深く
反省し、二度と過ちを繰り返さない事を宣言したのである。
続いて「教学の基本について」と題して演題に立った辻副会長は「先ず第1に、戒壇の
大御本尊根本の信心に立ち、総本山大石寺こそ、信仰の根本道場であることを、再び原点に戻って確認したのであります。(中略)不用意に御謹刻申し上げた御本尊については、
猊下の御指南を受け、奉安殿に御奉納申し上げました。(中略)
第2には、唯授一人、血脈付法の猊下の御指南に随い、正宗の法儀を尊重してまいりたいと思います。「身延相承書」に「血脈の次第日蓮日興」とあります如く、日蓮大聖人の法体
、御法門は、すべて現御法主日達上人猊下に受け継がれております。故に創価学会は公布を目指し。社会に弘通、展開して行くにしてもその大前提として猊下のご指南に一切したがって行くことを忘れてはならないのであります。」
と述べ、正式に御本尊模刻事件を認めた上で、それに対して謝罪し、さらに今後いかなる事があろうとも、時の御法主上人猊下の御指南に随従し奉る事を約束したのである。
最後に挨拶に立った池田・大・作は「先程来、理事長、副会長等から、僧俗路線の確認、その他の問題について色々と話がありましたが、これは総務会議、県長会議、各部最高会議の
全員一致による決定であり、又私の決意でもあります。(中略)
これまで、色々な問題について行き過ぎがあり、宗内をおさがわせし、又、その収拾に
当たっても、不本意ながらも充分な手を尽くせなかった事は総講頭の立場にある身として
この席で、深くお詫びいたします。(中略)御宗門におかせられましては、つねに学会を
守りに守って下さいました。その御恩を私どもは永久に忘れず、一段と御宗門への御奉公
を尽くしてまいる決意でございます。」と平身低頭して宗門に謝罪した。
これは創価学会が宗門に対して全面的に謝罪するとともに、その狂った組織体制を改善する事を約束し、その上で宗門・学会両者が、それまでの一連の学会による協議逸脱問題等
に決着を付け、共に手を取り合って、新たに公宣流布へ向かって出発しようという、重大な意義をもって開催されたものであった。
その後も学会組織内では、これら、お詫び登山などの一連の学会の謝罪行為に対して、
宗門や日達上人を「池田先生をいじめる者」として逆恨みするといった混乱が続き、僧俗
一致・協調路線を取り戻す事は不可能に近い事であった。
そこで元凶たる池田・大・作は、ますます宗内外の激しい批判を受ける事となり昭和54年4月
24日、会長就任19周年を目前にひかえて、すべての責任を取り、創価学会会長を辞任する事となったのである、さらに池田は会長辞任と合わせて、法華講総講頭職も辞任する事となった。
6・日達上人創価学会をお許しになる
これを受けられた日達上人は同年5月3日、創価大学で開催された、第40回創価学会本部
総会において、特別講演された。
『この数年、まことに残念な出来事が続き、混乱を招きました事は、悲しい事でありました。幸いにして前会長(池田)の英断と、心ある人々の努力により、再び秩序の回復に向かい、
晴ればれと今日の天気のごとく明るい出発が出来る事は、まことに喜ばしいことであります。(中略)生きている人間は完全無欠ではあり得ません。誤りは避ける事は出来ません。
要は自己の誤りに気付き改めることの出来る聡明さと謙虚さを持つ事が大切であります(中略)我々僧侶はどこまでも信徒の皆様が正しい信心をして、幸せになられることが最大の喜びであり、いつもこれを念願しているということであります。私自身、大御本尊様に丑寅勤行において乃至常に信者の皆様方の幸福を御祈念申し上げております。
その立場の上で敢えて色々申し上げる場合もあるかということであります。
それが仮に厳しいことのようであっても、決して悪意でないことをよくご理解していただきたい。(中略)仏教において、出家ということは、重要な意義があります。
また寺院というのは、やはり重大な意義と働きを持っているのであります。
寺院も僧侶も、その檀徒、信徒によって守らなければ存立が出来ません(中略)
なお、我が日蓮正宗には創価学会の他にも法華講及び檀徒会に属する信者がおることは
御承知の通りであります。同じ信者として仲良くしていただきたいのです。
これまでの経緯は水に流して大同団結して宗門の発展ひいては公宣流布に協力して
いただきたいのであります。』
日達上人は、創価学会が正本堂建立直後から推し進めてきた、一連の方針は完全に間違っており、それを反省し改めるのであれば、宗門と一致協力して公宣流布に遇進して行く事が出来る。あくまでもその大前提に基づいてこれまでの経過については、一切を水に流して仲良くやっていこうと、宗門と学会との和合のための大道を示されたのである。
7・日顕上人の御登座と学会への御教導
まさに1千万信徒が路頭に迷うか否かという大問題を収拾あそばされ、未来永遠にわたる
公宣流布の大指針を示された直後の昭和54年7月22日早朝、総本山第66世日達上人は、
安祥として御遷化せられた。血脈付断のため、既に昭和53年4月、日達上人より内々に
唯授一人の血脈を相承されていた日顕上人猊下が、ただちに総本山第67世御法主として、
御登座あそばされたのである。日顕上人は、日達上人が確立された僧俗和合協調路線を継承され、機会あるごとに、甚深の御指南を示され、いまだ安定していない学会組織を大きく包容されつつ、1日も早く宗門と創価学会の関係が正常化するよう御苦心せられた。
昭和54年10月8日には、宗務院より、創価学会もんだいについての基本的な態度が、日顕上人の御意向に基づいて、宗内僧俗に対して通達せられた。
『1・創価学会に対する基本的な態度は、前法主日達上人が示された既定の方針と聊かも
変わるものではない。
2・僧侶にあっては、上求菩提下化衆生の誓願に徹して慈悲の精神に立ち、法主上人のもと一結して僧俗和合協調の右基本路線に添い奉るべきである。(中略)
我々正宗僧俗は、いたずらに過去の行きがかりにこだわり、内輪同士で反目し合い、世間の嘲笑の的となる愚は避けなければならない。そして今や互いに励ましあい、助け合い、
異体同心の上、外に向かって謗法不信の人々の慈悲折伏教化に全力注ぎ、以って一天公布の願業に遇進すべきときである。勿論もし眼前に同信の人々の謗法行為を見聞した場合においては、即座に厳然と破折し善導すべきであり、またそこに何等かの複雑な問題を含む時には宗務院に報告して善処を委ねるなり、或いは地方協議会の機関に諮る等の道を講ずべきである。
3・創価学会にあっては、6・30、11・7につき、さらに全会員が充分その経緯と意義内容を理解し納得するよう、意を尽くして説明徹底する事を怠ってはならない。
即ちそのためには、過去において正宗の化儀化法から逸脱していた部分を明確にし、
またそのような指導を行ったことについて率直に反省懺悔し、再び過ちを繰り返さぬ事を
誓う姿勢を忘れてはならない。(以上抜粋)
僧侶は常に慈悲の心に立って、信徒をはじめ一切衆生を教導していかなければならない。
そのためにも、一旦は反省懺悔した者に対して、いつまでも過去の誤りをしつこく糾す事は、かえって逆効果となるのである。
僧侶は大きく法要し、一日も早く正しい日蓮正宗信徒として、創価学会員が蘇生出来るよう、日達上人も御苦労せられ、さらに日顕上人もその御慈悲による御意向を、そのまま引き継がれてのである。
ただし、創価学会員に対しても、このように通達の中で厳しく御指南せられているように、あくまでも、過去に言った教義逸脱等の謗法行為を反省し、それを組織末端会員まで徹底することによって、
日蓮正宗の純粋な信仰に立ち返る事が、大前提になってることは言うまでもない。
これが、日顕上人御登座以来、今日に至るまでの一貫した御指南であり、あくまでも宗祖日蓮大聖人の御内証を御承けあそばされる御法主として、令法久住公宣流布、一切衆生救済のため、
常に大慈大悲を垂れ給うておられるのである。
我等宗門僧俗は、どこまでも『正直』を旨として、大聖人様以来の唯受一人・血脈相承を伝持あそばされる御法主上人猊下に随順申し上げ、来る平成21年『立正安国論』正義顕揚750年に向かって、
地涌の友の更なる輩出願い精進を重ねていかなければならない。

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